『クエルクス』その重い扉を開いた私が最初に出来た事といえば、そう。

今思い出しても全く恥ずかしいが、ただ呆然と立ち尽くす事だった。

                     ~植物学者の手記~より




「いらっしゃいませ。お待ち合わせでしょうか?」

扉の前で呆然と立ち尽くす私を心配してか、店のバーテンダーが話しかけてきた。

どこまでも滑らかなシルクの様なピアノの旋律に心奪われていた私は、二度目の「お客様?」の声で意識を取り戻す。

明らかに不審な私の様子に反して、その声に不審な所は無く、その表情は店同様に私を暖かく包み込むような静かな優しさに満ちていた。

「あ、いや。独り、です。」

「かしこまりました。では、こちらのカウンターへどうぞ。お召し物はどうぞあちらへ。」と言いながら大きめのタオルを差し出してきた。

雪で真っ白に染まったコートの雪をタオルで払い壁に掛ける。

壁には他にも数着のコートが掛けられており、店を見渡せば12程ある席の半分が、静かに曲に聞き入る青年や小声で談笑する老夫婦で埋まっていた。

しまった、せめて雪くらい払い落として入るべきだった。と内心恥じ入る私に、バーテンダーは‘今日は大雪で大変でしたね’と優しく言いながら、程よく蒸したタオルを差し出した。

カウンターに座り冷え切った手を温めながらも、私の視線は店の奥でピアノを弾いている女性に自然に向く。

ピアノを弾く彼女は北国人特有の触れば赤くなるような、そんな透けるような白い肌と長い髪を淡いライトに浮かびあがせながら演奏していた。

それはとても幻想的な光景で、まぁ、その、綺麗だった、、、って何を言ってるんだ。僕は。

ただ、彼女が、リンネがただ1つ普通のピアニストと違ったのは、そう。

彼女の弾くピアノには楽譜が無く、二つの瞳は鉢巻を巻くように黒色の布で覆われていた という事だった。


「ご注文はいかがなさいますか?」先ほどのバーテンダーが私の前に立つ。50歳前後だろうか。
年齢と共に魅力を増すような顔には柔らかな微笑みがあり、スッと伸びた背筋には厳格な職業意識が感じられた。

「ん・・・、そうですね。恥ずかしながら、私、今まであまりこういったお店に来たことが無いもので・・・、何かお勧めなんかありますか?」

バーテンダーは「お任せください」と言い天井に目を向け2、3秒思案すると、その背後に並べてあるボトル群から2本を取ると何やら作りはじめた。

取って付きのマグに琥珀色の液体と、蜂蜜だろうか何やら粘性の液体、レモン果汁が注がれ混ぜられる。

そうして、ちょうど「J」の形のスプーン(後で聞いたらレードルと言うらしい)にもう一方のビンの液体を注ぎ、それに火をつけた。

薄暗い店内で、私の周りだけが青白い炎の灯りに照らされる。

燃えるレードルの液体がマグに注がれ勢いよく混ぜられた後、私の前に出された。

「これは・・・」

「アバディーン・アンガス。雷鳥の多い原野で猟をした後は、このカクテルに限る と昔からこの国の猟師はいいます。そして、これは私からの心ばかりの歓迎の印です。ホット・カクテルですので冷めないうちにどうぞ。」

その言葉に内心驚きながらも、私はそのカクテルを口にする。

芳醇なスコッチの香りと、蜂蜜の甘さ、そして若干のハーブとレモンの風味。そのどれもが互いに絡み合い、喉を通り過ぎてゆく。まるであの青い炎が体の中に宿るような、そんな元気の出るカクテルだった。

「・・・美味しい、です。本当に。とても。・・・でも、歓迎というのは?」

そう言うと、バーテンダーはどこか楽しげに話し出した。

「先程までこの店に藩王様がいらっしゃいまして、お客様と同じ物を出させて頂いておりました。」

美しい旋律のピアノ曲が終わり、少しだけアップテンポなものに変わる。

「ですが、また城を抜け出していらしていたのでしょう。史族のかくた様と蒼麒様がいらっしゃいまして、『新国民の方がいらっしゃってるんですから』と言って引っ張っていかれました。」

あぁ、と私は頷いて唇を綻ばせた。だからあの藩王様は首根っこ捕まれて入って来たのか。

「ですが、なぜ私がその新国民だ、と?」

「お客様を観察することも、私どもバーテンダーの大切な仕事のひとつでございます。」

そう微笑しながら、私の手荷物の藩王の印の入った書簡を見た。

「なるほど、凄いですね。私、植物研究をしている槙と申します。藩王から文士の仕事も仰せ遣ったので、それと兼業ですが」

「ご丁寧にどうも、私はこのバー『クエルクス』のマスターをしているアルバ、と申します。そして、今ピアノを弾いているのがリンネ。よんた国へようこそ。槙様。国民を代表して歓迎いたします。」


     *         *     


結論から言えば、私は以後この店『クエルクルス』の常連となった。

森の小屋に住み、雄弁とは言えない木々達と大半の時を過ごす私にとってこの店は数少ない社交の場となり、様々な人達との出会いや別れもこの店から生まれる事になる。

とはいえ、それまた別の話である。

今はアルバさんとリンネ。あぁ、それからもう一人知り合った彼に話を戻す事にしよう。


私がアルバさんと今日の城での出来事(移住と植物研究の申請が藩王の「うん。いいんじゃない?」でアッサリ通った事、その後藩王が執務室へ引っ張られ行った事)を話していると、緩やかなディクレッシェンドで曲が終わった。

