荒れた内装と凶悪な魔物。凝縮されたかのように漂う闇の気配・・・・。エンシャントの廃城はそういう所だった。多少腕に自信がある程度では、冒険者とて近づこうとはしない。そんな場所に、ある種の悲壮さを秘めた三人の戦士が佇んでいた。
1人は黒装束に身を包み、両手に短剣を持った男。名をレイヴンという
もう1人は赤い装束に片手剣を携えた長身の女。名をカフィンという
そして最後の1人である、彼らのリーダー格の少女、ノエル
彼女はその小柄な身体を白銀の全身鎧に包み、背には巨大な両手剣を背負っていた。人形のようなあどけなさを残した面影に、歳相応とはとてもいえない、張り詰めた色を浮かべている。「さて、それではそろそろいくとしようか」そんな三人の背後より、1人の男が現れた。金髪のソバージュを靡かせた神官服の男だった。暗い表情のノエルたちに対し、全く気負った雰囲気を持たないその表情は、この場では不自然にさえ感じる。「ナーシェス…、あんたは今のノエルを見て、何も感じるものが無いのか!」その余裕の表情に対し腹を立てたのか、レイヴンは怒りを込めた言葉を、神官服の男=ナーシェスに投げつけた。
しかしナーシェスは怒り返すこともせず、その口元に嘲笑に近い笑みを浮かべる。「感じるもの?もちろんある。竜王様に選ばれた戦士として、秩序を乱すあの男を仕留めるだろうという、期待を感じているところだ」「……よくもそんな事を…!」「争うのは止めて。あたしは大丈夫ですから」一触即発の雰囲気を、ノエルが力無い声で宥めた。ナーシェスの言うあの男とは、冒険者として名高い、とある青年の事だ。レイヴン達ともそれなりに見知っていて、ノエルに取っては、尊敬する先輩冒険者だった。ノエルは彼に追いつくのだと、今日まで剣技を磨いてきたのである。しかし皮肉な事に、彼女が今、やらなければならないのは、その青年を殺すことだった。それもカフィンとレイヴンのために。二人の未来のためにノエルは、尊敬する人間を殺す事を選んだ。――――あまりにえげつない。少なくともレイヴンはそう思う。恐らくカフィンもそうだ。こんな事を考えるナーシェスや竜王を殺してやりたかった。だがそれはノエルを裏切る事にもなる。しかし二人が生き続ける事はノエルを苦しませることにもなるのだ。先程から堂々巡りだった。どうすればノエルのためになるのか・・・・。それを考えながらも結論は出ず、ついにここまで来てしまった
「ナーシェスの言う通り・・・。行きましょうか」ふとノエルが口を開いた。潔く見えるほどに、躊躇わず目の前の扉を開く。そこにいたのは・・・・・
1人は奇跡将軍と呼ばれるロスト―ルの名将 1人は獅子帝と呼ばれる冒険者の神 そして最後の1人は竜殺しと呼ばれる戦いの王だった
いきなりのノエルたちの登場に、青年たち三人は戸惑いを見せた。「やはり、勝ってしまったのですね…」分かっていたことだが、ノエルはあえて言った。その言葉には、弱冠の躊躇いが含まれていたが、それでも彼女は、青年の方へと、その歩みを進める。カフィンとレイヴンは、居たたまれない思いで、その後に続く。「ノエル…。ここにたどり着くとは、随分腕を上げたな」青年は言った。ノエル達三人は、その青年の方を見やる。黒衣に群生色の鎧、そしてその背には、身の丈を越えかねない大剣。細身な体躯であるにも関わらず、彼の両左右にいるゼネテスやネメアを上回る、異様な存在感があった。――――……勝てない。ノエルは即座にそう思った。そう思うのも、無理はなかった。青年の戦士としての名は、大陸中に知れ渡っている程のものだ。四邪竜、封印の巨人、邪神、三聖竜の一角…、青年はそれらすら、造作も無く殺した。伝説の破壊神といわれるウルグですら、そのソウルごと取り込まれたのだ。もはや彼は、人の姿を借りた化け物だと、その戦い振りを見た者は言う。しかしその化け物を前にしても、ノエルは臆する様子も見せず、真っ直ぐな視線を崩さない。「大陸を覆うほどの闇ですら、貴方はいとも簡単に払ってしまった。そのおかげで、バイアシオンは危機を免れました」彼女は静かに言った。青年は黙ってその言葉に、耳を傾ける。「でも現在、この大陸は新たな危機にさらされています。闇をも取り込む強すぎる光…、貴方です。」言い切った。
「……」
沈黙。
「私は竜王様に選ばれた戦士として、貴方を倒さなければなりません」
また沈黙。
しかしもちろん、青年達は気づいている。それが完全な宣戦布告であるということに。「おいおい。いきなり、それはねえんじゃねえか。必ずそうなるとは限らんだろう?」ゼネテスが、割り込むように言った。「それにもしそうなったなら、俺たちで止めてやればいいだけだ」ノエルに対し、ゼネテスは、あくまで反論する姿勢だ。「果たして、そう巧くいくかな?」その時である。ノエル達の背後より、その声は聞こえた。金の長髪を靡かせた神官服の男、ナーシェスだった。「その男の力は最早、史上最強。誰も勝てぬ。そしてまだ強くなるやもしれん。今は違うとして、いつかの未来、破壊願望がその男の中に生まれたなら、一体誰が止められるというのだ?今の内にその芽を摘んでおこうというのが、竜王様のお考えだ」ナーシェスは言う。鼻持ちならない言い方だったが、一理はある。確かに、青年には誰も勝てない。