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*星野 伸之(ほしの のぶゆき)
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-1966年生まれ。 1983年にドラフト5位で阪急ブレーブスに入団。
-その甘いマスクに長身細身な体つきから&bold(){星の王子様}などと呼ばれ親しまれてきた。
--身長180cm台に対して体重が60kg、これは体重70㎏でも標準未満である。しかしその体つきからは想像も出来ないほどの高スタミナを有しており「シーズン完投16」「通算完投129」という数値を記録している。
-あまりにも細身で、繰り出される球は130キロにも満たなかった。
-しかしながら90キロ台のスローカーブと緩急を使い分けて三振の山を築く。
-そのスローカーブを当時バッテリーを組んでた中嶋聡(現日ハム)に素手で捕られ、更にその返球が星野の投球よりはるかに速かったというエピソードを持っている。
-投球テンポは速く、試合が通常よりスムーズにいくのにも関わらず、「投げる球が遅いから試合が長引いた」などといった先入観からくるヤジを受けることがあった。
-血の気の多い外人選手に死球を食らわせても何事もなく塁に歩いていく様子を見てちょっとさびしかったと語っている。やはり遅いから痛みは少ないのだろう。
-当時44歳の落合博光に三盗を決められてしまった。このこともあって球が遅いことをよくネタにされる。
--だが牽制やクイックは上手く、中嶋の強肩もあって基本的には非常に盗塁のし辛い選手である。
-清原和博(元西武他)によると星野は意外とストレートを結構投げてくると語っている。実際、ストレートだけであの清原を打ち取ったこともある。それだけスローカーブを意識させているということなのだろう。
-その反面、清原の巨人時代のチームメイトだった松井秀喜(元巨人)にはよく打たれていた印象がある。
--だが自身の著書によると松井に関しては手痛い思いをさせられずに済んだと語っている。松井に関する詳しい話は著書や下記の動画を参照(参考:[[真っ向勝負のスローカーブ>http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E3%81%A3%E5%90%91%E5%8B%9D%E8%B2%A0%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%98%9F%E9%87%8E-%E4%BC%B8%E4%B9%8B/dp/4106100169]])
-投げる直前までボールを隠す投球をし、打者から見るとボールが突然出てくる為、タフィ・ローズ(元近鉄他)や初芝清(元ロッテ)などは「星野のストレートは速かった」と語る。&br(){}あの[[伊良部秀輝]]より速かったという人もいる。
--またどの球種も投球モーションが同じであるので、これもあって非常に打ちにくい投手であった。&br(){}これは入団した当初は癖は多かったのが、チームメイトであった[[福本豊]]に牽制や球種を癖によって全て当てられてしまったので、癖を矯正した結果である。
-2000年にFAで阪神に入団するも、2001年に頻脈に襲われ、2002年に現役を引退した。200勝を目指せた投手なだけに惜しまれて引退となった。
-著書において、阪神時代はセリーグとパリーグのリードの違いが出て、必殺のスローカーブを有効に使うことが出来ず、勝ち星が伸び悩んだと語っている。
-左投手なのに実は左打者が苦手。目標が定めにくく、また左投手ならば左打者は抑えて当然というプレッシャーもあって苦手としていた。&br(){}セリーグに来てからジグザグ打線の球団が多かったのも勝ちが伸び悩んだ原因だと分析していた。
-2006年より阪神の2軍投手コーチを務める。
-2軍コーチに就任してから若手が異様なスピードで成長する場合が見られた。([[上園啓史]]、[[石川俊介]]、[[阿部健太]]、[[渡辺亮]]など)星野は魔改造を駆使するとのうわさがあるが、その完成された投球理論や考え方が好影響を及ぼしているのだろう。
--2軍で燻っていた[[能見篤史]]を覚醒させたのもこの人。
-2010年からは古巣のオリックスでコーチをしている。そこでも病気に見舞われて一時期2軍のコーチをしていた。
*動画
**星野のスローカーブを素手でキャッチ
#video(https://www.youtube.com/watch?v=dplWumiK4y0)
**星野伸之の対松井秀喜戦
-4:42~から清原による星野評を聞くことが出来る。
&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm16207242)
