医師の過重労働


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  • 勤務状態と法的責任を結びつけるのは変な議論であるというのは賛成です。医療行為と法的責任を考える時は、あくまで行為とその結果について考えるべきで、医療行為の時点の医師の状態が全員過労であるなどということがありえない以上、勤務状態云々は無関係とすべきでしょう。

No.70 ヤブ医者さん
  • 医者が足りない病院では無理な勤務体制が日常化するのは仕方がないと多くの医者は諦めています。それでも働くのはニーズがあるからです。今多くの病院が赤字に苦しんでいます。極端な診療費抑制政策の結果です。日本の医療費がGDPに占める割合は、先進国中最低であることはご存じですよね?医療は社会主義的な統制経済であり、商品の値段は買い手(国民)が決めるシステムです。人件費をけちっているのは、果たして病院なのでしょうか?

No.109 FFFさん
  • 警察や検察は、何も医師の些細なミスをとらえて犯罪者に仕立て上げてやろうなどと思っているわけではないはずです。事案の内容、つまり、生じた結果の重大性、それを回避できた可能性の有無と程度、過失の内容や度合い、その医師に刑事責任を問うことの相当性等を総合的に考慮して、事件を捜査し、起訴するか否かを判断するものと思います。その中で、仮に過失があったと認定しうるとしても、疲労困憊の状態で可能な限り誠実に医療にあたった結果でもあり、責任を問うことが相当でないと判断すれば、本格的な捜査対象にはしない(逮捕状の請求をしない)とか、起訴猶予とかるという判断もあるでしょう。反対に、いくら疲労していたとはいえ、あまりに基本的な注意義務に反しており到底容認できないと判断すれば、逮捕状を請求し、あるいは起訴するかも知れません。

  • 労働組合を作らないのはどうしてか?理由は2個
    ひとつは、忙しすぎて、作る余裕がないこと。
    二つ目は、今勤務しているところを退職しても、就職にあぶれることがないこと、待遇も今の勤務先と同じくらいは余裕で確保できること。就職については、一般の職業と違い、ある程度高齢なほうが人気があり、また待遇もいいこと。だから、労働組合を作る必要もないんです。いやなら、そのままやめて、いいところに勤めるだけでいいですから。勤めるのがいやなら、開業医になるっていう手をとってるわけだしね。

  • 医者不足に関して公的な検討として厚労省の医師需給検討会の資料がありますが、表向きの医師数増加に反して病床あたりの医師数はこの十年全く増えておりません。これに対して医療が高度化し説明等にも多くの時間を要するため患者1人に費やす時間は増加する一方です。

  • 労働基準法を適応すると、夜間の診療が全て崩壊するのは「厚生省も把握してます」

  • よく「そんな過労の医師が医師全体の一部であって、全員がそんな状態だとは到底思えない。針小棒大だ。第一線で働いている人間を叩く意志は一般の人間にもないのに論点をずらしている」とおっしゃる方も多いのですが、それは違います。奴隷的生活条件で働く医師が、最も訴訟を起こされるリスクの高い職場にいるのです。大学病院や地域の基幹病院にしか重症の患者さんは集まりません。現実にはほとんどそこで働く医師のみに訴訟に遭遇するリスクがあるといえます。奴隷だけが訴訟にあっている訳で、そこで働く人の環境を変えてあげない限り、訴訟に対する立場(訴訟に対応する余裕もない・もう訴訟はやめてくれと法的には無理なことを願う)が変わることもないでしょう。

  • 労働基準法では1週間の労働時間の上限が決められていますから,現在の医師の仕事量を減らさずに(診療を維持して)労働基準法を適用することにすれば医師数を増やさざるを得ないのです.私立病院では医師が来てくれるなら医師数を増やすことも不可能ではありませんが,公立病院では非現実的です.(行政が医療のことを真剣に考えて定員を増やしてくれるなら不可能ではないですが,実際問題として1名の増員でもなかなか困難なのですから2倍というのは不可能と言ってもよいでしょう)さらに現実問題として医師は不足しており実際に充足させることが困難なのです.もちろんトータルとして医師全体の給料の合計も2倍必要ですから予算も付くわけが有りません.
    病院を昼夜を問わず24時間稼働させ,かつ医師にも労働基準法を厳密に適用すればこのようなことになると考えられます.このような現実を厚生労働省は知っているからこそ「救急医療に労働基準法を厳密に適用すれば救急医療は崩壊する」という言葉を発しているのです.しかしながら,医師が人並みの勤務形態で現在の一般の方が求める医療を実現するためにはここまでのことが必要なんです.いくら無駄を省いても医療費を増大させない限り実現が不可能なことは明白だと私は考えています.今のままでは,このような医療を行うには医療費が安すぎて病院の経営が成り立ちません.

No.118 Level3さん
  • 先日,やっと厚労省はいくつかの都道府県の医学部の定員を増やすことを決定しましたが,何とか使い物になる医師が増えるのは10年くらい先ということになります.(医学部6年+スーパーローテ2年+後期研修)それまで厚労省はひたすら「医師数は足りている」として定員を増加させようとしませんでした.背後には「医師数が増えれば医療費が増大する」という懸念があったからのようですね.

  • 「当時、その医師の労働量が過重であったために、普段ならしないような重大なミスをしてしまい、患者が死亡した」ケースを想定します。立木さんの見解では、そのミスをした場面のみを近視眼的に取り上げるのではなく、その医師が抱えていた業務量、直前の睡眠時間、病院の診療体制(特に人員配置)、その地域の医療資源、病院への予算配分、医師の報酬などの諸般の事情まで判断要素に含めた上で、医師の逃散、医療崩壊が起こらない程度の司法判断がなされるべきだ、ということになるのでしょう。
    上記のケースを刑事事件として扱うときは、そのような見地からの運用が必要だと思います。基本的に賛成です。
    しかし、民事事件として扱うときは、「もっと遠いところの話」を判断要素として取り込むことが妥当ではない場合も多いと思うのです。民事事件においては、生じた損害をどちらにどれだけ負担させるのが公平かという観点から「過失」の点について規範的判断を行いますが、一方当事者に関する事情を判断要素に加えるということは、結局、それを理由に他方当事者を不利に扱うということを意味しますから、一方当事者にまつわる事情の全てを司法判断に取り込めるわけではない。
    たとえば、医療過誤はあったが、原告である患者についても、自覚症状があったのに受診が遅れたという過失があったとします。これが原告に不利に考慮されるのは当然です。しかし、仮に「原告の勤務していた会社が休みをくれなかった」「休んだらクビにされて一家が路頭に迷う状態であった」からといって、判決でその点まで考慮する、すなわち、受診の遅れという過失を軽減する扱いをすることは、明らかに妥当でない。極端にいえば、「犯罪組織に監禁されていて受診できなかった」場合でも同じでしょう。いずれも病院にとっては何の関係もない、どうしようもない事情であり、そこまで判断材料にする(つまり、それを理由に病院を不利に扱う)のは公平でないからです。その部分は、原告と病院の間ではなく、原告と会社等の間で解決されるべき問題だから、とも言えましょう。医師についても同様なのであって、その医師の労働量が過重であったことが過誤の原因であったとしても、その点は、原告たる患者としては与り知らないことであり、これを判断事由に含める(つまり、それを理由として原告を不利に扱う)のは、民事訴訟の解決としては妥当でないように思うわけです。