夏のとある思い出深き一日

 よんた藩国のほとんど誰も寄り付かない片隅にその図書館はあった。
 藩国のリンクを辿っても見つからない、藩国民の方でも存在すら知らない方が多い、ついでにここが設定上は藩国内にあることも知られていない、まさに辺境にある図書館は、実は許可を得て作ったわけではない完全なる違法建築物でもあった。
「そろそろというか、いい加減に許可を貰ってきましょうよ」
 奉仕活動ではなく趣味で運営を手伝ってくれている物好きな女性の颯姫が、とりあえず館長を名乗っている小野青空に言ったのが始まりだった。
「あー……いるかな? この無秩序な図書館に」
「無秩序というよりは、節操のないとかカオスとかいう言葉の方がしっくりきますね」
 最初は内輪向けのちょっとした娯楽目的で作られた図書館だったが、現在はやや特殊趣味向けになりつつある上、非常にまとまりない蔵書が中心になっているので、青空はあまり申請の必要を感じていなかったのだが、
「青空さんはここに来て日が浅いでしょう? もっと大人しくしていないといけないのに、毎日のようにいろんなとこにお邪魔して騒いでいるの知ってますよ。大体ここが藩国内だからって、調子に乗って違法建築物建てたのは、いくらなんでもやり過ぎです!」
「でもさ、颯姫も賛成したから建ってるんじゃない。設計から始める大工仕事は大変だったよ」
「確かに賛成はしましたし、建築の一切合切お任せ状態でしたけど、どう考えても申請の申し込みができるのは青空さんだけしょうが!」
 新規に入って来た国民である青空と違い、颯姫は生まれも育ちもよんた藩国であり、ここの法律関係には余程詳しい筈なのだが、そこは類友。いい加減と適当とノリで世界が回っているので、現実的な処理は気が付いてから、困ってからで、つまり完全に後回しになっていた。
「……公的な建物じゃないから、多分、爆撃で吹っ飛ぶことはないよ? 多分きっと、果てどもなく希望的観測だけど」
「爆撃で吹っ飛ばされても、どうせすぐ立て直せるんでしょう。図書館なんて名乗ってますけど、元々何かあったときのために、細かい作りなんて何にもしてない掘っ建て小屋ですからね」
「掘っ建て小屋は酷いな。せめて建て売り住宅にちょっとリフォームを加えただけと言ってくれ」
「と・も・か・く、ここは藩国の公共交通網から外れてるから通いにくいんですよ! とっとと許可を貰いに行って来い!」
 交通網というか、そもそもリンクがないので通って来ている颯姫は、仕事を始める前に疲れてきたようだった。設立当初は気候が良かったが、迎えた夏の寝苦しさから体力が奪われ、交通機関とアクセスのない場所では炎天下を歩いてやって来るしかなく……
 反論を待たず、青空は強引に外へ押し出された。
 とはいえ、申請するのは青空も構わないし、必要なのだろうが。
「颯姫……そもそも私、申請の仕方がさっぱりわからないよ?」
「いつまで『わかば』なんですか?!」
 とりあえず、青空は申請(誰にするのか、どこでするのか、どうやってするのかも全てが分からない)の旅に出かけることになった。


「はー……どうしよっかなぁ。本気で分かんないし」
 とりあえず、何の考えも浮かばない青空は、何となく城の方に向かって歩いていた。
 一応調べたことはあるのだが、違法建築で建てられた物を後から申請して合法建築物にしてもらった人はいなかった。先に申請しておけば良かったのかなと、今更ながら思うが、計画時から設立当初においての時期は、図書館として長く運営できるのか、蔵書がちゃんと増えるのかも全く分からない状態だったので、とりあえず違法建築にしておいたのだ。
