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 意識が浮上するのに伴って、さっきまで夢の中で繰り返されていた記憶の連なりが、大量の水が流れ込むようにして脳裏に焼き付けられる。
 昨日の朝と同じ、遠く過ぎ去ったはずの記憶と実際に体験した記憶が同じくらいの鮮明さで重なり合う現象に頭がひどく混乱して、目の前がぐるぐる回っているみたいな調子で少し気持ちが悪い。
 昨日はリットナーの村を出て七日ほどの場所で、ちょうど良く身を隠して休めそうな岩場にキャンプを張っていたはずだった。
 ラガンで周囲を偵察してみたら少し離れた緑地に小さな泉があって、飲み水を充分確保した後でヨーコは水浴びに行ってくるとやけに張り切って出掛け、リーロンはいつものようにラガンとグレンのメンテナンスを、カミナは見張りのためと登った岩山の上でやおら刀を振り回し、どうやらイメージトレーニングらしきものを始めていた。
 何をしているのかと訊ねてみれば、彼は存外に真面目くさった顔で『その内、またこないだのケダモノ大将とやり合う日が来るに違いねえ。そん時にゃ今よりもっと強く上手くなってなきゃいけねえからな!』と、おそらく脳裏に描いたヴィラルの太刀筋と斬り結んでいるのだろう刀捌きを続けながら答えて──

「…………ヴィラル!?」


「呼んだか、シモン?」
 目を見開くと同時に上掛けを跳ね飛ばす勢いで起き上がれば、すぐ傍らから叫んだ名に応える、些か面食らったような声と表情。
 白地に青いラインの入った不思議な形の服を着て、思い出した姿よりも随分と長い髪をさらりと肩口に流し、どこか心配そうな面持ちで覗き込んでくるその顔は確かに、記憶にある限りではほんの僅か前、リットナー近くの湿地で遭遇し、熾烈な戦闘を交わした獣人の女だった。
「な…んで……?」
 本当の一昨日に初めて見たときはただ変わった姿だとしか思わなかった肘から下の大きな異形の両腕も、その手に生えた鋭い爪も、刃物の先端を並べたような歯も、あれら全てが地上に出た人間の命を刈り取るために存在しているのだと他の誰でもない、この獣人が言ったのだ。
 カミナもヨーコも今は自分の側にいないのに、どうして自分たちとは敵対していた筈のヴィラルがこんな、自分のもっとも側にいるのだろう。
「どうした、具合が悪いのか? リーロンを呼ぶか?」
 鼻の頭がくっつきそうなほど近くから覗き込んでくる金色の目が、僅かに瞳孔を膨らませるようにして心配げに揺れた。
 前髪をそっと持ち上げながら額に触れた手は女性のそれとは思えないほど大きく、ごつごつと節くれ立って皮膚の質感も少し硬いのに、微妙な力加減でひどく優しくその場所を撫で、発熱の有無を確かめている。覚えている限りでは触れられれば間違いなく切り裂かれそうに鋭かった爪の先も削るか何かしたのだろうか、幾らか丸みを帯びて子供の肌を傷付けまいとする心遣いが感じられた。

「……あの、さ、ヴィラル」
 ともすれば喉につっかえてしまいそうな息と共に言葉を口にする。
 だいぶぎくしゃくとしたこちらの態度に、小首を傾げながらも耳を傾けている女獣人の物腰はどこまでも柔らかく親しげで、かつて相対した時はひどく怖ろしく死の化身のように思えた姿も、声も、全くといっていい程に印象が重ならない。
「俺、さっき思い出したんだ……リットナー村の近くで、兄貴とヴィラルが戦って……ガンメンが出てきて、俺は逃げ出したけど次の日もまた戦って、グレンとラガンが合体して……」

 言いたいことが上手くまとまらず、要領を得ない。
 それでもヴィラルの表情は次第に真剣なものとなって、それらの言葉をひとつたりとも聞きこぼすまいと、全身の注意を傾けている気配がなんとなく窺いとれる。
「……だから、その、俺たちは敵だったのに、どうして今は一緒にいるのかなって……」


