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 数分後、ブリッジに戻った副官により「過労の兆候が見える艦長を休養させるため」停泊及び擬装形態にて艦を隠蔽せよとの指令を受けたカテドラル・テラは久方ぶりに、戦火に艦体を洗われぬ一日を送ることとなった。


「……あ、あの……」
 シーツを換え、綺麗にベッドメイキングされた寝台の隅に所在なげに腰掛けているシモンは逡巡の末、勇気を振り絞る思いで今は唯一、同じ室内にいる自分以外の人物に話しかけた。

「どうした、何か必要なものが……そうか、そういえばまだ食事をしていないな。今持ってこよう」
 穏やかな声音で応じたその女性は意外なほどきびきびとした動きで続きの部屋へ姿を消し、ほんの数分もしない内にまた戻ってきた。手にしたトレイに乗っていたのはどれも見たことのない食べ物だったが、食欲をそそる匂いに、今まで驚きの連続ですっかりと忘れていた空腹はきゅうと音を鳴らして歓迎する。
 それとほぼ同時に、壁の一部が細く切れ込んだかと思うと薄い板のようなものがそこから飛び出してきて、するすると何の支えも無しに宙を滑り、ちょうど胸のすぐ下あたりの位置まで来るとぴたりと止まった。その上に微かな音を立ててトレイが置かれれば、料理から立ちのぼった湯気がふわりと頬をくすぐる。
「あ、おいしい……!」
 何だかよく解らないことだらけながらも、未知の料理を一匙口に運んだシモンは思わず弾んだ声を上げた。
 ジーハ村での食事と言えばブタモグラの肉以外に食材は無く、それが焼いてあるか煮てあるか、あるいは干してあるかくらいの差しかなかったが、目の前のトレイに盛りつけられた食事は色も形も、材料も調理法も見当が付けられないものながらもどれも何故か不思議と舌に快い。
「口に合って、良かった」
 食事を持ってきてくれた女性は、妙にほっとしたような顔でベッドの傍らに立っている。
 その不思議な色合いの眼が自分の一挙手をつぶさに見つめていることに気付いたシモンはどこか座りの悪い心地になって、ふと料理を口に運ぶ手を止めた。
「えっと、あなたは……食べないんですか?」
「私はいいんだ」
 あっさりと即答され、それ以上の会話が繋がらない。
 元より、十四年ほどの人生において母親以外の女性と差し向かいで話す機会などついぞ無かったし、両親を亡くしてから後はむしろ女の人というのは努めて避けて通りたい存在ですらあったのに。
 大人になった自分はこんな綺麗な人と四六時中一緒に過ごしていて、気詰まりだったり緊張したりはしないのだろうか。いや、よく考えれば先程目を覚ましたとき、同じ寝台で──しかも裸で一緒に眠っていたということはつまり──

「あ、ああ、あの…っ! その……あ、あなたの……な、名前………」
 突然、何か意気込んだ様子で口を開いたかと思うやあっという間に尻窄みに不明瞭となった少年の声に、一瞬面食らったように目を瞬いた女性もすぐに柔らかい表情に戻る。
「私の名はヴィラルだ。言葉遣いもかしこまる必要はない、この部屋の主はシモン、お前なのだから」
「う、うん……ヴィラル、えっと……」
 声は掛けたがこの先をどう質問していいものか、主観の上では妙齢の女性と接する経験が皆無に等しいシモンには非常に荷が重かった。
 あなたと自分は夫婦とか恋人とかそういった間柄か? などと、どんな顔をして質問すればいいというのか。
 しかもそんな事を訊いて「全く違う」と返されでもした場合には居たたまれないどころの話ではない。

 結局、うんうんと呻りながらの懊悩の果てに口に出来た問いはひどく抽象的なものとならざるを得なかった。
「……ヴィラルは…俺の、何……なの?」
 一瞬、薄く口を開いたぽかんとした表情で──唇の間に覗くぎざぎざと鋭く尖った歯列が先程から大変に気になる──問われた言葉を受け止め、どうやら頭の中でその意味を咀嚼しているらしいヴィラルは淡い金色の瞳でじっとシモンを見つめる。唇が小さく動いて「何……」と繰り返す声が微かに耳に届いた。

「……私は……そうだな、この部屋の家具のようなものと思ってくれて構わない」
「家具!?」
 とりあえず想定していたあらゆる可能性のどれとも、全く方向性の違う返答にシモンは思わず素っ頓狂な声を上げる。
 家具って。
「そんな、物……みたいに人を思うのは、ちょっと………」
 困惑しきって歯切れの悪い反応に、ヴィラルは黙って静かな笑みを返すだけだった。

