目の前に降り重なってきた黄金色の鬣に、何事かと目を見張った。
眼前には、凍りついたかのような表情で、自分の上に覆い重なるネメアがいた。朦朧とした頭で、娘は飲み込め切れない状況を理解しようと、霞みかかっている頭を軽く動かした。 ずきりという頭の痛みと、視界に飛び込んで来たテーブル上の酒瓶。床にも、同様に空となった瓶が転がっている。調度品は猫屋敷のもので、恐らく自分が横たわっているのはベッドだろう。 (ああ、そうだ。わたし、母さんに別れを告げてから、ここに来て――)
仲間たちに心配かけさせやがって! と大分叱られ、理由を述べると呆れられた。当初から一緒に旅をして来たレルラ=ロントンからは「想像はしたけれど、実行しちゃうところが詩人と英雄との違いだね」と言われた。とにかく無事で良かったと笑いあい、仲間たちを呼び出してその晩は(慎ましくも猫屋敷で)盛大に祝いあった。 こんな事をしている場合じゃないと呟く、レムオンやベルゼーヴァも何だか楽しそうに見えた。口喧嘩に発展しそうな場を、冷静に止めるザキヴが面白かった。宴の最中、ヴァンが何度も連発する冗談を、鼻で笑うセラも良かった。暴れ出しそうになったヴァンの仲裁に入った、ナッジとロイがまた面白かった。 エステルと魔法の話をしていたユーリスが、勢いに乗って外へと飛び出し、魔法を使おうとしたから驚いた。止める間もなく使われたが、猫屋敷は壊れることなく、ただ、遠くでどぉんという音がして、夜空からきらきらとした光が落ちて見えた。魔法を使う度に、どぉん、どぉんと音がする。夜空でそれは、まるで花みたいに咲いては散った。綺麗なモンだね……というカルラの言葉に、アイリーンは静かに頷いた。その言葉にユーリスは満面の笑みを浮かべて振り返ると、ぱたりと倒れた。慌てて駆け寄ったら、すぅすぅという寝息が聞こえた。失敗なのか、そういう魔法なのか、聞けずじまいだった。
宴はまだまだ止まらない。レルラ=ロントンのハープの音色に、リズミカルなルルアンタのステップが重なる。興の乗ったアンギルダンとレーグが腕相撲をすると言い出した。両者ともに良い勝負だったが、全く進退つかないさまに、イオンズが朝になってしまうぞ! と笑いかけた。ふたりとも、ふっと力を抜いて、笑った。手を離して、握手した。戦者ふたりとその場の勝者に、デルガドから祝いの盃が手渡された。
フェティとオイフェとケリュネイアが言い争いをしていた。何事かと思ったら、ナジラネのパンケーキとナジラネのソースゼリー、ナジラネのドライフルーツに関して話をしていた。どれが良いと思う!? と噛み吐かれそうな風情で言われたので、スライムのあんかけが好きだと答えると、今はスィーツの話をしてるの!! と三人から怒られた。仲が良いのか悪いのか、分からないなと思った。
ヴァイライラとヴィアリアリが二人きりで佇んでいた。声をかけると、どこなく居心地悪そうに二人は笑んだ。こういう場には、慣れないらしい。わたしも、あまりこういうことは無いから、分かるけど……と呟くと、兄さんも!? とヴィアが言った。すぐに、言葉の違いを詫びられた。気にしなくていいと笑んで答えた。何だか胸が痛かった。
これからどうするのですかとヴァイに聞かれた。旅には出ると思う、と答えた。では、良ければ自分たちも……と告げられた。頭を振った。三人で居たいんだ! とヴィアが言った。やはり、頭を振った。何故だか分からないけれど、駄目だった。本当に何となくだけど、求めているのは、自分ではないと思った。
肩を落す二人を両腕でそっと抱くと、小さい頃母がやってくれたように、二人の頬にキスをした。それからそっと身を離すと、自然、三人とも目が合って、泣き笑いのような笑みがこぼれた。ふたりでやって行きますという、ヴァイの言葉に頷いて、もう一度二人を抱き締めると、身を離した。