 しばしの沈黙は、ひどく長いようにも、ひどく短いようにも思えた。
 ヴィラルは金色の睫毛を伏せて、一瞬何かを言いあぐねたように唇だけを動かし。

「お前を──人間というものを、見届けるためだ」

 それだけ言うと、後は押し黙るばかりだった。

 >>>

 >>>

「今日はシモンの様子はどーぉ? また質問責めに遭ったりしてない?」

 リーロンの私室の一画、機能的ながらもシックなデザインでまとめられたリビングセットのソファに些か落ち着かない様子で腰かけている客人へ、努めて明るい口調で話を振りながら部屋の主はマグカップに注いだコーヒーを差し出した。

「ああ、目が覚めてすぐはいつものように少し混乱してはいたが……今は落ち着いて本を読んでいる。リーロンから文字を習ったことを思い出したと言っていた」
 ミルクを通常の三倍ほど入れてもまだ飲める温度にはならないのか、ヴィラルは大きな手の中でカップをくるくると回すばかりで、いっこうに口を付けずにいる。
 そのどこか子供じみた仕草に微笑ましさを憶えながら、リーロンは頭の中で日数の経過を遠い記憶と照合していた。
 一晩あたりにシモンが取り戻す記憶の量は常に一定ではないが、おおむねは十日から十五日分といったところだ。昨日はもう、アダイ村を発って数日ほどの時点まで思い出したと言って、ロシウたちは今どうしているのかと質問を受けもした。
「本が……読めるくらいに字を憶えた頃、ってことね……」

 不意に、かつりと微かな音に思索が遮られる。
 ヴィラルが半分ほどに中身が減ったマグカップを置いた音。
 それが合図だったかのように、差し向かいに腰掛けた女獣人はひどく緊張したような面持ちに変わっていた。

「……リーロン、教えてくれ。お前たちが地上を旅していたとき、山の中で人間掃討軍の仕掛けた罠に──温泉、とやらに行ったのは、いつの話だ」
 恐る恐る、といった口調で尋ねられた内容に、来るべき時はとうに迫っているのだと理解したリーロンは軽く眉根を寄せ、ともすれば重くなりそうな口を開く。
「あの子、カミナが…あんた達のダイガンザンを乗っ取る作戦を決行した、ほんの二日前よ」

 既に十何年もの歳月が経っているというのに、あの頃の記憶だけは少しも色褪せない。
 あんなに馬鹿騒ぎをしたのに、あんなに誰もが活き活きと笑っていたのに、たったの一日かそこらで運命は急展開して、そして全ては変わってしまった。

「きっと今夜中にはもう……ヴィラル、夜になったらあんたは別室に移りなさい。次に目を覚ましたシモンは、たぶん……いいえ、必ずあんたを」
「ああ、解っている」

 >>>

 >>>

 日中だというのにどんよりと雲が垂れ込め空は薄暗い。
 普段より低く見える空の底を焦がすよう、炎と煙を吹き上げる山々。
 そして地上を覆う戦火、絶え間ない銃声と金属の打ち合い、軋む音。
 暗い土の中で、狭いコクピットの中に蹲るようにしてそれらの響きを聴き、機を待っている。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 この先を知りたくない。

 あの光景を見たくない。
 あの言葉を聞きたくない。

 それなのに自分を取り巻く状況は無情にも先へ、先へと突き進んでいく。
 焦れば焦るほどに自分の体も、戦況も、何もかもがままならない。

 目眩滅法に操縦桿を握り、己を呪う言葉を吐く。
 駆け寄ってきたあの人がシャッターを叩く。
 醜い感情に振り回されるばかりの自分を殴って目を覚まさせ、大切な言葉をくれる。
 遠ざかる背中の炎は紅蓮の機体の中へ消える。

 駄目だ、そこには──


 何かが絶え間なく震えているような異様な気配にヴィラルの意識は即座に覚醒し、寝台の上に身を起こす。

「……シモン?」
 眠っているはずの少年の体はがくがくと痙攣し、全身から噴き出した汗がシーツをじっとりと湿らせていた。
 大きく喘いだ咽喉が空気を求めてひゅう、と鳴る。
「どうした、シモン!?」
 慌てて抱き起こした上体がびくりと強張り、次の瞬間、その口から絶叫が放たれた。

「シモン、目を覚ませ、シモン! 大丈夫だ、今は、もう……」
 叫び声が途切れた後も、その口は二、三度音もなく開閉する。入れ替わるよう大きく見開かれた目は、のろりと虚空に視線を彷徨わせ、一瞬後に焦点を結ぶと昨日までとは違う、しかしこれまでにもよく見知った感情に彩られて目の前の女をひたと見据えた。
「……ぁ、兄貴を! お前が…お前らが、兄貴を……よくも……!!」
 抱きかかえた手を遮二無二振り払い、半ば転がるようにして身を引き剥がしたシモンの声が、視線が、灼けた鉄の如き憎悪を帯びて自身に突き刺さるのを、ヴィラルは完全な諒解をもって受け入れる。

