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江夏豊 - (2017/03/02 (木) 22:58:24) のソース

*江夏 豊(えなつ ゆたか)
-右利きだけど左投左打、元阪神のエース。背番号28。
--兄に「お前は左でやれ」といわれて左利き用のグラブで半ば強制的にやらされた。それで球界屈指の左投手になるのだから兄の先見の明には脱帽せざるをえない。
-[[ノムさん>野村克也]]曰く三悪人。残りの二人は門田博光(元南海など)と[[江本孟紀]]
-阪神お得意のお家騒動で色々な球団を渡り歩き、色々な伝説を作った。
-&bold(){シーズン401奪三振}、それも2年目に達成した
-延長で自分でサヨナラホームランを打ってノーヒットノーランを達成した。
-この試合はサンテレビに保存されているため、虎辞書なるで再放送されることもある。&bold(){サンテレビは神。}
-オールスターで史上唯一の&bold(){9連続奪三振}、次の年も合わせて&bold(){15連続奪三振。}
-9連続奪三振の試合では史上二人目の先制ホームランも打った。
-1976年、江本や[[島野育夫]](故人)らとのトレードで南海に移籍。この頃の江夏は血行障害の為に、長いイニングを投げることが出来ずにリリーフを打診された。&br(){}当時はリリーフの地位がかなり低かったので難色を示したが[[ノムさん>野村克也]]に「野球界に革命を起こそう」と説得されてリリーフ転向&br(){}そして77年に当時設立されたばかりの最優秀救援投手のタイトルを獲得、リリーフエースという存在の草分けになった。
-その後広島に移籍。二度の日本一に貢献する。79年にはリリーフ投手初のシーズンMVPにも輝いた。
-同年の日本シリーズ対近鉄第7戦(大阪球場)で、1点リードの9回裏に無死満塁のピンチを作りながら佐々木恭介らを打ち取り切り抜けた。これは後に「江夏の21球」と名付けられ、プロ野球史上に残る名場面として語り継がれることになった。今考えるとただの劇場なだけともとれるが。
-1980年には日ハムに移籍。そこでもシーズンMVP獲得。このため&bold(){「優勝請負人」}と呼ばれるようになる。こんな造語が出来るあたり、やはり偉大な投手である。
-1984年オフ、西武に移籍して再び[[田淵幸一]]とチームメイトになるが田淵共々この年で引退
-プロ野球OBにはその筋に見える人が多数居るが江夏は薬物で逮捕されてしまった&bold(){数少ない本物である。}
--売人を決して吐かなかったため、執行猶予は付かず実刑判決を食らった。前科者ではあるがきちんと改心したため今でも球界に残ることができている。
--だがやはり前科者なので指導者の道は絶たれていた。しかし2015年の阪神の春キャンプにおいて臨時コーチとして招聘する方向でいくことが明らかとなった。
-現在はテレビ大阪(TVO)の解説。少々聞き取りずらい声とインテリヤクザよろしくな解説が特徴。
--しかしその見た目とは違い、選手は呼び捨てにせず君づけで呼ぶ。これは現役の選手はみんな尊敬すべき存在と考えているからである。
-解説には一定の定評がある模様。