「だから私は今、幸せです」

―― そうじゃない

少女は心の中で何度もかぶりを振っていた。


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宰相府藩国、春の園の一つ「桜の園」。
年中鮮やかな桜の咲き誇る、普段は人通りの多い区画である。

今そこは、並んで歩くメノウと彼女の父の姿しかなかった。

「(あの辺りに散った花びらはあそこへまとめれば…)」

歩きながら、ぼんやりと職業病じみたことを考えていた。

「どうかしましたか?」

横を見上げると、養父であるかくたが笑顔のまま様子をうかがっていた。

「派手なところですね」
「ええ、確かに、年中寒い、よんた藩国に比べれば」
「あれはあれで、いいと思います」

メノウの素直な感想だった。
彼女が育った国の風景は、生まれたところとはまるっきり違っていた。
それはすでに見慣れた風景となっていたが、それでも彼女は気に入っていた。

そして今、その見慣れた風景からさらにかけ離れた景色を目の当たりにして、心からの感想を述べた。

「私も大好きです、よんた藩国。たぶん、メノウの次、ぐらいに」

笑顔の父にそんなことを言われ、メノウの心に恥ずかしさとそれとは別の想いが、顔をのぞかせていた。
その結果、思わず下を向いてしまっていた。

「ごめんなさい、気を、悪くしてしまいました?」

メノウが顔を上げると、かくたは少し心配そうにしていた。

「でも、本当の事ですよ。決して、冗談ではなくて」
「そこは勘違いしていません。お父さん」

お父さんは本当に自分のことを大切にしてくれているのだと、メノウは理解できていた。
同じようにメノウにとっても父は大事な人だった。

不意に、父が自分を見ていることに気付いた。
メノウが気付いたことに気付いたかくたは、微笑んだ。

「よく似合っていますよ」

メノウが着ているのは、昨日の夜遅くまでかかって選んだメイド服だ。
着付けも先輩メード達にチェックしてもらい、合格をもらった。
完璧な仕上がりである。

自信とは裏腹に、はっきりとお礼を言う前にメノウの勇気はしぼんでしまっていた。

「…ありがとう」

心の奥からやっと出た言葉は、桜の散る音にすらのまれてしまいそうだった。

「はい」

かくたは聞いていた。
聞こえてなくていいと思っていた言葉も、聞こえてしまっていた。

そんな不意打ちに対して、メノウは抗議の視線を父に送った。

「今日は、何を」

話題変えとしてはなかなかに不器用な感じである。

「メノウも正式に、メイド勤めをするようになったら、なかなか一緒にいられなくなってしまうかもしれませんからね」

メノウはすこし考えた。

「…そっちのほうが、結婚も出来るし、いいと思います」

ここまで自分を見てくれていたお父さんが、誰かと結婚するというのは少し複雑な気持ちがする。
だけど……

「まあ、よんた藩王のご成婚を見届け…ゲフンゲフン。んん」

なんだかんだでまともに進展しない藩王の恋路を思って、かくたは少し苦笑していた。
養父が、そうやって自分自身以外を優先する考え方をすることを、彼女はよく知っていた。
知ってはいたが、少し悲しかった。

メノウは悲しい時やつらい時に、気が紛れることをするようにしていた。
そしてそれは今、目の前の無数に舞い散る桜の花びらを掃き清めることに向けられた。
気を紛らわせるためとはいえ、日ごろの鍛錬の効果が現れ、周囲は見る間にきれいになっていく。
それは、普通の清掃員やお掃除ロボットが追いつくことは不可能な早さであった。

いわゆる『高機動メード』の動きである。

父であるかくたをお手本としてきたのだから、当然と言えば当然ではあるのだが。

「……メノウは、結婚してみたいですか?」
「いいえ」

―― そうじゃないんです

知ってもらいたい。けれど、知られたくない。

「そうですね、私もずっとメノウと一緒にいたいですし」

またしても笑顔の不意打ちだった。
メノウは何と言えばいいのか、分からなくなってしまった。

「お父さんだって、幸せになっていいと思います」

―― 幸せになってほしい

お父さんが幸せになれるなら、私から離れても仕方がない。
メノウは本気で考えている。

「私はもう幸せですよ、よんた藩王にお仕えできて、藩国のみんなと笑い合って、そしてなにより、メノウ、あなたが一緒にいてくれます」

そこにいたのは、いつもの優しい父だった

「だから私は今、幸せです」

―― それじゃだめなんです

「人の幸せばかり優先して…」

メノウは考える。
お父さんの周りは、お父さんにとって優先するべき事ばかりなのだ。私を含めて。
それならお父さんが自分自身を優先できるように、すればいい。
そのために私にできることは……

