とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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ウソと魔法と素直な気持ち 1



「あ、当麻だぁ! 当麻、当麻! ねぇえ、と、う、まぁ」
 放課後、校門から出てきた上条は突然聞こえてきた甘ったるい声に全身を震わせた。
「だ、誰だ! 俺はそんなかわいらしい声でかわいらしく名前を呼ばれる覚えなんてないぞ!」
 全身に緊張感をみなぎらせて上条は辺りをきょろきょろと見回した。
「くそ、学校の周りじゃ人だって多いのにこんなところで騒ぎを起こすわけにはいかない。もっと人通りの少ないところに」
 あまりにも経験したことのない状況に魔術側の誰かの策略だと判断した上条は、この辺りの空き地およびそこへの最短ルートを考え始めた。
 最短ルートの検索終了。
 後は全速力で駆け抜けるだけだ。
 無意識に小さく右手を振った上条は静かに心の引き金を引く。
「いまだ!」
 次の瞬間、上条は左から来た茶色い影に体当たりを食らっていた。
「な、なんだ、なんだ!?」
 半ば無意識にその影を抱きしめた上条は地面に尻餅をつきながら必死で状況を判断しようと努めた。
「とうまぁ。どうして無視するのよぅ。声かけてるのにぃ」
「へ? この、声? へ?」
「えへへぇ。と、う、ま!」
「み、御坂か? 何やってんだお前」
 上条はようやく自分に抱きついている、かつ自分が抱きしめている人物が御坂美琴だということを認識した。

「上条当麻。貴様、こんなところで不純異性交遊なんていい度胸してるわね」
 美琴と抱き合いあたふたする上条は例によって例のごとく、絶対無敵のクラスメート、吹寄制理ににらみつけられていた。
 また校舎の方からは土御門や青髪ピアスといったクラスの愉快な仲間達がこちらに向かって土煙を上げて走ってきているのが見える。
 相変わらずこういう時の団結とノリの良さは天下一品なクラスだ。
「あ、お日柄も良くご機嫌よろしいようで」
 非常にまずい状況であることはわかっているのだが、今はそれ以上に自分の腕の中にいる美琴のことで頭がいっぱいな上条にはその程度の返事しかできない。
 だがそんな程度の会話であっても自分以外の女性の相手を上条がすることが許せない女の子が一人。
 美琴はぐぎぎと上条の首を自分の方に向かせると頬をぷくっとふくらませてにらみつけた。
 だがいかんせん元々美少女な美琴、かわいさばかりが強調されまったく怖くない。
 電撃を伴わない美琴の怒りの表情を見た上条は少し、ほんの少しだが心臓の鼓動を早くした。
 だが美琴はそんな上条の変化に気づかない。
 怒りのままに口を開いた。
「浮気した」
「へ?」
「私は大好きな当麻に会いたくて学校が終わってすぐ来たのに、当麻は私を無視して他の女なんかと仲良く話してた! それも私の体を堪能しながら! 最低! 女の敵!」
「え? いや、あの、その、これはその、事故で! と、とにかく離れて」
 動揺した上条は美琴を抱きしめていた手を離し立ち上がろうとしたが、美琴はそれを許してくれない。
 上条から離れないように彼の制服をぎゅっと握りしめた。
「何よ、言い逃れ? 今さらこんな程度で照れたって言うの? 夏のあの日、一晩中私と過ごしたあの夜、あれはいったい何だったの? あの激しさに比べたらこんなのなんてことないじゃない」
「え!? いや、そんな誤解を招くような言い方をされても上条さんとしては非常に困る訳なんですが」
 一方通行との戦いのことを言っているのだろうか、それとも記憶を失う前にやっていたらしい美琴との深夜の追いかけっこのことを言っているのだろうか。
 とにかく上条はわずかに残った冷静な判断力をかき集めてことに対処しようとしていた。
 今の美琴は明らかにおかしい、だが冷静に、あくまで冷静に対処すればなんとかなる、そう思っていた。
 だが目の前にいる常盤台の電撃姫はそんな上条の幻想を木っ端微塵に破壊して下さった。
「私、初めてだったのに。一晩中寝かせてくれないなんて……」

「上条当麻!!」
「カミやん!!」
「裏切り者!!」
「ちょっと待て――!!」
 美琴が落とした水爆級の爆弾は上条のやや平凡かもしれない学生生活を跡形もなく消し飛ばした。


 ここはとあるファミレス。
 とりあえず学校の前はあまりにも人目に付くという理由で場所を移動して騒動の続きが行われることになった。
 参加メンバーは上条、美琴、土御門、青髪ピアス、吹寄の5人。
 本当は上条のクラス全員が参加したがったのであるがまずは下調べとして土御門達3人がクラス代表として名乗りを上げたのだ。
「さあ、カミやん。納得いく理由を聞かせてもらえるかにゃー」
 土御門が目を閉じ、静かな口調で声を出した。
「いや、それが俺にもさっぱり」
「ほう。そう言う割には貴様、ずいぶんその女の子と仲がいいみたいだけど?」
 こめかみをひくつかせながら言うのは吹寄。
 上条にとってせめてもの救いは、吹寄が怒っているのは非常に女性関係にだらしない彼の性癖に対してである、という点であろうか。
 これが嫉妬からくる怒りであれば上条はますます泥沼にはまることになっていただろう。
 吹寄に指摘された上条は自分の腕をしっかりと抱きしめている美琴を見た。
 何がなんだかよくわからない、ただとにかく美琴以外の女性とまともに話すことは危険だ、そう判断した上条はあえて吹寄を無視した。
「フン」
 自分を無視した上条の態度に吹寄は面白くなさそうに鼻を鳴らした。
 だが美琴は上条が吹寄を無視したことに非常に気分を良くしたようだ。
 先ほどの怒りはどこ吹く風、白井黒子が見たら卒倒しそうなくらい幸せそうな表情を浮かべて上条にすり寄り、まるでマーキングするかのように頬をこすりつけていた。
 上条は状況を打破すべく美琴に話しかけようとした。
 だがまたしても上条の期待は美琴が木っ端微塵に破壊することになる。
「理由も何も見たまんま。私と当麻は将来を誓い合って婚約してるの。好き合ってる二人にどんなことがあったって別にいいでしょ」
「なーに――――!!」
 ショックで固まった上条に土御門達3人が食ってかかった。

