タイトル「藩王宣言の夜」


あの日の事は、今でもよく覚えております。

何があったかって?

申し訳ありません。それは私とあの方だけの秘密なのです。

                    ~あるバーテンダーの言葉~



冬の京に敵が侵攻の報を受け、藩王が臨戦態勢を宣言したその夜。
忙しく働く人々の喧騒を他所に『クエルクス』には「Reserved」の文字が掲げられ、訪れるはずの一人をただ静かに待っていた。


そうして昼間の演説で大騒ぎになった町がようやく眠りに付き、街灯と僅かな星明りだけが白い雪を照らす頃

キィィ、パタン

その扉は開かれた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。藩王様。」

黒い外套を染めていた雪を慣れた手つきで落としながら、よく俺が来るってわッかりましたねぇ と暢気に返す藩王。
その顔には疲れこそ見受けられたが、普段と何ら変わることの無い明るい表情であるように見えた。

「私も昼間の演説は聞いておりましたから」そう言いながら藩王の外套を受け取り壁に掛けると、ドアを開け「Closed」にするアルバ。

藩王は「そっ・・・・か」とだけ言い、眼を閉じ軽く息を吐くと自分以外誰もいないカウンターに座った。

その日の店には、馴染みの客の聞き飽きた話もリンネの奏でるピアノの音も無く、ただアルバがグラスを磨く微かな音と、スピーカから静かに流れるジムノぺティだけが聞こえていた。

「今日は‘ご注文は?’とは聞かないんですか?マスター。」珍しく難しい顔をして、グラスを磨くアルバに尋ねる藩王。

アルバは手を止めると、観念したかのようにゆっくりと口を開いた。
「だご様がこの国を出られる前日の事でございます。この店においでになり、私にこう仰いました『自分にもしもの事があった時、藩王に出して貰いたいカクテルがある』と。」

張り付けられていた薄い笑顔を剥ぎ取り、その言葉を静かに聴く藩王。今日彼がこの店に足を運んだのも、かの友人の別離の言葉に従ってのことであった。

「私は一度はお断りしたのですが、余りの熱心さに負けて結局お受けする事にいたしました。お代も既に頂いております。」

「で、そのカクテルってのは?」

「・・・・ギムレットでございます。」

そのカクテル名を聞いて、アルバが難しい顔をする理由を察した藩王。

アイツにそんな可愛い趣味があったとはねぇ と内心で呟きながら、今自分が言うべきただ一つの台詞を紡ぎ出す。

「ギムレットには・・・・まだ早すぎますよね。」

「はい、まだ藩王様にはそれを飲む前にやるべき事があるはずです。」

満足そうにそう言うと、アルバは一杯のカクテルを作り始める。

ライ・ウイスキー 、ドライ・ベルモット、カンパリ これらを均等にミキシンググラスに注ぎステア。そうして出来たカクテルが

「『オールド・パル』古き良き友人という意味のカクテルでございます。」

それだけを言いグラスを差し出すと、アルバはカウンターを出て早々と帰り支度を始めた。

藩王は黙ってグラスに口をつけると、その優しい甘さとほろ苦さに眼を瞑る。

コートを着込み、扉に手を掛けるアルバの背中に声が掛けられる。

「ねぇ、マスター。全部、今回の事が全部終わったら、俺、ギムレットを飲みにまた来ようと思います。だから、」

「えぇ、勿論です。私はその時まで店と約束を守り、貴方様はそうなる様に国と誇りを守る。その時が来る日を心待ちに致しておきましょう。では、今夜だけはごゆっくり。」

そうして扉が閉まると

その日初めて、よんた藩王は声を殺して泣いた。


                              おわり
(参考)

ジムノペティ・・・・エリック・サティ作曲のピアノ曲。もともとは鎮魂歌であると言われている。


ギムレット・・・・レイモンド・チャンドラー著のハードボイルド小説の金字塔「長いお別れ」に登場するカクテル。「~にはまだ早すぎる」は物語の核となる台詞。作中ではギムレットを飲む事は完全なお別れを意味している。



(文:槙 昌福)