 そうだ、既に覚悟は決めていたはずだ。
 シモンは夜毎に少年時代の記憶を取り戻していく。そしていずれ、カミナを喪った記憶へ、彼の心へ憎悪と絶望の楔を打ち込んだその時へ辿り着く。
 その時、かつてカミナを殺すのに荷担した自分が彼の目の前にいればどういう事になるのかは、火を見るよりも明らかなのだと。

「……して、…る……」
 少年の口からは血を吐くような呪詛が漏れ出す。
「殺してやる! お前らを! 獣人どもを、一人残らず!!」
 掻き毟るように胸元を探った指先は空しく宙を掴む。
 副官がコアドリルを預かって行ったのはこういう事態を想定していたのだと、ヴィラルも今更ながら気が付いた。まさか、この部屋の中でラガンを呼び出させるわけにも行かないだろう。
 シモンは一瞬失望したような表情を見せたものの、動揺はすぐに別の怒りに取って代わり、空を掴んだ拳はそのまま強く握り込まれる。
「やってやる……ガンメンなんか無くったって、俺が、兄貴の仇を!!」

 その声を、室内の空気を震わす殺気を、硬く握られた拳から溢れ出す碧の燐光を、全てを受け止めながらヴィラルは静かに目を閉じた。

 >>>

 びちゃり、と濡れた音が部屋の片隅に小さく響く。

 音の源、今しがた自らの吐いた血溜まりの中に突っ伏すよう倒れていたヴィラルはのろのろと顔を持ち上げた。
 色白のおもてはすっかりと血に塗れ、淡い金の髪も白い服も、赤黒い斑模様に彩られた凄惨な姿。 
 それを見下ろすように立つシモンは肩で大きく息をしながら、どこか途方に暮れたような表情で鮮血のこびり付いた自分の両手と、足元に這いつくばる獣人の女とを交互に見やっている。
「な……んで、抵抗、しない……ん、だ…………何の、つもり…で……」
 荒い息の合間から絞り出すような声は当初の怒気を幾分か薄れさせ、今は困惑の色ばかりを濃くしていた。

 ヴィラルはゆっくりと身を起こし、背後の壁に凭れて座ると、目の前に立ち尽くす少年を見上げる。
「シモン…」
「……っ、馴れ馴れ、しく…呼ぶな……! 獣人の、くせに……」
 一瞬、気色ばんで見せたものの、言葉の後半は迷うように揺れて小さく消えた。
 その目の前で獣人の女は突然、身に纏っていた衣服の前を開いて素肌を露出させる。
 かっちりとしたデザインの布地から解放され、下着で押さえ付けられてはいなかった二つの柔い膨らみがこぼれ落ちるように弾む。ひゅっと息を呑み込む音。
「……見ろ、シモン」
 すっ、と持ち上げられた獣の手には、いつの間にか鋭利な爪が五本とも立ち戻っていた。
 薄く室内の照明を弾くその鋭さに、僅かに激昂を削がれた少年は引き攣れたような呼気を一つ吐く。
 大きく見開かれた目が見つめる先で、女はその五本の爪を己の肩口へ宛がい、ずぶりと突き立てながら胸元まで躊躇せず引き下ろした。
「なっ…………!!?」
 獣の爪に白い肌は難なく切り裂かれ、噴き出した鮮血が毒々しいほどの鮮やかさで五条の軌跡を描く。
 むせ返るような新たな血の臭いに言葉を失ったシモンの目の前で、しかしその傷口は逆回しされる映像めいて再生する。露出した肉が、裂けた皮膚がひたりと閉じ合わさり、べたべたと付着した血液以外は痕跡も残さず塞がって消えた。
「この通り、私の体は不死だ。螺旋王がそうした……この死なぬ体で、人間を、お前を見届けろと……だから」
 自らの血に塗れた手は再び持ち上がり、呆然と硬直している少年の頬へとひたり、添えられる。
「カミナの仇として死んでやることは出来ないが、お前の気が済むまで、何度でも私を殺すがいい」