「き、きき貴様! 相手はまだ中学生なのよ!! わかってるの!? 貴様に倫理観て言葉は存在しないの!?」
「……倫理観のことを言われたら俺もちょっと良心の呵責が。そ、それはともかくカミやん! ねーちん達はどうする気ぜよ! フラグ立てたらきちんとルート消化してから本命とエンディングを迎えなさいって父親から教わらなかったのかにゃー!? このままだと血の雨が降るぜよ!」
「ふふ、カミやんはとっくに大人になってたんやな。裏切りもん、裏切りもん……裏切りもん!!」
「婚約? 将来? いったい御坂さんは何をおっしゃってるんでしょうか? これも上条さんの失われた記憶と関係あるんでしょうか……。そうか、これは夢なんだ。学園都市も、幻想殺しも、インデックスも魔術も超能力も何もかも夢なんだ。俺は普通のなんの力もない高校生で、何か面白いことないかなと窓の外を見てまどろんでいるときに見た夢なんだ……」
 上条はブツブツと呟きながら現実逃避を始めていた。


「――ま、とうま、当麻!」
「はっ。お、俺はいったい何を」
「やっと起きたの?」
 正気に戻った上条は慌てたように周りをきょろきょろと見渡した。
 そこに悪友達の姿はなく、心配そうな美琴だけがいた。
 上条はコップの水をぐいと飲み干すと、美琴の方を見ずに呟いた。
「悪い、今、何がどうなってるんだ。いろんな記憶が混乱して訳がわからない」
「とりあえず当麻があっちの世界に飛んで戻ってこないから、クラスメートの人たちはあきらめて帰ったわよ」
「そうか。いや、それよりも俺が聞きたいのは――」
「でもあの人達も野暮よね、人の恋路にいちいちケチを付けようとするなんて。私と当麻が婚約してることになんの文句があるって言うのよ。本当は今すぐにでも結婚したいのにちゃんと分をわきまえて婚約にしてるこの常識的な私たちに、ねえ」
「だから、俺が聞きたいのはそんなことじゃなくってだな」
「何? 怖い顔しちゃって」
 きょとんとする美琴。
 その無邪気な表情に多少の罪悪感を覚えたが上条は言葉を続けた。
「いったい何の話なんだ、婚約とか結婚とか。俺と御坂が? そんな覚えまったくないぞ」
 しかし美琴は上条の質問の内容とは別にところにお冠のようだった。
 かわいらしく頬をふくらませてジト目で上条をにらみつけた。
「美琴って呼ぶこと」
「だからそんなことより俺の質問に」
「美琴」
「だから」
「み、こ、と」
「おい」
「み、こ、と」
「……み、みこ、と」
 根負けした上条の様子を確認してようやく美琴は相好を崩した。
「うん、よろしい。で、いったいどうしたの当麻? ひょっとしてまた記憶喪失?」
 そして再び心配そうに上条を見つめる美琴。
 その純粋な瞳にさらに罪悪感を覚えたが今の上条にあまり余裕はなかった。
「だから、そうじゃなくって美琴のこととかいろんなことはちゃんと覚えてる。美琴との婚約とかそこのところだけ俺は知らないんだ。そもそもいつ俺たちは名前で呼び合うような仲になったんだ? なあ、俺たちって友達じゃないのか?」
「何、それ……。アンタ、本気で言ってるの?」
「本気も何も、そんなこと俺全然知らないっていうか記憶にないっていうか。なあ、お前俺のことからかってるんじゃないのか? もしそうなら悪い冗談だぜ」
「冗談って、アンタこそ何言ってるの? こんなこと冗談で言うはずないでしょ。そもそもこんなことでアンタをからかって私に何かメリットがあるって言うの?」
「メリットなんて俺にわかるわけないだろ。とにかく今の俺にはお前と恋人だとか婚約だとかいう感情がない。だったら、からかわれてると思うのが自然だろ。モテない上条さんに対する嫌味かとも思っちまう」
「何よそれ!」
 顔を紅潮させた美琴は上条に食ってかかった。
 その目は本気で怒っている目だった。
「恋人とかそういう感情がないですって!? ふざけんじゃないわよ! なんと言われたって私はアンタが、上条当麻が好き。この気持ちに嘘偽りなんてない! アンタも私のことを好きって言ってくれた! それが私の認識してる全てよ!!」
「…………」
「なんとか言いなさいよ」
「えっ。あ、その、ごめん」
「はあ? ごめんて何よ、ごめんて! その場しのぎで謝んな! ちゃんとわかってんのか馬鹿当麻!」
「ん、んぐ……」
 美琴の激しい口調に圧倒された上条は再び謝罪の言葉を口にしそうになったが、なんとかそれを飲み込んだ。
 同時に美琴へ誠意ある対応を取ろうと思い、脳内で必死に状況を整理しようとした。

