医師の不安感

  • ただの腹痛、ただの胸痛、ただの頭痛、ただの眩暈、失神というのは往々にして救急外来でも原因が分からないことの方がむしろ多いです。教科書的な診察、検査、処置を施し、原因が分からず、何かあったら来てくださいと帰宅させるようなその場しのぎになってしまう例が大半ですが、帰宅後亡くなられたというケースが後を絶ちません。ベッド状況から簡単に入院させるわけにもいかず、それに例え緊急入院したとしても、そもそも原因が分からないのですから結果は同じことです(取り柄は病院内急変として救命措置率が高くなるくらい)。多くの臨床医はこういう下手すると業務上過失致死になりかねない経験をしています。これをすべて犯罪にしてしまっては臨床医はやっていけません。

No.166 民473さん
  • このようなケースでは、業務上過失致死罪は成立しないと思います。溝を埋める努力という言葉が出ていましたが、医師側にも法律について誤解があると思います。
鑑定意見というものの問われ方の問題ではないかと思います。

  • 鑑定者への設問として「当該写真に付き、これは正常と認めるべきか、正常と認めてもやむを得ないか、異常と判断するに矛盾はない所見か」と言う問われ方をした場合、医師は基本的に科学者ですので、「異常と判断せざるを得ない」という回答を出すと思います。その判定に医師の状況、prospectiveな判断云々、情勢判断云々の入り込む余地がないわけです。一方で、「これは一日100枚の胸部写真をチェックしてその中にこの写真があった場合、これを見逃すことはやむを得ないと言えるかどうか?」という問われ方をした場合、自信を持って「私ならこれは見逃さない」と言い切れる医師はいないと思います。

  • (最高裁) 間違いの内容にもよると思うが,例えばプロフェッションの中で,裁判官でも裁判を間違えないという保障は全然ないし,医師のように多数の患者を診ていれば一定程度の比率で間違いがあるのは当たり前ではないだろうか。もともと無謬神話があるから防御もガードも堅くなるし,処理の形態が非常に硬直化することになりやすいのであり,こういうものは一定比率以内なら名医ですよ,というような認識が広がれば,それほどかたい争い方はなくなるのではないかとも思うが,いかがだろうか。
最終更新:2008年09月18日 17:52