 石橋を叩いて渡らない気質の土地で育ったとはいえ、青空は慎重になり過ぎて後で困るという状況はあまり経験のないことで、どうもすぐには上手い解決策が浮かばない。
 重い息を吐いて俯くと、下には丸い物が転がっていた。
顔をあげて見渡すと、そこは普段は空き地で草原が広がっているのだが、今日はシートが一面に広げられて、球体がいくつも転がっていた。
 何だろうと思い、青空が手を伸ばすと、
「危ないですよー」
 作業をしていた支那実がのんびりと注意をした。
「こんにちはー。あの、これって?」
 二十個以上はあるだろうか。球体は茶色く紙に覆われていて、どれもソフトボールくらいの大きさと丸みがあったが、ボールとは明らかな重量感の違いが目でも分かった。
「先日使った花火の残りですよ。あの後色々忙しくって片付けられなくて~」
「あー、祭りの時の」
 謎の球体の正体は花火玉であった。そう言えば、この辺りは周囲に燃える物も火の気もないので、作業をするには向いているのかもしれない。
「手伝いましょうか?」
 結構数があるので青空は申し出たが、
「一人で大丈夫ですよー。それより小野さんは自分の仕事を優先してください」
 仕事……を全然やってない青空は海よりも深く沈んだ。
「?? どうしました?」
「いえ……私的な用事ばかり優先しているので、心が」
「そうですか。心筋梗塞の前兆かもしれませんから、雷さんに薬をもらうといいですよー」
 にこにこと支那実は笑っている。
 来さんから薬をもらう……。
 実際に飲んだことはないが、来が誰かに強引に飲ませようとしていたのを見たことがあった。何だかとてもやば目で、忘れっぽい青空の頭にも危険の文字とともに記憶されている。
青空は心臓が大きく脈打つのを感じた。
それは恐怖? 恋? ほんとに心筋梗塞? いいえ、きっと死亡フラグね。
「来さんの薬は安全ですよ~」
 と、言いつつ、支那実は思いっきり顔を逸らしている。
「あ、あからさまに態度が危険だと言ってますよ!」
「まあまあ、飲んでみないとわからないですし」
「じゃ、支那実ちゃんは飲めるんですか」
「安全が確認できるまでは飲みませんよ?」
 このように青空には、いろんな方の謎の多い言葉から、来への疑問と不信と恐怖が日々蓄積されていたりする。
「小野さん、今、暇なんですか?」
「暇というか何というか……。勝手に作ったものがありまして、今更ながらそれの許可申請をしに行こうかと」
 この時点で、青空は楽観的に城に行けば分かるだろう、と完璧楽観思考になっていた。
「申請? 何か作ったんですか?」
 首を傾げる支那実に、何を作ったのかはごにょごにょ誤魔化して(これが藩国の方でも知らない最大の理由である。そこそこ蔵書が整った今は、もう隠す必要はないのだが、癖は抜け切れていない)、
「えーと、まあ、藩国の辺境に隠れ家? みたいなのをこっそりと建てたんですが、土地の利用許可を公的に得て作ってはいないんですよ。当時もよく手続きが分からなかったというのもありますが、それってどうやったらいいのかご存知ですか?」
「うーん、土地の利用申請なんてあったかなあ? ……あっ、そうだ! ちょっと待っててください!」
 突然大声をあげて、支那実は走って行った。
 数分後、息を切らせて戻って来た支那実は、青空に一枚のカードを差し出した。
 手に取ったカードの表面は綺麗に印刷でマス目に区切られていた。
「これは?」
「申請カードですよ。うちの藩国はカードに皆から承認のスタンプを貰って回るんです。藩国民全員……は無理ですから、最低でも藩王、槙さん、雷さん、真砂さん、音在さん、それに私を加えた6つのスタンプが揃ったら、許可が下りるシステムなんですよ~」