 自分の美琴に対する感情が恋愛としての「好き」でないのは事実。
 しかし自分たちが相思相愛だと言う美琴の言葉に嘘があるようにも思えない。
 美琴は彼女のことを好きでないと言った上条の言葉に本気で怒っているのだから。
 そして最も重要なことだが、美琴は上条のことを好きだと言っている。
 初耳だ。
 ケンカ友達のはずの美琴が自分のことを好きで自分たちは恋人同士。
 結局状況は上条の脳のキャパシティを遥かにオーバーしてしまうだけだった。

「ごめん。本当に、ごめん」
「だから――」
「何もわからないんだ、本当に。だから、ごめん」
「……こっちこそ、ごめん。言い過ぎた、かも」
 美琴は上条から離れた。

 長い沈黙が続き、やがて美琴がぽつりと口を開いた。
「ほんとに、何も知らないの? 記憶自体はあるのに?」
「記憶喪失には、なってないと思う。お前のことも他のことも、以前記憶喪失になってあたふたしてたことなんかも全部覚えてる。さっきも言ったとおり、お前との関係が俺の中ではあくまで友達なんだ。恋人じゃ、なくて」
「そんな……じゃあ私の覚えてることや認識はいったいなんだっていうの? 私が嘘ついてるって言うつもり?」
「正直最初はそう思ってたんだけどさ、違うんだろ? 確かにお前はそんな嘘つくような人間じゃない」
「そ、そうよ、私は嘘なんてついてない。でも、じゃあなんでアンタと認識が違うのよ! いろんな思い出、ちゃんと覚えてる。あれ?」
 美琴は記憶の中の上条との思い出を呼び起こそうとして妙なことに気づいた。
 動作や言葉、その時の感情は覚えているのだが、その情景は全て霞がかかっているようにぼやけているのだ。
 特に背景、周りの様子に至ってはほとんど消えている。
 美琴と上条という人物だけは存在するのに、その記憶がどんな場所でどんな状況だったかがぼやけてしまっているのだ。
 文字として、言葉としては確かに美琴の中に存在する記憶の数々。
 しかし実感が酷く薄い、まるで後から強引に上書きしたような記憶。
「なんなの、これ……?」
 美琴はうつろな瞳で額に手を当てた。
 その顔は徐々に青ざめ始めていた。
「私は、アンタがずっと好きで、え、一端覧際の時にやっと告白して、アンタが最終日の時やっと返事くれて」
「一端覧際は確かにお前と回ったけど、そんなことあったか? 俺には二人して遊び回った記憶しかないんだけど」
 だが美琴に上条の言葉は既に届いていない。
 呼吸は荒くなり、青ざめた顔からは脂汗がにじみだしていた。
 上条は慌てて美琴の肩を揺らした。
「おい、大丈夫か、美琴、おい!」
「それで家族同士の顔合わせなんかはほとんど済んでたから、あれ、トントン拍子に話は、あれ、進ん、で後はその年齢になればってことで婚約ってことに、違う、そうじゃない? 何がどうなってるの? これが違うの? 私、頭おかしくなったの?」
 明らかにおかしい美琴の様子にファミレスの店員やら周りの客やらが少しずつ騒ぎだした。
 このままここにいては面倒なことになると判断した上条は美琴を連れてファミレスを出た。


 とりあえず近くの公園に来た上条は美琴をベンチに座らせた。
「おかしいわよ、私は確かに告白した。でも、当麻は、けど、どうなってるの?」
 場所は変えたものの美琴の様子は相変わらずであり、上条は途方に暮れるばかりだった。
「ねえ当麻! 私どうなってるの? 私の記憶、間違ってるの? なんで間違ってるの? 違うんでしょ? なんで事実と違うの? なんで、なんで……」
 顔を覆い、美琴は激しく頭を振った。
 そんな彼女を見ながら上条は悔しそうな顔をして唇を噛んだ。
 だがそんな顔をしたところで状況が改善するはずもない。
「な、なあ御坂」
 上条が美琴に声をかけた途端、美琴は不安そうに上条を見上げその制服の端をぎゅっと掴んだ。
「あ、ぁう、あ……」
 美琴は何か言おうとするのだが、舌がもつれるのか口をぱくぱくさせるだけで、その口から言葉が出ることはなかった。
 さらにその瞳からは涙があふれそうにまでなっていた。
 その涙を見た上条ははっと息を呑んだ。

 なぜ、こんなにも美琴が悲しまなければならないのだろう。
 なぜ、こんなにも美琴が泣かなければならないのだろう。
 美琴は何も悪いことをしていないというのに。
 美琴はもう一生分の涙を流したのだ。
 美琴はもう悲しみの涙など流してはいけない。
 だから誰であろうと、なんであろうと、美琴を悲しませることは許さない。
 もしそれでも、美琴を悲しませようとする、そんな運命があるとするのなら。

 なんであろうと、この俺が、そんな運命なんて、ぶち壊してやる!