名を呼ばれ、オルファウスやネモと飲み比べをしていたゼネテスらの傍らに行くと、ネメアが居た。こちらを見ていただろうに、ゼネテス達は何も言わなかった。ただ、お前も今日は飲んでみろ! と盃を差し出され、助けを求めるようにオルファウスを見ると、にこにこと笑むばかりで何も言わない。ネメアを見ると、こちらは全くの無表情。ネモは、だからお前、ガキ扱いのままなんだよとからかいの言葉を投げてくる。腹が立って飲み干した。
(ああ、そうか、それで――) 恐らくそこで眠ってしまい、見かねたネメアが運んでくれたのだろう。そう解釈して、娘はいまだ固まったままのネメアにひとつ破顔した。
「ありがとう。運んでくれて」 言葉に、一瞬目を見張った後、ネメアはゆっくりと身を起こした。自分も少し、身を持ち上げて、部屋を見回す。随分と、静かだった。
「皆は?」 「――この家では、休みきれないので、一時、休める場所に戻ってもらった」
そっか、と呟く。ならば、自分も母の元に戻してもらった方が、ベッドを取らずに済んだかも知れないと思い、聞くと、 「お前一人くらいならば、問題無い」 と告げられた。
「でも、ネメアも疲れてない? オルファウスさんは? まだ、ひょっとして、飲んでる?」 「父は、朝食の材料を採りに行っている。ケリュネイアも一緒だ。ネモは寝ているが」
ネメアの言葉に、元気だなぁ、と苦笑する。だから、とネメアが言葉を続ける。 「――気にせず、休んで良い」 「ありがとう。でも、もう、大分休んだよ。ねぇ、ネメアは平気なの?」
「私は――平気だ」 「じゃあ、話をしよう。――まぁ、わたしはあまり、話すの、上手いほうじゃないんだけれど」
そう、微苦笑を浮かべながら、ぽんぽん、と自分の座っているベッドの隣を軽く叩く。ネメアは少し間を置いてから、軽く頷くと、腰掛けた。ベッドの片側が、深く沈んだ。
窓の外から、虫たちの小さな声が響いてくる。二人とも、しばし黙したままベッドに腰掛けていると、ネメアは。という、娘の声がした。 「ネメアはお酒、強いんだね」
こちらを見上げ、そう言って来た娘と目線を合わせる。まだ酒気が残るのか、やや赤味を帯びた細やかな首筋が目に入り、目を逸らした。 「――父があれだ。 ――厭が応にも、付き合っていると、そうなる」
そっか。という短い答えが返った。娘は曲げていた両膝を伸ばし、少し遠くを見るようにして、言葉を続けた。
「じゃあ、うちとは逆だね。母さんは、お酒を飲まないひとだったから。 うちは、料理屋だったから……朝とか早くに支度しなくちゃいけなかったから、アルコールは飲まないんだって、母さんが言ってた」
娘の言葉に、そうか。と答えた。 娘が魔人である「告げるもの」アスティアを母として慕っているということは人づてに聞いた。聞いた当初はそういうこともあるものかと怪訝に思う気持ちもあったが、娘に逢う度に、納得した。
「無限のソウル」というだけではない、どこか人間でありながら人としての常識を超越するような感覚。生い立ちを聞けば「ああ成る程」と納得するような空気を娘は持っており、それは同時に、半魔であり、同じく円卓の騎士であるバルザーや、魔王バロルを手に掛けたネメアの心に、波紋を呼びかけるものでもあった。
魔人・アスティアはこの娘を愛し、恐らくはこの娘も、母を愛したのだろう。
――魔人が、多少の酒で酔うはずが無い。 思うに娘に言ったことは詭弁であろう。だが、そこから「母らしくあろう」とする、アスティアの想いが見てとれ、それに知ってか知らずか、応えている娘の姿が見てとれた。
