「あ~あ。また来ちゃったな」エステルは天を仰ぎ、一人呟いた。ここはロストール。竜教信教で知られる南の大国である。貴族階級の腐敗と、戦争での被害により黄昏を迎えているという事でも知られている国だ。そんな先行きが良いともいえないロストールだが、それに反して今日の空の色は吸い込まれそうな青。『悩みの無さそうな』という表現がぴったりと当てはまる快晴だった。ロストールの能無し貴族達の象徴のようだなと、エステルの知り合いのとある二人は思ってるんじゃないだろうか?それを想像し、彼女はふっと笑みを洩らした。しかし、思考は現実に戻る。その過程で表情が引き攣っていくのを感じた。彼女の心境もまた、現在のロストール程ではないにせよ、晴れ渡る空がむしろ憂鬱に感じられる程度には荒れていたのだった。「面倒くさいなぁ。何でボクがこんなに縛られなくちゃならないんだよ…」広場のベンチに座ったまま、悪態を吐(つ)く。
彼女は今から三週間以内に、故郷であるラドラスに帰らなければならなかった。ラドラスとは神聖王国時代からの産物で、現在、学者達の間でもよく話題になる遺跡の一つだ。しかし、まだ正式に発見されるには至っていない。実は、エステルはそこに住む砂漠の民達をまとめる族長なのである。外敵対策として、特定の期間、族長が不在であり続けるとラドラスは砂の下に陥没する。その特殊な族長診査の為に、彼女は不定期にだが、里帰りする必要があるのだ。自由な冒険を愛する彼女に取っては、それがたまらなく憂鬱なのである。
しかしもし、エステルの地位が知られれば、水に落ちた家畜に飛び掛るピラニアの如く、彼女に多くの学者先生達が寄ってくることだろう。それはそれで疲れる話だが、実際それを信じる者など、そうそういるものじゃない。奇人変人扱いされるか、門前払いか。97%くらいの確率で、そういうオチがついてくるであろうことは想像に難くなかった。「……」そこまで考えたところで、エステルは立ち上がった。――仕方ないかな―無駄な事を考えて、現実逃避しても、どうにかなるわけじゃない。結局、文句は言いつつも彼女は規則に従う。エステルは自覚している以上に、真面目で素直だった。まぁようするに、責任を放棄する事が出来ない人種というわけだ。しかしそんなことだから、何時までもラドラスに飼われ続けてるんじゃないかと、そんな気もする。そして、この先一生そのままなのかもしれないとも…。
――家畜――
ピラニア云々の時とは別の意味で、その言葉が頭を過ぎった。「…そんな筈ないだろう」マイナス思考を払拭するかのように声に出した。だが気持ちはさらに憂鬱という沼に沈む…。「そんな筈…、ないよ。絶対……」もう一度、声に出した。
「さて、面倒な事になったな…」
――剣狼、奇跡の名将―
後の時代までその名を残す事になる男、ゼネテス=ファーロスはやれやれといった様子で肩を竦めた。「おいクリス。お前も災難だったな」そして、隣を歩く青年に声を掛ける。クリスと呼ばれた青年は、口元だけを歪めて一つ息を吐いた。「少し驚いてな。この状況で宴会するとは思いもしなかったぜ…」彼は先の戦争での功績により、竜字将軍の地位を持つに至っている男だ。ゼネテスとは冒険者時代からの仲で、二人の間柄は友人と言っていいものだった。現在、総司令とその副将に当たる二人は当然の事、今日の軍議にも参加したわけだが、それが終わるや否や、ある貴族がこう言ったのである。『明日の夕方より、わが邸宅で園遊会が開かれます。主催は七竜家の一つである……、、、…よって、各将軍達も参加されるように…』つまりはこんな内容だ。これを聞いた瞬間、クリスは開いた口が塞がらなかった。普段、固く結ばれている彼の唇だが、それすらも抉じ開ける破壊力があったらしい。
あの馬鹿貴族共は、今の状況が分かっているのだろうか?兵力不足、ファーロス家とリューガ家の内紛、敵としてのディンガルの存在、民が募らせた不信感…――ざっと挙げただけでも、これだけの不安材料が今のロストールにはある。そんな中で宴会を開くなど…、尚且つ、各将軍達まで強制参加とは正気の沙汰とは思えない。
ロストールは近い内に滅びてもおかしくないのだ。朱雀軍は退けたが、今の状況でほぼ無傷である青竜軍に攻め込まれようものなら、まず次は無い。それについての対策を一刻も早く進めなければならなかった。それとも彼等は、なるようになるとでも楽観視しているのか…?青竜軍の兵力がどれ程かは分からないが、少なくともロストールの上を行く事は間違いないというのに。別にクリスはロストールの行く末など、大して興味も無かったが、この国には数人の友人がいる。出来る事なら守りたかった。「噂に違わぬ貴族社会だろ?」ゼネテスは、自嘲的な失笑を洩らした。
「随分晴れてるじゃねえか…。」王宮の外に出ると、クリスは目を細めて、快晴の空を見上げた。悩みの無さそうな色だなと思った。「能天気な色だよな。お偉いさん方を象徴してるようだぜ」ゼネテスは皮肉気に言う。「一番のお偉いさんが何を言ってんだ」クリスはすかさず返した。ゼネテスはロストール貴族の中でも名家中の名家である、ファーロス家の跡取…、いや、今は当主である。「ははっ。違いないな。だが、そんなことはすっかり忘れていたものでね」息子がこれでは、今は亡きかつてのファーロス家当主、ノヴァンはさぞ頭が痛かったに違いない。しかしゼネテスは、多くの平民から慕われてもいた。『彼という人物』は場所により、長所にも短所にもなるのだった。
「クリス?まだ帰ってないみたいだよ」宿に戻ったエステルは、このナッジの言葉を聞いて、さらに気を落とすことになった。せめてクリスにだけは直接断りを入れたかったというのに…。今までパーティーを抜ける際、彼女は必ずそうしていたのである。「そっか…。戻ってないのか」エステルは落胆したが、それは悟らせずに、仲間達に言伝を頼んだ。フェティなどは、高貴なエルフを伝言板に使うなんて許されなk(略)などと叫んでいたが、エステルは既に部屋の外に出ている。ナッジが諌めているようだ。
「まぁまぁフェティ。伝言くらいいいじゃな…」「ワタクシを使い走りに出来て当然っていう態度が気に入らないのよ~!」
こんな掛け合いが聞こえてきた。ナッジは読書をしていたのに、悪いことをしてしまった。しかし今はそれに付き合ってる暇もないので、仕方なく無視する。彼には今度、お土産を持ってきてあげようなどと思った。「暑っついなぁ。嫌になってくるよ」外に出ると、陽の光が射してくる。まだ六月半ばだが、暑さ自体は真夏そのものだ。汗が一筋、頬を伝い落ちる。憂鬱と共にどっかに飛んで消えればいいのにと思い、拳で拭った。秋空が待ち遠しい。その頃にはまた、冒険者に戻れるだろう。クリスや仲間達ともまた会える…。ふと素手で腰の短剣に触れてみると、ひんやりと冷たかった。その心地良さが、今は身に染みる。
「あ、お帰り。クリス」夕刻、宿に帰ってきたクリスを、ナッジは外で出迎えた。「朝から大変だったね。部屋は取っといたよ」「悪かったな。雑用を押し付けちまった」クリスはナッジに、感謝の言葉を告げた。「ところで、その顔は……、フェティか」引っかき傷の有るナッジの顔を見て、クリスは何が起こったのかを即座に理解した。「はは、今は暴れ疲れて眠ってるよ…」疲れた顔に苦笑いを浮かべ、ナッジが言う。「相変わらず温厚だな。たまには文句の一つでも言ってやれよ」クリスはフェティが眠っているという二階の部屋を睨んだ。「君も同じじゃないか。流血しても文句一つ言わなかっただろ?」クリスもフェティの癇癪に巻き込まれたことは、度々有る。血を見たこともあるくらいだ。「俺のは、怒る程のことでもなかったからな」「あれでそう言えるなら、充分だよ」一人で納得したようにナッジは言った。「どうだか」そうは思えないなと言わんばかりに、クリスは肩を竦めた。「温厚な人間は、進んで殺しなどしないさ」しかしナッジが思うに、クリス程穏やかな気性の冒険者というのも珍しい気がする。彼は基本的にシビアな性格ではあるが、結局仲間達を含め、他人にかなり甘い。事実、ナッジ達がどんなヘマをしても、それを責めたりしたりということは一度も無いのである。今は成り行きで将軍の地位にいるが、厳しさの足りない彼に向いているとは思えなかった。