 >>>

『こんな時間にすまない、少し困ったことが……』
 カテドラル・テラがが停泊中であってもするべき仕事はそれなりに山積している副官が、夜も更ける時間帯にようやくの遅い夕食を摂った後、自室への通路を歩いているところで通信端末がその日最後の仕事を運んできた。

「どうかなさいましたか」
 艦長のプライベートルームの寝室では、昨夜までは艦長だったはずの少年と獣人の女が深刻な顔をして向かい合っている。
「あの、ヴィラルが……」
「私がいつも通りの場所で寝ると言ったらシモンが怒るんだ。かといって、ならリビングで寝ると言っても怒るし」
 考え得る限りの好ましからざる事態を予想していたところに想定外の、わりとどうでもいい部類の一悶着の裁定を委ねられたのだということを悟って、副官は内心で大きな溜め息をついた。
「だ、だって、そこ……床じゃないか!」
 信じられない、という表情で少年のシモンが指す先には、確かに普段ヴィラルが寝起きに用いているスペース──部屋の一隅に、古びたクッションと毛布をお義理程度に敷いてはあるが有り体に言えば確かにただの床──がある。
 かつての因縁ある虜囚を犬と蔑んで跪かせ、その尊厳を著しく貶めるという過去への復讐を、あまり良い趣味ではないとは思いながらもそれで彼の心の平衡が多少は保たれるのならと看過したことがこんな所で仇になるとは、などと後悔するにしても今更な事情を頭の中だけに押し込めつつ、副官は軽く眉間を押さえた。
「まあ、このような習慣ができているのには色々と経緯があるのですが、確かに今のあなたにとっては関係のない事ですから驚かれるのも無理はありませんね。とりあえずは、こちらをお使いになるのがよろしいかと」
 言いながら、ドア脇の壁面パネルを手早く操作する。それに従い、通常の寝台が置かれているのとは反対側の壁の下部が大きく開いて一台のゲストベッドが姿を現した。
「永らく使われていませんから一度シーツを交換した方がいいでしょう。上掛けの予備は……ああ、ありますか。それでは、もう遅いですから私も失礼致します」

 おやすみなさい、と久々に聞くような挨拶を残して部屋を辞す副官の後ろ姿を見送ったシモンは、次いで黙々とゲストベッドのシーツを整えているヴィラルへ目をやった。
 ぴしりと僅かの皺もなく綺麗にメイキングされたシーツの上に、クロゼットから取り出された予備の上掛けシーツと、枕の替わりに床から拾い上げられたクッションが二つほど置かれる。
 今の人は「色々な経緯」と言ったが、いったいどんな経緯があれば一緒に暮らしている女の人が床で寝ることになったり、自分のことを家具と称したりするようになるのだろうか。それらは全て、大人になった自分がそうさせている事なのだろうか。
 こんな空気の中で普通に会話を交わすには些か気まずく、もそもそとベッドに潜り込み目を閉じてはみたものの、頭の中に渦巻く疑問や不安は、眠りへの安易な逃避をなかなか許してくれそうにない。

 それでも必死に目を瞑って頭の上まで引き上げたシーツの外で、ヴィラルが小さなフットランプだけを残して部屋の灯りを落とした。

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 閉じている瞼の外が、やけに明るい。
 ああ、もう「朝」が来たんだっけ。

 でも「太陽」の光とはどこか違う。あれはもっと、目を閉じていてもすごく眩しくて、しかも光が直接肌に突き刺さるかと思うくらいに強い温度を持っているはずだ。
 今、瞼の外を照らしている光は同じくらいの明るさだけれど太陽ほどにはぎらぎらしていなく、刺激的でもない。
 そう、村にあったのと同じ「電気」の光だ。もちろん、あの何倍も明るくて強いやつ。

 「宇宙」には地上のような朝や夜がないから、地下の村と同じように電気を使って寝起きの時間を分けているのだと、昨日リーロンから訊いたばかりだ――そうか、あの人、ロンさんだ――