「裏にラジオ体操カードって書いてあるのは……」
「幻覚ですよ」
 きっぱりと言い切られれば、それは幻覚なのだろう、きっと。
 青空は少なくとも裏は気にしないことにした。
 ぽこん、と支那実から一個目のスタンプを押してもらう。
「じゃ、頑張ってくださいね。今日中に集めるといいことがあるかもしれないですよ」
「ほんとですか?」
「ノート一冊貰えるかも?」
「……それってラジオ体操の景品と同じですよ」


 まあ、とにかく皆からスタンプを貰えばいいのだと理解し、他の国民の方を探しに行く青空だった。これが他の誰かの状況だったら展開がおかしいとか突っ込みを入れるのだが、青空は基本的に自分の置かれた状況については一切気にしないで進んで行く性質である。根本的に思考回路がおかしいのである。
「おー、いたいた」
 音在は毎日武器の手入れ、訓練を欠かさない人であり、ロードワークのメニューやコースもきっちり決まっているので、藩国民の方の中では比較的見付け易い人であった。
「音在さーん」
 声に気付いた音在は、訓練の手を止めて振り返った。
「小野さん、どうしました?」
「顔の表情変わらないけど、今、すっごく嫌そうにしなかった?」
「開口一番がそれですか。気のせいですよ」
 否定しつつも音在は、青空と組んで酷い目に会ったことは数知れず、体は動いていなくても心が限界まで警戒していた。
「そうか。じゃ、スタンプくれる?」
「……説明省くのはやめてください。小野さん、自分に対して何か思うことでもあるんですか?」
「あるよ、思いっきり」
 笑顔もなくまっすぐ青空は音在を見ている。
 半分は冗談のつもりで言ったことだったのに収拾がつかなくなった音在は、この女は確実に鬼門だと思った。
「それは……自分が何か悪いことしたからですか?」
 それでも同じ藩国民同士、話し合いを試みたが、
「女装してよ。皆(?)の期待に応えてよ」
 そもそも話が通じない相手だったと、音在は青空に関わったこと自体を後悔した。
「まだ言ってるんですか!」
「いいじゃん。減るもんでもないし」
「減ります。いろんなものが」
「坊主、プライドでは飯が食えないんだぜ」
「年下でしょう、小野さんは」
「ふー、青い、青い」
 遥か昔より、男は口では女性に勝てない。
 特に青空は口が回るというか、立て板に水、機関銃のように話す女だった。
 完全に口で圧倒された音在は、大きくMPを削られた気分になった。魔法使いではないけれど。
「はあ、とにかくスタンプを押せばいいんですね」
 理由は後で他の方に聞こうと、諦めて音在はカードにスタンプを押した。
「ありがとー」
 やれやれ終わったと、目にも見える精神的負荷から逃げるように音速を越える勢いで訓練に戻ろうとした音在を、青空は捕まえた。
「まだ何か?」
「他の方達がどこにいるか知らない?」
 先輩ではあるが、音在も藩国民としては新しい方であった。
「そうですね……槙さんや来さんは自分の部屋にいると思いますが」
「部屋か。あー、私、お二人の部屋知らないんだよね。行き方教えてくれないかな?」
 紙とペンを渡された音在は、時間が止まったかのようになかなか書き出さなかった。
 そして、とても時間がかかって紙とペンは返された。
 一瞬早く、ぐっと青空が音在の腕を掴み、音在の逃亡はあえなく阻止されてしまった。
「このまま一本道じゃないでしょ、ねえ」
 詰め寄るように青空が言うと、音在は爪が掌に食い込むくらいに強く手を握り、苦しげに言った。
「それが自分の限界です……」
 音在が書いた地図は、何とか目印っぽいものは書いてあるが、ほとんど蛇行線でしかなかった。