ゼネテスは先ほど、自分が止めると言ったが、もし青年がその気なら、そんなことはほぼ不可能だ。「本当に残念だわ。こんなことになってしまって…」「…俺はノエルの敵を倒すだけだ」とは、カフィンとレイヴン。ノエルも表情を崩さないまま、背中の剣を抜く。「私の最後の剣。受け止めて下さい」その言葉が開戦の合図だった。青年も背の大剣を抜き、半身に構える。ゼネテスはカフィンと、ネメアはレイヴンとそれぞれ対峙した。三者三様の睨み合いが、しばしの間続く。そこから最初に動いたのは、ノエルだった。叫び声を上げ、青年に斬り掛かる。少し遅れて、カフィンもゼネテスに攻撃を仕掛けた。ノエルの攻撃に対し青年は、愛剣を振り降ろす。互いの得物がぶつかり合い、噛み合う音がその場に響いた。「流石ですね」鍔迫り合いの中、ノエルは青年に言った。「君こそな。だが…」
次の瞬間、ノエルはわき腹の辺りに重い衝撃を受けた。剣によるものではない。蹴りだ。そういえば、青年は拳士としても名高い。マンティコアを殴り殺したという逸話もある。剥き身にくらえば危なかった。鎧のおかげもあって、ダメージは無いが、鍔迫り合いの体制を崩される。「くっ…!」ノエルは即座に、天動地鳴を縦に構え、そのままバックステップで後退する。しかし、そこからの青年の追撃は、恐ろしく速い…、いや、もはや迅いとしか言い様のない程のものだった。一足飛びで距離を詰め、それと同時に、こちらの首を片手で突いてくる。大剣での片手突きというだけでも、人間離れした技だが、その上狙いまで正確とあっては、脅威以外の何物でもない。何とか避けることはできたが、肩当てが甲高い音をたてて、吹っ飛ばされた。同時にバランスを崩され、肩からは僅かに出血したのが分かる。しかしそれを気にしている暇はない。この状況から守りに入れば、負けは確定だ。
「やぁっ!」そう判断したノエルは、倒れた勢いを利用し、青年に渾身の斬撃を放った。苦し紛れの一撃で、正確さには欠けるが、鋭い斬撃だった。青年はそれを大剣で受け止めるが、そこから攻撃することはせず、一旦距離を置く。ノエルも間合いを置き、愛剣を構え直した。互いに、攻撃できる間合いのぎりぎり外。どちらかが動けば、また斬り合いになる距離だった。ノエルは肩に傷があったが、出血はそれほどのものではない。痛みについても、特に問題なかった。降参には早すぎる。しかし実際に戦ってみてよくわかる。この青年の恐ろしさが。彼は今まで、ノエルの力になってくれることも良くあった。しかし今の彼がこちらに向けているのは、純粋な殺意のみだ。恐らく誰であれ、敵対する者にはそうなのだろう。たとえ昨日までの仲間であれ、敵となれば容赦なく斬り捨てることができるのだ。末恐ろしいと、心から思う。しかし今の状況では、好都合でもあった。青年がどうであれ、ノエルがその命を奪わなければならないことに、変わりはないのだから。決死の覚悟で、彼女は愛剣を握り直した。
青年とノエル、カフィンとゼネテス。先程から数度打ち合っているこの二組に対し、ネメアとレイヴンは微動だにすることも無く互いを睨み合っていた。ただその目から読み取れる感情の色は、それぞれ対極に位置するといってもいい。巨大な槍を構え、雄雄しく立つネメアはまさに黒き獅子であった。そこから感じるのは王者の威厳、その目に映すのは慢心を欠片ほども含まない余裕だ。対してレイヴンが感じるのは、まさに恐怖のみだった。彼は黒い閃光と呼ばれる一流の暗殺者であったが、この目の前の男には勝てる気がしなかったのである。二刀を構え、常に臨戦態勢なのだが、攻撃を加える隙が見付からない。かといってあと僅かでも踏み込めば、そこはネメアの間合い。即座に身体を貫かれて終わりだ。相手の仕掛けた攻撃は避けられる自信がある。しかしこちらから間合いに入った場合の攻撃は、防ぎ様が無い。武器のリーチに差がありすぎるのだ。「私を倒さねば仲間の援護には行けぬ。いつまでもそうしてはいられぬのだろう?」ネメアは静かに言った。レイヴンとネメアの隣では、二組の戦士達が死闘を繰り広げている。そして言うまでもなく、レイヴン達は劣勢。ゼネテスと戦っているカフィンはまだしも、ノエルの方は、一刻も早い援護が必要だ。「そう焦るな。今あんたを倒すための算段を練っている」レイヴンが言った。しかしはったりでしかない。そんな方法は思いつかなかった。まともに動くことすら出来ていないのである。その頬を冷や汗が伝い落ちるばかりだ。勿論、獅子帝の名を持つ男の前にそんな虚勢が通用する筈もなかった。ネメアは全く表情を変えることはない。レイヴンの強さなど歯牙にも掛けていないのである。「以前にも言ったな」ネメアの声は、冷厳でありつつ諭すような色を帯びていた。「お前は強い。故に私の強さが分かる。そしてまた、そうであるが故に恐怖も知ってしまった」
レイヴンは脳裏に過去の記憶が甦るのを感じた。かつて彼が施門院の暗殺者であった頃の話だ。ある時一つの任務を受けた。
―――――ネメア暗殺。