 美琴が悲しんでいるという現実に対して激しい怒りを覚えながらも、上条はできるだけ穏やかな口調で美琴に話しかけた。
「なあ御坂。覚えてることが違うってことだけどさ、もう一度、最初っから考えてみようぜ。俺が思い違いしてるかもしれないしさ、な?」
 不安そうな表情のまま美琴はぽつりと呟いた。
「思い、違い……?」
「そう、勘違いとかさ」
「私と当麻は、婚約して、は、いないのよね……」
 上条は辛そうにうなずいた。
 美琴は自分の中の上条との婚約に関する記憶がパシュッと音を立てて消えたような気がした。
「そ、それなら、付き合っても、いな、い……」
 再びうなずいた上条を見て、再度美琴は自分の中にある告白に関する記憶が消えるのを感じた。
 記憶が消えたように感じるたび、美琴の呼吸はまた荒くなってきていた。
「お、おい御坂、もう止めようぜ」
 美琴の変化に気づいた上条は彼女を止めようとしたが、美琴はそれに構わず話し続けた。
「い、いち、一端覧、祭で、告白した、ってい……いい言うう、いう、のも……」
 これ以上美琴を刺激したくなかった上条は答えようとしなかった。
 だが美琴はやや焦点の合っていない目で上条を見て答えを促した。
「ねえ」
「……お前は、何も告白、して、ないはずだ」
 美琴の迫力に屈した上条は思わず答えてしまっていた。
 その途端、上条の制服を掴んでいた美琴の手が力なく垂れ下がった。
「何も……かも、違う……ちがう、違う……嫌、そんなの、イヤ」
 美琴は小刻みに首を横に振りながらぶつぶつと呟きはじめた。
 その間も彼女の呼吸は荒く、大きくなる一方だった。
「嫌……私は当麻が、好き……。当麻は、私のこと、好き……じゃ、な、な……い」
「…………」
 なぜか上条は何も答えることができなかった。
 答えなかったのではない、答えられなかったのだ。

 先ほどまで、少なくとも今日の放課後までなら「好きじゃない」と簡単に答えていただろう。
 でも今は、そう答えることができなくなってしまった。
 なぜか。
 答えは明白だった。
 美琴の告白によって、上条の中に「美琴を恋愛対象として考える」という選択肢ができてしまったからだ。
 今の美琴の状態が普通じゃないことはわかっている、それでも告白は告白。
 上条にとって生まれて初めて自分を好きだと言ってくれた相手を意識するな、という方が無理な話だ。
 じゃあ「好き」と答えられるのかと言われればそうもできない。
 上条には「人を好きになる」という感情がいまいちわからないからだ。
 もちろん美琴のことは嫌いではない。
 顔だってかわいいし、電撃さえなければさっぱりした世話焼きな優しい性格といい素敵な女の子だと思う。
 嫌いと言うよりよくよく考えたら、むしろ上条の中ではインデックスと並んで好きな女の子第一位のような気がする。
 しかしそれでもこの「好き」はあくまで友情としての「好き」。
 だから「嫌い」ではないが「好き」とも断言できない。
 どれだけ考えても答えが出ない。
 上条の脳は再びオーバーヒート状態になろうとしていた。
 だが上条には悠長に考えている暇はなさそうだった。
 上条の言葉に関係なく美琴は自問自答を始めていたからだ。
「好き、嫌い……いや……私は、好き、当麻が。当麻は、私……好き、嫌い。嫌い、きらい、キライキライキライキライ……嫌!」
 自問自答を続けるうち、美琴の呼吸はますます荒くなっていき、ついには彼女は体をかき抱き、がたがたと震えだすまでになってきてしまった。
 慌てて上条は美琴の体を揺すぶった。
「おい、御坂! しっかりしろ、おい!」
「嫌いやイヤ」
「御坂、御坂、御坂! しっかりしろ!」
「いや、いやいやイヤイヤいや――――!!」
「くっ。しっかりしろよ、このバカ野郎!」
「…………!」
 興奮した上条は無我夢中で美琴を抱きしめていた。
 上条に抱かれた瞬間、美琴は体をぎゅっと縮こまらせた。
 上条は暴れる猛獣をなだめるかのように美琴の頭を右手でゆっくりと撫でていた。
 落ち着け、大丈夫だ、俺が絶対なんとかするから。
 そんな想いを込めながら上条は美琴をなで続けた。
 やがて美琴の震えは徐々に小さくなっていった。
 美琴が多少落ち着いたことで上条も少し冷静さを取り戻した。
「御坂……」
 しかしだからと言ってどうすればいいのかがわかったわけでもない。
 やがて美琴は上条の背におずおずと手を回しながら、再びぽつりぽつりと呟きだした。
「嫌いなのは、イヤ。好き、好き。でも、当麻は、私を――」
「好きに決まってるだろ」
 後戻りできない、そう心のどこかで思いながらも上条は美琴に答えていた。
 今まで恋なんてしたことがないのだからどうすればいいのかなんてわからない。
 それ以前に自分の心だってよくわからない。
 美琴を嫌いじゃない、友人の中では一番好きな女の子、そこまでだ。
 だが幻想殺しで美琴に触れても彼女の様子に変化が見られない以上、今の美琴は魔術師にも能力者にも心を動かされていないのだ。
 今の美琴はある意味正気である意味異常。
 そしてなぜかはわからないが今の美琴は自分を求めている。
 許せないと思っていた美琴を悲しませる原因とは、皮肉にも自分だったのだ。
 ならば美琴が完全に正気に戻るまで一生をかけてでもついて行こう。
 ある意味その場しのぎで逃げのような選択ではあったが、美琴を悲しませないために上条が必死で出した結論だった。
「あの、みさ、み、美琴。俺はお前のことは好きだ」
「本当に?」
 美琴は不安そうに上条を抱きしめる手に力を込めた。
「当たり前だ。俺は聖人君子じゃない。嫌いな奴とは会話もしたくないし、ましてや好きでもない奴をこうして抱きしめたりできるもんか。けど」
 もちろんこれで問題が根本的に解決する、などとは上条とて思っているわけではない。
 というか、上条の考えで美琴が納得するかも非常に怪しい。
 上条は上条であり、今の美琴が求めている上条とは異なるのだから。
 だから上条は線を引くことにした。
 今の上条にできる精一杯の、御坂美琴という女の子への誠意として。
「今の俺は、お前と恋人じゃない、と思う。お前の『好き』と俺の『好き』は、違うから」
 上条の言葉に美琴は手の力を緩めた。
 逆に上条は美琴を離そうとしなかった。
「俺の『好き』は、お前の『好き』に追いついてないんだ」
 今の美琴の状態から考えると、上条が彼女のことを好きだと言えば中学生が簡単に越えるべきではないと彼が思っている線すら、美琴は軽々と飛び越えようとするだろう。
 そして上条とて中学生に手を出すなんてあり得ない、と今は言っていてもしょせんは感情を理性でコントロールしきれない若い盛りの高校生。
 しかも生物学的に言えば彼らの年齢は二つしか離れていないのが現実。
 正直言っていつ美琴に抑えきれない劣情を抱くようになって、取り返しの付かないことを起こしてしまうかわからないのだ。
 しかしそれだけは絶対に認められない。
 美琴が正気に戻ったときのために、上条は美琴を大切に扱いたかった。
 後で美琴が後悔することだけは絶対にしたくなかった。
 だから美琴と自分自身に釘を刺すことにしたのだ。
「でも俺はお前を世界で一番大切な女の子だと思う、そこから始めさせてくれないか? 頼む」
 しばらくの沈黙の後、美琴はこくりとうなずいた。
「うん。でも、これだけは約束して。当麻が一番好きな女の子は私。恋人じゃなくても、それでも、当麻の一番側にいるのは、私。他の女の子じゃない」
「当然だろ。第一、上条さんは今まで女性にモテた試しがないんだ。みさ、美琴が心配するまでもない」
「…………」
 美琴は何も答えず上条をぎゅっと抱きしめた。



