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バーを出るなり紙を握りつぶさうとしてゐた熊井を、背後から特徴ある聲が呼びとめた。
「待つて、ごめんなさい」
振り向く熊井。桃子が必死の形相で驅けてくる。
あまりにも急ぎ過ぎるから、桃子はつんのめつて轉んだ。
助け起こす熊井。桃子は尚も縋りついた。
「どうしたの?」
「怒らないで聞いて下さいね」
さう斷つたのち、息を整へつゝ桃子は説明を始めた。
「わたし、本當は會社員なんかぢやないんです。全部、仕組んだことで……その、
實はクラブに勤めてるんですが、水商賣の人間とはお會ひしてゐただけないんぢやないかと
思つて、常連の有原さんに協力していたゞいたんです」
「有原が常連?」
「いつも中島さんとご一緖に來店されます」
「ふうん。それで、どうして會ひたいと?」
「中島さんの擕帶にくまゐちよー、いへ、熊井さんが寫つてゐるお寫眞を拜見して、
その、ひ、ひとめぼれ、を……奧さまがいらつしやることはわかつてゐますし、
たゞお顏を直接拜見してみたかつただけだつたんです。
でもやつぱり騙してゐるのには變はらなくて。本當にごめんなさい」
「さう。本當のことを話してくれてありがたう」
素つ氣なく返事をすると、熊井は捕まへたタクシィへ乘り込まうとしたが、
不意に橫から張り出して來た桃子の脣は避けきれなかつた。
尖りのある眞に迫つた感觸が、熊井の神經を隙間から刺戟した。
「困るよ」
熊井は、動搖を隱せないまゝ、桃子を振り切るやうにタクシィを發車させた。
あとで桃子の連絡先を記した紙を捨て忘れたことに氣づいたので、車の窻から投げてやつた。
丸めた紙は、一瞬だけ螺旋を描いて舞ひ上がり、道路を跳ねていつた。