「ああ、でもね。かわりにお茶は好きなんだ。 ふたりでね、朝ご飯を食べた後、母さんはカウンターの掃除やお客に出す料理の準備をして、私はその間に部屋の掃除とか、洗濯とかをしてね。お店を開く頃には、もう何人かお店の周りに集まっているんだ。オズワルドは小さな町だから、もう大忙し! ってほどじゃないんだけれど、それでも、忙しい時は忙しくてね、わたしも母さんも、くたくたになるんだ。
お昼時を過ぎると、ようやく一段落してね、そこでやっと遅めの昼食をとるんだ。母さんも大変だったのに、ご苦労様って、わたしに言って、お茶を淹れてくれるんだ。 別に高くもないお茶なんだけど、母さんはとても淹れるのが上手で、美味しかったよ。わたしも何度かやってみたけれど、母さんみたいには淹れられなかった。こっちに来て、お店のものも飲んだけれど、やっぱり、違うんだ。お店のも美味しいけれど、わたしは、母さんの淹れた紅茶が好きだった」
と、そこで、ほんの少し照れを交えたかのように、娘はくすくすと笑った。
「あれから母さんに淹れてみたんだけど、やっぱり駄目だった。難しいものだね。 ――あ、ごめん。わたしばかり話して、つまらなかった?」
はっと気付いたようにネメアを見ると、ネメアは軽く、頭を振った。 娘の話は、寧ろ快かった。ただ、少し、ちくりと胸を刺すものがあった。 だが、娘はそうしたネメアの心中に気付こう筈もなく、ただ、肯定的に受けたさまに破顔した。
「良かった。わたし、いつもレルラから叱られるんだ。『日常を愛するのは美しいけれど、それだけじゃ僕の心は物足りないよ! 君のお母さんがお客さんの舌を満足させたみたいに、僕の心を満足させてよね!』って」
娘が口真似をして詩人の言葉を述べる様に、思わず笑みがこぼれてしまう。詩人の目とは厳しいものだ。と言葉を返す。
「うん。そう、とても厳しい。 ふふ、でも、わたし、お陰で色々助けられたよ。詩人の知識って、凄いんだなぁって」
「私は――お前の方が、凄いと思う」 娘の目を、ひたりと見据えた。
「魔人によって育てられ、魔人に愛することを教え、本来ならば敵対すべき者たちを繋ぎ合わせた。母を救うために破壊神をその身に宿し、母を救った――何故だ。何故――そうした。何故――そこまで、出来る?」
ネメアからして、娘の行動は謎に満ちていた。「無限のソウル」だからではない、「魔人の娘」だからでもない、「何か」が娘のにあった。この娘を動かすものが何なのかが、知りたかった。
何故って……と、娘が呟いた。瞳をネメアから逸らさぬそのままに。
「『そうしたかった』からだよ……。 だって、そうじゃない。母さんがいないままなんて寂しいし、皆がいがみ合ったままなんて、悲しいよ。
母さんが戻って来てくれたら嬉しいし、皆で仲良くやれたら楽しいよ。 前に、ヴァシュタールからも言われたことなんだけど、私は私がそう思ったから、そうしただけにすぎないよ。 それに、私は――」 と、そこで。珍しく娘は俯き、呟くような小さな声で、そっと告げた。
「――どうして、出来ないのかのほうが、わからないよ――」 怯えるような、抑揚だった。
「皆、凄いって言うんだ。『英雄』だって、『勇者』だって。そんなの、分からないよ。わたしはわたしだよ。単なる冒険者だよ。わたしは確かに、ノーブル伯で剣聖で竜殺しかも知れないよ? でも、それだけじゃない。それはわたしがそうしたいと思って、やって、それから付いて来たものに過ぎないよ。
権力を持つのって、凄いんだろうか。力あることって、凄いんだろうか。わたしは全く、そう思わないよ。 ――――『変』だって――――」
ぎゅっと、娘は、膝に置いていた手で己の衣服を握り締めた。 「なかまの皆は言わないけれど、他の冒険者たちはそう言うんだ。わたしのこと、『変わってる』って、わたしだけじゃない、みんなの事まで――!!