 結局その日はそのまま二人は別れた。
 二人の新しい関係は明日から、ということにして。
 不安、期待、嫉妬、羨望、絶望、希望。
 様々な感情が入り交じった日々が始まろうとしていた。

ウソと魔法と素直な気持ち 2



 翌日、上条が通う高校の最終時限。
 上条は昨日の夜から起こったことを思い出しながら授業が終わるのを待っていた。
 まずは昨晩。
 昨晩は美琴と付き合うことになったと報告した際、半狂乱になったインデックスにめちゃくちゃに噛みつかれた。
 ちゃんとご飯の用意は今まで通りするからと約束したにもかかわらず、である。
 なぜあそこまでインデックスが怒るのか上条にはまったくわからなかった。
 結局その後インデックスに一言も口をきいてもらえないまま家を出た上条だったが、今度は学校が大変だった。
 土御門達から「美琴と婚約している」という話が学校中に知れ渡っていたらしく、クラスメートどころかクラス、学年問わず様々な人からの質問攻めにあったのだ。
 なぜか男子より女子からの質問が多かったのだが、やはり自分みたいな無能力者が常盤台のお嬢様と付き合うことを気に入らない人は多いんだな、と上条は質問を適当にかわしながら考えていた。
 そこまで思い出したとき、ようやく授業終了のチャイムが鳴った。

 放課後になると同時に教室から脱出した上条は校門を出ると、美琴との待ち合わせ場所であるいつもの自販機前に向かおうとした。
 しかしその必要はなかった。
 校門を出たあたりで昨日と同じように美琴が飛びついてきたからだ。
「うわ、みさ、美琴! 急に飛びつくのはよせよ。落っことしたらどうするんだ」
 口ではそう言いながらも美琴をしっかりと抱きしめた上条。
「だ、だって、当麻を見たら我慢できなくなって……」
 それに対し、真っ赤にした顔を上条の胸に埋める美琴。
 本人達の意識はともかく、どう見てもバカップルである。
 上条は美琴の行動をたしなめようとした。
 天下の往来、しかも学校の前であまりベタベタするのもどうかと思ったのだ。
「そ、そうか。でもさ美琴、やっぱりちょっと、というかかなり恥ずかしいからあんまりこういうのは」
「これでいいの。だって、こうでもしないと諦めない人たちがいるんだから……」
「え?」
「なんでもない。行こう当麻!」
 上条は気づいていない。
 美琴の視線は上条ではなく、遠くから辛そうに上条を見つめていた彼のクラスメートの女子達を捕らえていたことに。