今は無きエルファスの私情によって、与えられた任務だった。イズを自身の許から攫っていったネメアへの報復である。この任務に就いた事により、レイヴンはその後の人生を変えることになった。最初はどうとも思わなかった。当時のレイヴンは言われるがままに、標的を殺していただけの、いわば道具でしかなったのだから。『ネメア』とか言う奴の急所に、一本のナイフを突き立てればそれで終わる。同じく任務に就いていた、他の暗殺者達も、その程度の認識だったはずだ。しかし実際にネメアを目の前にし、レイヴンの今までの世界は崩れた。仲間達と協力し、彼を路地裏に追い詰めたまではよかった。まさに予定通りである。暗殺者達はレイヴンを含めて、5人いた。「……覚悟」その内の三人が同時にネメアに飛び掛る。
……次の瞬間どうなったかは、最早説明するまでも無いだろう。ある者は頭蓋を割られ、ある者は串刺しにされ、またある者はその首を飛ばされた。ようは三人の暗殺者が、三つの死体となっただけの事である。それを見た四人目の暗殺者は、臆する事もせずネメアに攻撃を仕掛けた。感情を持たぬが故の恐れを知らぬ蛮行は、そこに観衆でもあれば、ある意味で勇敢にも映っただろうが、その結果は四つ目の死体を生み出したというだけだった。「お前は私の命を狙わないのか?」微動だにせず、事の成り行きを見守るレイヴンに対し、ネメアは声を掛けた。しかしレイヴンは無反応。が、無理も無かった。その時既に、彼の頭の中には恐慌が起こっていたのだから。「死の羽音…。お前のことは知っている。その恐るべき強さもな」ネメアは言った。その言葉を聞いたレイヴンの身体に、震えが来る。今まで感じた事の無い『何か』が、彼の内側でうごめいていた。「…ううっ……あああっっ」呼吸困難に陥ったような喘ぎが、喉の奥から溢れ出す。カラン――という音を立て、両手に握っていた短剣が路上に落ちた。「お前はこの四人より遥かに強い」転がる死体に目をやり、ネメアは続ける。「故に私の強さが分かる。それであるが故に、もう私とは戦えない。お前は初めて恐怖を知ったのだ」
――――恐怖を知ったのだ。その言葉が頭に反響する。
「わぁぁぁぁぁっっーーー!」気付けばレイヴンは逃げ出していた。任務などもうどうでもよかった。この瞬間、彼は何も感じない人形ではなくなった。人間となったのである。
「だからこそお前はかつて、私から逃げた」その声で、レイヴンは現実に引き戻される。短剣を握る手には、大量の汗。ネメアの話に完全に呑まれていたようだ。そしてそこから、思い出す必要も無い過去を思い浮かべ、それに恐怖していた。(情けない。しかし俺はやはり、自分より強い者が怖い……)偽らざる気持ちだった。レイヴンは強い。だがネメアはそれ以上に強い。それが分かるからこそ、レイヴンはネメアに勝てないということも知っている。そして勝てない相手と対峙したとき、恐怖を感じるのは至極当然のことであった。
―――……ただ。ただ一つ、かつてとは違うことがあった。
この圧倒的な存在感を持つ男に恐怖を感じるのは昔と変わらない。しかし今のレイヴンは逃げ出す事をしなかった。勝ち目はほとんど無い、恐怖も感じている。暗殺者であった時の彼は、その時点で逃げ出した。しかし今のレイヴンは違う。その恐怖の存在に対して向き合うことが出来ている。それが意味する事は、つまりネメアと戦えるという事だ。レイヴンの精神はいつの間にか、叩き上げられていたのである。恐怖を征すほどに。(ノエルのおかげだな…)彼女を悲しませる者は許さない。彼女の敵は倒す。それが今のレイヴンだった。「俺は確かに逃げ出したさ。そして今も、あんたのことが怖い。しかし今の俺は、あんたとも戦える。」そう断言する。自分でも意外なほど、静かな、そして落ち着いた声であった。「ほぅ…、ならば向かってくるがよい」ネメアは腰を落とし、破滅の槍を構える。その目には相も変わらず余裕が漂っていたが、その余裕の色は先程より弱くなった。逃げ出した男が、帝王を僅かにでも動揺させた瞬間であった。「「いざ……」」二人の体躯は攻撃に移る。その時だった。
キィィィィィン!甲高い音が響いた。戦闘開始直前だった二人は、ほぼ同時にそちらへ目をやる。カフィンもゼネテスも同様であった。彼らの戦いを中断させるほど、その響きは何かを感じさせたのである。
そこにいた全員が見たのは、防戦を強いられている青年と、その青年に鬼神の如く斬る掛かるノエルの姿だった。年端もいかぬ一人の少女が、人の姿を借りた化け物と、そうまで揶揄される男と互角に打ち合っている。先程の甲高い音は、青年の胴鎧の一部が壊された音のようだった。
竜殺しが鎧に命を救われる始末―――
この事実は歴戦の戦士である者達にさえ、衝撃を与えた。皆が一旦戦うのを止め、青年とノエルに釘付けとなる。「信じられねぇ。なんて嬢ちゃんだ…」とはゼネテス。「ノエル…、まさか」レイヴンは不安そうな声を出した。
「大した剣さばきだが…。」青年は、鋭いノエルの斬撃を、紙一重で避ける。
―――俺を殺すには、まだ10年早い。
そして愛剣を振り上げた。横凪に振るわれた大剣は、大気を潰すような音を立て、ノエルを襲う。だが青年の狙いはノエルの命とは別にあった。その手に握られている天動地鳴、即ち武器破壊が狙いだ。青年の得物はノエルのそれより劣るが、彼の両手持ちの斬撃ならば、希代の名剣であれ損傷は避けられない。こちらの武器も無事では済まないが、剣を失えばほぼ無力となるノエルに対し、青年には武器無しでも戦う術があった。しかしこの狙いは見事に外れる。ノエルはいとも簡単に青年の一撃を受けてみせたのだ。
ガキィィィン!