「そういえばさ、エステルがしばらく一緒に冒険できないんだってさ」部屋に戻るなり、ナッジはクリスに伝えた。今、言伝を頼まれていたことを思い出したのである。「ならギルドに手紙を任すとするか」クリスは、明後日よりアキュリュースに向う予定だった。近い内にディンガルが攻めてくるらしい。傭兵としての契約がまだ有効な為、行かないわけにはいかないのである。報酬もかなり多いので、生き残れる腕さえあれば割に合う仕事だ。そのことをエステルに伝えておく必要があった。「ミズチがいる限り、今度も簡単に勝てそうだね」アキュリュース攻略を任されている白虎軍だが、今に至るまで負け続けだった。守護神であるミズチの前に、殆どの兵士は湖を渡る事も出来ないのである。辛うじて渡り切ったところで、次に待っているのは、クリスの剣だ。剣聖、竜殺し…。彼の呼び名は数多くあるが、その名はどれも相手を竦み上がらせるのに十分な効果を持っていた。彼とまともに戦える者など、大陸中探しても片手の数にも満たないのだ。「そうだといいけどな」しかしナッジの言葉に反し、クリスの言葉は少々弱気なものだった。「相手はディンガル。次辺り、アキュリュースは落ちるかもしれねぇぞ…」「また何でさ?」「ただの勘だ。どちらにしても、ディンガルはこのままじゃ終われん筈だ…。…まぁそれ以前に明日の宴会から生きて帰れるかどうかだが」真顔で冗談を言うクリスに、ナッジは苦笑を洩らした。「ゼネテスさんも言ってたよ。行きたくないってね」ゼネテスも堅苦しいのを嫌っている。「俺よりはいい。やつは酒豪だ」対してクリスは、どうしようもない下戸だった。無理に飲まされて、二日酔いになった事は多々有る。「二日酔いって、そんなに苦しいのかい?」「なってみればわかる。ただ俺はあの時、生まれてきた事を後悔したよ…」顔色を悪くし、クリスは答えたのだった。
リベルダムが破壊の限りを尽くされてから、約一ヵ月の時が過ぎている。殆どの施設が甚大な被害を受けており、物の調達にも宿の予約にも困難な状況だった。幸い、エステルはそのどちらも手に入れることが出来たが、それにしても金が掛かりすぎた。宿は通常通り50Gのみだったが、食料には3000Gも掛かった。四日分の食料でこれである。おかげで配達と魔物退治で得た報酬が、殆ど底を尽いてしまった。防具の強化に使うつもりだったのに…。現在、この場所で生活するのは、なかなかシビアである。「でも、これはやり過ぎだよね…」二階の部屋から窓を開けると、凄惨な光景が目に入った。剥がれた地面に、何となく覇気の感じられない人々の姿が見える。リベルダムは夢の叶う街と言われていたが、実現した幾つもの夢の終わりが、正に今なのかもしれなかった。だとしたらこの世は儚く残酷なモノだと思う。どんな夢も、いつかは終わるものなのだから…。リベルダムを破壊した張本人であるカルラのことは、顔見知り程度には知っている。以前、クリスは彼女と組んで、ロセンの暗愚王ぺウダを相手に戦ったことがあった。その時からの知り合いである。変わり者だが根は優しい、そんな印象を彼女に持っていたが、今のこの景色を見る限り、その意見は撤回せざるを得ないようだ。最も、彼女を詳しく知るわけでもない自分が、そんな風に言うのもおこがましい事だろうが。一つ息を吐くと、窓を閉めて部屋に入った。そしてベッドの上に倒れ込む。そこからの景色は殺風景なものだった。ベッドが二つあるのに自分一人というのは、少々広く感じるのである。
――――クリスは何してるのかな――まどろむ中でふとそんなことを考えた。ラドラスへはあと一週間以内に帰ればいい。結果として、彼に会ってからでも遅くは無かっただろう。自分の要領の悪さが少々恨めしかった。彼との付き合いはまだ二年くらいだが、それでも仲間内ではルルアンタに次いで長い。別に互いの全てを分かり合える関係などと、そんな自惚れたことを言うつもりは無かったが、少なくともエステルに取っては最高の時も泥沼の時も、笑って肩を叩ける相手だった。クリスの事を、恋だとか愛だとかの対象で見ているのかというと、それは分からない。ただ、彼とはいつまでも旅をしていたいとは思っていた。(またか。何か…、変なの…)いつもの事だが、クリスの事を考えた後は身体が熱くなる。同じく今日も心拍数が上がり、気持ちが落ち着かない。軽く寝返りを打っても、それは治まらなかった。そして気付けば、その右手を身体の下の方へと伸ばしている。服の上から触れただけで、彼女は自身の女の部分が濡れていくのを感じた。「ん…、あ…ん……」少し強く撫でただけで、艶の含まれた声が洩れる。(何…してるんだよ…)理性の部分が今のエステルを、正常な状態に引き戻そうとした。だがそれに反して、彼女の動きはより淫らなものとなる。左手でベルトを外し、そのまま胸元へとそれ滑り込ませて、既に直立している乳首を玩び始めた。ふと、今は夕方であることを思い出す。この階の客が全員、晩餐のために出払っている事実も、連鎖的に頭の中に浮かんでくる。
そこまで思い出すと、エステルの理性はさらに弱々しいものとなった。下に履いていた服を下着ごとずらし、直接秘所に触れようとする。薄い茂みの上から右手を這わせ、激しい動きで撫でた。「うぅ…、あん…!…あぁん…」徐々に大きくなる声に構わず、エステルの手の動きは徐々に早くなっていく。左手で豊かな胸を揉み、右手で秘所を撫で続ける。「ハァ…あん!もう…、我慢できないよぉ…」しなやかな身体を弓形に反らせ、彼女は喘ぎ声を上げた。そして人差し指と薬指で局部を開き、その中に中指を挿入させていく。既に濡れていた膣内は、中指が抜き差しされる度に淫らしい音を立てる。シーツが乱れるのにも係わらず、彼女は今の自分の行為に夢中になっていた。「あ…ん!いやああああん!ボク!…なんだか…おかしい…」さらに速い指の動きで、彼女は膣内を刺激し続ける。言葉とは別に、渦巻く欲望が加速する。「……あん!あぁあん!!…クリス!…クリス!!凄い…!、イイよぉっ!」彼女の局部が、自身の指を締め付ける力は異常に強くなってくる。そして程なくして、エステルは絶頂を迎えた。数秒の間、身体の動きを静止させ、快感が全身を支配するのを味わう。その間膣内が痙攣し、愛液を吐き出し続けた。「…あ…ん」反らせていた身体をベッドの上に沈め、荒い息を吐いた。秘所の部分は、愛液と汗でぐっしょりと濡れている。身体の汗が引くのと同時に、欲情していた頭の中も冷えてきた。荒い息も治まり、体温も心拍数も正常に戻りつつあった。
(またしちゃったよ…)上半身を起き上がらせると、エステルは苦い表情を造った。クリスのことを想像しながら、この行為に及んだのは、これが初めてというわけではなかった。そして行為が終わる度にこうやって自己嫌悪に陥るのもいつもの事だ。「ごめん」一人、静かに呟いた。クリスには何度も世話を掛けたが、それに関して厭味を言われたり、恩を着せられたりということは一度も無かった。多く…、という訳ではないかもしれない。だが彼を慕う者は確実に存在し、そして彼等の多くは心底クリスに惚れ込んでいる。それはナッジやゼネテス、デルガドにルルアンタ。そして多分フェティもそうだろう。エステルも勿論、その内の一人に入る。しかしだからこそ、彼をだしにした自慰の後には、自己嫌悪せずにはいられない。彼への恋心にも似た淡い感情や、彼自身が向けてくれる好意をも、自ら進んで、汚しているように感じてしまうのだ。「…身体を洗わないとね」服を着ると、エステルは立ち上がった。宿に浴場は無いので、外にまで出なければならない。道中、夕映えが彼女を照らした。眩しさに、ふと目を細める。ある種の不気味さすら感じられる、美しい夕映えだった。しかしそれを見ていると、少し悲しくなる。その美しい夕映えに対し、思慕の気持ちを欲望に塗れた行為でしか表現できない自分が、随分と淫らなものに思えたからだった。「でも、やめないんだろうな…」穏やかな口調だったが、自嘲気味でもあった。後で宿に戻ってみても、その日はあまり眠れなかった。
翌日、朝早くに目覚めたエステルは、早々に宿を出た。食料と水を肩に担ぎ、竜骨の砂漠へと向う。銀色の短剣と金色の長剣を腰に差し、いつでも使えるように、ゴーグルは額につけておく。「これでよし」歩きながら一つづつ確認した。一人旅のこういう部分は今でも楽しく感じる。パーティを組んでいる時には味わえない感覚だった。時計塔の脇を通り、スラムへと進む。空気が湿っていたが、昼ほどの暑苦しさは無い。歩いていると若干汗ばんでくるが、そう不快な感じはしなかった。よく目を凝らしながら、薄暗いスラムを進んでいく。風に乗せられてくる潮の香りを感じながら街の出口へと続く右の道へ曲がった。
――――……かたっ…―――
ふと、何かの音が聞こえた。立ち止まり、目を閉じる。今度は耳を凝らしてみた。
静寂
それだけだった。「気のせいかな」まだ一般的な起床の時間には早い筈だ。態々確認するまでも無い事である。この場を支配するのは、耳鳴りすら感じる静けさだけだ。湿った空気に張り詰めた静寂。
――――……かたっ…かたっっ!―――
「…!?」再びその音は、背後より聞こえた。それも今度ははっきりと耳に残る音だった。―――何かがいる…。直感で気付いた。生身の背中を、嫌な汗が伝う。エステルは振り返らずに腰の短剣に手を遣った。両足を踏ん張り、いつでも攻撃に移れる体制と精神状態を築く。細く息を吐き、呼吸を整えた。――――賊…じゃないよなぁその程度なら何も問題は無いのだが。クリスには劣るが、エステル自身、剣の腕も魔法の腕も鋭い。しかしこの威圧感は何なんだろう?頭で落ち着けと命令しても、身体が言うことを聞かない。短剣を握る腕は微かに震えた。だが振り返らないわけにはいかなかった。「誰!?こそこそしないで出てきなよ!」ポケットの勇気をはたいて、勢いよく振り返った。振り返らずに逃げてもいいものだが、その辺り彼女にも意地がある。しかし振り返ったその先にあったのは、エステルとは決して相容れない存在だった。自身を破滅に導く運命がそこにはあったのである。「な…、何なの……!」
ドサッ!
