L:温泉街 = {
 t:名称 = 温泉街(施設)
 t:要点 = 湯,坂,浴衣姿
 t:周辺環境 = 藩国




温泉掘りのいきさつ

よんた藩国地下都市。
大規模な環境改善行った結果、風光明媚な半地下都市として生まれ変わった。
都市生活の利便性も向上し、この事業は成功だったと言えよう。
環境改善を行う前には、地下都市全体の状態を把握するための調査が大規模に行われた。
その項目の中に「水脈の調査」が含まれていたのだが、これがまさかの副産物を“掘り当てて”いた。

地面の温度が他よりも少し高い部分があり、どうやら地表近くまで水脈が上がってきていることが分かった。
この水脈を詳しく調べてみると、どうやら一度深い地層に潜り、この辺りで地表近くに上がってきていた。
地下都市の環境報告として、このことは藩王の耳にも入ることとなった。
そしてよんた藩王の一言。

「温泉かもしれないから掘ってみよう」

まさかの温泉採掘計画の始動である。


まずは入念な地質調査が必要になる。
とはいえ環境改善の際にかなり大規模に調査しており、温泉が掘れそうな地点を探し出すのは難しいことではなかった。

掘削地点の目星をつけたら、次は温泉を掘ることで起こる周囲への影響の調査と予測が必要になる。
特に怖いのは、水脈に流れ込む量よりも多く汲み上げることで起きる地盤沈下や崩落であろう。
対策としてもっとも簡単なのは、『汲み上げすぎないようにする』である。
おおよその水量については調査してあり、そのデータでは温泉として活用するのに十分な量が湧出するとされていた。

事前調査で特に問題が出なかったので、実際に掘ってみることになった。
資源採掘や地下都市の改修など、地面を削ったり掘ったりすることはお手のものと言える程度に経験を積んでいた。
手慣れた作業員達により工事は順調に進み、水の流れる地層に到達した直後にとても大きな歓声が上がったという。
よんた藩国はついに念願の源泉を手に入れることになる。


二つの源泉

計画通りに見事な源泉が湧き出たのだが、実は掘ったのは1箇所ではなかった。
水の流れから考えて、もうひとつ源泉を掘ることで別の泉質が得られる可能性があったのである。

源泉を掘る場所は少し距離が取られたのだが、二つ目の方は少し掘っただけで勢いよく湧出し始めた。
ただ、一つ目がかなりの高温であったのに対し、二つ目は源泉そのままで人が入れるくらいに温度が下がっていた。

その後、地下水の流れで見て上流が第一源泉、下流が第二源泉と呼ばれることになる。


湧き出した源泉を調査したところ、想定されていた通り第一源泉と第二源泉では泉質が異なっていることが判明した。
これは二つの源泉の間で別の地下水脈が合流しているため、その水脈の成分が泉質を変えているのだろうと結論が出された。
また、この合流によって極端な温度の低下が引き起こされていることも判明した。


第一源泉はナトリウム塩化物泉と呼ばれる泉質を持っていた。
名前の通り主な成分は塩化ナトリウム(NaCl)、つまり食塩である。
これはこの水脈が塩分の多い地層を通ってきていることになる。
その昔、海だった場所が層をなしているのであろう。
水温はそのままでは入浴できないくらいに高い。

第二源泉は二酸化炭素泉または炭酸泉と呼ばれ、二酸化炭素が多く溶けており、いわゆる『炭酸』の状態になっている。
第二源泉の前で合流した水脈が炭酸泉の特徴を持っているためであった。
合流したのは雨水や雪解け水を水源とする水脈であるため、水温は一気に下がっており、温かいというよりぬるい。
温泉として入る場合は少し温めることが必要である。
なお、成分的にはそのまま飲用水として使用することができる。


源泉の成分


【第一源泉】
  • 泉質:ナトリウム塩化物泉
  • 主な効能:切り傷や火傷などの外傷を含む皮膚病


【第二源泉】
  • 泉質:二酸化炭素泉
  • 主な効能:消化器病(飲用時)


