一部の患者の誤解

  • 産科の問題に限らすですが、まず命は有限だということ、病気は理不尽なものだということ、専門家ができることなど実は蟷螂の鎌に等しいということ、この認識を患者も医師も持つことが必要だと思います。どんな患者でも直せる医師などいませんし、そういうことを過剰に感じさせる医師もよくないと思います。理不尽なことに対して所詮できる範囲のことをするしかない、それが医療の実態です。その部分にどれだけの手間をかければ死というものに対して納得できるのか、医療は結果よりもむしろ過程に意味があるものだと思います。父権主義的な医師に対して批判が集まりますが、それでも患者さんが満足して死に望めればそれはそれでありだと思いますし、そのような過程には満足できないという方も当然いると思います。文句を言いたい方は文句はむしろ言っていただいたほうがよいと思います。そのほうが死という結果を不本意に迎えられるよりは、よほど双方にとって建設的です。
    病気に対してより良い結果を追求する、当然のことなのですが、実は結果は常に死しかないのです。ですから、医療において結果を過剰に期待すると、医師側の負担もましますし、患者側の不満もまします。病気は誰のせいでもありません。しかし、病気は患者さんの持ち物であり、患者さん以外の誰もかわって背負えるものではありません。医師も患者もこの点をしっかりと踏まえたうえで、治療を行う必要があります。
  • 医学自体が一般の方になじみが薄く、理解しにくいものであること。これには「人間は必ず死ぬものであり、医学がそれに抵抗するのは極めて難しいものであること」、これを一般の方が言葉で理解していても感覚として認識できていないことも理由の一つでしょう。また、医療に100%はありえない、これも医療者には常識でも一般の方には常識ではない・・・と言う事実があります。
  • 「人が死ぬこと」、とりわけ「幼子が命を落とすということ」が昔よりも身近でなくなった現在、親が子どもの死を「運命」として受け止めることはますます困難になっていくでしょう。親が悲しみを持て余せば持て余すほど、誰かに原因を求めたいという欲求が強まり、いきおい訴訟に解決を求めるケースも増えるということになります。産婦人科医が医療訴訟の相手方にされやすくなっているのも、同じような理由からではないでしょうか。ただ、悲しみを持て余すあまり誰かに責任を求めたくなるという親御さんの心情はわかりますが、本件では、訴訟よりも、カウンセリングを受けるといった手段を選択したほうがこの親御さんにとってはよかったのではないか、と考えてしまいます。訴訟は、必ずしも紛争の全面的な解決をもたらすものではないのですから。
  • 外来患者さんから又はその予備軍の方からの相談に当たっていますが、この方達は、ビックリするほど、担当医の言葉の意味を理解している人が少ないです。その原因を、私なりに考えると、今の大人(戦後生まれ以降の年代)は人間の体をとても単純に考えているという印象を受けます。まるで、精密機械か何かのように捉えているようです。(水素と炭素の化学反応で水ができるように、100%再現可能な化学式のように)
  • アクシデントのなかで、誤薬・患者間違い・転倒・処置ミスなどありますが、転倒だけは対策が難しいですね。(家でも普通にこけるのに、病院に入院すると転倒しないということはないですし、入院中だと、体力がなくて転倒しやすいというのがあります)ただ、転倒するきっかけとなること(トイレに行きたい・お茶を飲みたい・ベッドで寝ていることを忘れてしまった)については、ある程度対策を立てることはできますが。
  • 医師の診断というものをもう少し解説させてください。(説明によって一般の方の理解が得られるかどうかちょっと実験です)
    まず主要な症状から、とにかく思いつくままかなり可能性の低い疾患までそんな症状を来たす疾患をあげていきます。次に現病歴、既往歴、家族歴、理学所見そしてすでに出ている検査結果から、それぞれの鑑別診断に対して、可能性をプラスしたり、マイナスしたりしていきます。そして可能性の低いものを消し、陽性ならさらに可能性が増す検査をおこなってみて、より確かな診断に近づくようにします。そして病気のストーリーとして高度に一致するものができれば、ほぼ診断は決まりです。もちろん病気は待ってはくれませんので、見切り発車の治療を開始していますし、また追加の検査も検査自体の侵襲の問題もありますので、簡単にあの検査をすればいいというものではありません。有力候補同士の治療法が相反するものである場合もあります。いかに困難なことをやっているか分かると思いますが、実際、患者は治ったけれど、診断が完全にはつかなかったとか、診断はほぼついて治療もうまくいったけれど説明のつかない検査結果が残ったとかもよくあります。