言われることは、別にいいんだ。でも、壁があるんだ。上手く言えないけれど、わたしたちと他とは違うんだって、壁があるんだ。それが、すごく、悲しい…… わたし、ナッジがパーティから離れた時、止められなかった。すごく悲しかったけれど、ナッジの気持ちも分かったから、止められなかったんだ。――迎えに行って、ナッジは戻って来てくれたけど、やっぱり、悲しかったよ。ナッジの角はとても気高くて、綺麗で、格好良いと思う。オイフェの肌は浅黒くて、金の光にとても映えると思う。イズキヤルだって、可愛かったよ。
みんな違ってて、みんな綺麗なんだ。なのにどうして――!!」
顔を伏せる。肩が震えているのが見てとれた。短く、娘の名を呼んだ。 「ノエルだって、良い子だった。わたしは、『一般的な目』っていうのがよく分からないけれど、それでも、多分、彼女は周りから見ても『良い子』なんだと思った。いつも一生懸命で、元気で、可愛くて、思い遣りがあって……わたしは彼女のことも、好きだったよ。 ――竜王を――」
名を、呼ぶ。娘は縮こまるようにして、言葉を続ける。 「――竜王を倒した原因の、率直なところはそれだけれど、本当は、わたしは、きっと――!」
娘を強く抱き締めた。娘は枷が外れたかのように、泣き叫ぶように声を荒げた。 「わたしは、憎かったんだ。竜王が! ううん、きっと、せかいが! わたしや、わたしの愛するひとたちを傷つけるせかいが! 別に竜王のせいじゃないかも知れないのに! わたしを愛してくれているひとたちも、沢山いて……そういうひとたちは、竜王を信じていたかも知れないのに! わたし、この世界も好きだって、そう、思ってたのに……!」
そっと、名を呼びながら、あやすように娘の髪を撫ぜた。娘の体が、いつもに増して小さく感じられた。
「……わたしは、少なくとも、英雄なんかじゃ、ないよ……」 掻き消されそうな程の囁きが、腕の中からぽつりと洩れた。
腕の中に収まる娘を抱きながら、ネメアは自身のことを思っていた。娘はそのまま、幼かった頃の自分自身だった。周りの評価に戸惑いながらも、それをなかなか表に出せなかった自分だった。
ならば自分からと歩み寄ろうとするものの、何故か、時が経るにつれ、周りの歯車と噛みあわなくなってしまった。強くなり過ぎたのだと、後になって気がついた。そうして、そうしたことで寄って来る者たちが、尻込みする者たちが、悲しかった。
そんな中、この娘と出会えた事は、これ以上にない、幸いと言っても良かった。 娘は常に挑んできた。どんな時も、じっと、瞳から逸らすことなく答えていた。媚びず、怯まず、りん、とそこにいた。
「私は、お前に救われた」 腕の中の、娘に囁く。ぴくり、と娘が身じろぎした。
「お前はゼグナの炭鉱で、私に助けられたからだと、言うかも知れない。だが、そうではない。闇の門より私を救い出す折、お前はウルグを宿し――『私に破壊神が降臨する』という予言から、お前は解き放ってくれた。
――これは、お前にとっては不幸かも知れぬ。そうして、予言から逃れ得たとは、まだ、言い切れぬかも知れぬ。
――だが、少なくとも、お前は誰もがそうなると思っていた予測から、私を解き放ってくれたのだ。何と――礼を言えば良いのか、分からない。 ただ――」
止めた言葉に、何かと娘は顔を上げた。いつになく柔らかく微笑むネメアがあった。
――そっと、降りて来た唇への感触に、目を、見開いた。
「言葉と、行動で表すとこうなる。 ――愛している。私の旅に、着いて来て欲しい――」
沈黙が支配した。だが、娘の動悸は果てしなく、聞こえてしまうのではないか、と勘ぐった。 色恋に疎い、疎いと詩人や猫から指摘される娘であるが、ここまで来ればさすがに分かった。これは、所謂「ぷろぽーず」というやつで、自分は、今、この男から愛の告白を受けたのだ。