源泉の管理と温泉街の整備

掘りあてた源泉は、そのままではただの天然の温泉である。
浴場や売店、宿泊場所など、周辺を整備してこそ源泉が“温泉”として価値を持つことになる。

まず源泉の湯の管理であるが、取水量の問題もあるため藩国が一括で管理することが決まった。
全ての源泉を国有とし、新しい源泉の掘削は基本的には認めないという方針が立てられた。
これは無作為な開発で前述の地盤沈下など、汲み上げすぎに由来する問題を回避するためである。

周辺の施設は藩国と契約することで、湯を利用することができる。
なお無料配布ではなく、管理料として少しだけ納める契約になっている。
これは、完全に無料であれば使いすぎることに対し鈍感になるのを防ぐためである。
ただ、管理料が負担になってしまい、周辺の価格に上乗せされては経済的にもよくない為、とても低い金額に設定されている。
藩国としては管理料で儲けを出すよりも、経済活動を活発化させる方が重要であるという考えからである。

管理料は、主に源泉の衛生検査や、安定供給のための配給設備の整備などの費用に使用されている。
また一部は国民へ返還の意味を込め、後述の公共施設での足湯などの維持費として使われている。

源泉では危険な成分が含まれていないか、病原菌などが繁殖していないかが定期的にチェックされる。
ここで問題が出た場合、周辺の施設への供給は一旦停止されるようになっている。
しかるべき対処が行われた後、安全が確認でき次第、供給が再開される。


温泉として多くの人に楽しんでもらうには、周囲の施設を充実させることが必要である。
温泉自体を楽しむための浴場、遠方から来る人のための宿泊場所、入浴用具やお土産などを買うための売店、などは最低限必要なものである。

まず一番肝心な浴場は、基本的な形となるように最初の一つを藩国が作ることになった。
少し大きめの浴場と脱衣所に、タオルや石鹸に軽い飲食物などが買える売店兼休憩所といったいわゆる銭湯スタイルのものに仕上がっている。
その代わり入場代は非常に安く、子供のおこずかいでも頻繁に来れる程度に抑えられている。
これは前述の経済活動を活発にすることを重視していることに加え、福祉的な意味も込められている。
また、毎月1日はよんた藩国民であれば誰でも無料で入場することができる、というサービスが行われている。

温泉にははるばる遠方からやってくる人も多い。そのため宿泊施設は必須である。
よんた藩国は建国当時より景観のための建築制限を行っており、巨大なビルなどは建てられないようになっている。
そのため、リゾートホテルのような巨大なものは無く、多くは民宿タイプで暖かみを感じられる作りが売りである。
宿の中には当然浴場があり、温泉を引いているところも多い。
立派な大浴場や露天風呂、個室の貸し切り家族風呂など各々が工夫を凝らしお客達を楽しませている。
また、泊まっていなくても入湯代を支払えば入浴できる宿も多く、いろんな宿を回ることで様々な温泉を楽しめるようになっている。
宿での食事にはよんた藩国が誇る海産物をはじめ、多彩な季節のキノコ料理などが振る舞われる。
ただ、宿の外にもたくさんの飲食店があるため、数日滞在する場合、何日かはあえて外で食事をする人も少なくないという。

宿と宿の間には多くの売店が立ち並び、そのほとんどが飲食店とお土産を扱う店である。
飲食店で目立つのは、温度の高い第一源泉の蒸気で食材を蒸しあげた通称“地獄蒸し”である。
使われる食材は、よんた藩国名物であるよんた饅の他、カニや貝などの海産物などが人気を博している。
また、第二源泉の湯を殺菌したうえで、砂糖を加えサイダーにしたよんた温泉サイダーも、子供たちを中心に人気が高い。

他にも、よんた藩国のもう一つの産業である文房具も、土産物として多く並んでいる。
温泉には直接関係ないようだが、他国からの観光客はよんた藩国の土産物として、こういったものを買って行くことがある。
土産物にはやや値が張ることになるが、後ほねっこ男爵領で細工を施した高級文房具を並べている店もある。
贈答用として申し分ない品であり、大事な人へのお土産に購入する人もいるという。