担いでいた荷物が落ちた。いやに大きな音だった。それを最後に気が遠くなる。エステル自身、膝から崩れていくのが分かった。「三人目…。君は僕の道具(モノ)になってもらうよ」倒れる彼女の身体を支え、一つの漆黒は小さく笑った。
エステルが消息を絶ってから二日後の事だ。ナッジとフェティはアキリュースの最前線で血路を開いていた。ミズチの猛攻を潜り抜け、ディンガルを象徴する黒い鎧の騎士達が押し寄せてくる中、二人は果敢に槍を振り続けている。湖を無事に渡り切るディンガル兵の数は、そう多くはなかったが、流石に個々の強さは相当なものだった。大陸最強の軍隊という肩書きは、伊達ではない。「な~んで、高貴なエルフであるワタクシが、こんなに苦労しなきゃならないのよ!」血染めの槍を構え、肩で息をしながらフェティは悪態を吐く。「確かに少し疲れてきたね…」体力で勝るナッジですら、そろそろ腕が重たくなってきた。特別劣勢というわけではないのだが、場の雰囲気としては、何故か押されている気がした。精神的な重圧を感じるのだ。それはナッジとフェティに限った事ではないらしく、他の傭兵や敵であるディンガル兵達ですら、どこか様子がおかしい。この場にいる全員が、共通の感覚を持っているかのようである。住民達を避難させているクリスが戻れば、その威圧感も消えそうなものだが…。
「もぉ~う、やってられないわ!」そんな中、とうとう我慢の限界がきたらしいフェティが怒声を上げた。そして何やら魔法の詠唱を始める。「…まさか」瞬間、周りにいた味方の傭兵達の顔色が青ざめた。次にフェティが取った行動は…
………「ブレェェ―イズ!!」案の定だった。彼女は以前も仲間が回りにいる状況で、ハイスペルを発動させた前科がある。それに学習していたのか、傭兵達はフェティがズの文字を言い終わる頃には、既にその場から逃げ出していた。「まただ!フェティが癇癪を起こしたぞ~!」誰かが叫んだ。前の被害者かもしれなかった…。
そんな事を知る由も無いディンガル兵達は、次々とその身を焼かれていく。燃え上がる炎はとどまる事を知らず、恐慌を巻き起こした。フェティの癇癪が、偶然にも功を奏したのである。こうなると、いかにディンガル軍といえど、士気が落ちるのは必然だ。そして戦意無き残兵を蹴散らす事など他愛も無い
…筈だった。突如、一陣の風が巻き起こるまでは。その風は絶対零度を遥かに下回る温度を伴い、炎だけでなく、アキュリュ―ス側の傭兵まで凍り付かせ、その場を去っていった。「なっ…!」ナッジとフェティは驚愕の表情を隠せず、目を見開いた。何せ、瞬きの瞬間に、味方全員が凍り付けにされていたのだ。驚くなと言う方が無理だ。どうやら自分達二人だけが、凍り付いた炎が壁となったお陰で、直接の被害を避ける事が出来たようである。ナッジはフェティの元から逃げ出さなかった事が幸いしたようだ。もし他の傭兵達と同じ行動を取っていれば、間違い無く彼も死んでいた。フェティから逃げ遅れて良かったという経験は、これが初めてである。しかしその事実に感動する暇も無く、野暮にも『疑問』という二文字が彼の思考に侵入してきたのだった。ナッジはその感覚に多少の眩暈を感じながらも、理性を働かせようと頭(かぶり)を振る。「一体…、何が起こったの?」氷像となり、絶命した人々を見渡しながら、茫然と彼は呟く。それはこの場にいる者全ての疑問でもあった。「……」ナッジの隣にいるフェティが、何か答えを見付けたかというと、勿論そんな筈も無い。同じく、突っ立っているだけだった。「フフ、それはね…」そんな時の事である。ふと、少年の声が聞こえた。ディンガル兵達のいる方向からだった。「この僕の力だよ」黒鎧を左右にかき分け、一つの漆黒が寄ってくる。「………!」年若い少年の声音と容姿、そして、それには全く不相応な力を引っ提げ、虚無の子シャリはその姿を現した。
「「シャリ!」」ナッジとフェティは同時に叫んだ。「ハロ~」そんな二人に、シャリは親しげな声を出す。そして、特に戦闘体制に入るわけでも無く、彼は只、二人に近付いてきた。「フフ…、そんなに身構えなくていいよ」警戒するナッジ達に対し、シャリは全く戦意を見せようとはしない。「別にこれ以上、君達に何かしようなんて、全然思ってないし」その口調は、ナッジ達の事など、どうでもいいと言わんばかりだった。躊躇いを見せることもなく、シャリは二人の間を闊歩し、街へと入ろうとする。「ちょ…ちょっとぉ!一体何のつもりよ!?」ディンガル兵ですら唖然としている中、フェティが一人、シャリに噛みついた。不意を衝かれて殺されかけるわ、小馬鹿にされるわで、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。こういう時の彼女の反応は早かった。警戒しつつも、攻め倦ねていたナッジなどは、少しは見習いたいと、場違いながら思う。「何のつもりって聞かれてもねぇ…」フェティに対し、シャリは惚けた風に答えた。「だいたい想像付かない?僕がやろうとしてる事」「付かないわよっ!」シャリが言い終わる前に、フェティは怒声を上げた。「あらら。一蹴されちゃったよ…」シャリは肩を竦め、参ったなと呟いた。「まぁ見てれば分かるよ。百聞は一見に如かず、ってね」それだけ言い終えると、彼は再び歩みを進める。「…君が今思っている事を当ててあげようか」ふとシャリは立ち止まった。言葉を向けたのは、ナッジに対してでも、フェティに対してでもない。いつの間にか、自身の前方に陣取っていたクリスに対してだ。彼は背の大剣を抜くこともせず、シャリに歩み寄る。
「「またお前か」」
黒衣の二人は同時に言った。
「君とは何かと縁があるね。禄でもない関係だけど」再び肩を竦めて、シャリは面倒臭そうに言った。「お前が余計な事をしなければ、そうならずに済むさ」クリスは即座に皮肉を返す。しかしそれはシャリの鉄面皮の前には、全く意味を為さなかった。「お互いにね」クリスに臆す事無く、シャリはしゃあしゃあと言ってのける。「戯けが」クリスはその言葉に、眉根を寄せた。「お前が何を思おうが構わんが、ここは通さねぇぞ…」そして背の大剣を抜き、シャリの前に立ちはだかる。ナッジとフェティもそれに倣い、各々の得物を構えた。「たった三人で戦うつもりかい?」「俺だけでも充分だ」クリスは僅かの動揺も見せずに言う。流石にそれには逆上したのか、今まで事の成り行きを見守っているだけだった、ディンガルの騎士達もどよめき始めた。「我ら相手に、一人で充分だと?」指揮官らしき男が前に出て、得物を抜く。「傲るな!たかが傭兵風情が!!」そしてクリスを一喝した。「畏れ知らずが。竜殺しの前で剣を抜く意味を知らねぇのか。愚か者め」クリスも負けじと言い返す。二人の間に火花が散る。竜をも殺すクリスを前にして、怯むどころか自身を奮い立たせるディンガル軍は、流石にネメアの下に集った戦士達だけの事はあった。
「あー、熱くなってるところを悪いんだけど、僕は出来れば戦いたくないんだよねぇ…。降参してくれない?」だが、そんなのは知らないとばかりに、シャリは場違いな科白を平然と言う。「却下だ」当然といおうか、それに対するクリスの答えは、にべも無いものだった。「なら仕方無い。目を覚まさせてあげるよ」言うなりシャリは、呪文の詠唱に入る。最初からその答えを予測してたかのような口振りだ。「お前の小細工など効かんな」クリスは愛剣を下段に構えた。動きを見せた途端に突き殺すと言わんばかりだ。その構えには、一分の隙も無い。まともな神経の持ち主ならば、即座に逃げ出したくなるような殺意だった。自分に向けられたものでは無いと分かっていながら、ナッジなどは全身が総毛立つ。ナッジは一時、その強さに憧れを持ったものだが、今は羨望より畏怖の思いの方が強かった。そう思えるのは、彼自身の成長の現れでもあったが、友といっていいクリスをそんな風に思うのは、多少悲しくもある。「自惚れないでよ。君一人にこの術はもったいない」しかしシャリは、そんなクリスの殺意を前にしても、眉の一つも動かさなかった。宙へと逃れ、そして完成した魔法を解放する。「これが僕の実力さ」シャリがそう言い終えた瞬間、晴天に青い光が轟いた。それらは爆音を伴いながら、湖面目掛けて急降下する。それはほんの数秒の間に起こった出来事だった。雷光に打たれたミズチ達が、次々に倒されていったのである。水平線に沈むミズチ達の、儚い最期だった。