敵の不意討ちや竜とも恐れず戦って来た娘であるが、全くの経験不足であるこの攻撃には、混乱するしかなかった。そも、自分は胸中の不安を打ち明けただけである。それがどうしてこういった結果になってしまったのだろう。分からない。と、頭の中がくらくらした。
「――駄目か――? ――時間はある、ゆっくり、考えて欲しい――」
沈黙を拒否と捉えたのか、そう告げてそっと立ち上がろうとしたネメアの腕を、娘は掴んだ。
「ち、違う! 旅に行くのは、喜んで! 寧ろ、わたしもネメアと一緒に行きたい! ただ、その、分からないんだ! どうして、その、ネメアが……」
目線を外す。頬に熱が集まって行くのを感じる。こんなことなら、ゼネテスからこういった方面の話も聞いておけば良かった、と後悔する。
「わたしのこと、好きになったのか、分からない……」 消え入りそうな声になった。相手の目が見れない。体全体が熱を持っているような感覚がする。手が、汗ばんできたような気がする。思うと、さらに恥ずかしさが募り、居ても立ってもいられなくなって来た。出来ればこのまま消えてしまいたい。
「ひとつ、聞く」 頭上から声が降った。ちらっと見上げると、眉間に皺を寄せたネメアが居た。怖い。
「――何故、私と旅に出ることに了承する――?」 そんなの、と。娘が答える。
「そんなの、ネメアが好きだからに決まってるじゃないか!」 次の瞬間、それはもうこれまでにないくらい上機嫌な笑みを浮かべたネメアが、娘を抱き掻き消えた。
着いた先は、見慣れぬ部屋だった。広い部屋は質素ながらも、調度品は丈夫そうなテーブルや椅子が置かれており、これまた広いベッドが見えた。室内にはいくつかドアが見える。とん、と。ネメアは娘を下ろすと、そっと、娘の頬に手を寄せ、問うた。
「もうひとつ、教えて欲しい。 もしも、旅に誘ったのが私でなく、他の者だったとしても、お前は着いて行くか――?」
「え?」 他? と声を挙げ……娘はうぅん。と考え込んだ。仲間の顔が次々と浮かんで行く。頼まれれば応えるのが娘の常だったが、大抵は某かの旅をする上での理由があった。理由も何もない状態で、「一緒に旅を」というのは今までに無かった……ということに娘は気付き、さらに悩んだ。
悩んだ末に、 「『旅をする理由』による」
という答えをネメアに告げると、ネメアは可笑しそうに笑って、再度娘に口づけた。
先刻のものとは違う、深く、長い口付けに娘は惑った。背中がぞくぞくする。息苦しさにくぐもった声を上げると、すっと唇を離され、息を吸おうと開いた隙に、今度は舌を差し入れられた。酒気の匂いがする。
息苦しさに、酒の香りに、未知の感覚とに、足が震えて行くのが分かった。上体を少しずつ倒され、床に崩れ落ちる前に、抱き上げられる。左右も分からぬままに、ベッドにそっと横倒される。
ふわふわとは言えない、やや、堅いベッドの感触。これから何をされるのか、今更になって気が付いた。
――君、そのルックスと年齢で、そんなに疎いのは問題だよ。まぁ、出会ったときに広場で寝てたのを思い出すと、納得も出来るけれどさ――
レルラから、そんなことを言われたことを思い出す。もう少し、真面目に聞いておけば良かったと後悔する。ふと、母の顔が頭に浮かんだ。母がこういったことを知ったら、どうするだろうか。悲しむだろうか。
……ついに春が! と、喜ぶかも知れないと思って、ほんの少し、泣きたくなった。 影が大きく圧し掛かる。口づけを受けながら、防具をかちゃかちゃと外される。
「ま、待って……! ネメア、わたしの質問の、答えがまだッ……!」 「もう良い、分かった」
「……な、何ソレッ! わたし、分かってないよ!」 「今、教えるところだ。 ――心配しなくて、良い」