周囲から拍手が上がり、私も遅れてそれに追随する。

「素晴らしい演奏ですね。彼女、リンネさんでしたっけ。えと・・・・あの目の布はそうゆー演出なんですか?」

そう能天気に尋ねる私。今思い出しても心臓がズキリと痛む。何て失礼な事を言ってしまったのかと。

その問いにアルバさんが答えるより前に、横合いから言葉が飛んできた。

「あんなぁアンさん。そんなやすけない事聞くもんやないで。」

そう話し掛けてきた青年の第一印象。目つき悪い、左耳他にピアス、言葉の意味は良く分からないが好意的な意味では無いだろう・・・つまり怖い。

びびる私を見て、アルバさんが静かに口を開く。

「ヒロキ様。この方はこの国に来られたばかりで、リンネの事は何もご存知では無いのです。ですから決して悪意で仰られた訳では、、」

「せやかて、、」

「あらら、なにか揉め事なの?」

思わぬ方向からの声と声色に、私と青年が同時に振り向くと彼女が、リンネが立っていた。

「や、そんな大した事や無いんやけど、この男がしょーもない事言うもんやさかい・・・」慌てたように答える青年。

ふぅーんと言いながら私の隣にスッと座る彼女。その眼には相変わらず布が巻かれていた。

私は私で展開に着いて行けず、ポカンとしていた・・・・が、それを見て一つの可能性に気付く。気付いてしまう。

「あ・・あの、僕もしかしてとんでもなく失礼な事を・・・・」

狼狽する私にアルバさんは言う。

「いいえ。槙様に非はございません。確かにリンネの眼は光を失っていますが、この布はこの子が望んで着けているもの。つまりはひとつの演出でもありますから。」

「ありゃりゃ、なぁんだそんな事だったの?」

当の本人の話であるのに、この場で一番能天気にそう言った後、おもむろに息を吸い込むと

「そぉーぅなのです!この黒布こそ、北国の盲目天才美少女ピアニストこと私リンネ・フォレストのトレードマーク!個性!しょうちょー!!いやいやぁ、私も色々考えての事なんですよ?だって盲目天才美少女ピアニストですよ?こんなオイシイ設定活かさない手は無いじゃないですかー。そう!いずれは私のこの悲しくも輝かしい経歴は小説化、ドラマ化、そして映画化!全ワンワンが泣いた!!カミング・スーン!!!ですよ。そんな時、天才盲目美少女ピアニストがレ○・チャールズみたいに厳ついグラサン掛けてたらどうです?駄目でしょう?萌えないでしょう?と、こ、ろ、が!この黒布だとアラ不思議。白い髪と白い肌に黒の神秘的なコントラスト!やっぱりこーゆーのって大切だと思うんですよねぇ。あーイッキに喋ったら喉渇いちゃった。ねぇパパぁ、アタシにも何か作ってー。んーシンデレラがいいなぁ。」

「お前は水でじゅうぶんだ。」

「・・・・・」

「・・・・・・・」

「あ、あの、リンネさんって、いつもあんなテンションっていうかマシンガントークなんですか?(ヒソヒソ)」

「俺もしょっぱな聞いたときは驚いたわぁ、ホンマに。(ヒソヒソ)」

「何というか、余りにも初回のイメージとギャップが・・・(ヒソヒソ)」

「そこはまぁ、慣れや、慣れ。アレで結構可愛い所も多いんやで(ヒソヒソ)」

「と言うと?(ヒソヒソ)」

「最初の頃は『盲目天才美少女』が言えんでなぁ、『盲目てんしゃいびひょうじょ』って噛みまくりやった(ヒソヒソ)」

「あぁ・・・それは可愛いですねぇ(ヒソヒソ)」

「裏で練習とかしててなぁ(ヒソヒソ)」

「微笑ましいなぁ(ヒソヒソ)」

「・・・・・」

「・・・・・・・・」

「ッぷはぁ、いきかえるー。ん?何か言いました?お二人さん?」

『いえいえ!何も!?』はもる二人。

その後互いを見つめ合う。

「すいませんでした!わざとじゃ無いとはいえ、あんな事を言ってしまうなんて!」

「いやいや、僕もよう事情しらんのに口出したりして堪忍なぁ。マスターもおやかまっさんでした。ホンマに。」

そんな私達を見てアルバさんは微笑むと、私達の前におもむろにグラスを差し出した。

「これは?」

「アフィニティ。ある国の言葉で‘親しい関係’を表します。私からお二人への気持ちです。」

私達は互いを見つめるとグラスを手に取った。

「僕の名前は槙。槙 昌福。貴方との出会いに感謝を。」

「俺の名前はヒロキ。まぁ、同好の士や。なかようやろうな。」

そして私達は互いのグラスを鳴らし、アフィニティを飲む。

それは、スコッチとベルモットが複雑に絡み合いながらも、互いを引き立てる実に不思議で最高の一杯であった。


語るべき話は尽きないが、今日はここまでとしよう。


『クエルクス』その重い扉を二度目に開いた私には

共に語らう友人、優しき主人、そして少しだけ気になるピアニストがいた。

                       ~植物学者の手記~より

(文:槙 昌福)