 眠りの内に脳裏へ継ぎ足された記憶と、実際に体験した昨日の記憶が二重映しになって頭をひどく混乱させる。
 「思い出した」記憶によれば自分は、自分たちは昨日、ほんの昨日、ラガンに乗って地下の村から地上へ出てきたばかりなのだ。
 初めての地上、空、太陽と月、満天の星。ガンメンと獣人。ヨーコとリットナーの人たち──そしてカミナ。
 だけど、本当の昨日、目を覚ましたときに教えられた。今はもう、あの初めて地上に出た日からかなり長い年月が経っているのだと。その間によくは解らないが色んな事があって、現在はカミナやヨーコと一緒ではなく、リーロン以外は見知らぬ人たちと共に宇宙──あの、星という沢山の光の中を旅しているのだと。

 自分の知らない長い時間の中で、何がどうなってそんな事になったのだろう。
 リーロンは「カミナは遠いところにいる」と言ったけれど、どれくらい遠い場所なのか見当も付かない。
 遠くって、ラガンで飛んで行っても届かないほどの遠くだろうか? あの、地下の村から飛び出した時に見えた大地の果てより更に遠く?
 たったの昨日、いや本当は昨日じゃないけれど、初めて声に出して「兄貴」と呼び、魂の兄弟二人でなら何でも出来るしどこまでも行けると語り合ったばかりだったのに。

 大人になったら、もう、二人一緒にいないなんて。


 夢とも現ともつかない微睡の中へ、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえたような気がしてシモンはぼんやりと薄目を開いた。
 靄が掛かったような視界に、自分を覗き込んでいる人影がおぼろげに映る。
「……あ…にき……?」
 舌のもつれたような声で呼んでしまってからはっと我に返り、大きく目を見開いた。
 ちょうど正面から顔を見合わせる形でやはり驚いたような顔をしているヴィラルの姿が目に入る。
「あ…あの、ごめん………ちょっと、寝ぼけてて…」
 気恥ずかしさに慌てて視線を外し、起き上がって寝台から脚を下ろす。
 晒し布を巻き直した足を靴に突っ込みながらそっと室内の様子を窺えば、ヴィラルはもう自分用の寝台を再び壁に収めてしまったようだった。俯いた視界の隅を、白いブーツに包まれた足が横切って行き続きの部屋へと姿が消える。


「そういえばさ、ヴィラル」
 今日はダイニングの卓に並べられている朝食を口に運びながら、シモンはふと胸に浮かんだ疑問を尋ねてみた。
「ヴィラルは、兄貴……カミナと会ったことがある?」
 やはり昨日と同じく自分の食事を摂っている様子のないヴィラルが、急な質問に驚いた様子で、何故か奇妙に硬い、のろのろとした動作で首を縦に振る。
「それっていつ頃のこと?」
「昔、お前がまだ子供だった……今の姿とそれほど変わらない頃に、何度か」
「そうなんだ!? 俺と兄貴がラガンで地上に出てから、どれくらいなんだろう……あ、ヨーコには会ったことがある? ロンさんと同じリットナー村の出身で、赤い髪の綺麗な人なんだけど」
 彼女は無言でもう一度頷いたが、その表情はどういうわけかひどく強張っていた。
 何かあったのかと重ねて問おうとしたところで、急に大きな音を立てて椅子が引かれ、ヴィラルが席を立つ。
「いや、そのまま食事を続けていてくれ。じきにリーロンも来るだろうし……私は急ぎの用事を思い出したから、少し出掛けてくる」

 >>>

 直後に、入れ替わるよう姿を現したリーロンはまたもや妖しい手つきでシモンの身体データをあれこれ計測し、手にした見覚えのある機械に何事かを打ち込みながら自然な口調で会話を続けた。
「そう、じゃあカミナと二人で敵のガンメンを乗っ取ったところまでは思い出したのね?」
「…あの、ロンさん」
「ロンでいーわよぅ。今更改まらなくたって、私とあなたの仲じゃないの」
 思い出しはしたが、やはり慣れないと強烈に感じるリーロンの物腰にたじたじとなった様子で、シモンは言いにくそうに言葉の先を口にする。
「昨日……ぁ、その、本当の昨日、兄貴は遠くにいるって聞いたけど……ヨーコも? ヨーコは兄貴と一緒に行ったの?」
 まるっきりの興味というよりは、どこか不安げな──知りたいが答えを聞きたくないとでも言うような気配を漂わせながら、シモンは躊躇い混じりに問うた。
 その上目がちの黒い瞳に揺れている感情に、きっと本人は気付いていないだろう。

