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勤務地へ向かう地下鉄車両内で、熊井は、とある事件に出くわした。 ドア付近に場所をとり、手摺に掴りつつ新聞に目を通していた熊井の耳に、 隣の車両から話し声が聞こえた。どうやら揉め事のようだった。 「やってねえよ」と、如何にも煩わしそうに言い捨てるしょぼくれた声の後、 「この目でハッキリ見ていたんだ」と、衒いも有漏も感ぜられぬ若い声が届く。 やがて駅に到着すると、若い声が再び響き渡る。 「待て!」 下車する乗客群を、白線の内側で巧みに避けながら、小男が自分の前を横切ろうとしたので、 熊井は咄嗟に、左足をプラットホーム側へソッと放り出し、小男を躓かせた。 長い、熊井の脚に引っ掛けられた小男は、無様にも顔面から転倒し、 後を追って来た青年によって取り押さえられた。 「ありがとうございます」 青年は白い歯を見せて熊井を仰いだ。 と同時にドアが閉まり、次の駅へ発車した。
勤務地へ向かう地下鉄車両内で、熊井は、とある事件に出くわした。 ドア付近に場所をとり、手摺に掴りつつ新聞に目を通していた熊井の耳に、 隣の車両から話し声が聞こえた。どうやら揉め事のようだった。 「やってねえよ」と、如何にも煩わしそうに言い捨てるしょぼくれた声の後、 「この目でハッキリ見ていたんだ」と、衒いも有漏も感ぜられぬ若い声が届く。 やがて駅に到着すると、若い声が再び響き渡る。 「待て!」 下車する乗客群を、白線の内側で巧みに避けながら、小男が自分の前を横切ろうとしたので、 熊井は咄嗟に、左足をプラットホーム側へソッと放り出し、小男を躓かせた。 長い、熊井の脚に引っ掛けられた小男は、無様にも顔面から転倒し、 後を追って来た青年によって取り押さえられた。 「ありがとうございます」 青年は白い歯を見せて熊井を仰いだ。 と同時にドアが閉まり、次の駅へ発車した。 [[←前のページ>10]]   [[次のページ→>12]]

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