大剣同士が打ち付け合う音が響く。激しい音に対し、天動地鳴はびくともしない。「私は退けないんです…! 絶対に!」そう言うノエルの表情は、今にも泣き出しそうだが、そこからはとてつもなく強い意志を感じる。「やぁっ!」ノエルはその体制のまま、青年の剣を弾き返した。そして返す刃で斬りつける。(迅いな……)避けられない一撃だった。ノエルの剣は青年の鎧を貫き、脇腹を斬り裂いた。瞬間、鮮血が舞った。青年はたまらずに後退し、間合いを離す。その動作があと僅かにでも遅れたなら、確実にやられていただろう。首の皮一枚の差で、何とか生き残れたのであった。しかし受けた傷は、かなりの深手には違いなかった。口から血が伝うのが分かる。斬られた箇所は、火が出るような激痛だった。おそらく内蔵がやられている。この傷は相当まずい。
―敗色濃厚―
現在、まさにそれだ。だが今、青年の頭にあったのは、別のことだった。ノエルの強さについてである。戦い始めてから今に至るまでに、明らかに動きが変わった。身のこなし、打ち込みの鋭さ、剣さばき……。全てが急激に進化しているのか、今のノエルは青年を倒しうる。青年は今まで幾多の死線に遭遇してきたが、今回の戦いはその中でも最も死に近いと感じていた。それほどに、今のノエルは強い。(さて、どうするか…)そこまで考えて、現状に思考を戻した。今、下手に打ち合えば、おそらく負ける。予想以上に傷は深く、血が止まらない。動けば血塊が口から溢れる。そしてそれを差し引いても、二人の力量に差は無い。(気は引けるが…)やはり殺すしか無い。生き残るためには。そして今のノエルを殺すには、自分を殺すことが必要だ。そう覚悟を決めた時だった。
青年は気付いた。ノエルの両手が血塗れであることに。それだけではなく、足も震えているし、歯を食いしばっているせいか、唇からは血が出ていた。顔色は悪く、その表情に見えるのは、死相という言葉に近い。(限界か…)そう、ノエルの身体はとっくに限界を超えていたのだった。おそらく青年と渡り合うための代償だろう。彼女はこの戦いを通して進化したのではなく、自分を殺すつもりでこの戦いに臨んでいたのだ。だからこそ、あれだけの力が出せたのだろう。どうしても勝ちたい。そのノエルの思いは、竜殺しの剣すら破ったのだった。
人間は、リミッタ―が外れたならば、普段以上の力を発揮し、同時に身体が壊れていくという。それに気付かずそののままでいれば、その身が迎えるのは破滅だとも聞く。そんな芸当が可能な者など存在するはずがないと、青年はそう思っていたが、その考えは今日で撤回せざるを得ないようだ。―――末恐ろしい。
二人とも既に限界だった。これ以上戦えば、ノエルの身体は壊れていく。そして青年の出血量は、既に相当なものだった。しかし二人とも引かない。徐々に距離を詰め、互いに満身創痍なれど、剣を構える。そして斬りかかろうとしたその時だった。「待ってくれ!」男の声が張り詰めた空気を破った。漆黒の暗殺者、レイヴンだった。
彼は二人の間に割り込み、青年の方を睨む。「レイヴン…?」ノエルが不思議そうな、そして憑き物が落ちたような顔で呟いた。レイヴンはそれには答えず、青年に対し、「勝負は終わりだ」と言った。青年の方はというと、訳が分からないという様子である。「何のつもりだ?」訝しげに、青年は尋ねる。そしてその声音には、威圧感を含む冷酷さもあった。―邪魔をするな―とその目が言っている。だがレイヴンはそれに臆することもなく、目の前の竜殺しと対峙する。「ノエルはこれ以上戦えば、無事では済まない。そちらもだろう?」「その通りだな。だから?休戦したいとでもいうのか。随分慎重なことだ」「……」「俺は別に構わん。元々お前達と殺し合うつもりなど無かったのだからな。しかし、一人だけ納得してない奴がいるようだぞ」そう言い、青年はノエル達の背後の男を見やる。ナ―シェスは険しい目つきでこちらを睨んでいた。「その様なこと、お前達には許されてはいない」予想通り、にべもない答えだ。だがそれで納得するレイヴンでは無かった。「無理だというなら、あんたを倒す。」断言した。が、ナ―シェスは冷笑を返す。「話にならんな。私を殺せば竜王様を敵に回す。どのみち、お前達に未来はなくなるのだ」「そうだとしても、その前にあんたを殺す。……俺を助けてくれたのには感謝してるさ。だがこれ以上、ノエルを悲しませることは許さん」本気だった。両手に構えた短剣が、ナ―シェスに狙いを定める。「レイヴンやめて!」ノエルは悲痛な声を上げた。だが場の雰囲気は、より張りつめたものとなる
「一日後だ」