「迷うよ、これ」
「地下王国に行くわけじゃないから、大丈夫」
 よんた藩国地下王国――
 秘密とか言われているのに普通に地図が街で売られていたりする、謎の地区である。いつからそれがあるのかは、流石に音在や青空の新入国組には知りようがないが、未だに相当の未踏域があるとかで、方向音痴の上に典型的な地図の読めない女の青空は、まだ物見でも出かけたことはなかった。気になる噂もよく耳にしているので興味は尽きないが、入ったが最後、自分も変な巣を作るだろうと青空は自分を冷静に見つめていた。
「じゃ、気を付けて」
「そちっも訓練のやり過ぎで倒れないようにね」
「小野さんもたまには訓練したらどうですか?」
「あっという間に体力が切れて倒れるから、止めておく」
 非常に不満だったが、訓練を長々と邪魔していけないと本当に今更ながら思って、青空は一人で頼りない地図を頼りに歩き出した。


 しかしこれは、広くもあれば狭い世界での話であるから、
「ここですよ」
 青空は来の部屋まで案内してもらってあっさり辿り着いた。
 もう誰が見ても道に迷ってます、という様子で歩いていた青空に、藩国の名もない方が親切にも道案内を買って出てくれたのだ。
 地図、あてにならなかったし……。
 絵心のない方の書いた地図と、地図を読めない女の組み合わせは、そもそも間違っているのだが、青空は地図のせいにした。
 案内してくれた藩国の方と礼を言って別れ、青空は来の部屋の前に立った。
 一見普通の部屋のようだが、用心しつつ、
「こんにちはー」
 軽くノックをしたが、応答はなかった。
「いないのかな?」
 もう一度、今度は大きくノックをしたが、やはり返事はなかった。
「……居留守ですか」
「留守や」
 声は後ろからした。
 悲鳴をあげて青空は逃げ出そうとして、来に襟をつかまれた。それによる様々な力の作用・反作用の結果、青空は派手に転んだ。
「失礼な奴やな。人を見て悲鳴をあげて逃げるな」
「ふふふふ……転ばせたのは謝らなくてもいいのですか」
「おお、悪いな。傷でも作ったか? 塩ならあるで」
「お、お気遣いなく……」
 もそもそと立ち上がる青空だった。
「留守だったんですか? じゃあ、丁度戻られたところ」
「いんや。小野さんの声が外からしたから、部屋の抜け道から出て背後に回りこんだだけや」
 その行為はただ驚かそうとしただけなのだろうと、聞かなくても分かった。
 藩国の方はいずれも個性派揃い、一癖も二癖もある方ばかりだと、青空は自分を棚にあげてそう思った。
 来は手に持った書類を団扇代わりにしつつ、
「どないしたんか? わざわざここまで来るのは初めてやないか」
「あ、えーと」
 青空は事情を説明した。これまでの経緯は特に意味がないので省く。
「ふーん。まあ、ええけど。スタンプな」
 ぽこん、と来は三つ目のスタンプを押した。
「後は、槙さんのとこも残っとんな」
「はい」
「わいも用事があるに、槙さんのとこは連れてったるわ」
「ありがとうございます」
 来が部屋の鍵をかけているのを見つつ、
「そう言えば、来さんの部屋の中って」
 藩国の先輩の部屋に出入りしたことも覗いたこともない青空は、興味津々で訊ねた。
「部屋か? ごっつ危険やな。わいのおらん時は入るのは勿論、覗いたらあかんで」
 やはり劇薬とか扱っているから危険なのだろうか、と青空は思ったが、
「バ○サン焚いとるからな」
「そうですか……」
 焚かねばならない理由も気になるが、きっと追求したら負けだ。



 槙の部屋に着くと、来がノックした。
「おーい、例の書類、持ってきたでー」
