裁判所の認定に対する不満

  • 「癌を見逃したから...」などというものも散見されますが,こんなことが訴訟になるとは驚きです.医師の誰もが簡単に発見できるようなものを見落としたすれば確かに過失と言えるかもしれませんが,実際のところ100%見つけることなど不可能です.さらに運良く見つけられても100%根治できるわけではありません.しかしながら裁判では「発見できていたら救命可能であった」というように書かれます.あたかも方程式を解くがごとく言い切れる根拠がどこにあるんでしょうか?
  • しかしながらこと医療においては先頃の例のように「脳外科医であっても救急医療に携わる身であるなら心嚢穿刺程度は出来て当然」と言う現場の実情を無視した「医療水準」を要求されているようにも見受けられます。無論学問ですからガイドライン等はありますが、理論通りに行かないことがままあるのが医療、特に救急や患者急変時の現場です。自分自身、スタッフの揃った基幹病院と同じ医療を末端の市中病院レベルでは行い得ていません。こうした点から激務に追いつめられ専門外や不十分な機材といった制限要因の中で事故を起こした医師の行動に過失があったか否かは、まさに同様の環境に置かれた平均的医師ならどう行動するかということこそ参考にすべきではないか。
  • 薬に添付されている能書は重要である。1996年(平成8年)1月23日最高裁第三小法廷判決判例時報1571号57頁は、7歳の少年の虫垂炎手術で麻酔剤ベルカミンSで腰椎麻酔後、慣行に従い、5分おきに血圧チュエックしたが、麻酔後12分位のちに気分が悪くなり、ショック状態に陥り、重度の障害を負った事件で、原審は慣行通りの血圧チェックで過失無し、と判決したが、最高裁はペルカミンSの能書には2分おきの血圧チェック必要と書いてあり、能書違反は過失推定、と原判決破棄、差し戻し。
最終更新:2008年07月28日 23:48