「私、メードになります。立派なメードに」
「はい、立派で、そして世界一幸せなメードになってください」

メノウは考える。
お父さんが抱えていることを、私がやればいいんだ。
私が頑張って、お父さんの手を煩わせることをなくしてしまえばいいんだ。
そうしたら……

「あなたが幸せなことが、私の一番の幸せなんですから」

メノウは言いかけた言葉を、決意と一緒に飲み込んだ。
そして、改めてかくたを見上げた。

「がんばります」
「はい」

かくたの笑顔に、メノウは決意を固くした。


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―― まったく、かわいい娘ですね

かくたは自分の娘から(片目で)射すくめるような視線を送られながらも、そう思った。
が、あえて口には出さず、頭をなでてあげることにした。

「期待、していますよ」

返事はなかったが、黙っていることが全部を物語っているのにかくたは気づいていた。

少しの間そうしていたが、メノウにも恥ずかしさの限界というものがある。
照れていることを隠すため、彼女は周囲を掃除しはじめた。
かくたがそれに続き、父娘デートは突然の掃除時間となる。

「しかし、華やかで綺麗ですが、少し掃除が大変ですね、この桜というものも」
「はい」

かくたからメノウの表情は見えなかったが、声は弾んでいるように聞こえた。

またたく間に二人の周囲が綺麗になっていく。
この親子の前では、いかなるゴミ・汚れであろうとも太刀打ちなど出来るはずもなかった。

かくたが何気なしにメノウを見ると、彼女は目線を上に向けていた。
メノウの見上げた先には、薄桃色に染まった天井が広がっている。
その天井からはらはらと舞い散る欠片たちを見て、微笑んだのをかくたは見逃さなかった。

「また、ここに来ましょうね、一緒に」
「次は、本格的に庭掃除のアイテムを持って」

メノウ、本気の目である。

「ええ」

笑いながら答えたかくたは、自分と同じメードとしての魂が彼女にも宿っているのを認めた。
微笑むメノウにつられて、かくたはさらに笑顔になっていた。

「なんで、この仕事をしようと思ったんですか?」

もっともな疑問である。
そもそもにして、よんた藩国における解き明かせない謎の一つなのだから。
親がどうしてその職業に就いているのか、というのはやはり気になるのだろう。

「人の、」

ひと呼吸置いてから言い直す。

「人の笑顔が見たかったから、ですね」

割と普通の動機であった。
笑顔で答えるかくたを、メノウは真剣に見つめていた。

「私のちからで、人が喜んでくれて、感謝してくれる。それが嬉しかったから」
「そう、ですか」

その意味を少し考えているのか、メノウは顔を一瞬だけ伏せた。
そしてすぐに答えが出たのだろう。

再びかくたに向けられた表情は、優しい微笑みであった。

「貴方の養子になれてよかった」

この言葉を心から言えることこそが、なによりこの言葉が真実であることを証明していた。

「ありがとう、メノウ。あなたが、」

かくたが言葉に詰まらないわけがなかった。

「貴方がそう思ってくれたことが、私の幸せです」

かくたの言葉を聞き終えたかどうか疑わしいタイミングで、メノウは移動を開始した。
その速さたるや、一般人からすれば風でも通ったのかと思うほどであった。
もちろん、その風が通った後には塵一つ残っていないのだが。





ある日、宰相府の誇るお掃除ロボットたちが不正挙動を起こしたという騒ぎがあった。
以下はロボットたちの行動ログを見た整備士による証言である。

「一部の掃除ロボ達が整備工場に戻ってきた時間が、いつもよりあんまり早いんでログを確認したんですよ。ログ自体には特に異常はなかったんですが、どうやら特定の区画をルート上に設定してあるロボ達だけが帰ってきてるみたいでした。
 何かのミスでどっかの区画を通り過ごしたのかと思って管理課に問い合わせたら、彼らはちゃんと仕事して区画はキレイになっている、って。まったく、わけがわかりませんよ。どう考えても1区画分くらいすっ飛ばした作業時間なんですから。
 え、『特定の区画』がどこかですか? 春の園の桜のエリアですよ」

その後この話は、信憑性が疑わしいとしていわゆる都市伝説のように語られている。