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 泣き声を聞いた。それもとても沢山の。あのときはどうしてか頭がぼんやりして、喧しいとしか思えなかった。意識がはっきりしてからあんまりな考えに後悔したのだけれど、誰も彼もそれほど弱い奴ではなかったのだ。
 ありがたいことだと安堵していたのに、今悲鳴に近い泣き声が聞こえてきている。人のマントに顔を埋めて、体を二つに折って泣いている。どれだけの間そうしていたのだろう、掠れてしまった声で何度も何度も自分を呼んでいた。
 ヴィラル。
 会いたい、寂しい、と泣く彼女に呼びかけた。もちろん声は届かなかった。艶やかだったはずの髪を撫でてやっても、ヴィラルは顔を上げようともしない。
 それでも次第に彼女のしゃくりは収まって、ついにはマントから顔を離した。雨風に晒されていた布に付いた埃や泥が移った頬を涙ごと拭い去って、ヴィラルはゆっくりと立ち上がった。自信に溢れたあの表情はどこにも見当たらず、食いしばる口元にばかり目がいってしまう。今にも崩れ落ちてしまいそうな体を懸命に支え、自分の墓に背を向けたヴィラルをカミナは見ていることしかできなかった。
 カミナがカミナとして意識を保てるようになるまでには結構な時間が必要だった。気が付けば戦いが終わっていて、墓に参りにきたシモンは人として一回りも二回りも大きくなっていた。ふわふわな髪をした女性を連れてきて、沢山の話をしてくれた。自分が死んだときのことに、その後のシモンの心情や隣にいるニアに会ったときのこと。何もかも包み隠さず話す中に、当然ヴィラルの話題もあった。
 かなりの間、ヴィラルがカミナの死を知らなかったこと、テッペリンでヴィラルと戦ったこと。そうして、ヴィラルが自ら死なない体になったと言ったこと。本当かどうかは分からないけれど、とシモンは付け加えた。とても高い所から落ちたようだったから、実際不死でもないと生きてはいないだろう、とも言った。
「アニキ、俺、思うんだ。俺達は獣人がいたから穴の中で暮らしていたけど、今の獣人を憎むのはおかしいかもしれないって。ロージェノムが獣人にそうさせてたんだから、憎むべきはロージェノムが作った体制だって俺は思う」
 だから、とシモンは言葉を切った。
「俺はヴィラルを恨まない。もし、別に何か悪いことをすれば別だけど、アニキを殺したとかそういうことでは憎みたくないんだ」
 よし、よく言ったシモン、とやはり頭を撫ぜると、派手に風が吹いてシモンの髪がばさばさと揺れた。シモンは一瞬驚いたように目を丸めてから柔らかく瞼を細めて、ありがとうと囁いた。
 ヴィラルはきっとシモンに許されていることを知らないだろう。





 ヴィラルは日が傾きかけた頃に帰ってきた。遠くから徒歩で来ていたらしく、色々な荷物を背負っている。どこかに拠点を作って歩き回っていたのだろう。ヴィラルはカミナの墓の横に荷物を置いて、鞄から寝具を引っ張り出した。普段は物陰で眠っているのか、テントはないようだった。墓の近くで石が少ない場所を選んで黙々と仮の宿を作り上げていく。
 こんなところで一人で眠ってしまっていいものなのだろうか。そう訝しんでから、この辺りに猛獣の類がいないことを思い出す。人影も皆無なのだから、その辺の心配はないものとの判断なのかもしれない。
 火の準備はせずに食事を済ませ、ヴィラルは手元にカンテラを置くと早々に寝入ってしまった。日は既に地平線の向こうに沈んでいて、金の髪が弱々しい光をわずかに弾く。カミナは赤く染まったヴィラルの目許に口づけて、目を閉じた。
 目を閉じるといっても、生きているときとは勝手が違う。見る、という意識を閉じるといえばいいのか、はたまた見ないようにすると強く念じるといえばいいのか。
 目を閉じると必ずといっていいほどにどこかに辿り着く。場所はその時々によって変わるのだが、長くいてはいけない所ということだけは分かっていた。帰ってこられなくなるのだ。きっとそれが自然なことなのだろうが、まだ行ってはいけないと己の勘が告げている。まだやらなければならないことがあるのだと。