藩国民にもっと温泉を楽しんでもらおうと、環境改善事業などで作られた公園のいくつかには温泉が引かれることになった。
雨や雪よけとして屋根をつけ、椅子を作り、足湯が設けられた。
当然ながら自由に使えるように解放されており、衛生管理は藩国が人を雇い行っている。

よんた藩国を訪れた人が気軽に足湯で温まれるよう、同じような施設が環状線のよんた藩国駅近くにも設けられている。


犬用風呂について

よんた藩国には犬が一緒に入れる浴場が多くある。
人と犬がまったく同じように入ることができる浴場や、犬用の湯船が用意されている浴場など形は様々である。
これは昔から犬が人の近くで暮らしてきたよんた藩国の事情を反映したもので、観光客には驚かれる場合もある。
ただ、観光客向けにあえて人専用を謳う浴場も存在する。
もっとも、犬専用の浴場もあるという。

犬が入れる浴場は、犬の体で使いやすいように設計されている。
隣の洗い場との感覚が広かったり、低めの位置のシャワーがあったりといったように、大型・小型両方の体格を考慮されている。

なお、人も犬も大人も子供も関係なく入浴マナーは守るよう徹底されている。
湯船につかる前には、ちゃんと体を洗うように。


温泉の発展的利用研究

温泉を温泉としてだけでなく、もっと他の利用法がないか国内ではいくつかの研究がおこなわれている。
代表的なものは、温泉の熱で地面を温め農業を行う温泉農法である。
ビニールハウスを活用して南国系のフルーツなど他の地域の作物が育てられないか、など既存の農業の幅を広めるための研究が進められている。

他にも、温泉を活用した新しい料理のレシピなどの考案が数多く行われている。






とある一家の温泉旅行



がたんがたん、がたんがたん…

いつも通りの穏やかに揺れる地下鉄の座席に、満面の笑みで座る少女が一人。
名を『森野(もりの)』という。

今日の彼女の周りには、家族が勢ぞろいしていた。
両親と、どうしようもないシスコンの姉『海瀬(うみせ)』。
そして森野の大好きな(家族の構成上は一応)ペットの犬山さん。

「おじいちゃん、いっしょに来られなくて、ざんねんだったね」
「ほんとだね。でも、ぎっくり腰で動けないんだから仕方がないよ」
本当に残念そうな森野、諭すお父さん。

「ろくじいちゃんも頑張りすぎなんだよ。いい年なんだからちょっとは楽すればいいのに」
「また海瀬はそんなこと言って。そう思うならおじいちゃんに楽させてあげなさい」
もっともらしい軽口をたたく海瀬、さらっと皮肉を混ぜて返すお母さん。

ちなみに犬山さんは、森野の足元で伏せたまま目をつぶっている。

今日も、この家族は平和である。

/*/

一家がどこへ向かっているのかを説明するため、ちょっとだけ時間をさかのぼる。
それは先月初めの頃のことであった。

ある日、森野たちのおじいちゃんこと、ろくたは商店街で買い物をしていた。
なお買った物のほとんどは孫たちへの土産やらプレゼントやらである。
ちょうどその頃、商店街では福引ができる券が配られていた。
10枚集めれば一回福引が出来る、という内容のもので、その週末から福引が出来るとのことであった。

ろくたの買い物の結果、ちょうど10枚の券をもらっていた。
せっかくなので学校が休みであった森野を連れて、ろくたは福引に行くことにした。

福引は、色つきの玉が入ったケースのハンドルを回し、出た玉によって賞品を決めるという、いわゆる『ガラガラ抽選』であった。
福引が開始されてからまだ初日であったため、上位の賞品は全く出ておらず、下位の賞品もまだまだたくさん残っていた。
こういうものは子供にとってとても楽しいことであるため、もちろん森野もワクワクしていた。
それはろくたも十分に承知しており、森野にハンドルを回す事を任せた。