    若い医師の教育や几帳面な先生の場合は実際筆記して、通常は頭の中で大雑把に、上記のようなことをしています。それ一つではなかなか決め手にならない証拠を積み重ねて最小限の負担で最大の効果を得る方法であると思います。実は、証拠に対してどのくらいプラスするかということは、明確な基準がありません。この部分が職人芸で右脳的な仕事です。しかし各人てんでばらばらかというと違って、経験や訓練等によって大体同じような増減をおこなうようになり、結果として同じような結論がでるようになります。逆に研修医などは他の証拠が見えなくなったり、またはストーリーをうまく組み立てたりできないために、突拍子もない検査や治療をしたりすることがあります。時に大穴で、全く想定していなかったことが発見されることもありますが、それは銃を乱射したらたまたま当たったようなもの。プロの仕事としては正当なものではありません。
  • こちらのブログで勉強させて頂いて、医療業界の実情や常識、慣行というものについて色々気づかされたり、再認識したりしております。が、その中には、一般人、業界外の者から見て、違和感のあるものも少なからずあるように思います。たとえば、「薬剤は、必ずしもその添付文書にある注意書きに従って投与しているわけではない」というところなどは、そういう実務であることはよく分かりますし、そのこと自体がいけないなどというつもりも全くないのですが、素人的感覚からすれば最初は疑問に感じる、ひっかかるところでしょうし、その薬剤投与が医療過誤であったと考える患者にとっては納得しにくい部分でもありましょう。
    このような、「現場の専門家には当然だが外部からは分かりにくい慣行、共通認識」というものが、医療の現場には特に多いのかなという気がします。そして、こうした特殊事情を、対外的に、あるいは訴訟の場において主張することの妥当性については、色々と思うところがあります。
  • 外部の人間がすぐに推知できず、客観的な検証もできない「慣習」「特殊事情」を尊重して判決を下すのは、裁判所としてもかなり勇気の要ることです。先の例で言えば、司法が「注意書きは別に守らなくてもよい」というお墨付きを与えたものと理解されかねないからです。このような、一般人の感覚には必ずしも合致しない「特殊事情」を正面から是認する判決は、それが業界的には「正しい」のだとしても、果たして、社会における最終的な紛争解決のあり方として「正しい」といえるのか、少々疑問に思います。また、業界独自の「慣習」については、その内容・範囲を客観的に確定できるものではありませんから、裁判によって評価にブレが出るのもある意味当然と思います。
    結局、外部の人間からはすぐに理解できない「慣行」や「特殊事情」に依拠して業務にあたり、その「特殊事情」の評価に揺れる司法判断に一喜一憂するよりは、そうした慣行を可及的に是正・解消し、業界外の第三者たる裁判所にも明確な判断が可能となる態様での業務を指向することが、長い目で見れば当該業界にとっても望ましいのではないか、と思うわけです。
  • 医療訴訟の問題が収束しない原因は、医療行為は結果が不確実なものなのにもかかわらず、だれもがよい結果になるのが当然と思い込んでいることと、「医療の結果がよくなかったときの救済方法がない」ことに、起因しているのだと思います。
  • 近年、医学は、主としてハイ・テクノロジーを活用した医療機器の導入とそれに支えられた医療技術の向上並びに新薬の開発等により、急速に進歩している。そのため、比喩的にいえば、一昔前であれば80%の人が治癒できなかったけがや病気でも、現在では、80%の人が治癒する状況に至っている。このことが、患者の医療に対する期待感を大幅に膨らませている。80%が直らない時代には、自らの運命を受け入れるしかなかった患者が、現在、自分が残り20%の不運なケースに身をおかざるを得ない状況に立たされたとき、もはや自分の運命を素直に受け入れることはできなくなってしまう。他の患者は直ったのに、何故自分だけ直らなかったのか、医師にミスがあったのではないかと考えがちになるのは、人間感情として極めて素直な受けとめ方である。こうして、医療技術の進展が、リスクの増加をもたらしている。
  • 近年、新聞・テレビ等が好んで健康問題を取り上げるようになっており、医療に関する情報が、メディアを通じて大量に市民に提供されている。これにより、市民は医療情報に精通すると同時に、過度な期待感を医療に対して抱くようになっている。また、病院を舞台としたテレビ・ドラマでは、患者は最後に必ず医師によって助けられ、ハッピー・エンドの大団円となるわけだが、このようなドラマは、患者のイメージを固定化させ、自己の現実とのギャップからフラストレーションを蓄積させていく。さらに、医療過誤事件が発生すると、ニュースが大々的に取り上げて報道する。
最終更新:2008年07月26日 16:02