「それで、今日はこれからどうするんだ?」
 上条は隣を歩く美琴に聞いた。
 ちなみに美琴は上条に腕を絡ませており、その際上条の腕に体を、特に慎ましいながらもきちんと自己主張している胸を押しつけるようにしているため、上条は鋼の理性を発揮して必死に意識を他に向けていた。
「うーん、とにかく時間はいっぱいあるんだし、今日はこの辺を散歩するだけで私は満足よ」
「そうか。それから悪いんだけどさ、腕、離して下さいませんか美琴様」
「なんで?」
 上条の葛藤には気づいているけどもちろん美琴はそしらぬ顔。
 むしろ気づいているからこそますます胸を押しつけるため事態は悪くなる一方である。
「ですからとっても柔らかい物が気持ちよくてむにっとしてなんかよくわからんがまろやかな気もして、それでもって甘い香りまでしてきて美琴さん、あなたなんの香水つけてるんですか。とにかく上条さんはいろんな物が暴走しそうで大変でブレイク限界、なぜか黄金に輝く正義のヒーローに変身できそうなくらいテンパってるんですよ」
「嫌」
「そうですか……」
 わかりきっていた答えではあったので上条は小さくため息をつきながら、自らの鋼の理性が効果を発揮し続けてくれるのをひたすら祈り続けた。
「ところで、白井の奴はどうしたんだ? アイツの性格なら邪魔しに来ても不思議はないんじゃないか?」
 上条はきょろきょろと辺りを見回しながら美琴に尋ねた。
 美琴と付き合うとなると最大の障害になりそうな白井がまったく姿を現さないのが不思議だったのだ。
「黒子? 頭痛で寝てるわよ」
「頭痛? 白井が? 信じられないな」
「本当よ。昨日の夜、アンタと付き合うって教えてあげてその後ずっとアンタのこと話してたら、今朝になって頭が割れるように痛くて起きられませんって」
「それはまた、大変だったな……」
 白井が姿を現さない理由はよくわかった。
 彼女が本当に病気なのか仮病なのかはわからないが、夜通し憧れのお姉様にその彼氏の惚気を聞かされれば白井でなくとも病気にくらいなるだろう。
 上条は草葉の陰で眠る白井にそっと心の中で手を合わせた。

 その後二人は他愛もない話をしながらいろんな場所を散歩して一日を過ごしたのだった。

 翌日の二人のデートはショッピング。
 それはファッションにまったく興味がない上条を美琴が着せ替え人形にして遊ぶだけの一日ではあったのだが、上条はこれまでの人生で味わったことのない満足感を得ていた。

 次の日は上条の家で勉強会。
 自分の彼氏になったのだから劣等生は許さない、という美琴のありがたいお説教と共に上条はみっちりとしごかれることになった。
 ちなみにインデックスはというと、美琴が訪問したときは不機嫌さ全開だったのだが、美琴がお土産代わりとして振る舞った手作りの料理を食べ終わる頃にはすっかりご機嫌になっていた。
「ハグ、モググ、短髪がとうまの恋人になるのは納得いかないけど、ムグ、ゴク、こういうお土産があるんなら、とうまと、ング、仲良くするのは許してあげてもいいかも。というより当麻のご飯よりずっとおいしいし、毎日でも来て欲しいかも」
 以上のようなインデックスの弁を受け、完全に餌付けされてるじゃねえか、と上条は思ったがあえて黙ることにした。
 ちなみにその日の晩からインデックスが美琴の次の訪問をすっかり楽しみにするようになったのは言うまでもない。

 その次の日は映画鑑賞。
 少女趣味の美琴なのでベタベタのラブロマンスを見るのか、と思った上条の予測を裏切って美琴の選んだ映画は「ゲコ太の宇宙創世記 大魔境へいらっしゃい」。
 どう考えても対象年齢が小学生の映画である。
 子供達に混じって入場者特典であるゲコ太のおもちゃをもらってほくほく顔の美琴を見ながら、上条は幸せってこういうのを言うのかな、と柄にもないことを考えていた。

 さらに翌日は週末ということで二人は水族館へ。
 ここまで来ると付き合い始めはぎこちなかった上条もすっかり美琴との関係に慣れ始めていた。
 だが逆に美琴の様子が時々おかしくなるのに気づいた。
 普段はいつも通り上条にくっついて色々な動物たちに目を輝かせているのだが、今日はふとした拍子に上条からぱっと離れるときがあるのだ。
 しかもそのとき美琴の顔は真っ赤である。
 ただ、少しすると美琴は再び上条にくっつくので上条もそこまで疑問にも思わなかった。
 上条はこのとき、気づいていなかった。
 終わりはもう、すぐそこだということに。

 その翌日。
 美琴のたっての希望で自然公園のボートに乗りに来たのだが、美琴は明らかに挙動不審だった。
 上条と目を合わせようとしたり、目をそらしたりと非常に忙しい。
 しかも今までと決定的に違うのは上条と腕を組もうとしないことだ。
 どんなに上条が恥ずかしがってもいっしょに歩いているときは必ず腕を組んでいた美琴が今日はまったくそうしない。
 散々思案したあげく手を繋ぐくらいでそれもおそるおそる。
 何かの拍子にすぐ手を離すのだ。
 さらに上条が話しかけてもずっと上の空。
 そんな美琴を心配した上条が美琴の額に自分の額を当てて熱を測ろうとしたところ、顔を真っ赤にした美琴は奇妙な叫び声を上げて逃げ出してしまった。
 あっけにとられた上条は美琴を追いかけることもできず、呆然とその背中を見送った。