 自分の頬へ、ぬるぬるとした鉄の匂いを塗り付ける女をシモンは呆然と眺めた。

(死なない? 兄貴を殺したこいつが、仇が、自分を殺せと、俺に? 見届けろって何を、獣人は一人残らず殺す、螺旋王が、どうして、何で──)
 思考が混乱してまとまらない。
 震える両手を目の前の獣人の女へそろそろと伸ばす。
 女は無言で頷いて目を閉じる。
 僅かに仰け反らせるよう晒された喉が、白く細い。

「…う、ぁあ……あああぁああああぁあ!!」
 闇雲に吠え、指先が触れるや否や女の首を全力で締め上げる。
 見た目よりも遥かに力の強い指が薄い皮膚の下でひくつく気道を押し潰し、頸椎をみしみしと軋ませる。
 ごぼっ、と嫌な音がして獣の口元からは新たに血が垂れ落ち、半開きの唇と鋭い歯の向こうで痙攣するように赤い舌が震えた。
 その光景の怖ろしさに慌てて目を瞑っても、耳に届く断末魔の喘ぎと、両の掌と指先に伝わる感触、相手の息が途切れ強張っていた筋肉がにわかに弛緩する死の気配が、容赦なく全身に絡み付く。

 自分の口から上がるその音が、復讐の喊声なのか、それとも怖れによる悲鳴なのか、シモンにはもう判らなかった。

 >>>

 暗転していた意識がぼんやりと浮き上がる。
 何度経験しても慣れられそうにない、致命的なまでに破壊された肉体が再生を始めるときの不快な感覚。
 折れた骨が、潰された肉と粘膜が、千切れた血管が復元され、肺腑が新たな空気を求めて呼吸が再開され──否、息を吸おうとして口腔内から喉まで溜まった血澱に咽せ、慌てて顔を横向け鉄臭い体液を吐き出す。
 薄く涙の滲んだ目を開けば、ここも血が入ったのか目の前が赤い。

 不意に、そういったものとは違う、生暖かい雫に濡らされるような感触を覚えて目を瞬く。

「…………?」
 霞んだ視界が徐々にクリアになれば、俯いて陰になった人の顔が眼前にあった。
 体にかかる重みからすると胴の辺りに馬乗りになった体勢で、頭の両脇に手をついて、覆い被さるようにしてこちらを覗き込んでいる。
 その大きな眼から止めどなくこぼれ落ちるものが自分の顔や喉元を濡らしている意味を一瞬考え、僅かに遅れて理解が追い付いた。
「……どうして泣く、シモン……」
 声をかけられたことに驚いたのか人間の子供はびくりと肩を震わせ、見る間に歪められた口元がしゃくり上げるような息を漏らす。
 瘧めいて震え続けるその肩を、背中を、持ち上げた手でさすってやると何故か嗚咽の音がいっそう酷くなった。
「私が、死なないからか?」
「………ぅ、…違う、違う! こんなこと! こんなことしたって、何にも、俺……!!」
 すっかりと身を二つに折り、自分の上に頽れるシモンをヴィラルは困ったような表情でしばし眺める。
 そろそろと姿勢を起こしつつ、少年の体に腕を回しても何ら抵抗が返らないことを認めると、少し思案顔をした女は腕の中の小さな体を抱え上げ、部屋の反対側にあるベッドまで運んで行った。

 >>>

 冷たい水に濡らしたタオルで泣き腫らした顔を丁寧に拭われ、その心地よさと、同時に感じるきまりの悪さにシモンは僅かに身を捩る。
 もう一度、今度は少し温かいタオルで首の周りから上半身、両手の先までを拭いてくれているヴィラルを見上げれば、確かに怪我はもう治ってはいるものの顔もかしこも生乾きの血で汚れた酷い有様に、つい目を逸らしてしまいそうになる。
 ぼそぼそと、自分を拭けばいいのに、とかいうようなことを呟けば彼女は今気付いたとでも言うように頷いて、使い終わったタオルで大雑把に顔や首、胸回りの血を拭った。


 洗面器とタオルをバスルームに戻し、再びベッドサイドへ帰ってきたその衣服の端をそっと引くと、所在なく座り込んだ隣へ、マットレスを静かに撓ませながらヴィラルが腰を下ろす。
 ほんの僅かな間の沈黙、しかしそれは、ひどく長いものに感じられた。

