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京都御所
京都御所は、南北朝時代の光厳天皇が元弘元年(1331)に里内裏だった土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)を皇居と定めたものです。以後、信長・秀吉・家康らが修理、造営を行いましたが焼失し、現在の建物は総奉行・松平定信によって安政2年(1855)古制にのっとって再現されたものです。広さは20.2haで、主な建物として紫宸殿(ししんでん)、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所、常御殿(つねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后御殿などがあります。また、京都大宮御所、仙洞御所が隣接しています。
御所の正面には建礼門という正門がありこの門を入り、さらに、承明門を潜ると正面に紫宸殿があります。
紫宸殿は御所の正殿で、天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われた最も格式の高い建物で、檜皮葺、総桧造りの高床式宮殿建築で清楚な感じの建物です。33メートル×23メートルほどの規模があり、建具として蔀戸(しとみど)が使われています。規模は大きいが、華美な装飾のない簡素な建物です。内部は板敷きの広い空間になっていて、中央に高御座(たかみくら、天皇の座)、その東に御帳台(みちょうだい、皇后の座)が置かれています。
清涼殿は中殿とも言い、紫宸殿と同じように檜皮葺、総桧造りで、寝殿造りの建物です。また、建具に蔀戸を使っている点も紫宸殿と共通しています。元々天皇の居所兼執務所で、平安朝では天皇の日常の住居として使われていましたが、天皇が常御殿に居住するようになってからは、清涼殿も儀式の場として使われるようになっています。居住の場であった名残で、建物内は紫宸殿よりは細かく仕切られています。中央の母屋には天皇の休憩所である御帳台(みちょうだい)があります。その手前には2枚の畳を敷いた昼御座(ひのおまし)があり、ここが天皇の公式の執務場所になっていました。
御所の東南にある大宮御所と仙洞御所は上皇の住居で、寛永7年(1630)小堀遠州が後水尾上皇の隠居邸を造営したことに始まり、以後上京区5人 の上皇が居住しましたが、安政元年(1854)に焼失してしまいました。再興されることはなく、現在は庭だけが残っています。東西100m、南北200m の長方形域の苑に北池と南池があり、池にはもみじ橋、八ツ橋が架かっています。
京都御所・仙洞御所・大宮御所などを包む、南北1.3km、東西700mの緑地が京都御苑です。東京遷都までは、宮家や、約200の公家の 屋敷もありましたが、現在では芝生と玉砂利の広い道に変わっています。また、御苑の四方には9つの門(石薬師・清和院・寺町・ 堺町・下立売・蛤・中立売・乾・今出川)があります。