今にもレイヴンが襲いかからんというときだった。その場に低めの声が響いた。青年のものである。「明日の今頃まで、休戦するというのは?」「……」「事情は知らんが、戦うなら意見を一致させてから来い。俺とて出来るなら彼等と戦いたくはないのだ。一日あれば話し合えるだろう。その末にまだ戦うというなら、その時は相手になってやる」「巫戯けたことを……。戦いの放棄とは、天地無双の竜殺しが聞いて呆れる」今度は嘲笑を見せるナ―シェス。「ほぅ…、お前は戦う気か。では今すぐにお前を殺し、竜王も始末してやろう」青年は大剣を引きずり、歩みをナ―シェスに進める。瞬間、ナ―シェスは背筋に冷たいものを感じた。
目の前にいるのは、竜殺しとはいえ、たかが一人の死に損ないでしかない。その身体は限界の筈だ。事実ノエルにやられた傷からは未だに出血しているし、顔色は青白いを通り越して土気色ではないか。そんな男に何が出来る。私が直々に止めを……。
だがその思いとは裏腹に、本能の部分には恐怖があった。死の感覚が、青年が接近するごとに増していく。「……い、いいだろう」気が付けばそう言っていた。「だがお前が逃げた時、お前が知る者全ては、竜王様に粛正される。それを覚えておけ」それだけを言い残し、ナ―シェスは去っていった。
その場に沈黙だけが残った。「……感謝する」そんな中、レイヴンは青年に礼を言い、ノエルに肩を貸しながら、踵を返した。カフィンもそれに続く。彼らのその背中には誰にも癒せない哀愁が漂うようだった。三人が部屋から出ると、ゼネテスとネメアが青年に近付いてきた。「傷を見せてみろ」ネメアが言う。青年は答える代わり、その場に座り込んだのだった…。
荒廃したエンシャントの一角、冒険者ギルドの向かいの宿屋で、レイヴン達は佇んでいた。冬場である今の時期に、野宿は堪える。だから悪いとは思いつつ、無断で宿屋の一室を借りていたのだった。青年達との戦いから約三時間たっている。もう日は完全に沈んでいた。窓から見下ろす景色は壮絶の一言。夜の闇とも相まって、まさに地獄が突如現れたかのような光景である。闇の軍勢は既に退けられていたが、今回の襲撃によってディンガルが受けた被害は、凄まじいものであろうことは想像に難くない。(この街の復興には手間が掛かるのだろうな…)自分とは関係無いことながら、レイヴンはこの後予定されているであろう、エンシャント復興に携わる人々の苦労を思った。「なに黄昏てるのよ。あんたは」そんなレイヴンにカフィンが話しかける。レイヴンは部屋の中に視線を戻した。暖炉の前の椅子に、カフィンは佇んでいる。ノエルはベッドの中で眠りについていた。彼女の怪我は大したことはなく、治療の方はさほど手間も掛からなかったが、両手に巻いた包帯が痛々しい。戦いに疲れたのだろう。ノエルは引き上げる際も一言も喋らなかった。この部屋に入り、治療と少量の食事を終えると、彼女はすぐに眠りについたのだった。途切れる事も無く、健康的な寝息が聞こえる。
外とは違い、この部屋の中は平和だった。平和で、暖かい。恐らく仲間がいるからだろう。しかし今は、平和で安らぐからこそ哀しくもある。レイヴンは覚悟を決めていた。明日にはこの世から消えようと。この命はノエルのために使うつもりだった。だからネメアとも戦うことが出来る。しかし気づいた。レイヴンが生き続けるということ自体が、彼女を束縛するということに。この命は竜王から与えられたものだ。彼女はそれを盾に、一生操り人形のように使われてしまう。「カフィン。俺達はもうここにいるべきじゃない」レイヴンが言った。いや、断定したと言った方がいいかもしれない。それほど確固たる口調だった。それに対し、カフィンは暖炉の炎から目を離して、再度レイヴンへと目を向ける。「俺は竜王から与えられた命を使い、ノエルの為に生きようと思った。だがそうするには、ノエルは傷つき過ぎる」青年を殺せたところで、ノエルはそれを引き摺り続けるだろう。恐らく一生、彼女はそれを忘れられまい……。ノエルには、過去に縛られる生き方はして欲しくなかった。「その通りね」静かにカフィンも同意する。「私達は一度は死んだ。あんたの言う通り、ここにいるべきではないと思うわ。坊やを犠牲にしなければならないというなら尚更ね…」「……では――」
「でもね」レイヴンの言葉を遮るように、カフィンは言った。「ノエルと離れるのは、やっぱり辛すぎるわ。何を犠牲にしても生きたいと。そうも思ってる」互いに沈黙する。数瞬、その状態が続いた後、レイヴンがそれを破った。「それは俺もだ。死にたくなど無い」しかし考えてもみろとレイヴンは言う。「こんな言い方はしたくないが、今の俺達は死体と変わらん。つまり今のノエルは死体に縋って生きていこうとしてるも同然だ。それも親しい人間を殺してまでな。そんな風に過去に縛られる彼女など、俺は見たくない。ノエルには前を見て生きて欲しいのだ!」最後の方では声を荒げていた。まさに感情の八方塞である。ノエルの側にはいたいが、彼女には自分たちの事で縛られて欲しくない。現状ではその思いは矛盾している。「……少し風に当たってくるわ」カフィンはマントを羽織り立ち上がると、部屋から出て行った。「寝るなら窓は閉めなさいよ。ノエルが風邪ひくといけないから」「おいカフィン!まさかおかしなことは考えていないな!?」カフィンの言葉をかき消すようにレイヴンは声を荒げた。「あんたは私のことを何だと思ってるの!彼らに殴りこみでもすると思うわけ!?」「いや、そういうわけでは…」怒鳴り返してくるカフィンに対し、レイヴンは臆したように声を小さくした。「すぐに戻るわよ。仲間の気持ちを裏切るような事、私はしないわ」ドアが閉まるバタンという音と、遠ざかるカフィンの足音だけが耳に残った。