「待っていたよ」
 槙の明瞭な返事が返ってきた。
「入るで」
 ドアを来が開けると、
「僕の研究室へようこそ!」
 瞬間、思いっきり足で蹴るように青空はドアを閉めた。
「藩国の夏じゃない! 百物語になったー!!」
 青空の叫びを来は笑い飛ばし、
「何を言うとるんや。これがデフォルトやろ」
 再び来が開けたドアの向こうには、槙が事務椅子に悠然と座ってお茶を飲んでいた。
「失礼だね。君は」
 いえ、普通は驚きますよ、その言葉は心の中に留めた。
 どうして藩国の人は何も言わないのだろう? 青空は憮然としつつも、
「……すみませんでした」
 夏で暑いから、ビキニではない。
 白衣に赤いビキニ。
 視覚的な暴力を青空は感じていたが、来の方は至って通常体であった。藩国民としても付き合いが長いのもあるだろうが、結局慣れなのだろうか。
 机に書類を広げた来と槙は、
「これなんやけどな……」
「ああ。やはりな」
 藩国運営に関わる重要な話になってくると、青空は全く分からない。とりあえず、ちょこちょこ勉強はしているつもりだが、来と槙の話の内容は全く理解できなかった。
 凄いんだな。
 来も槙も、支那美も音在も皆、自分より一歩も二歩も前にいて、追いかけてもなかなかその差は埋まらない。それが分かる度に確かに焦るけれど、やっぱりできる姿を見ると、純粋に先輩達がかっこいいなと思うのであった。
 ……槙さんの場合は、あのかっこうじゃなかったら、尊敬度がもっとあがるんだけどね。
「君、心の中で失礼なことを思わなかったか?」
「心の領域侵犯はやめてください」
「ふむ、以後お互い気をつけよう」
 槙と来の会議は重要なのか細かいのか、結構長くかかり、気がついた時には日が沈みかけていた。
「じゃ、そういうことで」
 槙は待ちくたびれて椅子に座ったまま眠りの世界に足を突っ込みかけていた青空に向き直り、
「で、小野さんは何か僕に用事だったのかい?」
「あ、はい!」
 慌ててカードを出して、青空は事情を説明した。
「ふむ。スタンプを押さないと、どうなるんだい?」
「まあ、単に違法建築のままです」
「僕としてはスタンプを押すのは構わないが、合法建築物になると色々税金を取られるかもしれない。そこは知っているかな?」
「えええええーっ!」
 税金が取られるなんて考えてもなかった青空は、顔色が真っ青になった。
「それ、ほんまかいな」
「ははははは、そんな話は聞いたことがないな」
 藩国の先輩に日々弄られて新人は大きくなる……というものだと青空は信じたいと思った。信じたいと言っている段階で、まるっきり信じていないのが分かる。
 ちょっと弄られ過ぎてやさぐれモードになりつつある青空だった。
「はいはい、ぽん、と」
 これで4つ目。後、残るは藩王と真砂であった。
 何とか終りに近付いてきたな、と青空は大したことではなかったが感慨深げにカードを見つめた。
 槙は淹れなおしたお茶を飲みつつ、
「しかし、小野さん、これから先は気を付けたまえ。この先に待ち受ける敵は僕よりも強大な敵だ。君はそれを乗り越えていかなければならない。さあ、僕の屍を乗り越えて行くがいい」
「!」
 この先に待ち受ける強大な敵……。
 青空は武器も防具も持ち合わせていなかった。果たして、これでどう戦えばいいのだろうと、半ば絶望した。
 槙さんは既に屍になっているのでクリアーしたようだけど、隣の来さんはピンピンしている。来さんも倒して乗り越えていかなければ―――
「ははははは。小野さんは言われたことにすぐその気になるなぁ」
「収拾がめんどいからあんまり変なこと言うな」
 来さんの弱点をつければ勝てるかしら?