 上条から逃げ出した美琴は化粧室で顔を洗っていた。
 顔を洗い終えた美琴は大きくため息をつくと鏡に映る自分を見た。
 顔を洗ったことにより先ほどからの顔の火照りは消えたものの、その表情に明るさはない。
「あんなの反則よ、恥ずかしすぎるわ。んにしてもアイツ、躊躇なくやってきたけど、私以外の女にもあんなことやってないでしょうね」
 美琴はもう一度大きなため息をついた。
「それにしても、美琴か。さすがにあれだけ素で連呼されると破壊力デカいわね。みこと、か……」
 美琴は小さく微笑んだ。
 だがその笑みはすぐに消え、辛そうな表情に戻った。
「もう、限界ね。でも後もうちょっと、もうちょっとだけ、お願い」
 美琴は鏡に映る自分に懇願した。
「夜中の12時まででしょ、シンデレラの魔法は。今日はまだ終わってないの、お願いだから。ファイト、私!」
 美琴はぱしーんと顔をはたくと小さくうなずいて化粧室を後にした。

 美琴はその後もかなりぎくしゃくしながらもなんとかデートを続けることには成功し、二人は帰宅の途についた。
「と、当麻、今日はもうここまででいいわ。後は一人で帰れるから」
 寮への帰宅途中で発せられた意外な美琴の言葉に上条は聞き返していた。
「え? いつもなら寮が見えるまで送っていくのに、いいのか? まだ全然途中だぞ」
「うん、大丈夫。それよりも明日は学校あるんだから早く寝なさいよね。勉強もしっかりやるのよ」
「ああ、わかってる。それに情けない話だけどこれからはお前が勉強見てくれるしな。上条さんも劣等生から脱出できそうだ」
 にかっと笑う上条に、美琴は寂しそうな笑みを返した。
「そう。本当に、頑張るのよ。ちゃんと、ね」
「大丈夫だって。それよりお前さ、今日はどうしたんだ? てか、昨日から様子おかしいぞ。本当に具合でも悪いのか?」
 美琴の顔を心配そうに上条はじっと見つめた。
「そんなことないわよ。大丈夫!」
 そんな上条に美琴は笑顔で答えるとくるっと後ろを向いて走り出した。
「バイバイ!」
「ああ。み、美琴!」
 美琴の後ろ姿に言いしれぬ不安を感じた上条は思わず声を出していた。
「何?」
 美琴は上条の方を見ずに答えた。
「え、えっと、悪い、なんでもない。また明日な!」
「…………」
 美琴は何も答えず走り出した。
 拭いきれない不安を抱えたまま、上条は美琴の背を見つめ続けた。

――時間切れ。一週間、よく保った方よね。シンデレラの夢の時間は、終わり。

 翌日から美琴は上条との一切の連絡を絶った。


 上条と連絡を絶って一週間後の夕方、美琴は寮の部屋でぼうっと携帯の画面を見ていた。
 そこに映っていたのは先週上条といっしょに撮った写真だった。
「楽しかったな……」
 大きくため息をつきながら、美琴は次から次へと携帯の写真を切り替えていく。
 そのどれもがきらきらと輝く楽しい思い出の欠片だ。
「戻れない、よね、あのときには」
 この間、上条と別れた際に覚悟はしていたはずだった。
 もうダメなのだ、同じようには過ごせない、と。
 だからこそ自分の中で整理を付けるために上条に会わないようにしているのだ。
 しかし一向に自分の中で整理が付きそうにない。
 上条に会いたくて仕方がない。
「会いたいよ、当麻ぁ……」
 知らず知らずのうちに涙はどんどんあふれてくる。

「まったく、そんなに恋しいのでしたら素直にお会いになればよろしいではありませんの」
「黒子!? いつ帰ったの? ていうか、どうしてテレポートで帰ってくるのよ」
 美琴が後ろを向くと、そこには風紀委員の活動中でまだ帰るはずのない白井黒子が音もなく立っていた。
 美琴は白井の姿を確認すると目をごしごしとこすった。
 そんな美琴を見ながら白井はやれやれと言わんばかりに首を振った。
「わたくしも風紀委員の活動の途中でして、ちょっと野暮用で寄っただけですわ。それよりもお姉様、どうしてそこまでして上条さんにお会いになりませんの? お二人はお付き合いなさってるんですわよね、非常に不本意ですが」
「そ、それは……」
「それともなんですの? あんな類人猿に愛想を尽かせて、ようやくこの黒子の海よりも深い、大宇宙よりも広い愛に応える気になりまして?」
「な、何を馬鹿なこと」
「違いますわよね。黒子の知ってるお姉様はそう簡単に心変わりするような軽薄さで人を好きになったりしませんし、そんなお姉様が想いを寄せる方がお姉様に愛想を尽かされるようなことをそうそうするわけがありません。まったくもって不愉快極まりますが」
「黒子……」
「で、いったいどういう訳ですの? 先週は毎日門限ギリギリまで上条さんとデートをするくらいお盛んだったお姉様が、今週に入ったら打って変わって学校が終わると寮へまっすぐお帰りになってひたすら部屋にこもる毎日。倦怠期、というわけではありませんわよね」
「べ、別に、会う必要がないから会わないだけよ」
 ばつが悪そうに白井から顔をそらす美琴だが、白井はそんな美琴をジト目でにらみつけた。
「泣くほど会いたいのに?」
「な、ぅ、く……」
 美琴はもう一度目をこすった。
「とにかく、どういうことになるにせよ、きっちりとケリはつけていただきませんと。お姉様のそんな悲しそうな顔を見るのは黒子には耐えられませんし、なによりああいう汗臭い熱血馬鹿が何かあるたびに神聖な風紀委員の支部に押しかけてくることは我慢なりません。さ、お姉様」
「え? 馬鹿ってまさか」
 白井は何も答えず美琴の腕を掴むとテレポートを使った。