「ふぅ……」やれやれといった風情でレイヴンは溜息をつく。先程のカフィンの怒鳴り声で少し気が楽になった。普段通りの日常を連想させたからである。やはり仲間とは良いものだった。どれ程絶望的な時にでも、少しは前向きになれる。「ん……」その時ノエルの寝息が途切れた。どうやら目を覚ましたらしい。ベッドから起き上がり、眠たげな瞳で此方を見つめてくる。「まだ夜だ。眠る時間は充分にあるぞ」なるべく柔らかい声を意識し、レイヴンは言った。「疲れているだろう。俺が側にいるから、もう少し休むんだ」ノエルに近付き、彼女の頭をポンと叩く。しかしノエルは無表情のままこちらを見つめ返すだけだ。「レイヴン…。何故私を止めたの?」ノエルは突然言った。悲しげな声だった。「ノエル?」「あたしが勝つには、あそこで勝負を決めるしかなかった…。もうあたしじゃあなたもカフィンも助けてあげられない……!」最後の方は涙声だった。「お前はそれ程に俺達のことを…」「当たり前です。あたしは1人じゃ何も出来なかった。レイヴンやカフィンがいてくれたからここまで戦う事も出来たんです。誰を殺しても二人がいるならそれで良いと…」ノエルの嗚咽は止まらない。ずっと閉じ込めていた思いが爆発したのだった。レイヴンは自分がそこまで思われていたということに対し、どうしようもなく胸が熱くなる。しかしその後に襲ってくるのはそれ以上にどうしようもない虚無だ。この先も仲間達とやっていけた筈の人生の可能性―――もう手の届かない未来だった。心の深い部分では、まだ死ぬのは早いと思っていたのかもしれない。しかし目の前で泣き崩れるノエルを見て、そんな思いは消し飛んだようだった。ノエルは死者に対して涙を流しているのだ…。『生きたい』という燃え上がる思いに、冷たい氷がジュッと音を立て、押し当てられたような気がする。(死ぬとはこういうことか…)今さらながらに分かった。いくら死線を巡ろうが、『死ぬ』という事はその直前になるまで分からない…。そしてレイヴンは今まさに、自身の死を意識したのだった。
「ノエル、もう泣くな」レイヴンはノエルを抱きしめる。「返事はしなくて良い。話だけ聞いてくれ」そう言い、彼は静かに語り始めた。
「俺もカフィンももうこの世にいるわけにはいかない。お前が俺達を望むのだとしてもな。お前には未来がある。恐らくは輝かしい未来が。だから死人の事を引き摺りながら生きる事は無い。それはお前を駄目にしてしまう」そこで一旦言葉を切った。「俺達のことは覚えていてくれれば嬉しい。だが、俺達に囚われるな。今すぐとは言わない。いつかの未来で良いから、過去と向き合えるぐらい強くなるんだ。そして……」
――――――そして、幸せになれ。
レイヴンは立ち上がるとノエルに背を向けた。これ以上ここにはいられない。しかしすぐにノエルはその背中にしがみつく。「…あたしも言いたいことがあります。聞いてくれますよね、レイヴン」レイヴンは少し迷ったが、ノエルのほうを振り返った。「話というよりお願いですけど」声はしっかりしている。多少涙声ではあったが。「お願い?」レイヴンは訝しげな様子だ。「ええ。レイヴン、最後にあたしを抱いてください」驚きの表情は見せず、レイヴンはノエルを見つめた。「ノエル…。お前はまさか俺のことを?」「気付いてなかったんですか?本当、鈍いんだから」泣き笑いのような表情を見せ、ノエルは言った。数秒呆気に取られたレイヴンだが、彼もやがて微笑を返す。「考えもしなかったよ…」続く言葉を待たず、ノエルはレイヴンの背中に手を回した。彼女は、もうレイヴン達の死を覚悟している。この先彼らに依存せずに、生きていかなければならないという事にも。ただこのまま死に別れるのは耐えられなかった。彼のことを引き摺らないようにとは思えど、忘れる事など出来ないのである。ならせめて、限りある時間だけでも彼とは恋人同士でありたい。そう思った末での行為だ。「俺も最後まで幸せ者だ」そう言うとレイヴンもまたノエルを抱きしめた。こちらを見上げるノエルと目が合う。まだ年端もいかないあどけない顔立ちだった。――――せめて今だけは幸福な時間を…。そう思い、互いに唇を重ね合わせた。