 あの時だって──彼は結局、最後の最後まで気付くことが出来なかった──

「……ヨーコは、やっぱり遠いところには違いないけど、カミナとは別の所にいるわ。でも、だからといって別に、あんたたちのうち誰かが仲違いやケンカ別れをしたってわけじゃあないの。全てはタイミングと……その時々での選択の結果なのよ」
 普段通りの超然とした物腰に、哀切も悔恨も全て隠しきって性別不祥のメカニックは少年を煙に巻いた。
 シモンは「そう…」と口の中で答えたきり、これ以上何を話して良いか解らない、といった表情で床と自分の爪先あたりを眺めている。
 ここで悲しそうな顔をするのも、嬉しそうな顔をするのも、おそらくどちらも選べないのに違いない。

 かつて、地下からやって来た二人の少年と、幼い時分から見守ってきた少女との間に形成された、幼くて脆くて、可愛らしかったけれど危ういバランスで保たれていた関係をリーロンは思った。
 誰が悪かったわけでもない、ただ、ほんの少しだけ行き違ってしまったそれが三人の上にもたらした、大きく取り返しのつかない悲劇の思い出を。


「ハイ、今日の検診はここでお終いよ。何か調子のおかしい所や気に掛かることがあれば、いつでも端末で教えてちょうだいね」
 そう言われ、シモンは上着のポケットに収まった小さな機械を引っ張り出してみる。
 先程、この部屋に来たときリーロンが渡してくれたシモン用の通信端末には、まだ字の読めない少年にも必要な通話が出来るよう、短縮ID表示の上にリーロン手ずから妙に可愛いシールを貼ってくれていた。
 リーロンへの番号には紫色のハートマーク、副官へは何故かピンクの星。そしてヴィラルの──正確には今はヴィラルが持っている本来のシモンの端末──ところへは水色の……シモンには何だか正体が解らないが動物らしきマーク。
「そうそう、さっきヴィラルが許可を取りに行ったから、あとで面白いところに連れて行ってもらえるかもしれないわよ」
「面白い…ところ……?」

 首を傾げたシモンの手の中で、不意に端末が小さなコール音を鳴らす。
 その操作盤の中で、水色の仔犬のシールが貼られたIDがちかちかと瞬いていた。

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 「いいと言うまで手を繋いで離さないように」と注意され、言われるままヴィラルの大きな手を握って一歩踏み出した途端、淡い碧の光に包まれたかと思うと室内の景色が掻き消すように消え失せた。

「…あ!? えぇ!?」
 わたわたと辺りを見渡し、とりあえずヴィラルが隣でしっかり手を握ってくれていることに僅かながら安堵し、もう一度周囲の様子を見ようと顔を上げた瞬間、眩い光と鮮やかな色彩がシモンの眼を刺す。
「ぅわ…ぁ、って……えぇ───っ!?」
 いつの間にか、二人は緑の丘の頂に立っていた。
 足元にはうっすらと光っている丸い板のようなものがあるが、それ以外は果てしなく拡がる自然の景色ばかりが視界に映る。
 清涼な空気が微風となって吹き抜ける先の空は青く、高く、天頂には直視できないほど強い光を放つ太陽。
 丘の上から麓にかけては丈の短い緑の植物──「草」だとヴィラルが教えてくれた──に隈無く覆われ、少し離れたところには丈の高い頑丈そうな植物が群れるように生えて濃い日陰を作っている。更にその向こうにはきらきらと光を反射する大きな水場があり、そこに集まる動物の影までがはっきりと見えた。
「わぁ……あれ、何だろ……?」
「あれは湖だ。近くまで行ってみるか?」
 初めて見るものばかりの景色に眼を輝かせている少年を柔らかい表情で見下ろし、ヴィラルが草の海へ足を踏み入れる。
 繋いだままの手に引かれるようシモンも歩き出し、土や岩場とはまた違う足元の感触に驚いたり周囲を忙しなく見渡したりしながらも湖へと丘を下った。

「ここ、やっぱり地上なの?」
 湖畔に幾つか設置されていたベンチに腰掛け、心地よい風にたゆたう水面や、草むらから飛び立つ鳥などにひとしきり目を奪われた後でシモンはヴィラルを見上げ、訊ねる。
「いや、ここも宇宙で──おまえの艦の中だ。とても大きな家の中を、沢山の部屋に区切ってあると考えてくれ。その部屋のうちの幾つかにこうして地上の自然環境や生態系を再現した場所があって、乗組員たちが心身を休めたり、食糧を作ったりするために使っている。周りの植物や動物は本物だが、空や、一番遠くの景色は映像だ」
「そうなんだ……」

 映像、というのは要するにリーロンの機械が映し出すような、鮮明で動いたりもするけれど触れる実体のない絵のようなもの、という事なのだろう。
 あの空も、雲も、太陽も。