「あ~あ。君が降参してたら、こんな事にはならなかったのに」悲鳴を上げながら最期を迎えるミズチ達を横目に、シャリは嘲笑にも似た笑みを洩らす。「そんな。一撃でなんて…」ナッジが唖然と呟いた。「ユナイトスペル…?巫山戯けた威力だな」クリスはギリッと奥歯を噛み締めた。「まぁ朝飯前かな。軽いよ、この程度」肩を竦め、シャリは言った。「で、どうする?降参時だと思うけどね」「話にならん」クリスは一蹴する。だが、本音はまた違った。シャリはその気にさえなれば、アキュリュースを廃墟にする事も容易いだろう。そうなれば、住人達を避難させた苦労も全て水の泡だ。しかもミズチがいなくなった事により、白虎軍の増援が押し寄せてくるのも、時間の問題ときている。アキュリュース側にもまだ兵力は残っているが、その九割九分が、忠誠心があるわけでもない傭兵だ。この状況では、彼らは即座に白旗を上げるだろう。(勝てないか)そう結論するしかなかった。「ま、君の意思はもう関係無いみたいだけどね」「何?」シャリの目線はクリスの後方へと向けられていた。「アキュリュースは降伏します…」水の巫女イークレムンの声だった。脇には数十人の側近達。この瞬間、白虎軍は初めての勝利を収めたのだった。今までの敗戦はこれでチャラである。
これを機に、ナッジもフェティも、クリスでさえ得物を収めた。「行くとしようか」クリスは仲間達に声を掛ける。既にここにいる意味も無かった。割り切れない部分はあるが、それを主張したところでどうしようもない。それにディンガルはアキュリュースに対しては危害を加えないだろう。現状では、何の確執も無い二国だ。問題は無い…。
「じゃあ、水の巫女はもらっていこうかな」
だがシャリのその科白により、クリスは再び、自身の得物に手を掛けた。「お前の目的はアキュリュースの陥落だろう。今、『水の巫女はもらっていこうかな』とか、そんな事が聞こえた。俺の聞き間違いか?」「耳を悪くしてる心配は無いよ。一字一句も間違えていないから」シャリはその通りだと頷く。「私を…?なぜ?」シャリの態度に対して、イークレムンは顔色を変える。その表情からは、不安と怪訝が読み取れた。「僕の計画に必要なんだよね、君は。悪いようにはしないよ。さぁ…」そう言って、シャリは手を伸ばす。「いやっ…!」短い悲鳴を上げるイークレムンに対し、シャリは迫った。そんな彼に何か文句を言う者は一人としていない。クリスなどは、隙あらばその首を落とすと言わんばかりに、鋭い視線を向けていたが、アキュリュース全体を人質に取られているも同然なこの状況、下手に動くことは出来なかった。「フフ。クリスのちょっかいがないと、ほんと楽で仕方ないよ」見透かしたように、シャリは挑発的な言葉を放つ。そんな彼の手がイークレムンに伸びようとしたその時だ。シャリの周りを、青く輝く霊体が取り囲んだのだった。
「僕に対する敵意…?あぁなるほど。さっき死んだミズチたちだね」ミズチはイークレムンに対し、その心を開いていた。彼等は死して尚、彼女を守ろうというのか…。「皆なの?」イークレムンの疑問符に答えるかの如く、霊体たちは彼女の盾となった。彼らに向けられるシャリの嘲笑は、いつもクリスに向けるそれより、より一層冷たかった。「…邪魔するんだね。じゃ、勝負といこうか!負けないぞっ!」惨酷な程に、シャリは無邪気に言い放つ。その指に強大な魔力が集中していくのが、傍から見ていても分かった。
「デモリッ…」「やめて!」シャリの詠唱が終わるよりも早く、イークレムンはミズチの前に飛び出した。「何処へでも行きます。だからこれ以上、皆を傷つけないで下さい…」「ふ~ん…」張り詰めた魔力が霧散する。「僕としても嬉しいよ。無駄な事はしたくないからね」満足したように、シャリはイークレムンの手を取った。「そのままタダで行けると思うか」「思うね」クリスに対し、今度はシャリが一蹴する。「イークレムンが来てくれるおかげで、目的が達成できるんだ。何としてでも行かせてもらう」「戯け」「…と、そうそう。君の大事な仲間も僕のところにいるよ。少し手荒な事しちゃったけどね♪」クリスの言葉は完全に無視だった。しかし大事な仲間…。皆大事といえばそうだ。だが仲間内で、シャリに狙われていたのは一人しかいない。
エステルだけだ。
「…お前。俺のいない時を狙ったのか。姑息な奴め」頭に血が上るのを抑え、クリスは出来る限りの悪態を衝いた。「褒め言葉をありがとう。じゃあ僕はもう行く。彼女を助けたいなら、自分で探すんだね。勇者様らしく、奪い返してみなよ。この僕からさ」シャリは自身とイークレムンを暗闇で包む。その中で二人が姿を消す直前、イークレムンの悲しげな表情が窺えた。
「クリス。シャリを追いかけるのよ!」その場に残されたイークレムンの側近やディンガル兵がざわめく中、久しぶりにフェティが声を張り上げた。「シャリのやつ、ワタクシを馬鹿にして許せないわッ!」クリスとナッジは頷いた。
アキュリュ―スを出て一週間後、クリスはリベルダムにいた。通常、二十日は掛かる道程を、半分以下の時間で踏破したのである。その道のりは過酷を極め、ナッジとフェティの二人は、途中で体調を崩してしまった。仕方無しに二人とは別れ、クリス一人でここまで来たのである。「流石に堪えるな」しかし彼にしても、やはりただで済んだわけではなかった。足が筋肉痛でズキズキ痛む上、脱水症状に近い状態に陥っている。もう半日は何も口にしていない。「水はねぇか…」普通なら倒れていてもおかしくないところだが、クリスはそれを思わせない足取りで、荒れた街を散策する。「あ~!クリスじゃないか」その時、クリスは自分の名を呼ぶ声を聞いた。「随分、久しいのぉ」そして立て続けに、もう一人が言う。振り返るとそこには、弓を携えたリルピ―と、大斧を背負ったドワ―フが立っていた。子供と頑固親父の容貌を思わせるその二人は、レルラ=ロントンとデルガドである。あまりのタイミングの良さに、クリスは一生分の運を使い果たしたかもしれないと、至極真面目に思った。「二人とも久しいな」クリスは大股で、二人に近付く。「だが今は、再会の祝杯というわけにはいかねぇんだ。…取り敢えず水をもらえるか」「何か事情があるみたいだね。話してみなよ」水を渡してやりながら、レルラ=ロントンが説明を求める。クリスは駆け足で概要を説明した。「なるほど…。水の巫女とエステルを、シャリの下から救出しに行くわけじゃな」了解したと、デルガドが頷く。
「でも、食料を忘れる程焦ってたなんて、君らしくも無いな。それでもここに辿り着く根性はらしいけど」「そういう突っ込み所は逃さないんだな。まぁそういう時もあるさ」「そっか。ある意味キレイで好きだけどね」その言葉に、クリスとデルガドも苦笑するしかない。人を食った、レルラ=ロントンらしい発言だ。「ところで、今からラドラスに行くんだよね?付き合うよ」急に話題を戻し、レルラは言った。デルガドは聞かれるまでも無いと言わんばかりに、戦斧に手をやる。二人共既に、冒険者の目付きだった。この辺りの切り替えの早さは、二人のキャリアを物語っている。「悪いな。助かる」短いながら、出来る限りの感謝の意を乗せ、クリスはその言葉を言った。