「お、教えるッて……! ちょ……ひゃぁ!」 大腿部を、撫ぜられた。手甲の冷たさに悲鳴を上げる。鎧が纏めて下に置かれる。剣も、外された。素早く手甲をネメアは外すと、首筋に手を添えられた。暖かい温もりが伝わってくる。それでふいに、じわりと、涙が浮かんでくるような感覚がした。何故かは知らない。ただ、この男の温もりが嬉しかった。くちづけが降りる。首筋へと降りて行く。
――目の前に黄金色の鬣が振り重なって来た―― そこでふと、猫屋敷で、自分の上に覆い被さっていた、ネメアの姿を思い出し、ようやくにして、娘はすべてを合点した。
そっか。と呟く。怪訝そうに、ネメアが幾分、眉を寄せる。 「今、猫屋敷で私が目を覚ました時のこと、思い出した。ごめんね、わたし、ほんとう、鈍くて」
そう告げると、「良い」とネメアは破顔して、深く深くくちづけた。
分かってしまえば迷うことは最早ないのか、娘はそっと身を起こすと、自身の鎧を外そうとするネメアの身を手伝った。着慣れた鎧とはいえ、着脱には手がかかる。無論自分で着脱出来るが、借りた方が断然早い。
服の、背にあるボタンが外れ、やや着乱れた状態のまま、娘はネメアの鎧に手を添えた。鎧は、重い音を立て、ベッドの床に置かれてゆく。身が軽くなるのとは反対に、互いの動悸が高まるのを感じ取った。娘の耳が、赤い。
最後の枷が外された瞬間、掻き抱くように娘を倒した。
銀の髪が白いベッドに広がる。 ――どうして、抱いて下さらぬのか――という、澄んだ女の声が、甦った。好いた女でもない、ただ、友の願いを叶えるためにと攫い、友が恋した女など、抱けよう筈も無い。
――忍んで来た、女の身に――あなたは、残酷な方です―― 灰色に近い、銀の髪を靡かせながら、女は部屋から出て行った。それを目にした者から、果たしてどう、伝わったのか――エリュマリュクが、激昂した。 「ネメア?」
「――何でもない。すまない。少し、思い出していた」 いいよ。と、横たわった娘は微笑した。
「忘れたままより、ずっとよいもの」 困ったように微笑む娘を見、その青に近い銀髪にくちづけた。
ゆるゆると、衣が肌蹴られる。娘の服は下から、上から捲り上げられ、腹部へと留められていた。ネメアの手よりは幾分小さいが、それでもふくよかな胸へと唇を寄せる。ひゃ! という、可愛らしい声が漏れた。そのまま舌先で、片手で弄びながら、もう片方の手を下肢へと伸ばす。しゅるり、と側面で留めていた紐を解き、ついで腹部の服も取り払った。
娘は恥ずかしいのか、先刻からずっと目を逸らしたままでいる。名を呼ぶと、ちらりとこちらを見、すぐに目を逸らされた。見ると、目に涙まで浮かんでいる。これでは先が思い遣られると幾分苦笑しながらも、娘へと圧し掛かった。 止めるつもりは、毛頭無かった。
ゆったりと圧し掛かってきた獅子に、喰われる覚悟を決めようと、娘は思った。必死に震えを止めようとするものの、それでも、体はこれから起こることの恐怖で僅かに震える。胸の頂きを、舌で、指で弄ばれる度に、体の奥から熱いものが集まるのを感じた。それが何であるのかも分からず、ただ、惑った。
いまだ喰われたことのない動物が、喰われる感覚なぞ分かろう筈も無い。ただ、じっくりと食われる……束縛感に、酔った。
体の中心に指を挿れられる。体が跳ねた。くちゅくちゅという音に耳を疑う。声を、上げる。大丈夫だという囁きに、胸を、揉まれる。指が増えた。感覚に全く付いて行けず、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「慣らさねば、辛いぞ」 自分を気遣うネメアに何のことかと視線で訴えた。視界はまだ、涙でにじむ。ネメアはそのさまに苦笑すると、すっと頭を、足もとへと移動した。
