業務上過失致死罪は必要?

刑罰の意義

 現代の日本においては、刑罰を科すことによって、一般人の犯罪を抑止する効果(一般予防論)と、同時に刑罰を受けた者の再犯の予防をする効果(特別予防論)が期待されています。言い換えれば、犯罪を犯した者が刑罰を科せられることが広く知られることで他の者が罪を犯すことを思いとどまらせ、当人に対して、刑罰自体による反省を与える効果とともに、それに当たって一定の教育を施すことで再度の犯罪を予防しよう(教育刑論)、という狙いがあるのです。このような立場を目的刑論といいます。

 一方で、一定の犯罪を犯したことに対して、それに見合うだけの刑罰が当然に科されるべきである、という刑罰を科すこと自体を正義とする応報刑論がある。

 日本における通説は両者の側面を否定せず折衷する相対的応報刑論であるとされる。

業務上過失致死罪は必要か

 過失犯は、そもそもそのような結果を発生させないようにしよう、と思っていたのに結果を発生させてしまったような場合を典型として想定している犯罪類型です。
 したがって、これを処罰しても一般人の犯罪を抑止する効果(一般予防論)と、刑罰を受けた者の再犯の予防をする効果(特別予防論)は、あまり期待できません。したがって、目的刑論を重視する立場からは、過失を処罰すべきではない、と言う見解が提示されています。
 これに対しては、悪質な過失に対する一定の予防効果はある、と言う反論がされています。

 一方、応報刑としての側面も無視すべきではない、との立場からは、過失犯を処罰しないのは行きすぎである、と主張されます。
 もっとも、現在の過失犯の処罰範囲が広範に過ぎるのではないか、また、過失を処罰することの弊害をも考慮すべきである、との問題提起がされています。

 特に医療行為の過失に対して過失犯として処罰することについては様々な批判があります。→いわゆる刑事免責について


 いずれにしても、「刑法」という、刑事法の幹であり、根である法律を改正するのは膨大な労力と時間を要するため、これらの改正を行うのは困難であることは、概ねどの立場からも合意されているところです。また、過失犯は予防効果が薄いことは事実ですから、通常の故意犯よりも謙抑的に運用されるべきである(例えば、駅のコンセントで携帯電話を充電するような故意行為については、これを積極的に取り締まることによって、予防効果を発揮させることが場合によっては求められますが、応報のような事後処理的側面を有する場合には積極的な刑法の適用の必要性は薄いです)と言う点についても合意が概ねできています。
 そこで、手続法の改正によって、この「謙抑主義」を実現していこう、と言う試みが現在なされている、と言えます。

最終更新:2008年09月17日 22:02