大役を任された森野は、一生懸命思いつく限りの神様とか偉い人とか犬山さんにお祈りしてからゆっくりとハンドルを回した。
がらがらがら、と景気の良い音とともに出てきたのは、金色の玉であった。

それを見たその場にいた関係者一同、凍りついた。
間違いなくそれは金色で、今回の福引で1本しかないはずの特賞を示すものであった。

一瞬の間をおいて、がらんがらんと大きな鐘の音が響き、大きなのし袋が森野に手渡された。
『温泉旅館 お一家族様御招待券』と、のし袋には書かれていた。

手渡すおじさんの目が少しうるんでいた理由は、森野には分からなかった。

/*/

一ヶ月かけて家族全員の都合を合わせ、ようやく出発になったのだが、前日になってろくたがぎっくり腰になってしまうというアクシデントに見舞われてしまっていた。
森野がこの日をとても楽しみにしていたのを知っていたろくたが気を使い、ろくたを除く家族で行くこととなった。

そういういきさつで家族4人と1匹は温泉旅館へと向かっていた。

電車を降り、駅を出るとすぐに目に入るのは、もくもくと上がる蒸気の筋。
その蒸気のようにまっ白で巨大な犬が、列をなして一行を待ち受けていた。
大きな犬の横で『寝犬荘』と書かれた法被を着た男性が、駅から出てくる人をうかがっている。

「寝犬荘のお迎えの方ですね。予約してました地原です」
「お待ちしてました。寝犬荘番頭のろくたと言います。皆さんをお迎えにまいりました」
「おじいちゃんと、おんなじ名前だ!」

お父さんが番頭さんに挨拶している間に、犬山さんよりも大きな犬に抱きついていた森野が声を上げた。

「急に来られなくなった父も『ろくた』なんです」
「ああ、腰を悪くされたとか。お加減は大丈夫ですか?」
「家でおとなしくしてる分には問題ない程度なんで、大丈夫ですよ」
「それは何よりで」

立ち話が長引きそうな雰囲気を察知したのか、横でお座りをしていた犬の一匹が番頭を鼻で小突いた。

「なに?」
「わんっ」
「え、『また怒られるぞ』? って、わ。すみません。お客様をご案内もしないで」

あわてて頭を下げる番頭ろくた。

「謝るほどのことでもないですよ。ほら」

そう言ってお父さんが顔を向けた先では、森野が大きい犬に思いっきり抱きついて、そのふかふかの毛に顔をうずめていた。

「思いっきり抱きしめることが出来て、娘は喜んでますし」
「そう言っていただけると恐縮です。では、宿の方へご案内させていただきます」

番頭はおもむろに森野を抱きあげ、犬の背に乗せた。

「落ちないよう、しっかりつかまっていてくださいね。宿にはこの子たちに乗っていきます」
「おもくない?」
「わんっ!」
「『問題ない』だってさ」
「おにいさんは、犬の言葉がわかるの?」

隣の犬に海瀬が乗るのを手伝いながら、ろくたは笑う。

「小さい時から一緒にいたからね。なんとなく分かるくらいだけど」

大きいカバンは海瀬が乗る犬にくくり付けられた。
一番大きい犬にお父さんとお母さんが二人で乗り、森野一人では危ないからとろくたが一緒に乗っている。
なお、犬山さんは本人の希望により、走っていくことになった。

「それでは出発します。ゆっくりめの駆け足程度で向かいますが、もしも早すぎて怖いなどありましたら、この子たちには直接伝えてください。万が一はぐれてしまっても、必ずこの子たちがお送りいたしますのでご安心ください」

/*/

温泉街までの道のりは犬がゆっくり走って10分ちょっとくらいかかるのだが、そのうちの半分くらいは坂道である。
駅から歩くとなるとなかなかの運動であり、子供やお年寄りには少し辛い行程になる。
そこで多くの宿は宿泊客を駅まで送迎するサービスを行っている。
送迎には車も使われるが、温泉街の中に入ってしまうと観光客が多いため、あえて犬に送迎を手伝ってもらう宿が多くなっている。
観光客たちにはおおむね好評なサービスである。

