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藩王宣言の夜」(2008/07/03 (木) 17:46:08) の最新版変更点

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タイトル「藩王宣言の夜」 あの日の事は、今でもよく覚えております。 何があったかって? 申し訳ありません。それは私とあの方だけの秘密なのです。                     ~あるバーテンダーの言葉~ 冬の京に敵が侵攻の報を受け、藩王が臨戦態勢を宣言したその夜。 忙しく働く人々の喧騒を他所に『クエルクス』には「Reserved」の文字が掲げられ、訪れるはずの一人をただ静かに待っていた。 そうして昼間の演説で大騒ぎになった町がようやく眠りに付き、街灯と僅かな星明りだけが白い雪を照らす頃 キィィ、パタン その扉は開かれた。 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。藩王様。」 黒い外套を染めていた雪を慣れた手つきで落としながら、よく俺が来るってわッかりましたねぇ と暢気に返す藩王。 その顔には疲れこそ見受けられたが、普段と何ら変わることの無い明るい表情であるように見えた。 「私も昼間の演説は聞いておりましたから」そう言いながら藩王の外套を受け取り壁に掛けると、ドアを開け「Closed」にするアルバ。 藩王は「そっ・・・・か」とだけ言い、眼を閉じ軽く息を吐くと自分以外誰もいないカウンターに座った。 その日の店には、馴染みの客の聞き飽きた話もリンネの奏でるピアノの音も無く、ただアルバがグラスを磨く微かな音と、スピーカから静かに流れるジムノぺティだけが聞こえていた。 「今日は‘ご注文は?’とは聞かないんですか?マスター。」珍しく難しい顔をして、グラスを磨くアルバに尋ねる藩王。 アルバは手を止めると、観念したかのようにゆっくりと口を開いた。 「だご様がこの国を出られる前日の事でございます。この店においでになり、私にこう仰いました『自分にもしもの事があった時、藩王に出して貰いたいカクテルがある』と。」 張り付けられていた薄い笑顔を剥ぎ取り、その言葉を静かに聴く藩王。今日彼がこの店に足を運んだのも、かの友人の別離の言葉に従ってのことであった。 「私は一度はお断りしたのですが、余りの熱心さに負けて結局お受けする事にいたしました。お代も既に頂いております。」 「で、そのカクテルってのは?」 「・・・・ギムレットでございます。」 そのカクテル名を聞いて、アルバが難しい顔をする理由を察した藩王。 アイツにそんな可愛い趣味があったとはねぇ と内心で呟きながら、今自分が言うべきただ一つの台詞を紡ぎ出す。 「ギムレットには・・・・まだ早すぎますよね。」 「はい、まだ藩王様にはそれを飲む前にやるべき事があるはずです。」 満足そうにそう言うと、アルバは一杯のカクテルを作り始める。 ライ・ウイスキー 、ドライ・ベルモット、カンパリ これらを均等にミキシンググラスに注ぎステア。そうして出来たカクテルが 「『オールド・パル』古き良き友人という意味のカクテルでございます。」 それだけを言いグラスを差し出すと、アルバはカウンターを出て早々と帰り支度を始めた。 藩王は黙ってグラスに口をつけると、その優しい甘さとほろ苦さに眼を瞑る。 コートを着込み、扉に手を掛けるアルバの背中に声が掛けられる。 「ねぇ、マスター。全部、今回の事が全部終わったら、俺、ギムレットを飲みにまた来ようと思います。だから、」 「えぇ、勿論です。私はその時まで店と約束を守り、貴方様はそうなる様に国と誇りを守る。その時が来る日を心待ちに致しておきましょう。では、今夜だけはごゆっくり。」 そうして扉が閉まると その日初めて、よんた藩王は声を殺して泣いた。                               おわり (参考) *ジムノペティ・・・・エリック・サティ作曲のピアノ曲。もともとは鎮魂歌であると言われている。 *ギムレット・・・・レイモンド・チャンドラー著のハードボイルド小説の金字塔「長いお別れ」に登場するカクテル。「~にはまだ早すぎる」は物語の核となる台詞。作中ではギムレットを飲む事は完全なお別れを意味している。 (文:槙 昌福)   

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