ラドラスへ辿り着くまでに、丸二日の時間が掛かった。躊躇いもせずに内部に進入すると、クリス達三人は即座に異常な気配を感じ取る。「様子がおかしいね…」周囲への警戒を怠らず、レルラは言った。その一言は、思いもよらず反響して各々の聴覚を刺激する。その音がなりを潜めると、今度は先程と同じ異常さが、その場を支配した。そしてクリスはその時点で初めて、その異常の正体に気付く。
…音が無い。どんな状況であれ、生きている限りは、何らかの音を耳にする。それは樹海の奥で佇んでいる時や、一人歩く夜道の中、或いは恋人と熱い時を過ごした後の、静寂が支配するベッドの上でも例外ではない。生物が息づいている場所である限り、完全な無音状態などありえない筈だった。だが今のラドラスにはそれが当てはまる。今まで経験した事の無い、完全な静寂が造り出す耳鳴りに、鼓膜がどうにかなりそうだった。しかし次の瞬間、静寂は恐慌へと変貌を遂げる。凄まじい轟音と共に、ラドラス自体が空中へと浮かび上がったのだ。「何…」激しい揺れと足場の浮く感覚に、さすがのクリスとて動揺した。
フフ、招かれざる客が来たみたいだね。彼女を追ってきたのかな?―――――
揺れが落ち着いても尚、戸惑いを見せる三人に対し、突然その言葉は投げ掛けられた。その瞬間、異常な静寂により障害すら起こしかけていた耳は、完璧に正常な状態に戻る。人間の聴覚というものは、音無しには正常な状態を保てないのかもしれなかった。「シャリじゃな!?」デルガドは、何処からか聞こえてくる声の主を怒鳴りつけ、斧を構えた。クリスとレルラもそれに続く。
アハハ!そういきり立たないでよ。心配しなくても、君とは話付けるつもりだしね―――――
姿を見せないままに、シャリはクリスをあしらう。
今僕がいる操舵室と、その部屋を繋いであげるよ。 そんな事しなくても、君は勝手に来るだろうけどね。じゃ、待ってるよ―――
「巫女は任せた」そう言うとクリスは、拳大の水晶を一つ、鞄から取り出した。その水晶は、エステルの首飾りと引き合う造りになっている。水晶さえあれば、彼女の元へも辿り着ける確率は高い。「君はどうするの、…って聞くまでもないか」レルラは僅かに肩を竦めた。「ふむ、大任じゃな。ではクリス。また後で酒でも飲もうぞ」デルガドは既にやる気である。レルラ=ロントンとデルガドは、クリスも一目置く名うての冒険者だ。何がでても、そう遅れは取らない。今、スムーズに行動を起こせるのは二人のおかげだ。
「シャリは俺がやる…」
「将来の夢?」クリスは訝しげに聞き返した。ここはアミラルの宿屋。現在、正午に差し掛かる時間帯で、部屋の窓からは光が射し込んでいる。季節は秋。残暑も去り、比較的過ごしやすい時期である。「人並みの幸せだな」クリスは何か言われる前に、答えを返した。「ふーん。そっか…」やや不満気に、質問の張本人は言った。エステルである。「どういう答えを期待してたんだか」彼女の口調に含まれている、拍子抜けの色があまりに露骨なので、クリスは僅かに眉根を寄せた。「だってさァ…」非凡な強さを持つクリスの夢が、あまりに平凡なので、少々納得いかないという事らしい。「具体的にはどんな感じなの?」ベッドの上で胡座を掻くと、エステルは続けて尋ねた。対してクリスはレベルティーを口に含み、少しだけ考えた風な表情を見せる。「帰る場所のある生活」「帰る場所?」「ああ」クリスはエステルから視線を外し、立ち上がった。「心の平和を感じられる場所が欲しい。それがあるならこの先の人生、定住でも冒険でもどちらでもいい」「そっかぁ…。なるほど。確かにそういうのって、素敵だよね」「アテも無い夢だがな」そう言うと、クリスは僅かに唇を歪めた。その様子からは、彼の強大な孤独が透けて見えるような気がする。そういえば、彼は生まれてから今に至るまで、常に旅の人生なのだった。その中で両親を無くし、成り行きで、何でもありの社会に放り出されたのだ。クリスは年齢の割に、日頃から冷静沈着で少々の事では動じない男だったが、そうならざるを得ない境遇で生きてきたのだと思う。そもそも普通、20やそこらの男が、『心の平和』などという言葉を使うだろうか。確かに素晴らしい事だろうが、彼がそれを望むのは早すぎる気がする。まるで戦いに疲れた晩年の傭兵のようだ。「…さてと。俺は昼飯に行ってくる」惚けているエステルに一言断りを入れ、クリスは部屋の出口へと向かった。「あ、気を付けてね」エステルは慌てて応えた。
…………… (でも変わってるよな…)一人残った部屋でエステルは考えた。年若くして冷たい風に晒されると、ああなるという事か…。「今日は気持ち良い天気だね」突如、彼女は自分に向けられた声を聞いた。レルラ=ロントンだった。「いつの間にいたのさ」エステルは面食らった顔をした。「心の平和がどうとか」「ほぼ最初からじゃん」「まぁね」そう言い、レルラが浮かべたのは、人を食ったような笑みだ。「ところで今、クリスの事を考えてたのかな?」意表を突かれた質問だった。
沈黙
「何でそう思うのさ」ワンテンポ遅れて、エステルは尋ねた。「何か色っぽい顔してたからね~。気になる相手の事でも考えてるのかなって。実は適当に言っただけ」こういう所、妙に鋭い。「…ま、ほぼ当たりだけどね。別にクリスとはただの友達だよ。」ベッドの上から足を投げだし、エステルは天井を仰いだ。「確かに結構長い付き合いだし、あの人の事、もっと知りたいとは思うけどさ」「ふ~ん。そんなものか。でも、クリスと話してる時、君は良い顔してると思うよ」「からかってるの?」そのエステルの言葉に対し、心外だねと言わんばかりに、レルラ=ロントンは肩を竦めた。「いつか君の事も詩にしてみたいね。その時は宜しく」軟らかく笑い、レルラ=ロントンは言った。そして先ほどのクリスと同じく、ドアに向かい部屋の外に出ていった。「気になる相手…か」確かに異性に興味を持ったのは、生まれて初めてかもしれなかった。幼い頃の初恋などは今の想いに近いだろうが、それは、さほど強いものでは無かった様にも思う。それに、彼との絆が欲しいと思ったのも事実だった。だがさしあたっては、今のままで構わない。それなりに充実した生活だったからだ。
懐かしい記憶が頭を通り過ぎると、その後にやって来たのは全身を襲う痛みだった。「ああああッ!」たまらずにエステルは悶絶の声を上げる。「痛ゥ…はァッ!はァッ!」何とか意識を保ってはいるが、それもいつまでもつか分かったものではなかった。動力部に捕らえられて、かなりの時間が立つ。魔力も生命力も相当量、吸い上げられていた。当初、各々の巫女達は抵抗を見せていたが、度重なる苦痛により、今となっては疲れ果てている。(走馬灯ってヤツ…?)人間、死ぬ直前になると、突然昔の出来事が、記憶として頭をよぎるという。仲間達との、冒険の一場面が甦った今の状況は、まさにそれではないだろうか。(とうとう最期かな、ボクも)自分の命に係わるというのに、頭の中は暢気なものだった。別に覚悟なんていう大層なものがあったわけではないが、特に動じてもいない。人間とは、時にどんな状況でも受け入れる事が出来るようだ。しかし仲間達に会いたかった。このままサヨナラするのは悲し過ぎる。その想いだけが、今のエステルを支えていた。
「グロテスクじゃの…。ワシが叩き潰してやるわい!」「確かに綺麗じゃないね。さっさと終わらせようか」「…!!」いきなり聞こえてきた声に、エステルは自分の耳を疑った。間違い無く彼女の仲間、デルガドとレルラ=ロントンの声だ。しかし何故、二人がここに?