「……お?」
 いつもと毛色の違う所に辿り着いた気がする。丈の長い金色の野原が広がっていて、空もまた薄い野原色だった。吹く風は暖かく、軽く草原を揺らす。
 草がズボンに擦れるのを感じながら当てもなく歩いていると、突然道に出た。道は踏み固められていないのか、妙にふわふわしている。靴よりも素足で歩いた方が良さそうに思えた。
 かといって靴を脱ぐ気にもならず、とりあえず足元を気にしながら進む。俯いていたから直前になって初めて、道が一段下がった真っ黒な石になっているのに気がついた。爪先をつけると予想通り、硬い感触。一応手を近づけると、一瞬躊躇してしまうほどの冷気が伝わってきた。
 しゃがんだまま視線を前方にやったとき、カミナは思わず息を飲んだ。おおよそ金色の空間でも一際目立つ金の髪が十歩ほど向こうで項垂れていたのだ。ご丁寧に膝を抱えて座っているせいで顔は全く窺えない。
「おい!」
 呼びかけてもぴくりともヴィラルは動かない。石に足を踏み入れて、カミナが目の前にまできても動く様子はなかった。
「ヴィラル!」
 墓前と同じように聞こえてないのかもしれないと焦燥を抱きながら、カミナはもう一度呼びかけた。反応のあるなしに拘わらず、膝に乗った頭を押してこちらを向かせる。触れられるということは、恐らく言葉は届いている。
「カミナ……?」
 惚けたような口調でヴィラルが掠れた声で囁いた。頭から頬まで滑らせた手がぞっとするほど冷たい。暖かく柔らかな空間でヴィラルと、ヴィラルの周りだけが酷く冷たかった。
「立てよ、ヴィラル!」
 腕を引っ張って立ち上がらせようとしたのだけれど、ヴィラルは状況が飲み込めないのか目を大きく開けたまま動こうとしなかった。軽く舌打ちをしてから、両脇に手を入れて強ばったヴィラルの体を無理やり持ち上げる。一瞬触れた体は頬と同じように冷えきっていて、実際に死んでしまった自分よりも死者らしく思えた。
「歩けるか?」
「あ、ああ」
 返事と共に頭が揺れる。何故か頭と一緒に流れた髪は初めて出会ったときの艶やかなそれだった。服装もさっき墓前で見たものではない。記憶の中の彼女のまま、ヴィラルは掴まれた腕を不思議そうに見ていた。
「カミナ」
 後もう少しでふかふかの道に出るというとき、ヴィラルが足を止めた。
「どうした?」
「お前、死んだんじゃなかったのか」
 絞り出すような声だった。始めにカミナを見ていた瞳はすぐに伏せられ、答えを望んでいるふうには見えない。
「ああ、死んでる」
 けれど答えなければいけないような気がして、ゆっくりと返答をする。そうか、と呟いたヴィラルの声はやけに口早だった。
 すまない、とヴィラルは口早のまま言葉を続けた。
「すまない、わたしが――っ!?」
 次に続ける言葉など容易に分かってしまって、カミナはヴィラルを抱き上げた。冷たい体を強く強く抱きとめ、さっさと石の向こう側へ行く。柔らかな地面に足をつけさせると、そのままずるずると座り込んでしまった。
「別にいいじゃねえか、そんなこと」
 ヴィラルの前にしゃがんでカミナは俯いた顔を持ち上げた。
「……よくない」
 顎に添えられた指を気にしながらもヴィラルが否定した。意志が強いはずの瞳の輪郭がぼやけて、口元がぐっと下がる。
「私が殺したんだ」
「いや、だからな?」
 再び下がっていく頭を見ながら、何と言ってやっていいのか分からなかった。リーロンならどんな言葉をかけてやるのだろう。今のヴィラルに対してものを言うなら、カミナよりもリーロンの方が適役な気がした。
「お前だけじゃない、沢山の人間を殺したんだ」
 けれど、リーロンはここにいない。自分なりの言葉でヴィラルに伝えなければならない。
「だったら俺だってそうだろ!」
 自然大きくなったカミナの声に弾かれたようにヴィラルが顔を上げた。
「違う、お前は」
「違わねえよ。確かに俺は人間は殺してねえ。けどな、獣人は殺してきたんだぜ?」