 自分の理解の範疇をだいぶはみ出した事実に、シモンはそれ以上の言葉を継げずにただ目の前の風景を眺めやった。
 あの地下の世界から飛び出して、どこまでも果てしないと思えた大地や空の拡がる地上から今はまた更に遠くへと来ているらしいのに、わざわざ地上によく似た場所を作って部屋にしまっておくなんて、大人になった自分のしている事はよく解らない。
 兄貴がこういうのを見たら何て言うだろう。「なんだよ、地上かと思ったらまた天井じゃねえか!」とか文句を言ったりするだろうか?
 それとも、自分と同じように大人になって、遠いどこかでやはり別の天井を見ているのかもしれない。

「兄貴……」
 ぽつりと呟いてしまった言葉に、隣でヴィラルがはっと顔を上げる気配がした。
 そういえば、朝にカミナのことを聞いたときにも何だか様子が変だった。ヴィラルはカミナのことを、もしかしたらあまり良く思ってはいなかったりするのだろうか。
「あ、その……ヴィラルは、兄貴に会ったことがあるって言ってたけど……」
「……ああ」
「ヴィラルから見て、兄貴ってどんな人だった?」
 質問を受けて考え込む表情には、朝に見た時とは少し違い、どことなく懐かしむような様子がある。
 金色の眼が遠くを見やって焦点をぼやかし、口元には微かな笑みが乗った。
「正直なところを言うと、初めてカミナと出会った時、私はとても驚いたし、腹も立った。その頃の私から見たあの男はとてもでたらめで、常識知らずで、失礼で……」
 急にすらすらと話し出したヴィラルの表情に、シモンはこっそりとカミナが彼女と初めて相対した時の様子を想像してみる。
 カミナのことだから、きっとヨーコと初めて会った時のような調子で色々と怒らせるようなことを言ったりやったりしたのに違いない。ヴィラルは真面目な性格だから、彼が相手ではおそらく普段のペースを崩されて振り回され通しだっただろう。
「……だが、今にして思えば……そうだな、とても面白い男だった」
 そう締めくくって、小さく笑ったヴィラルの髪をゆるい風が揺らしていく。
 先程と少し角度を変えた、偽の太陽の光が淡い金色の髪と眼にちかちかと反射して眩しくて、しかしそれだけではない理由からシモンは視線を伏せた。


 湖の方で、魚か何かの跳ねる音が聞こえた。

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「──では、今のシモンは夜眠るたびに昔の事を思い出していく、というわけですか」

 科学班長、という簡素な肩書きの中に研究・開発部主任にして艦内システム管理者そして整備・工場部特別顧問だの艦医補佐だのと多岐に渡る役職を内包しているリーロンの私室へ、今は半ば公的、半ば私的な用件で訪れていた副官はその容易に歓迎しかねる報告内容に眉を顰めた。
「そ、聞きだした限りは昨日目を覚ました時点から約十二日ちょっと……地下の村での日数カウントは曖昧だから正確な時間は計れないけど、とりあえずシモン本人の体感で言えばそれくらいの記憶が一気に追加されたようよ。困っちゃうわね」
 口調は軽いが、リーロンの表情はいつになく気重そうに見える。
 実際、困るどころの話ではないと副官も溜め息をついた。
 たかが十日と少し、しかしその僅かな間に外の世界のことなど何も知らなかった少年はコアドリルやラガンを掘り当て、地上から落ちてきたガンメンに遭遇し、兄貴分のカミナや騒ぎの中で出会ったヨーコと共に地中から飛び出して隣村のリットナーを訪れるまでにその運命を急転させていたのだ。
「ずっと現状のまま、というのは論外ですが、しかしこう寸刻みに時間を進められるというのも非常に問題ですね。そもそも、今日そこまでの記憶を取り戻したのなら明日にはまず間違いなく、ヴィラルとのことも思い出してしまう筈です。よしんば、それを何とか納得させられたとしても、いずれはあの時のことを──」

 明日も、明後日も、この調子で眠る間にシモンの失われた時間が圧縮されて与えられ直すのだとしたら。
 地上に出てからほんの二、三ヶ月で激しく転変することとなった運命を追体験させられるのだとしたら。

「きっと大変なことになるでしょうね」
「……大変、どころでは済まないと思いますよ」

 残り数日で、彼は再び知ることになるだろう。
 身の内に渦巻く膨大な力を以てして、この世界全てを道連れに破滅へと突き進む、その契機となる絶望を。