「ふんっ!」「ふっ!」
エステルが浮かべた疑問符にはお構い無しに、二人は動力部へと飛び掛かった。戦士としても一流な彼等は、テンポ良く動力部へとダメージを蓄積させていく。それを阻止せんと、グロテスクな触手が動力部の手足となり二人に襲い掛かるが、デルガドの大斧は触手をいとも簡単に叩き潰し、レルラ=ロントンの弓は、一度も狙いを外す事無くそれらを貫いた。
「終わりにするとしようか」そして、その声はふと現れる。刹那、一欠片の炎が舞い上がった。下級魔法のファイアだが、その炎はフェティのブレイズを軽く凌ぐ程に膨れ上がる。そしていくつもの触手と共に、動力部を焼き滅ぼした。
スペルラッシュ。
魔力の消費を最小限に押さえ、下級魔法の威力を何倍にも高める技術だ。詠唱の長い魔法を嫌う、クリスが多用する手段だった。
ふと、宙に浮く感覚がエステルの全身を支配する。その次に感じたのは、床の冷たさだった。顔を上げ辺りを見回すと、無惨にも焼き滅ばされた動力部が、消し炭となり転がっている。各々の巫女達は自力で立ち上がって、クリス達の下へ集おうとしていた。エステルもそれに続き、慌てて立ち上がる。「クリス!」最初に口を衝いて出たのは、やはりその名だった。彼の元へ走り寄り、その顔をマジマジと見つめる。「はは…。今回ばかりは、さすがに駄目かと思ったよ」「だがまだ生きているみたいだな」「御陰様でね」エステルはニッと笑い、デルガドとレルラ=ロントンにも礼を言った。「気にするな嬢よ。さて、脱出といこうかの。エステルよ。手はあるか?」デルガドは問うた。「ここが落ちるまではあと数分。この状況を打開できる手段はありません。結局、今も無意味です」エステルが答えるより先に、フレアが冷徹にも聞こえる声で断言した。「そんな事はないよ!助かる術はある。…エア!」「分かっておる。あそこに行きたいというのじゃろ」「ボク達全員を飛ばせるかい?」「フ…、おぬしに心配される程、耄碌していないわ」エアはすまして言った。「なら、そっちは任せた。俺は邪魔者を足止めしてくる」クリスは背の剣を抜いた。デルガドとレルラ=ロントンもそれに続く。「気を付けて。また後でね」エステルはその言葉を掛け、親指を立てる仕草を見せた。
ラドラスを巡る長い戦いも、終幕は近い…。
エステルは自分の部屋で、上機嫌に鼻唄なんかを唄っていた。これ程気分が良いのは久し振りだ。やはり生きているとは素晴らしい。このラドラスにおいての激戦から、既に二週間の時が過ぎていた。クリス達は再び冒険者に戻り、エステルは騒ぎが治まるまで、ラドラスに留まる事になった。
シャリによる空中浮遊、追い討ちを掛けるが如くのシステムの破損により、砂漠の民達は当初、かなりの恐慌に陥っていたのである。今になってようやく、落ち着いてきている。それも相まってか、エステルはそろそろ、冒険者としての自分に戻りたくなってきていた。今、仲間達と一緒に冒険できるとは限らないが、とりあえず冒険に出てみようと思う。
…が、その前に着替えなければならない。巫女の衣装を着たままだった。この服も気に入ってはいたが、機能美という点では、最悪に近い。「もう旅に出られるのか」部屋の入り口より、男の声が聞こえた。言うまでもなくクリスである。「あ、来てくれたんだ!」エステルは脱ぎかけていた巫女の服を整えながら、クリスの方を向いた。「リベルダムまで来てたんでな」クリスは愛剣を立て掛けながら答える。「何だよ。ボクはついでなの!?」「まぁな」ムッとしたエステルに対し、クリスは無表情のまま一言で切り捨てた。がしかしクリスがエステルに会う為に、ここまで来たのは明らかだった。確かにリベルダムはラドラスから最寄りの街ではあったが、それでも日数にして約四日掛かる。リベルダムに行くついでに、ここまで来るなどという事は、まず有り得ない。
「お茶煎れるよ。座ってて」そういうとエステルは、棚から必要な物を取り出し、行動に移る。手際良くそれらを終えると、二つのカップを机に置いた。「レベルティーか。冒険者だな」このお茶を美味しく煎れるにはコツがいる。「お酒よりは飲めるよ。君にとってはね」「全くだ」クリスは椅子に座り、エステルが煎れたレベルティーを口に含んだ。「及第点だな。なかなかいける」クリスは意外そうに、しかし満足気な表情で言った。「本当!?それは良かった」エステルはニヤニヤしながら、クリスの方を直視する。「まさか肯定の言葉が頂けるとはね~」「自信無いのに飲ませたのかよ…」「…あ、別にそういうわけじゃ」微妙にボロを露呈し、エステルはしまったと目を逸らした。「とと、ところでさぁ、旅の方はどう?パーティーに空きがあるなら、ボクも入れてくれないかな?」「構わん」話も逸らされてはいたが、さほど気にした様子も見せず、クリスは返答する。「ありがと。また頑張るからね」エステルは笑顔を浮かべた。「そういえばこうやって、君とゆっくり話すのも久し振りだね…」この1ヶ月、確かに二人で語り合う時間は無かった。
何かが足りない気がしていた。「まぁ生きてるんだから時間はあるだろ」立ち上がりながら、クリスは言う。「ともかく今回、無事で良かった」無表情だったが向けられた視線は優しい。エステルはそれに対し、感謝の思いを込めて微笑み返す。「でもそんな風に言われると照れるな」すぐに目線を逸らし、エステルは顔を赤らめた。突然、クリスはそんな彼女の肩を抱きしめた。そしてゆっくりとその薄い唇に軽く口付ける。「ク…クリス!?」エステルは驚いたというより、キョトンとした表情を見せた。いきなりの出来事に分けが分からないといった様子である。「俺にも分からん。親愛の情を示すなら、他に方法はある筈だが…」恋だとか情欲だとか、そういった想いの伴う行為では無かった。エステルにもそれは分かる。そもそもクリスは仲間を性欲の捌け口にするような男では無いのだ。だからこそフェティにしろエステルにしろ、彼の事を信用しているわけだが…。いずれにしても、以前のクリスの行動としては考えられなかった。ラドラスでの出来事が、彼の心境に少なからず変化を与えたのかもしれない
しばし、互いに無言のまま目線を合わせた。「一段落着いたら…」沈黙を破ったのはクリスだった。一拍置く。「二人で旅に出ないか?」クリスの声音はいつも通り落ち着いていて、やはりいつも通り柔らかい。「いいよ」一瞬の戸惑いがあったが、エステルの返事は早かった。「つまり俺は、お前を抱きたいって事だぞ?」念を押すように、クリスは言った。「正直だね…。でも悪い気はしないよ。君が言う言葉なら。 ね、一応聞くけどさ、それはどういう意味でなの?私に対する愛情?」そう問うエステルの瞳からは、僅かな好奇心が伺えた。次にクリスが何を言うのか、楽しんでいるような雰囲気さえある。「俺の伴侶になって欲しいんだ」また直球な科白だった。「答えにならないか?」エステルは何も言わず、今度は自分からクリスへと軽いキスをした。返事の代わりだった。「君との二人旅なんて楽しみだな」気の合う仲間との旅は、きっと楽しいものになるだろう。クリスは彼女に、愛にも近い感情が芽生えるのを自覚していた。これで、まだ死ぬわけにはいかなくなった。生きて帰る為の戦い方とは、なかなか疲れるものだが、今はそれも悪くない気がする。