「ん……んんっ…」初めて重ねられた唇の間から、僅かな声が漏れた。それは女の声だった。愛する男に飢えた女の声。それを聞き、レイヴンの頭の中に欲望が渦巻き始める。彼は口付けを交わしたままで、ノエルをベッドに押し倒した。しかしノエルの身体は、先程の言葉に反して僅かな震えを見せる。目は怯える小動物のよう。戦いの時とは明らかに違う、今まで見せたことが無い表情だ。聞くまでもなく分かる。彼女は男を知らないのだ。なるべくノエルの恐怖や不安などの思いを刺激しないよう、柔らかい手つきで彼女の服に手をかけた。次第に汚れの無い白い肌が露になっていく。レイヴンは僅かに残る理性を働かせながら、ノエルの衣服を全て剥がしていった。小柄な彼女の身体は、女としてはまだまだ発展途上だが、大人になる一歩手前の独特な色気に満ちていた。「そんなにじっと見つめないで下さい…」さすがに恥ずかしさを感じたのか、ノエルは両の腕で胸を隠し、僅かに視線を逸らす。レイヴンはそれには答えず、しかし出来るだけ気を遣いながらノエルの身体に触れていった。その手が彼女の胸へと伸びると、次第にノエルは艶を帯びた声を上げ始めた。
「ん…!レイヴン!!」
レイヴンはノエルが上げる声に対応させるかのように、胸を掴んだ手の動きを速くする。直立した乳首が指に触れる度、ノエルの喘ぎはその間隔を短くした。
「う…ん……!そんなに強くされたら…あたし……」
呟く様にノエルが言う。
「大丈夫だ」そんなノエルに対し、レイヴンは包み込むような口調でそう言った。そして胸に回していた右手をノエルの秘部へと這わせる。
「いやぁん!!」僅かに触れただけで、ノエルは一際大きな声を出した。レイヴンは口付けでその声を塞ぐ。そして同時に右手の指をノエルの中へと進入させた。「……ん、あぅん…!レイヴン…凄く気持ちいい……!!」レイヴンがノエルの秘部内で指を動かす度に、彼女の頬に熱が差してきた。その目に映るのは快楽。先程まであった恐怖や不安等の感情は、そのほとんどがなりを潜めている。「あぁん…。もうだめ…!あたしの中…とても熱くて……ああぁんっっ!」レイヴンの指の動きに耐えられず、ノエルはその身体を弓なりに反らせる。シーツが乱れるのも気にせずに、彼女は本能のまま乱れる。身も心も未発達な少女のその様子に、レイヴンは自身の男根がより大きくそそり立つのを感じた。レイヴンはノエルへの手を休ませる事は無く、空いている片手で自身の服も剥がしていった。現れた体躯はアサシンというかつての立場からか相当痩せていたが、男根の大きさは他に劣るものでもない。空気に直接触れ張り詰めたのか、さらに大きさを増す。そろそろ彼の理性も完全に吹き飛ぶところだった。ノエルの秘部から指を引き抜き、脚をM字に開かせる。そして自身のモノをノエルの秘部へとあてがう。ヒクついている彼女の性器は、レイヴンが動くまでも無く、彼の先端に吸付いた。それを目の当たりにしたレイヴンは躊躇うことなく自身のモノを突き入れる。
「いっっ!うぅ……、あああああん!!」レイヴンの男根は一気にノエルの奥にまで達した。ノエルの口からは悲鳴にも似た声が上がる。それにレイヴンは僅かに罪悪感を感じたが、ここまで来て止めるわけにはいかない。彼がうろたえた分、ノエルは余計に傷つくからだ。「ノエル。俺がついている」そうとだけ言った。それに対して、ノエルは痛みに歪む表情ながらも健気にも頷いた。苦痛はあれど、レイヴンに対する嫌悪や、ここまでの行為に対する後悔は見られない。「あたしは大丈夫だから…。レイヴンの好きにして」そしてはっきりとした言葉でそう言った。その言葉がレイヴンの理性に対するとどめだった。いったん自身のモノを抜く。同時にノエルの性器からは僅かな血が伝い落ちた。しかしそれの行方を気にするでもなく、レイヴンの動きは激しさを増す。ノエルの奥をさらに突き上げ、再び抜いてはまた突き上げる。その度に互いの性器は擦れ合い、卑猥な音を立てた。ノエルの女の部分がレイヴンのモノに押し広げられていく。しかしその度にまた、彼女の性器はレイヴンを強く締め付けた。まるで突き入れられたモノを、二度と離すまいといった風な強い締め付けだった。程なくしてレイヴンの腰の動きは速くなる。限界が近いのだ。「あぁんっ!あたし何だかおかしくて…ああっ、…いい!!凄くいいのぉ!!!レイヴン、そのまましてぇ…!!」痛みを伴いながらも、ノエルはかつて無いほどの快楽を感じていた。既に自分からも腰を振り出している。互いに触れ合う性器はさらに卑猥な音を立てた。
じゅぶ…くちゅ……どく…―――
まもなくノエルは絶頂に達し、レイヴンは限界を迎えた。その時レイヴンのモノはノエルの最奥部に達していたが、しかし最後の一線で彼の理性が再び甦った。レイヴンは自身のモノを引き抜きノエルの腹の上に精液をぶちまける。大量の白い液体は、まだ幼さを残す身体に、いやらしく広がった。「うぅ…、あ…ん……」しばらく二人はベッドの上で放心状態だった。荒い息を繰り返すノエルの傍ら、レイヴンには彼女との行為が正しいものだったかどうかは分かりかねていた。しかし…
