無過失補償制度


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  • >無過失保障制度、スウェーデンでは成功しているようですが。
    人口900万人、かつ税率が高額なスウェーデンの事例をそのままもってきても、1億3000万弱で高齢者(医療にかかる可能性が高い人々)が多い日本において、同じくらいの税率を課したとしても可能なのでしょうか。詳しく検討した上で取れるべきなら無過失補償制度が良いと思いますが。
  • 出産時の事故に関する無過失補償制度が検討されているようですが、単なる金銭給付だけでは期待するほどの効果はないように思われます。特に遺族には、「医療過誤があったのかも知れないのに、原因究明も何もしないのでは亡くなったあの人(子供)に申し訳ない」という心情があることが多いのです。
  • これは誰がいつ避け得るミスと判断するのか、どうやって判断するのかと言う点で問題が残るのです。私見ですが、原則重大事案(死亡・重い障害)に関しては無過失補償制度を適用する方が良いと思います。そして、避け得るミスと判断するか否かについては後日の判定(第三者調査機関など)を待ち、明らかな重過失と判断される場合に医療者側が補償基金への返還をすると言う方法の方が良いと思います。判定を待つ場合、結局「ことが起こるたびに何年もかけて裁判をしなければ被害にあった人の救済ができないというのは貧しい社会であり、被害者にとって2 重3 重の苦痛である。」と言う状況が変わらなくなってしまうと思います。これではせっかく無過失補償制度を作る意味がありません。
  • 無過失補償制度に関しての私の考え方をまとめますと
    ・無過失補償制度を社会システムに組み込む事は必要であり、必然である
    ・無過失補償制度は医師のためだけでもなく、被害者のためだけでもない。
    社会のためのものであり、国民のためのものである。
  • 世界で一番広く無過失補償制度を導入しているのがニュージーランドです。かの国では早く確実でとりっぱぐれがなく、どんな被害者も広く補償が受けられます。ただし欠点は金額が小さくなること。そのため訴権を取り戻そうという運動もあるとか。
    http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/01007/contents/0001.htm
  • 私は現在の民事医療訴訟を巡る最大の問題は、社会が医療行為に付随する「悪い結果」を
    A:確率的におこる合併症(いわゆる医療事故)
    B:明らかな人為的ミス(いわゆる医療過誤)
    に分類しておらず、(マスコミは全て「医療ミス」と呼びます。また多くの一般の方も「安全神話」を持ち、Aの存在を認識していません)そのためAによる被害を受けた方が補償を求める際も、AもBも同じテーブルで審議される訴訟として取り扱うしか手段がなく、それが医療側の「適切な対応をしていても結果が悪ければ裁判になる」という不安に繋がっていることにあると考えます。
    そこで、今後医療ADRはAの被害者に対し訴訟以外の補償手段を提供し、訴訟に至る以前に解決をめざすことにその目的を置くべきであると考えます。
    具体的には
    ・まず医療に伴う悪い結果がAであるかBであるかを審議し決定する。
    ・Aと決定した場合の補償額は被害の程度に応じて予め決めておき、過失の有無・大小に関係なく支払う。
    ・Aと決定した場合は医療行為を担当した側の過失認定は行わず、賠償義務は認めない。補償にかかるコストは医療システムを維持する上での必要経費と考え、医療費全体から捻出する。
    ・Aと認定され、被害者が補償を受け取る場合、被害者は同件で民事訴訟を起こす権利を放棄する
    ・Bと決定した場合は、その解決には関与しない。
    というのがあるべき姿だと思います。現に周産期医療での脳性まひの発生に関しては同様のシステムが検討されています(コストを誰が負担するかでもめていますが)が、早急に医療全体に拡大すべきでしょう。ここでかばい合いの話題に戻りますが、上記のシステムでは賠償額の決定や過失認定という過程はありませんので、かばい合いが存在する余地は「AかBかの審議決定」のみとなります。Aに関しては、その発生率は既に統計的に報告されていますので(例えば、全身麻酔では10万例に1.1例が死亡する、また造影剤を使ったCT検査では10~20万例に1例が死亡することがわかっています。)審議結果を定期的にその値と比較し、解離が存在すれば被害者側あるいは医療者側に偏った判断が行われているとして修正をかけることが可能であると考えます。