「で、どうするの?」「ん?」エステルの言葉に、クリスは訝しんだ。「だからさぁ」「?」「君はボクを…その…」「無理するなよ。俺の気持ちが伝わったなら、今はそれでいい」ああやっぱりと、エステルは思った。クリスはそういう男だ。心地良い程度に気を遣ってくれる。「律儀というか…、遠慮深いね」友人でも恋人でも、大事な女には、そう簡単に手は出せないものだ。男の考えの根底には、そういった思想があると、少なくともクリスはそう信じている。「こんな俺だが」「いいってば!」片手でクリスの口を塞ぎ、エステルは強調の意を見せた。「君の事は色々知ってる。二人で何処へでも行こう」その言葉に、クリスは胸が熱くなるのを感じた。「なら近い内に、少し付き合ってくれ」冷静を装い、クリスは無表情を作り上げた。もちろんいいよとエステルは頷く。「俺にも妻ができると、親父に報せようと思ってな」クリスが父親を殺されてから既に3年。たった一度の墓参りしかしなかった。あの時はルルと二人だったか…。今度は別の意味で行かなければならない。出来れば彼が生きている内に、こんな日が来れば良かったのだが。「妻なんて気が早いなぁ。でも付き合うよ。ちゃんと伝えとかないとね…。家族なんだもの」『妻』という響きに照れを見せながらも、エステルは言ったのだった。
次にクリスとエステルが二人の時間を持てたのは、それから二カ月後の事だった。「星は見えないね」ウルカーンの宿のテラスより世空を見上げ、エステルは言った。曇っていて、秋特有の涼しさが感じられない空だった。だがそれとは対象的に、エステルの心は晴れ渡っている。希望と呼んでいい色が彼女の中にあった。勿論、若干の不安も存在していたが…。「昨日までは晴れていたのだがな」クリスはベッドに腰掛け、テラスの方へ目をやった。エステルは身を乗り出すようにして、空を見上げている。―――のどかなもんだな。数日前にその身を置いていた、エンシャントを舞台にしての激戦が嘘のようである。多くの強敵を相手にし、その末に邪神ティラ、加えて竜王まで破ってしまった。どうにも大事に巻き込まれる質らしい。あやふやな明日を決める運命の女神が存在するならば、きっと彼女は随分と気紛れな性格に違いない。「考え事かい?」ふと意識を戻すと、目の前にはエステルが立っていた。さっきまでテラスにいたのにいつの間に。彼女の動きに気付かない程に、深く思考していたのかもしれなかった。今までの人生についてだ。特に冒険者となってから今に至るまで、色々な事が起こりすぎた。誰もが見つける事の出来なかった猫屋敷を見つけ、幾多の戦いを潜り抜け、その末に、今の彼の力には何者も及ばない。傲るつもりはない。だが自分は間違い無く選ばれた者だ。言い換えれば、偉大な魂に愛された者だろう。
「明日は何処へ行こうかと考えていた」心にもない答えをクリスは返した。これからの旅は風任せでいい。わざわざ考えるまでもない事だ。我ながら下手な嘘である。気付いているのかいないのか、なるほどねなどと言いながら、エステルは大袈裟に頷く。「で、君は何処へ行きたいんだい?」クリスの隣に座りながら、エステルは尋ねた。「まだ決まっていないんだ」「何だ」肩を竦めるクリスに、エステルも同じような仕草を見せる。何故か、クリスはささくれ立った神経が和む感覚を覚えた。自分を見つめているクリスに、エステルは不思議そうに首を傾げてみせる。「何じっと見てるのさ」「照れ性だな」「誰がだよ」クリスは一つ、ふっと細い息を吐き出すと、「一人しかいないだろ」と言った。「勝手な事言うよ全く!」エステルは憮然と唇を尖らせる。「ところでクリス」思い出したように、エステルはクリスを見た。「何だ?」「君は何でボクを選んだの?」一瞬の沈黙。「分からん」実際、それ以上の事は言えなかった。「そっか…。ま、ボクも大して変わらないけどね」エステルがクリスに好意を持ったのは、かなり早い時期からだ。しかしその理由となると、はっきりとは言えなかった。だが別に構わない。何を言っても、後付けにしかならない気がした。その意味で、クリスの答えはなかなか理想的だったかもしれない。
だが理由はどうあれ、二人の想いに嘘は無かった。「ボク達、やっと一緒になれるね」エステルの言葉に、クリスはその無表情を微かに崩す。答える変わりに、片腕で彼女を抱き寄せ、軽く唇を合わせた。その間、抵抗は無かった。エステルはただ、こちらを見つめ返すだけだ。クリスは久し振りの感覚を覚える。彼女を抱きたかった。「しようか」見透かしたかのように、エステルは言った。「一つだけ言う」「?」「嫌ならそう言え」真顔でそう言うクリスに、エステルはニッと笑う。「そうならないようにしてよね」「言ってみただけだ」クリスもニヤッと微笑い返し、言ってのけた。そして二人は身体を寄せ、抱き合う。今度は重ねた唇の感触を共有した、濃厚なキスだ。「ん…」舌が絡み合うと、エステルは身体をビクリと震わせ、艶のある声を出し始めた。意志に反して震える身体を支えてやり、クリスはさらに深く舌を差し込む。彼はディープキスに快楽を感じた事は無かったが、今は悪い気はしない。相手によれば、大概の行為は良いものなのかもしれなかった。それに関しては、今回初めての経験である。しばらく口内で戯れていると、エステルの方も段々と慣れた様子で舌を絡ませてくる。しかしその辺りで一旦、クリスは唇を離した。
エステルが何か言い掛けたが、クリスはそれより早く、彼女の胸へと手を伸ばした。「あ…!」突然の事に、エステルは思わず声を上げる。服の上からとはいえ、胸を撫でられる事など、エステルに取ってはかつて無い程刺激的だった。次いでクリスの手は、彼女の腰に伸びていく。ベルトを外され、今度はベッドに押し倒され、直接胸を鷲掴みにされた。人差し指では突起した乳首を弄ばれ、されるがままである。(やだな…。もう…、濡れてきちゃったよ)自身の雌の疼きを感じ、クリスの腕を強く掴んだ。「ぁ…ンッ…!」思わず、喘ぎ声まで出てしまう。「恥ずかしいのか?気にするなよ。ここには俺だけだ」声を抑えるエステルへ、クリスは諭すように言った。無茶言わないでと、エステルは無言のままクリスを睨む。「こういう時は女なんだな」そのクリスの言葉に、エステルはカッとなり声を荒げた。「悪かったな!どうせ普段ボクは女らしくないよ!今まで君の……」一気にまくし立てようとするエステルの口を、クリスは自身の唇で塞いだ。突然の事にエステルは目を白黒させる。「きゅ、急に何するのさ。ボクの事殺す気!?」一瞬器官を塞がれたエステルは、ゼェハァ言いながら声を出した。「悪い。ただこうでもしないと、お前は話を聞いてくれないと思ってな」「それは君が…」「あれは誉め言葉だぞ?」「…」「…」「…え?」「俺はお前のそういう所が好きだ。だからいざという時は命も張れる」クリスに取って仲間内でも、少なからずエステルの存在は特別だったと思う。その理由は、身近な異性が彼女くらいだったからかもしれないし、二人の間に何か通じ合うものがあったからかもしれない。今となっては分からないが、何にしてもエステルといるのは楽しかったし、癒される事も多かった。「俺が言いたいのはそれだけだ」
クリスは冗談を言う時も真顔だが、真面目な話をする時も真顔だ。だが彼は冗談にならない冗談は言わない。「続けるか?」エステルはコクリと頷いた。クリスはそれを確認すると、彼女の上半身の衣類を剥がしていく。露わになったエステルの躯は、細身ながらしなやかだった。躯の割に胸が大きく、いかにも弾力がありそうなそれは、挑発的というわけでもないのに、確かな存在感を示している。鎖骨辺りから締まっている腹回りまでは、褐色に近い色をしていた。砂漠の民特有の独特な色だった。クリスはそんな彼女の体を右手で抱きしめ、ピンク色をした乳首に舌を這わせる。空いた左手で服の上から局部を撫でた。「やっ…。クリス。そんなとこまで…」抵抗を試みるエステルだが、内心はそう嫌ではなかった。何せ相手はあのクリスなのだから。力無く脚を開き、彼の行為を受け入れる。じきに下も脱がされ、彼女の濡れた局部が晒された。ピンク色をしたそこは愛液が光沢を放っており、上部のクリトリスは小さく勃っている。流石にこれには我慢できないらしく、エステルは顔ごと目線を逸らし、胸を腕で隠して脚も閉じた。日焼けした頬には赤味が差している。「怖いか?」「少しね…。ところでさ…、き…君も脱いでよ」その言葉に、ああ忘れていたと、クリスは自身の纏う服を脱いでいく。かなり手際がいい。(う…、手慣れてる…)彼の経験はこれが初めてではないとわかり、多少妬けた。しかしそれにしても…(な、何で躊躇わずに脱げるのさ!)瞬く間に服を脱ぎ捨てていくクリスから、エステルは思わず目を逸らす。チラッと目を向けると、彼の精悍な体つきが目に入った。腕に対して胴は細く、瞬発力が感じられる。戦いに向いた体格だ。