「……!!」 卑猥な音が洩れる。体の感覚と、目前の事実についてゆけない。びちゃびちゃという喰われている感覚。自分は今、喰われている。喰われているのだ。
「……ァ! ふぁ! ぁ! ネメぁ!」 びくんと、体が震えた。脳のどこかが弾ける。息が荒い。体の力が弛緩する。衣擦れの音が聞こえる。ベッドの外に、脱ぎ捨てられる。喘ぎながらも、目に入ってしまった男の牙に、きゅっと娘は、眼を閉じた。
力を抜け。という言葉とともに、それは、入って来た。牙が突き刺さる。ずきずきと痛む。歯を食い縛り、ぼろぼろと涙がこぼれる。気を紛らわそうと、胸に、髪に、目蓋に、くちづけが降りる。
収まった。という囁きに、ほんとう? と涙目で言葉を返す。幼子のような声になってしまい、恥ずかしさで身が詰まる。
しばらくはそのままだったものの、動いて良いかという言葉に、そういうものなのかと娘は頷く。抜き、再度差し入れられた感覚に、思わずシーツを握り締めた。
「やァ! ぁ! ……ッは! は! ハっ!」 「……くッ!」
喘ぎと、打ち付ける互いの音と、互いに流れる体液と。ただただ、相手の名を呼び合い娘は、男のものをその身に受けた。
ネメアは娘を敷かぬように、倒れこみ、ゆっくりと牙を抜いた。 白いシーツに、血液と、真っ白い体液とか混じり合い、滲み、ゆるやかに染みをつくってゆく。
娘の方へと目を向けると、憔悴した様子がありながらも、僅かに笑んで。そのまますっと、眠りに落ちた。
目が覚めると、鎧はないものの、きちんと衣を纏っている自分がいた。隣には、静かに眠るネメアがいる。彼も鎧は無いにしろ、身を整えており、恐らくは彼がやってくれたのだろう。その間、自分はどんな状態だったかと思うと、顔から火が出そうなので、なるべく、考えないようにした。
ネメアは規則正しい寝息を立てている。そういえば、こうして彼の寝顔を見るのも、初めてかもしれない。その顔と、穏やかな寝息に娘はほっと息を吐き、男にひとつ、くちづけを落とした。
猫屋敷に戻ったのは、次に目覚めてのことだった。ネメアは別によいだろうと言ったが、あれだけ騒いだ手前、いきなり姿を消すのも気が引ける。娘はネメアに頼み、瞬間移動で件の寝室に運んで貰ったところ。部屋には幸いにして誰も居らず、ほっとした。と、そこで突然、ドアが開いて、娘は心臓が飛び出るほどに驚いた。オルファウスだった。
「あ、おはよう御座います。オルファウス、さん……」 いつもと変わらぬ笑みを浮かべるオルファウスに、娘は自然、言葉が澱む。随分と朝が早いな。と、幾分不機嫌そうな様子でネメアが繋げる。
「ふふ、年寄りは早起きなんですよ。それよりも二人こそ、どうしたんですか?こんなにも朝早くだなんて。昼まで寝てるんじゃ……と思いましたよ」
「いえ、飲んだと言っても、一杯だけですし」 娘の言葉に、いえいえそうではなく。と、言葉が重なる。
「若いですからねぇ。まぁ、じっくりと……と思ったのですよ。ああ、でも、無理をさせたら駄目ですものね。偉いですね、ネメア」
父よ! というネメアの声が被った。一瞬、何のことだか分からず、首を傾げていた娘にも、徐々に意味が浸透し、赤くなる。
「まぁ、帰って来た以上は、皆で一緒に食事をしましょう。今朝の朝食はナジラネのパンケーキにソースゼリーにドライフルーツです。採って来るのが大変でした。ケリュネイアが頑張って料理したので、食べてあげて下さいね」
そう言って、ドアを開ける。オルファウスが出た後、ネメアと娘は、ほんの少し笑みを浮かべて、互いの手を取りドアをくぐった。
*FIN*
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