その日はそう、少しいい事があってなんとなく遅い時間まで出歩いていたの。
今考えれば、きっと全てがあの時あの場所にいるための伏線だったに違いないわ。

~~~ 裕樹君捕獲大作戦 番外編 「寒い晴れた夜は声と電波がよく通る」 ~~~

とある月の綺麗な夜、白銀に照らされた道に女が一人。
口元を綻ばせながら歩いている。

どうでもいいが、この書き出しには犯罪の匂いがする、と書きながら思った。
まぁ、本当にどうでもいいので本文に。

歩いているのは、なんだかとっても嬉しそうなグラジオラスである。
嬉しそうなのも当然、今日の彼女はとっても幸運だった。

お昼ご飯では、いつも混んでいる食堂に並ぶこともなく入れた上に、
普段ならとっくになくなっているはずの“特製定食ユミスペシャル”(1日10食限定)の最後の1食にありつけた。
溜まっていた仕事も一気に片付いて、定時で終業。
道を歩けば500わんわん拾い、試食した新作よんた饅は絶品だった。

そんなこんなで何となく帰る気分にならず、適当に店を覗いたりしていたら、いつの間にか人っ子一人いなくなっていた。
そこで今日の出来事を振り返りながら、ようやく帰る事にしたのだった。

つと目を上げた先には、白衣の女性が一人。
月明かりに照らされた眼鏡がその瞳を隠していたが、周囲に漂う悲しみまでは隠し切れてはいなかった。

普段なら、きっと何かあったのだろうと通り過ぎていただろう。
ただ、今日の彼女には一人で悲しんでいる人を放っておくような選択肢はなかった。

「綺麗な月ですね。」

いろいろ考えた結果、とりあえず無難な話題で話しかけるべきだと思ったのである。
別にグラジオラスのボキャブラリに問題があるわけではない。

彼女はピクリとも動かない。

きっと、頭が何かでいっぱいなんだと思う、グラジオラス。
私だって急に話しかけられたのに気付かなくて、時々真砂姉ぇに怒られるもの。

「今日の月はいつもより綺麗ですね。」

さっきのが実は聴こえていたら恥ずかしいので、少し言葉に変化を加える。

――― ええ。

静かな声だった。
というより、心の声のようだった。


彼女は月を見上げたまま、語り始めた。

とても好きになった人がいる事。

彼には彼自身も気付いていない想い人がいるようである事。

彼にひどい事をしようとした人を止められなかった事。

なによりも、自分が彼の側にいるだけで彼に禍いが降りかかってしまう事。


グラジオラスはただ聞いていた。
こういう時はとりあえず聞いてあげるのが親切だと思った。

一度も口を開くことなく語り終えた彼女に、何か言葉をかけてあげたくなった。
しばらく考えて、口を出たのは一言だった。

「希望っていうものは“だからどうした”と言い続けることから始まる、そうです。」

それは、グラジオラスではない誰かの言の葉だったのかもしれなかった。

彼女は一瞬だけ、驚いた表情でグラジオラスを見た後、その美しい微笑みを見せた。

グラジオラスが瞬きをした後には、月光満ちた道だけがあった。
もう一つ名残があるとすれば、グラジオラスのえもいわれぬ充足感だけである。

ちなみに、彼女が昼前に出会った裕樹についていた女神だと気付いたのは、翌日になってのことである。




ところ変わって、とある屋根の上。 月と雪に照らされた男がひとり、明るい月を眺めている。
風のないこの夜に、白くはためくマントに包まれて。

「あー、そんな恐い顔せんでも。せっかくの美人さんやねんから。」

音もなく現れた彼女に、振り向きもせずに言い放つ。
足跡を残さずに近付く彼女に呼応するかのように、マントがはためき光を散らす。

「と言っても、恋のお相手やないから、あんまり関係ないか…。」

軽いため息とともに、昼間、仕事ついでにトラップを仕掛けた相手を思い出す。

(まったく、裕樹はんも面倒持ち込むんやから…)

おもいっきり自分のことを棚どころか、空の彼方に追いやった言い草である。

「あ、そうそう。ふーこさん…やったな、手紙預かってるんや。…うちの師匠から。」

いつの間にか取り出してあった紙切れを、肩越しに差し出す。

吹きもしない風に導かれるように宙を舞い、ふーこと呼ばれた彼女の手におさまる。
月明かりを頼りに読み進め、読み終わった途端に手紙は風にさらわれた。

「にしても、あの師匠もたいがい悪人やねんから。弟子にくらいちゃんと会って話したらええもんを…。」

すでに彼女が立ち去っていると知っているため、ただの独り言である。

その手には雷羅来に宛てられたもう一通の手紙が握られている。


『 親愛なるバカ弟子へ

   あまり女性を哀しませるな。

  追伸:お前のまんとには魔法をかけてある。その効果で今夜くらいは彼女と話せるはずだ。』


「……とりあえず帰って寝よか。明日は裕樹はんに埋め合わせしたらんとあかんしなぁ。」

(寝たらこの首も治るやろか…?)

来は今朝寝違えたらしい。
余談ではあるが、このあと足を滑らせ、屋根から落ちることになる。


(文:雷羅 来)