/*/

「んー最高っ」

大きく伸びをする海瀬。
その指先からはぽたぽたとしずくが垂れている。

「本当にいいお湯ね。お肌もなんかつやつやしてきたし、またキレイになっちゃうわ」
「またそんなこと言ってー。歳考えてもうちょっと発言考えt…」

お母さんの顔色を見て、ピタッと止まる海瀬。
一瞬の間のあと、「いやーやっぱり温泉気持ちいいねー」とか言いつつ、笑ってごまかす。

「おかーさん、おふろのあとはどうするの?」
「そうねぇ。ご飯まで時間もあるし、少し近くのお店覗いてみる?」
「あ、それなら森野、サイダー飲みに行こう。なんかおいしいらしいよ」
「犬山さんもサイダーのむかなぁ?」
「どうなんだろう? でも犬山さんって、性格的にジュースとか飲まなさそうな気がするけど」
「そういえばそんな感じするわね。硬派というか渋いというか」


一方その頃の男湯。

「どうだ犬山さん。かゆいところとか無いかい?」

お父さんの顔を見て、こくりと小さく頷く犬山さん。
濡れて泡だらけの犬山さんは、いつもよりほっそりとしたように見える。
ザバーッ と泡を流されすっかり濡れ鼠ならぬ濡れ犬状態である。
そして次は当然これである。

「わっ! 犬山さんちょっとまった!」

濡れた体を震わせ水気を周りに飛ばす。
幸い、今の時間はお客も少なく、被害にあったのはお父さんだけである。

「まったく…」

苦笑するお父さんをしり目に、犬山さんはさっさと温泉に浸かる。
ちょうどそのタイミングで番頭ろくたが犬を連れて入ってきた。

「大きい声が聞こえましたけど、大丈夫ですか?」
「あ、すみません。犬山さんにブルブルッと水気飛ばされて」
「ああー、こいつらもよくやるんですよ」

番頭と一緒に来た犬は、犬山さんの前で挨拶でもしているようである。

「そうだ。ついでなので、よかったら背中でも流しましょうか?」
「それはありがたい。じゃあお願いします」
「ところでお客さん、この後のご予定はもうお決まりですか?」
「特に考えてないんですが、夕食まではもう少しありますよね、確か」
「はい。ご希望でしたら早めることも出来ますが、よければ少し先の土産物屋に行ってみてください」
「なにかあるんですか?」
「お土産物を買ったり地獄蒸しが楽しめるんですが、実は私の兄がやってる店でして」

お父さんの背中をタオルでこすりながら説明する番頭。
慣れているのか、話しながらでも手際はいい。

「うちの旅館に泊っていただいたお客様には、名物の温泉を使用したサイダーをサービスしてるんです」
「それはいいね。娘たちも喜びそうだ」
「あと、ご主人は酒はいける口でしょうか?」
「楽しめる方ですよ。父が酒好きでね、それにつきあってたら楽しみ方を覚えたようで」
「でしたらぜひ、お勧めしたい酒場があるんです」

泡を洗い流しながら、番頭はちょっと声のトーンを落としながら話す。

「実はこっちも兄…私の2番目の兄がやってる店なので、身内が言うのもあれですが、なかなかいい酒を揃えてるらしいんですよ」
「どんなものを置いているんですか?」
「私が酒の銘柄に疎いものでまだ勉強中なんですが、バーボンがなかなか好評ですね。非常に香り高いとか」
「なるほど、楽しみですね。ぜひとものぞかせてもらいますよ」

背中も流し終わりセールストークも終わった番頭は、ではごゆっくりどうぞ、と声をかけ犬と一緒に浴場を後にした。



/*/

食事までは少し早い時間。
全員浴衣姿の森野達は紹介された土産物屋に来ていた。
なお女性陣は別々のデザインの鮮やかな浴衣を着ている。
これもまたこの宿のサービスで、宿泊客は浴衣をいくつかの種類から選ぶことができるようになっている。
特に女性物はシンプルなものから色鮮やかなものまで、豊富な種類を用意している。


