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- 本名は矢野輝弘(読み方同じ)、間違えられやすいが「てるひろ」ではない。
- 元・虎の女房役。おっさんトリオの一角を担ってた。元祖必死のパッチ。
- 90年、中日のドラフト2位。ちなみに当時の監督は星野仙一。
- 後に阪神で一緒になる下柳剛は同年のダイエーのドラフト4位。
- 1年目からそこそこ出場していたが、当時は中村武志が全盛期(今中と山本昌が2年連続で沢村賞を受賞していた頃)。牙城を崩すには至らずバックアップや代打要員で出場。中日時代の最後の2年は浅井良や狩野恵輔のように外野手を兼任していた(もっとも外野手としての出場は通算40試合、阪神では2001年の4試合のみと意外に少ない)。
- 塩谷和彦と新庄剛志が満塁HR2発を放った試合で中日側のマスクをかぶっていたのはこの人。ちなみに10年に満塁HR2発が飛び出した試合で、このことが取り沙汰された。
- 1997年には83試合に出場し中村の穴を埋める働きをみせたものの、ナゴヤドーム移転ショックで最下位に沈んだアオリを受け、オフに大豊泰昭と共に阪神へトレード。相手は関川浩一と久慈照嘉。
- 当時は大豊メインのトレードで、矢野輝(当時『矢野正』って投手が居た)はおまけという印象であったが、当時の監督よっさんは矢野の引退発表時に『皆さんはどう思うてはるか知りませんが、私は矢野が欲しかったんですよ』と発言したとか。あるところでは「大豊メインには違いないが、一枝(修平)ヘッドが推薦してくれた」と言っていた。
- 中日時代の通算成績は打率.251(349試合645打数162安打)、14本、60打点、出塁率.324、長打率.366。このクラスのキャッチャーはかなり貴重であろう。とくに1996年には100打数そこそこながら打率.346、7本と打ちまくりops1越えを果たしており、1997年の成績も打率.252と悪くない。真相はいかに!?
- 阪神では捕手に専念し、移籍1年目から正捕手に定着。
- 野村監督が就任した1999年には打率.304をマーク、大卒9年目で初の規定打席到達を果たした。
- しかし、結局ノムさんも2000年の後半からは山田勝彦やカツノリ(野村克則)と使い分け、外野を守らせたりと迷走していた。自分が最強捕手だったわりにはキャッチャーらしいキャッチャーに拘りすぎるきらいがあるので、山田やカツノリが好まれたのかもしれない。もちろん、無駄な経験では無かっただろうが。
- 自身を放出した星野監督が就任した02年は再び正捕手に固定され打率.321と打ちまくるが、故障で66試合の出場に終わる。元々頑健なタイプではなかったが、この年は矢野の離脱がチームの低迷に直結。そこで2003年は大型トレードで加入した野口寿浩がバックアップする戦略をとったが、これが大当たり。打率3位の.328をマーク、18年ぶりの優勝に大いに貢献。大卒13年目にして初のベストナイン・Gグラブを受賞。井川慶と最優秀バッテリー賞も受賞した。
- どんでんの極力スタメンを固定する方針は危惧されたが、慣れてきたのか翌年以降は大きな怪我もなく4年連続規定打席到達。05年は藤川球児と最優秀バッテリー賞を受賞した。
- 歳には勝てず2007年は規定打席到達を逃し、ふたたび野口がバックアップ要員に。
- 08年は、齢39にして野球五輪代表初選出。密かに北京五輪メンバー最年長。ふたたび規定打席にも到達。
- 09年は右ひじの不調により開幕から2軍調整していた。
- 7月18日にようやく1軍登録。しかし狩野の奮闘もあってベンチに甘んじる機会も増え、30試合の出場に終わる。打撃は
- 09年末に登録名を輝弘から燿大に改め現在でも登録名として使用。
- 10年9月3日、現役引退を発表。
- 同年9月25日のウエスタンリーグ公式最終戦となる中日戦(鳴尾浜球場)で同点の8回裏に代打で出場し、ウエスタンリーグ優勝に大きく前進する勝ち越しに繋がるレフト前ヒットを放つ。その次の回ではマスクを被り、長年バッテリーを組んだ同級生下柳をリード。試合終了後、中日コーチとなっていた中村から花束を受け取り、両軍の選手から胴上げされた。
- 球団は、甲子園最終戦となる30日の横浜戦で、1軍での引退セレモニーを行うことを決定。9月30日、対横浜戦で9回2アウトからマスクを被って球児をリードする予定だったが、球児がアウトを取る前に村田修一(現巨人)に逆転3ランを打たれて炎上し、引退試合では出番なし。その後の引退セレモニーでは「ファンの皆さんに感謝、感謝、感謝です」と挨拶し、ナインから7回胴上げされた。
- 捕手としての出場試合1281試合は球団記録である。
- 藤川をリードする際の中腰に定評があった。中腰で高めストレート要求→相手打者空振り三振でゲームセット→球児、ナインらと笑顔でハイタッチというのは勝ち試合お決まりのパターン。
- 矢野が中腰になった瞬間、阪神ファンは勝ちを確信し、他球団ファンは負けを確信した。特に他球団ファンからはあの中腰は憎らしく思う人も多数。
- 横浜スタジアムでの打率が異常。ハマスタ大好きオヤジぶりを存分に発揮した。
- スイーツ大好き。
- オフに自身のラジオ番組(通称:やのどん)を持つ程のベシャリの達人。ヒロインではその饒舌っぷりを余すことなく披露。
- 自身のブログでは、40代のオヤジとは思えない可愛らしい?顔文字を駆使。その影響は下柳にも及んでいる模様。
- 赤星憲広に言わせると、虎戦士の中では怒らせると一番恐いらしい。あの下柳を唯一叱れる人物。
- 阪神で一番短気と言われており審判に猛抗議して退場処分を受けたことも多数。
- 仕草がどことなく乙女チックなことがあり、その場合は「中の人が女子高生になった」と言われている(例:金本の2000本安打のサプライズなど)
- 主婦層からの人気が特に高く、球場へ行くと矢野ユニを来たおばちゃんをよく見かけた。
- 野球解説者となってからは捕手であったこともあり、さぞかし理論的に解説してくれるだろうと思われたいた。
だが蓋をあけてみれば、その解説は「オッケーイ!」を言わない古田敦也の様な居酒屋解説と言われる始末である。
実況アナに対してすぐにクイズをしかけるのでウザく感じることも多い。(その矢野クイズが好きなファンも一定数いる)
また選手に対してはかなり辛らつで(特に捕手に対して)、時にはガチギレして空気を悪くすることもある。そしてその否定した選手が活躍することが多数おきるなど、逆進っぷりも発揮している。
いずれ監督を目指していると言われているが、その逆進っぷりな解説を見たファンからは早くも指導者としての資質を問われてしまっている。
- 2015年、金本監督の下で作戦コーチ兼バッテリーコーチをつとめる。捨て年の割には防御率リーグ2位とソコソコ結果を残したが、金本同様真価が問われるのは来年であろう。
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最終更新:2017年01月02日 12:47