「ほれ、飴やるに、次行き」
「ありがとう、来さん! じゃ」
 あっさりと思考を停止して飴を受け取って青空は出て行った。
 去って行く足音が消えて、
「わいらも移動せんとな?」
「そうだね。しかし、展開に疑問を感じないのかね、彼女は」
「……まあ、今回はいいんやないか? ばれたら困るし」
「この先に待ち受ける運命を彼女は知らない」
「もういいっちゅーに、ラノベ風は」



 日が完全に暮れた藩国は、丁度夕食時間であった。
 藩国のメインストリートを歩いていると、食べ物屋が多いせいでそこかしこからいい匂いが漂ってくる。食べ物の誘惑から逃げる理由もないので、誘われるまま青空も一軒のお店へ入った。
「なんにします?」
 丁度空いていたカウンター席に座るとすぐ、ラーメン屋の親父が注文を聞いた。
「えーと」
「トンコツを」
 それでオーダーが通ってしまったので、びっくりして声の主、隣に座っている人に目を向けると、
「ま、偶然なんですけどね」
 よんた藩国藩王が座っていた。
「ここはトンコツがおすすめなんですよ」
 びっくりし過ぎで青空は声も出なかった。
「はっはっは。本当にここで会ったのは偶然ですよ。小野さんはラーメンはお好きですか?」
「あ、まあ、脂っこいのは食べれませんが」
 何とか答えることができたが、心臓にとても悪い。
 やはり、自国でも藩国の王と話すのは、他愛のない話でも新人は緊張してしまう。
「ふむ。あっさりとしたものがお好きなら、この先の通りの角にあるラーメン店なんかおすすめですよ。あそこは醤油ラーメンが絶品で……」
「他店の宣伝なんてしてくれなさんなって! ほい、トンコツ、お待ち!」
 どん、と青空の前に丼ぶりが置かれた。
 食欲をそそる匂いだった。
 昼以降、来から貰った飴を舐めたくらいだったので、とてもお腹が空いていた。
「いただきます」
 よんた藩国の何が素晴らしいのかと言えば、食である。
 美味しい食事。
 そして、美味しい食事があるからこそ。
「うちの店はトンコツでは負けないよ」
「おーい、バターラーメンね」
「あー、ちょっと取らないでよ!」
「もう一杯食べようかな」
「今日はどれにしようかな」
「あ、コショウかけ過ぎた!」
 そこにある雑多な声は幸せに満ちていると思う。
「美味しいでしょう?」
「はい!」
 藩王は青空以外の声にも耳を傾けているようだった。
 美味しいものを食べて、幸せでいる人々の様子。
 青空も食べながらぼんやりラーメン店のざわめきに耳を傾けた。
 ふと、思い出してしまうのはちょっと前までの自分だった。
 戦争で食べ物がなくて泣くことはある世界。でも恐らく、多くの人は食べ物があるのに、食べたくても食べれない辛さを知らないと思う。ちょっとしか食べれなくて、満腹になるまで食べたいと泣いて願うこともまずないと思う。
 思い出すのは簡単な、自分にとっては古くもない悲しい思い出だけれど、他の人はそれでいいのだ、と青空は思う。
 食べ物を美味しいと感じるのに、不幸はいらない。
 美味しいものを食べて幸せだと、皆が感じられるのなら、それでいい。
 美味しいものは皆で食べて幸せになるべきなのだ。
 食べれなかった思い出があるからこそ、そう思う。
「食べるのは好きですか?」
「はい」
 良かった、と藩王は言った。
 そして、美味しい物を食べて幸せを感じているのは、まぎれもなく今の私だから、それでいい。
「もうすぐ秋ですね。また、美味しいものが出てきますよ。たくさんの店も新メニューを考案しているようですし」
「楽しみにしてます!」
 よんた藩国は食の国。
 来て良かったな、という感想だけではなく、もう今はここを守るために頑張ろうと思う気持ちもあった。
「ああ、今日は小野さんは他の方の所を回られていたそうですね。お疲れ様です」
「え、あ、いえ! 半分以上私用です。仕事じゃないので」
「そうですか。でも、こちらにも慣れたようですね」
 にこにこ笑う藩王。
「……一つ、お聞きしてもいいでしょうか?」
 ラーメンをすすりながら、青空は尋ねた。
「はい?」
「藩王の幸せはなんですか?」
 藩王もラーメンをすすり、ちょっとだけ間をおいて、
「美味しいものを食べることと、皆さんがわいわい楽しくやっておられるのを見ることですかね」
「それは、普通の藩国民の方も同じですね」
「藩王だからって、物凄い望みを持っているってことはありませんよ。今日なんかは、小野さんに美味しいラーメンを教えることができて割と幸せですし」
「それ……女性を口説くときに上手いこと使えるといいですね」
「本番でさらりと言える男は……正直羨ましいですね」
 かなり微妙な空気に変わりつつある、藩王と国民Xだったが、
「あ、スタンプ、必要ですか?」
「お願いします」
 ぽこんとまた一つ押され、残るは真砂のスタンプのみとなった。
「完全にスタンプラリーですね」
「記念品はノート一冊? とのことですが」
「思い出はプライスレスですよ」
 その時の青空は、その藩王の言葉を殊更気にも留めなかったが、準備が終わったことを知っている藩王が一番ヒントを出していたと、後に気づくことになる。



 犬だし。
 いや、犬だし。
 真砂はすぐに発見できた。
 丁度、犬だし。
 他の人の位置は全く分からなくても、青空は真砂にはレーダーを張っているし。
 仕事中の真砂は、黙々と机に向って作業している。
「く、オーラが眩し過ぎて近付けない!」
 一度窘められてから癖になったのか、青空は本気で真砂のファンだった。
姐さんファンクラブは男じゃないと入れないみたいだし、無茶苦茶ずるい、差別だ。
実はそれが青空が藩国で男の藩国民の方を齧る主な理由である。
 「ピド飲んだら……」
 私的なファンクラブに入りたいだけに飲むのもどうかだが、そもそも違うものが変わりそうである。
最悪なことに現在、青空の周囲にはツッコミ役はいなかった。
スタンプを貰わないといけないのに、近付きたくても眩し過ぎて特殊レンズを使った眼鏡にかけなおしても、オーラが眩し過ぎて……!