何軒かの店が立ち並んでいるため、少し暗くなる時間にもかかわらず、この辺りは明るく賑わっている。
いくつかの店では熱いままの源泉を軒先まで引いており、ところどころ白い蒸気が立ち上る光景は温かみすら感じるものである。
なお引かれている源泉を使用して食材を蒸したり茹でたりしており、蒸気は少しおいしそうなにおいに満ちている。

一家はフロントでサービス券をもらい、土産物屋でよんた温泉サイダーを一人一本ずつもらうことができた。
軒先にはベンチがあるため、ちょっとした飲食ならその場で行えるようになっている。

「すごくしゅわしゅわいってるよ」
「ぷはーっ。結構炭酸効いてるね、これ」
「海瀬、あんた2本も飲んで大丈夫?」

森野が飲みきれないだろうとお母さんと半分ずつにしたため、一本余ってしまったものを海瀬が飲むと主張したのである。

「へーきへーき。ほら、胃腸にいいって書いてあるし」
「飲みすぎたら元も子もない、とお父さんは思うぞ」

海瀬が視線を感じ下を見ると、犬山さんがお父さんに同意するように頷いていた。

/*/

少ししてから部屋に戻ると、すぐに夕食が運ばれてきた。

「うわー、おいしそうだねー」
「ホントに結構豪華じゃない」

森野&お母さん、テンションが一気に上がる。

「…私、ちょっとだけ休んでから食べる」
「まったく、海瀬は相変わらずだなぁ」

犬山さんは、ちょっと同情してるっぽい視線を海瀬に送っている。

「それじゃ、温かいうちにいただこうか」

お父さんの一言で、海瀬以外が席につく。
いただきます、と手を合わせ、食べ始める。

本日のメインは、肉や魚介、野菜などの地獄蒸しである。
季節のきのこご飯や刺身盛りなども並んでいる。
犬山さんは犬用のメニューで、犬の舌に合うよう味付けされた肉などにかぶりついている。

ちなみに、この一家はよんた藩国に住んでおり特に反応しないが、どれもびっくりするほど量が多い。

/*/

部屋に布団が敷かれたころ、森野の事は海瀬に任せ、夫婦そろって宿を出る。
番頭に教わった酒場へ、たまには夫婦そろって飲みに行こう、ということになってのである。

「お父さんと二人で夜に飲みに行くなんて、ずいぶん久しぶりね」
「たまにはこういうのも悪くないな」

どちらからともなく腕を組む二人。
ふふふっと楽しげに笑うお母さんに対し、お父さんは少し照れくさそうである。
そのまま少し歩くと、小洒落た佇みの店が現れる。

「あら、ステキなお店じゃない。なんで来る時に気付かなかったんだろう?」
「表通りから入った、ちょっと裏手にあるからね。『大人の隠れ家』をコンセプトにしてるんだよ…って、番頭さんが教えてくれたんだけどね」

なあに、受け売りなの? と笑うお母さんのためにお父さんは扉を開ける。
カランと音を立てながら扉が閉まると、静かな温泉街が再び現れた。

/*/

翌日、朝のうちに温泉に入り、やっぱり豪勢な朝食もいただき、温泉旅行を満喫した森野たち。

「さてみんな、忘れ物はないかい?」

そろそろ帰宅の時間である。
それぞれ自分の荷物を確認する。

「こっちは大丈夫よ」
「バッチリ!」
「だいじょうぶ」
「わんっ」

受付へ向かうと、既に番頭ろくたが犬達を連れて待ちかまえていた。

「おくつろぎになれましたか?」
「ええ、おかげ様でゆっくりと過ごせましたよ。ありがとうございました」

森野も海瀬もほくほく顔である。
お母さんは、お肌つるつるになったかしら? と自分の頬を撫でている。

「それでは駅までお送りしますので、外へどうぞ」
「おとうさん、また来ようね?」
「今度はおじいちゃんも一緒に、だね」

お父さんはおじいちゃんへのお土産のバーボンを森野に見せながら、そう言った。





イラスト:小野青空
テキスト:雷羅来