*星野 伸之(ほしの のぶゆき)
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-1966年生まれ。 1983年にドラフト5位で阪急ブレーブスに入団。
-その甘いマスクに長身細身な体つきから&bold(){星の王子様}などと呼ばれ親しまれてきた。
--身長180cm台に対して体重が60kg、これは体重70㎏でも標準未満である。しかしその体つきからは想像も出来ないほどの高スタミナを有しており「シーズン完投16」「通算完投129」という数値を記録している。
-あまりにも細身で、繰り出される球は130キロにも満たなかった。
-しかしながら90キロ台のスローカーブと緩急を使い分けて三振の山を築く。
-そのスローカーブを当時バッテリーを組んでた中嶋聡(現日ハム)に素手で捕られ、更にその返球が星野の投球よりはるかに速かったというエピソードを持っている。
-投球テンポは速く、試合が通常よりスムーズにいくのにも関わらず、「投げる球が遅いから試合が長引いた」などといった先入観からくるヤジを受けることがあった。
-血の気の多い外人選手に死球を食らわせても何事もなく塁に歩いていく様子を見てちょっとさびしかったと語っている。やはり遅いから痛みは少ないのだろう。
-当時44歳だった巨人時代の落合博満に三盗を決められてしまった。このこともあって球が遅いことをよくネタにされる。
--だが牽制やクイックは上手く、中嶋の強肩もあって基本的には非常に盗塁のし辛い選手である。
-清原和博(元西武-巨人-オリックス)によると星野は意外とストレートを結構投げてくると語っている。実際、ストレートだけであの清原を打ち取ったこともある。それだけスローカーブを意識させているということなのだろう。
-その反面、清原の巨人時代のチームメイトだった松井秀喜(元巨人・ヤンキース他)には打たれていた印象がなぜかある。
--だが自身の著書によると松井に関しては手痛い思いをさせられずに済んだと語っている。松井に関する詳しい話は著書や下記の動画を参照(参考:[[真っ向勝負のスローカーブ>http://www.amazon.co.jp/%E7%9C%9F%E3%81%A3%E5%90%91%E5%8B%9D%E8%B2%A0%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%96-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%98%9F%E9%87%8E-%E4%BC%B8%E4%B9%8B/dp/4106100169]])
-投げる直前までボールを隠す投球をし、打者から見るとボールが突然出てくる為、タフィ・ローズ(元近鉄-巨人-オリックス)や初芝清(元ロッテ)などは「星野のストレートは速かった」と語る。&br(){}あの[[伊良部秀輝]]より速かったという人もいる。
--またどの球種も投球モーションが同じであるので、これもあって非常に打ちにくい投手であった。&br(){}これは入団した当初は癖は多かったのが、チームメイトであった[[福本豊]]に牽制や球種を癖によって全て当てられてしまったので、癖を矯正した結果である。
-2000年にFAで阪神に入団するも、2001年に頻脈に襲われ、2002年に現役を引退した。200勝を目指せた投手なだけに惜しまれて引退となった。
-著書において、阪神時代はセリーグとパリーグのリードの違いが出て、必殺のスローカーブを有効に使うことが出来ず、勝ち星が伸び悩んだと語っている。
-左投手なのに実は左打者が苦手。目標が定めにくく、また左投手ならば左打者は抑えて当然というプレッシャーもあって苦手としていた。&br(){}セリーグに来てからジグザグ打線の球団が多かったのも勝ちが伸び悩んだ原因だと分析していた。
-2006年より阪神の2軍投手コーチを務める。
-2軍コーチに就任してから若手が異様なスピードで成長する場合が見られた。([[上園啓史]]、[[石川俊介]]、[[阿部健太]]、[[渡辺亮]]など)星野は魔改造を駆使するとのうわさがあるが、その完成された投球理論や考え方が好影響を及ぼしているのだろう。
--2軍で燻っていた[[能見篤史]]を覚醒させたのもこの人。
-2010年からは古巣のオリックスでコーチをしている。そこでも病気に見舞われて一時期2軍のコーチをしていた。
*動画
**星野のスローカーブを素手でキャッチ
#video(https://www.youtube.com/watch?v=dplWumiK4y0)
**星野伸之の対松井秀喜戦
-4:42~から清原による星野評を聞くことが出来る。
&nicovideo(http://www.nicovideo.jp/watch/sm16207242)