「そうじゃない、お前達が獣人を殺したのには正当性がある。私達が人間を襲わなければ、お前は殺さずにすんだはずだ!」
 眠る前に沢山泣いたというのに、ヴィラルの瞳から涙が零れる。垂れたままの大きな手が柔らかな地を掻いた。
「ヴィラル」
 その手にカミナは手を重ねた。体を寄せて、瞼にそっと口付ける。濡れた目尻を舐めると、舌に温い塩味が滲む。
「俺達は何も知らなかった。お前達はちゃんと伝えられていなかった。俺達は何も知ろうとしなかったし、お前達は聞こうとしなかったんだ。おあいこだろ?」
 びくりと手と瞼を震わせたにも関わらず、ヴィラルは抵抗する素振りを見せなかった。代わりにゆっくりと顔を上げて、至近距離でカミナの瞳を覗き込む。
「お前、知っているのか」
「いろんな奴が報告しに来るんだよ。お前のことも聞いたな」
 自分の掌の下で、ヴィラルの指が握り締められた。持ち上がっていた顔もゆるゆると下がって行く。非難されて当然と思っている上で、ヴィラルは傷つくのを酷く恐れているように見えた。
「ったく、らしくねえな!」
 ヴィラルの手を放して、代わりに両手で耳の当たりに手を置いて頭を挟んでやる。
「な、ちょっ……止めろカミナ!」
 わしゃわしゃと滑りの良い髪を掻き回すと、ヴィラルが必死に手を止めようとしてきた。彼女にならこれくらい簡単に止められるだろうにその腕はやけに控えめで、軽く添えられるだけに留まる。
「別にお前を殺したいほど憎んでる奴なんていないんだぜ? そりゃ、複雑な奴だっているだろうが、皆どうして俺達があんな戦いをしなくちゃいけなかったのか知ってんだ」
「そんな、はずは」
 両手に挟まれながらもヴィラルは弱々しく首を振る。揺らぐ瞳が嫌というほどヴィラルの気持ちを伝えてきているように思えて、カミナは彼女の頬に親指を滑らせた。
「じゃあ、お前はシモン達を憎んでるのか? 今、俺を殺したいって思ってるのか?」
 既に死んでしまっている身の上でこう言うのも変かもしれないが、とこっそり付け加える。ヴィラルがもう目をきつく瞑って、もう一度首を振った。ころりと目の縁から零れた涙が頬を撫でていた親指に染み込んで、何だかこっちまで泣きたくなってきた。どうやったらこいつの悲しみを取り払って、以前のような自信を取り返させてやれるだろう。ただ、俺はお前を憎んでなんかいないと伝えたいだけなのに。
 お前もただ、許されたいだけなんだろう。けれど、気難しくて馬鹿正直なお前は自分のしたことが許せない。ヴィラルという一個人を許していないのは、もうお前だけなのに。
「優しい奴なんだな、お前は」
 きっとそう口にしても、ヴィラルは受け入れることができないだろう。なら、どう伝えればいいのだろう。案の定、ヴィラルはふるふると髪を揺らして否定を示した。
「今どこに住んでんだ?」
「え、ああ、地下の人間の集落だ」
 ふっとヴィラルの目尻が緩んで、言葉の端々が柔らかくなった。おおよそ豊かではないだろう状況で、ヴィラルに与えられていた旅道具を思い出す。質素ではあるだろうが、十分な量の食事もまた頭を過った。
「好かれてんだな」
「すかれて、いる?」
 良く分からない、とヴィラルが素直な疑問符を浮かべた。実感できないとか好かれているように思えないとか言われるならまだ分かるが、この反応は何なのだ。まるで、その経験をしたことがないような。
「ああ、分からないんだ。我々は必要のない感情を省かれて、螺旋王に作られたからな」
「必要ない?」
 螺旋王が求める獣人像は、死を恐れぬ戦人だろう。ときに人を弱くも強くもしてしまう愛は獣人の個々の力を予測できないものとしてしまって、甚だ不必要とされてもしかたがないのかもしれない。
 けれど、愛を心を持つ生き物がなくすことができるのだろうか。そして心があるからこそ、ヴィラルはこんなにも苦しんでいるというのに。
「獣人はクローンによって作られるから、種の存続のために愛情は必要ないだろう」
