渡真利 克則(とまり かつのり)

  • 1981年に阪神に入団。同期はなんとあの誤審で悪名高い橘高淳である。ちなみに同い年でもある。
  • 85年のV戦士である。阪神優勝時の試合においてランディ・バースの代わりに一塁の守備固めに入り、投手ゴロを処理した中西清起から最後のアウトとなる送球を受けて優勝決定となった。
    その為ウィニングボールを掴んだ選手として阪神ファンの中では有名である。
  • その後はぱっとせず、1990年のオフに池田親興大野久岩切英司らと共にダイエーにトレードされる。
  • しかしそこでもぱっとせず、1992年に現役を引退する。
  • 1993年からはプロ野球審判員となる。審判員としてなら知っている人も多いことだろう。
    • 先に退団した橘高はすでに審判として活動していた。
    • 橘高は別格として選手出身の審判は誤審が多いと言われる中、渡真利のジャッジは公正で誤審も非常に少なくまともな審判であると、評判は良い方であった。
  • 渡真利で有名な事件はやはり2006年4月21日の巨人対阪神戦だろう(下記動画も参照)。阪神先発の井川慶が巨人小坂誠に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野輝弘に向かって覆いかぶさるように倒れた。
    井川は投球を止め、矢野は無理に立ち上がろうとする渡真利を支えてあげて、大慌てで担架を要請した。試合は控え審判員の有隅昭二が3塁へ、3塁塁審の井野修が球審にそれぞれ廻り続行された。
    退場した渡真利はそのまま入院したが翌日に退院した。原因は不整脈と言われているが、精密検査の結果は原因不明だった。
    この日の試合は日本テレビで全国中継されていたので、広くお茶の間に流れることとなった。またこの時の中継は阪神時代のチームメイトであった掛布雅之が解説員として出演していた。
    • この試合で控えの審判の存在も知った人も多いのではないだろうか。
  • 実は渡真利は2003年にも倒れて途中交代したことがあり、2005年5月にも病気で長期離脱したことがあった。それもあってかセントラル野球連盟は渡真利の体調等を考慮し、2007年1月1日付で、渡真利を連盟の関西事務所職員とする人事異動を発令した。要するに内勤に異動となった。
  • 事務職は合わなかったのか、現場に出たかったのか2009年限りでセントラル野球連盟を退職した。
  • その後2010年から阪神園芸に再就職し、整備課の主任として鳴尾浜球場の整備を担当していることがわかった。
  • スポニチのインタビューにて「こんな世の中にもかかわらず、野球に携われて幸せ」と言い、2軍本拠地の裏方として「プレーしやすいグラウンドを用意することを考えている。甲子園のグラウンドには負けたくない」「甲子園に立った時に素晴らしいと思った。走りやすくて楽しくてしょうがなかった」と答えている。
    少しでも野球の現場に関わりたいということがよくわかる受け答えであった。

動画

渡真利球審、試合中倒れる 矢野好判断

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最終更新:2018年06月18日 19:24