「……あの、さっき…ごめん……」
 喉から押し出すようにして謝罪を告げれば、相手の何を謝っているのかわからない、とでも言いたげな表情に出会って余計に座りが悪くなる。
 実際、先刻あれだけ殴った顔も、指の跡がつくほど締め上げた首も、今は鬱血の一つも残さず何事も無かったかのように元通りとなっているが、だからと言って自分の掌や拳にまとわりつく人を傷付けた感触が消えて無くなるわけでもない。
「俺、ひどいことした、よね……もう、本当は兄貴がいなくなってから、何年も経ってるのに」
 どんどん俯き、首が折れそうな程にまで下向いた頭を、不意にふわりと撫でられる感触。
 獣人の、大人の男よりも二回りほど大きくて鋭い爪を生やした手が、その作り出された用途とは裏腹に優しく子供の頭に触れ、己の胸元へと引き寄せる。
「時間が経てば大切な者を失った事実が無くなるわけでもないだろう。それにお前は私に何をしても構わない、その為に私はいるのだから。暴力だろうと、侮辱だろうとお前から与えられるものなら私には拒む理由がない」
 縮こまる肩を包み込んで柔らかく抱きとめる手も、穏やかな声も、女の言葉が本心からのものと告げているようで、それは却っていっそうの居た堪れなさばかりを深くする効果しかなく、シモンはこれ以上顔を上げてヴィラルの顔を見ることが出来なかった。
「…ずるい…よ……そんな風に言われ、たら…俺……」
 大人になった自分が、カミナの仇である彼女をわざわざ側に置いた上でどう扱っているのか、彼女はそれをどう受け止めているのか。彼女の言葉から、態度から、垣間見える断片は繋ぎ合わせれば繋ぎ合わせるほどに自分をみじめにさせる。
 またしても鼻の奥がつんと痛む。吸い込む息が喉に詰まって上手く呼吸できない。
 たった今拭いてもらったばかりなのに、と抑えようとしても果たせず、堰が切れたようにこみ上げてくる涙を慌てて手で擦る。
 しかしその手はやんわりと掴み取られ、優しく抱き寄せられた顔は肉感的な弾力を具えた、それでいて柔らかな胸へ半ば埋もれるような形になった。
 行き場を無くした両手を自分の胴に回させ、癖のなく短い髪を撫でながら女はそっと耳元に囁く。
「この部屋の中ではお前の友も部下も、誰も見ていないのだから気が済むまで泣けばいい。私にとっては昔の事だとしても、お前は今、悲しいのだろう?」

 >>>

 大きく息をつき、シモンは呼吸を整えようと数度ほど試行する。
 全身が、鉛でも詰め込まれているかのように重く感じられて、僅かに身じろぐことすらひどく億劫だ。

 だが、それでも、心は凪いで静かだった。
 先程まで身の内であんなにも荒れ狂っていた激情は、今やすっかりと引き去っている。
 目の周りが腫れぼったくなるほど流した涙が、喉が嗄れるほど叫んだ声が、体から出て行く時に様々な感情の澱までも道連れにしたのかもしれない。
 残されているのはただ気だるい疲れと、他人の前で散々と感情的に振る舞ったことに対する一抹の気恥ずかしさだけだ。

 恥ずかしいと言えば、今のこの体勢も冷静に考えると途轍もなく恥ずかしい。
 相手が獣人とはいえ、女性の豊かな、しかも服装を崩して剥き出しになった胸の谷間に顔を突っ込むようにしてしがみついているのだから。
 その上、自分が泣き喚いている間もずっと離さずに抱き締め、背を撫でてくれている手が刻む優しいリズムだとか、全身を包み込んでいる温かさだとか、しっとりと湿る皮膚の微かに甘い匂いだとか、耳元にそっとかかる息だとか、今更になって押し寄せてきたそれらの感覚が、意識すまいと努力すればするほど強烈に意識されてならず、無理矢理頭から追い出そうとすれば勝手に背筋を下って、あらぬところへ火を点してしまいそうになる。

「…も、もう、離、して……」
 我ながら可笑しいくらいのひっくり返った声を出しながら身を引こうとすれば、至近距離から視線を合わせることになった金色の目がはたりと瞬く。
 僅かな間を置いて、「ああ」と何かを合点した様子で彼女は頷き、それからとんでもない言葉を口にした。
「昂ぶっているのなら、処理しておこうか」