「小野さん、何やってるの?」
「ごめんなさい、遊んでました」
 土下座で謝る青空だった。
 遊んでいる内に真砂に気付かれたようだった。
「遊んでたの? あら、暇なのね」
 暇なので良かった、という意味で真砂は言ったのだが、ここのところ仕事を全くしていない青空は、
「すみませんすみませんすみません、地中深く埋まってきます!」
「掘り出す機械も資金もないから今度にしてね」
 穴がなければダンボールにでも潜り込みたいと青空は思った。
 やはり、ラスボスだからか。
 たまたま真砂さんが最後になったとはいえ、その強さ(?)はまさにラスボス。敵う筈もない戦いをどう切り抜けたら――
「あ、スタンプ押しとくね」
 うっかり青空が落としたカードを拾いあげ、真砂のスタンプはあっさりと押された。
「……どうしたの? 何か天国と地獄が一緒になったような顔をして」
「いえ、気のせいです」
 物事の始まりも終わりも唐突にやってくるものだ。
「じゃあ、私もこれで仕事が終わりだし、行こうか」
「え? どこへ」
「食堂!」



 食堂へ向かうと、外には藩国の方が集まっていた。
「おー、来たか。では、始めようやないか」
 何を、と聞く前に来が合図をした。
 盛大な音を立てて、夜空に美しい花火が上がった。
「え?」
「藩国国民のためだけの小さな夏祭り……と言いたいけれど、どちらかと言うと、慰労会ね」
 びっくりした青空に真砂は言った。
「支那実ちゃんが小野さんに会ったって聞いた時は、もうどうしようかと思ったけれど。内緒で進めて驚かそうと思ってたのに」
 見回すと、案外近くで支那実も笑顔で花火を眺めていた。
「はははは……気付きませんでしたよ」
「驚いた?」
「はい。でも、言ってくだされば準備を手伝ったのに」
「準備って言っても、大がかりなのは花火だけだったし。それにこういうイベントって、人を驚かせて喜ばせてこそ価値があるでしょう。ふふふふ、青空さんと音在さんの二人には内緒にしておいたのよ」
 悪戯が成功したとばかりに真砂は、楽しそうに笑った。
「花火で幕開けしたところで、ゆみさんがちょっとした御馳走を用意してくれているし、我々は移動しよう」
 藩国民のちょっとした夏の祭りは、告知もなく内輪だけで行われた。
 過ぎ行く夏の最後の思い出は、こうして藩国の先輩方によって綺麗に彩られた。



――後日
「で、何でうちは未承認のままですか?」
「はははは」
 あの後、祭りの騒ぎの中、青空はカードを落としてしまっていた。
「青空さんだけ楽しんで来て、うちは未承認のままなんて、私だけ美味しいとこが何もないー!!」
 颯姫の怒声が図書館中に響いた。
 ちゃんと承認許可用の書類を貰って来るべく、青空は逃げるように外に飛び出して行った。