素人的には、勤務医でも開業医でも、医者は医者のため、このような勤務形態の変化は医療「崩壊」ではないように思えるのですが、「崩壊」なのでしょうか。

  • 救急外来というものが二次や三次の施設にはあります。救急外来は初診の患者さんが多くを占め、クレーマーや軽症の大群の中にいる本当の重症の患者さんを拾い上げて、診断を迅速に下し(他の患者さんを待たせてしまうからです)、当直医が外来をさばきながら同時に初診で重症で入院させた患者の指示も出す、という非常に判断力と体力を必要とする外来になっています。
    重症の入院も、救急外来も、開業医になれば避けることはできます。救急指定病院にしなければ、避けられるでしょう。「いま勤めているところを辞めて、待遇の良い所に勤める」と書かれていますが、「いま勤めているところ」とはどういうところだと思いますか。公立の地域の中核病院であると私は考えます。そういうところは、救急や重症を診れば診るほど赤字になるため、医師の給料も安く、労働時間も長くなっています。しかし、今まで地域で発生して、開業医さんをはじめに受診したり、小規模病院を受診もしくは入院診療を受けていても人工呼吸器もなくCTもなく手に負えなくなった重症患者様を一手に引き受けていたのはそういう病院に勤務する医師たちでした。公立病院は多くの赤字を垂れ流していましたが、そこが最後は診てくれる、という医療水準の最後の砦であったわけです。大学病院は、それほど小回りが利くわけではなく、また非常に特殊な疾患で専門家でないと診れないような患者さんをそれはそれで大勢抱えており、特にcommon diseaseの重症の方を診ることまでしてはこなかったという経緯があります。
    それらの公立病院は、症例数が多いだけあって若い医師や臨床能力のレベルアップを考える医師の研鑽の場となっていることもありました。そこで、今まで労働条件にも耐えてやってきたのです。医師の数も赤字が累積する中で増やせないことも解っていますし、自分ひとりが労働条件を改善したところで周りの仲間にすべてしわ寄せが来ることは解りきっており、耐えて頑張ってきたのです。
    それがもう限界を超えたということです。
    医療崩壊、とは、重症の患者さんを診てくれる場、悪く言えば押し付ることができた場がなくなりつつある、ということです。開業医さんや小規模病院で重症の患者さんを診ることは不可能です。それほど地域の中核病院は重要な役割を背負っていたわけです。
最終更新:2008年07月18日 14:08