「興味津々って感じだな」視線に気付いたクリスは、その生傷が刻まれた躯を隠す事もせずに、再びベッドの上に座っているエステルに近付く。「別に…」という言葉とは裏腹に、彼女の目はクリスの下へと向いてしまう。(凄い…)そそり立ったクリスのモノを見た瞬間、エステルはそれにかき回される自分を想像した。「あっ…」閉じた太股を愛液が伝う。自分は淫らなのかもしれないと、自虐するわけでもなく、冷静な頭でエステルは思った。正直、淫らなのも悪くないと思う。上から降ってきたキスに、エステルは素直な反応を示した。彼女は再びベッドに押し倒され、膣内へと指を挿れられる。「うぅん…アァんっ…!…もう、イっちゃう…よ」体をくねらせ、快楽を貪るかのようにエステルは乱れた。そうして一人、絶頂に達する。いつもならここで終わりだが、今日に限っては違った。「いよいよか…」この瞬間ばかりは、誰もが偉大な冒険者だ。クリスはもう一度エステルにキスを落とすと、自身のものを彼女の局部に当てた。上部のクリトリスを擦るようにして、膣への入り口を探し当てる。そしてゆっくりと差し込んでいった。既に濡れてはいるのだが、エステルの中はかなり狭く、亀頭を飲み込むだけでかなりの時間を要した。今までと比較するとかなり難しい相手だった。膣内からジワリと血が滲み出し、ポタリとシ―ツに落ちた。エステルは目を伏せ、細い息を吐く。呼吸は荒いが、拒絶の意は無い。彼女が、一端の男の巨大な男根を全て受け入れる事が出来るかどうかは分からないが、今止めるわけにもいかない。
クリスは意を決し、腰を動かした。ズブリと音を立て、二人は深く交わっていく。「ひ…ぁ…痛っ…!」真ん中辺りまで進んだ時にエステルは僅かに顔をしかめたが、クリスは躊躇わずに彼女の中へと入っていく。痛い目に遭わせたくはないのだが、時にはそれを避けられない時もあるのだ。エステルの腰を両手で掴み、クリスは腰をさらに前へと出す。「うぅ…あぁん…」何とか根元まで滑り込ませ、一端動きを止めると、彼女の呼吸も少し落ち着いてきた。しかしクリスにしても心配ばかりしていられる立場ではない。エステルの性器が思っていたより心地良く彼のモノを包み込むからだった。適度に締め付けが強く、その上秘所全体が男根へと吸い付いてくる。動いてもいないのに、奥へと引き込まれそうな感覚すらあった。少し動いてみただけで、全身に快楽が走るかのようである。セックス自体が久し振りなクリスに取って彼女の名器は、頭の中を本能にまで遡らせかねない代物だった。その通り、彼は腰を前後に運動させ始める。エステルの花弁に食らいつくような激しさだ。「あぁ…んっ!駄目……、凄い…いやぁぁぁ!」痛みと快楽を同時に感じながら、エステルも腰を振り始めた。M字に開いた脚の下で、細身で綺麗なラインをした腰回りが卑猥に揺れる。女の体付きでありながら、まだ少女のあどけなさも残るそれが、さらにクリスの欲望を引き出す。彼のモノは更に膨らみ、エステルの中を駆け巡った。「アン!ああぁんっ!!ボ…、ボク!変になっちゃう…よ…」「ああ…、俺も少し…おかしいようだ…な」エステルが一番奥を突かれた時、クリスのモノはかつて無い程に膨張していた。「ウゥ…、……ぁん…」エステルは何か温かい流れをお腹に感じた。上体を起こそうとしたが、うまく力が入らない。頭の中は真っ白だった。
「あ…痛ゥ…!」ベッドに寝転がりながら、エステルは呻き声を上げた。外が静寂に暮れる時分の事である。二人は服を着ることもせず、同じベッドに佇んでいた。行為後、エステルは腰が抜けたらしく、しばらく立てなかった。今はマシなようだが、先程まではべッドの上で、完全にへばっていたのである。「やっぱりか。俺ばかりが良い思いをしちまったな」エステルの頭をポンと叩きながら、クリスは言った。「いいよそんなの。相手が相手だし…」少々痛い思いもしたが、エステルに後悔は無かった。肉体的には確かに辛いのだが、クリスをより近くに感じる事が出来て心は安らいだのである。「それより体洗いに行こうか?汗だくで気持ち悪いし」エステルは立ち上がりながら言った。「最もだがな。この格好じゃ出られん」クリスは立ち上がり、服を着始める。今は深夜だが、流石に全裸で出歩くことなど出来る筈もない。しかしここ数日の激戦のせいもあり、クリスの服はボロボロだった。長く着る方なのだが、流石に買い替える必要がある。明日にでも行くか。そんな事を考えながら、クリスは手早く服装を整えた。用意が終わり、エステルの方を見てみる。彼女はまだ裸のままだった。張りのありそうな日焼けした素肌を晒し、ふぅといった感じで立ち尽くしている。クリスはその理由にすぐに気付いた。エステルの膣内から、血と精液が流れ出していたのだった。彼女の薄い茂みを濡らし、その内股を伝っている。「女は大変だな」クリスはエステルに近づき、彼女のピンク色の花弁にそっと触れた。エステルは一瞬だけ恍惚とした表情を見せたが、すぐにいつもの顔に戻る。「女『も』大変だね…。確かに」クリスは彼が愛用しているマントを、彼女に被せてやった。そして自分の鞄に、エステルの服やら下着やらを詰め込む。「まさか…」「温泉まで五分だ」予感が当たり、 エステルはハァと溜息をつく。「こんなスースーした格好で外に出るなんて…。仕方無いけどさ」マントを器用に身体に巻きつけながら、エステルは言った。
クリスとエステルがバイアシオンを出たのは、あの夜から一年程経った日の事だ。
海って本当、広いんだな――大陸が遠ざかっていく中、エステルはそんな事を思った。今まで見てきた内海だけでも、人間には手が余るほどの広大さだと思っていたが、この外海にはそれすら小さく纏まっていた世界だと思わせる果てしなさがあった。「海神がいるらしい。この先には」船上で大海原を見つめていたエステルに、その声は掛けられた。「聞いた話だね。バイアシオンの四方を守護している神様がいるとか」エステルは振り返り、声の主に切り返した。「人間をバイアシオンの外に出さない為、監視しているともいうぞ」声の主、クリスは別の説を持ち出してくる。「どっちも伝説だろ。考えても仕方ないよ」「その通りだがな。未知の力を持つ海獣がいるのは確からしい」バイアシオンが、海の向こうに進出できない理由の一つがそれだ。もしかすると、外海の魔物は恐ろしい力を持っているかもしれない。リスクを冒してまで、挑戦しようとする者などいなかった。大陸の外に出るのは、クリス達が第一号じゃないだろうか。傍から見れば、無謀な冒険だったかもしれない。
だがエステルは、それに関して特に不安は無かった。その理由はやはり、クリスの存在だ。彼は翼を持っている。運命から翔び立ち、絶望を振り切ることの出来る翼だ。空を征す事は出来ないが、与えられた命を全うするだけの力を備えている。クリスとなら、この海の向こうへもいけると、エステルはそう思っていた。「この先の海域の記録は無い。『冒険』だね」「末恐ろしい」「思ってもないくせに」エステルは、クリスの手に自分の手を重ね合わせた。気持ちの良い風は、潮の香りを運んでくる。エステルの短い髪が静かに靡いた。見つめる先には、水平線が柔らかく真っ直ぐに横たわっている。それはまさに永遠のブルーだった。
終
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