 会話をキャッチボールに譬えることは良くあるが、それでいうところの暴投とはこのことだろう。それも明後日の方向に投げたのならともかく、デッドボールを鳩尾に食らったような感じだ。話の方向自体は合っているのに、着地点が全く違ってしまっている。
「な、おい、お前何言ってんだ?」
「人間の生殖行為には基本羞恥心が伴うだろう? そのままだと子孫が残し辛いから、愛情でもって主に女性側の欲求を掻き立てるのではないのか」
 そんなことも知らないのか、というふうにヴィラルが溜め息を吐いた。ヴィラルの説明が分からないわけではないが、カミナが言いたいことはそういうことではない。
「確かにそうとも取れるかもしれねえけどよ、別に俺達は子供が欲しいから誰かを好きになるわけじゃないぜ?」
「じゃあ、どうして好きになるんだ? 利点がないだろう」
 そもそも感情に利益を求めること自体如何なものかと思わなくもない。けれど物質的に求める姿が無性にヴィラルらしくて、呆れるついでに笑えてくる。だからいって爆笑する程でもなくにやついていると、ヴィラルが眉間に皺を寄せた。
「うわっ! おい、何を――」
 侮辱しているわけではないと説明してやる代わりに、目の前にある体を思いっきり抱き締めて地面に尻をつける。色気も糞もない悲鳴を上げたヴィラルの口を自分の口で塞いでやれば、一度肩が大きく震えてから全身が硬直してしまった。
「分かんねえ。分かんねえけど、しかたないだろ。生きてるなら、きっと誰かを好きになる。そうしなけりゃ、誰も生きていけねえんだよ」
 至近距離過ぎてピントの合わない視界でも、ヴィラルの顔が真っ赤になっているのが分かった。さっきも瞼にしてやったというのに、全く意識していなかったらしい。
 ヴィラルは無駄に頭でっかちで、色々な感情を押さえ込まれて生きてきだのだ。たとえ獣人が作られた種族であったとしても、感情まで操作できるはずもない。できるとしたら、ただ遠ざけることだけだ。
「それは、私もか?」
「ああ。お前は今、自由だろ?」
 何もお前を押さえ付けるものなどないはずなのだ。おずおずと肯定した頬を撫で上げてやって、細まった瞳にもう一度唇を落とす。それだけで鋭く反応する彼女が酷く愛おしく感じた。
 ああ、そうだ。愛しいのだ。
 いつの間にか芽生えていた愛の片鱗に今更ながら気が付いて、思わず苦笑してしまう。今、こいつが欲しくてしかたがない。
「今の自分が嫌いか? 全部忘れちまいたいか? 忘れちまって、それで昔に帰れたらそれで構わないなんて思うか?」
「嫌だ」
 ふるふると首を振って否定するヴィラルの記憶に果たして自分が含まれているのだろうか、となんとはなしに思う。初めての出会いは彼女にとって最早過去に成り果てているのではないか。
 ならば、今の己はどうなのだろう。カミナという存在に会うことで彼女が過去に戻っているなら、それは酷く悲しいことだ。
「なら、そんな昔の格好してんじゃねえよ」
 短い髪の端を摘んで、目の前で振ってやる。ヴィラルが自然寄った目で髪の長さを確認してから、手首部分に付いたファーを不思議そうに見下ろした。
「……どうして」
 万感の思いを込めて、というふうに吐き出された言葉が掠れて響く。どうしてなのだろうか、とヴィラルは少しだけ間を開けて言い直した。
「私はお前を既に過去の人物だと思っていた。でも、違うんだな。こうやって、今生きている私に作用してきているんだ」
 一呼吸分空白が生まれて、ファーを見詰めていた視線がこちらを向いた。
「私がここで死んでいなければ、お前もある意味死んでいないのかもしれん」
 自分の上で縮こまっていたヴィラルの体が少し柔らかくなった気がする。何がどうなったのか、瞬きをしていた間に艶やかで短かった髪が背中辺りまで伸びて、抱き寄せる腕に掛かる。さっきまでのような艶がないその髪が、やけに美しく見える。
「仕方ない、お前の為にも生きてやる」
 深く抱き締めて髪に顔を埋めてしまったせいで、彼女の服装も表情も全く分からない。けれど、きっと服は埃に塗れていて、口元には笑みを湛えていたに違いない。そう思うと、不思議なくらい満たされた。