「レイヴン…ありが…とう……」今の彼には充分過ぎる言葉を、ノエルは言ってくれた。その言葉のお陰で、彼の胸に希望が沸いてきた。すぐにこの世から消えなければならないのに、だ。「ノエル、俺の台詞だ。それは」もう既に寝息を立て始めているノエルに対し、レイヴンは呟く様に言った。恐らくこの声は彼女には届いていないだろう。しかしそれでも良かった。自分は彼女の為に生きることが出来、そして最期を人として迎えることが出来る。今の状況で、これ以上のことは無い。
「感謝している。さらばだ」身支度を整え、レイヴンは部屋を出た。二度と後ろを振り向く事は無かった。
「あら、ノエルはどうしたの?」宿を出た途端、レイヴンはカフィンと遭遇した。「眠っている。当分は起きないだろうな」「そうかしら?いったん目を覚ましてもおかしくは無いと思うけど…」カフィンの言葉に、レイヴンは全てを見透かされているような気がした。不意に目をそらしてしまう。「何よ!?露骨に目を逸らして」「いや、何でもないんだ。本当に」出来るだけ平静を装ったつもりだが、声が裏返るのが分かった。これでは何かあったと認めているようなものだ。しかしカフィンはそれ以上の追求をする事はしなかった。「ま、別に良いわよ。ノエルを傷つけたとでも言うなら、拷問にでもかけてやりたいところだけど…」物騒なことを真顔で言うカフィンに、レイヴンは半分本気で冷や汗をかいた。しかしその後に続く言葉は、『仲間』に向けられた信頼の言葉だった。「あんたがそんなことをするわけもないしね」その台詞に、レイヴンはまた胸が熱くなった。カフィンもノエルも自分の事を心から信じてくれている。
(俺は本当に…)
「それよりいきましょうか。ナーシェスの鼻を明かしに」
「納得してくれたのか?だがカフィン、ノエルとの別れがまだ…」
「いいのよ。今あの子に会うと、私は坊やを殺してでも生きようとするだろうから。そんなことすればあの子を悲しませる…。…だからいいのよ」
「…そうか。ありがとう。……すまんな」
「あんたが素直なのって、気味が悪いわね」
「あのな…」
―――――本当に、良い仲間を持った。
次にノエルが目を覚ましたのは、完全に日が昇ってからの事だった。「レイヴン…、カフィン」仲間達の名を呼んでみる。返事は無い。今までノエルが目覚めた時、側にはいつも二人がいたのに…。その時点で彼女は全てを悟った。レイヴンもカフィンももうこの世界にはいないのだと。ふと立ち上がり、窓から空を見上げてみる。朝方の風は冷たかったが、気持ちいいくらいに晴れ渡っていた。
―――レイヴンとカフィンもこの空のどこかにいるのかもしれない。
二人が自分の事を見ている。そう思えば、今に悲しんでいる暇は無かった。彼女にはまだ、やることが残っているのだ。
―――廃城
「来たな」竜殺しの名を持つ男は、双剣を両手にノエルを迎えた。顔は相変わらずの土気色。ノエルから受けた傷口からは包帯が覗く。満身創痍そのままの姿……。双剣を構えているのは、愛用の大剣を破壊されたからという以上に、今の状態では大型の武器を振ることは出来ないからだろう。こちらを見つめる青年に対し、ノエルは天動地鳴を抜いた。そしてそれを構える事はせず、足元に置く。「「?」」ゼネテスとネメアは僅かに訝しげな表情を見せた。「あたしは、これ以上あなたとは戦えません」そのノエルの台詞に、青年は安堵にも似た息をつく。「そうか…。それは良かった」青年も既に気付いていた。レイヴンとカフィンが一緒にいない時点で。「ゼネテスにネメア。帰るとしようか」そう言い、青年は廃城の出口へ歩き始める。「ごめんなさい」ノエルとのすれ違い様、彼女は謝ってきた。しかしそれは、昨日負わせた怪我の事ではない。
―――――グオォォォォォォッッーーー
瞬間、腹を抉る様な咆哮が轟いた。憤怒の色を帯びたそれは、この大陸の統制者のものである。「竜王か…」ネメアが呟くように言った。「俺を見逃す気は無いようだな。ならばこちらから乗り込むとするか」さほど動じた様子も見せず、青年は言った。ノエルは申し訳無さそうな、複雑な目を青年に向ける。それは絶望に近い死者を見る目…。「俺は竜王如きに負ける気は無い」そんなノエルに対する青年の言葉は、強気なものだった。今にも倒れそうな顔色をした人間の言葉とはとても思えないものだ。動揺が欠片ほども見当たらない。「それよりノエル、この先、何とか幸せにな」青年とノエル。二人の無限の魂が交わした言葉は、それが最後だった。竜殺しの青年と、その青年を唯一破った少女。二人はその後も冒険者として生きたが、二人が顔をあわせることは二度となかったという。しかし青年は生きている間、よく聞くことになった。身体に似合わぬ大剣を振るう、冒険者の少女の武勇伝を。彼女は色々な人間に慕われ続け、その冒険者としての人生を生きたということだ。
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