 美琴達がテレポートした先は寮から少し離れており、かつ人目に付きにくい場所だった。
 辺りには誰もいない。
「ちょっと、いきなり何すんのよ」
「さ、後はお二人で存分に語り合って別れ話を成立させて下さいな。お姉様のアフターフォローは黒子が全身全霊をもってお相手いたしますので」
「ア、アンタは何を?」
「それでは、お姉様をよろしくお願いいたしますわ。では」
 そう言うと白井はぱっと姿を消した。
「いったい黒子の奴、何言ってんの、よ……どういうこと? まさか、黒子はアンタに頼まれて?」
 美琴は白井が姿を消した後に立っていた上条をにらみつけた。
「よ、元気そうだな」
 やたら嬉しそうに上条は片手を上げた。
「なんでアンタがここにいるのよ」
 一方美琴は不機嫌そうに言葉を返した。
「なんでって、そりゃ白井に頼んでお前をここに連れてきてもらったからな。大変だったぜ、まず風紀委員の支部を探すとこから始めなきゃいけなかったし」
「支部って、アンタまさか一七七支部に? てことは初春さんとか佐天さんになんか妙なことを、いや、巨乳マニアのアンタのことだから固法先輩に手出したんじゃ! あの人にはちゃんと黒妻っていう人がいるのよ!」
「……なんだよ巨乳マニアって。だいたい、俺にはお前がいるのにそんなことするわけないだろ」
「そ、そう……じゃなくて、なんでアンタがそんなことまでしてここにいるのかって聞いてるのよ!」
「お前に会いたかったからに決まってるだろ。携帯には出ない、メールの返事は返さない、俺は常盤台には近づけない、特別な事情もないのに女子寮なんてもっての他。ならこうでもしないとお前に会えないだろ。んにしても白井の奴、去り際になんつーことを。当たったら大怪我だぞ」
 上条は指で挟んだ金属の矢を弄んだ。
 おそらく白井がテレポートで消える直前、上条に投げつけたのだろう。
 一方、素直に自分に会いたいと言われた美琴は心臓を高鳴らせたが、それをごまかすように大声を出した。
「わ、私はアンタに会いたくなんてないわよ。だから返事もしなかったし、連絡もしなかったでしょう!」
「そんなもん関係ねーよ。俺が、お前に会いたかったんだ」
 美琴はしばらく上条をにらみつけていたが、やがて諦めたかのように大きくため息をついた。
「そうね、アンタはそういう奴よね。いっつも自分の気持ちや正義を人にぶつけて、こっちの気持ちなんかお構いなし。相手がどんな気持ちになるかなんて、考えもしない。ほんとに、私がどんな気持ちなのかなんて……。でも、あれから一週間か。そろそろいいかもね」
「そろそろ?」
「うん。あのさ、ちょっと話、いいかな」
「そりゃ別にいいけど、俺に話なんてないんじゃなかったのか?」
「うるさいわね、会いたくないって言っただけよ。それに事情が変わったの」
「ふーん」
「じゃあ、言うわよ」
 美琴は大きく息を吸い込んで気合いを入れた。
 その気迫に押された上条はごくりとつばを飲み込む。
 次の瞬間、美琴はばっと頭を下げた。
「ごめんなさい! 二週間前のことは全部なしにして!」
「へ?」
 上条はまぬけな返事を返すことしかできなかった。
「えっと、どういうことだ?」
「だから、そのまんま。二週間前、アンタに告白したのとか、色々、全部、なしにして欲しいの! あれは、ま、まま間違い、だから……」
「間違い……告白、そのものがか」
「……うん」
「てことはお前、正気に」
「戻ってる。だから、正気じゃなかったあのときのことは、全部」
「いいぜ」
「…………!」
 美琴は目を見開いてはっと息を呑んだ。
 自分から言いだしたこととはいえ、あまりにも上条があっさりと自分との別れ話を納得したことに衝撃を受けたのだ。
 自分はやはり上条に本当の意味で好かれてはいなかったんだな、と。
「でも、その前になんであんなことになったかくらいは聞かせてくれよ。原因、わかってるんだろ?」
「う、うん」
 あまり言いたくないな、と思いながらも美琴はうなずいた。
「あ、あのね。あのとき私、催眠というか、自己暗示状態になってたの」
「自己暗示?」
「うん。きっかけは些細なこと。雑誌の特集であった催眠ていうのを試しにやってみたら見事に自分にかかっちゃって。ほら、私ってレベル5でしょ。人より遥かに『自分だけの現実』、思いこみが強くてかなり心の奥の部分にまでかかったみたいなの、しかも別の現実まで心の中に構築しちゃって。だからあのときの私は暗示で性格が変わった上に事実とは異なる思いこみの記憶まで心に同居させてる状態だったってことね。ちなみにあのときの記憶は全部あるわよ。まあこうして解説してるくらいだからわかるでしょうけど」
「それが婚約とか、付き合ってるっていうあれなのか。そうか、科学でも魔術でもないから幻想殺しが効かなかったわけか」
 美琴はこくりとうなずいた。
「でも、元々素人がかけた暗示なんだから簡単に解けるはずだったのよ。実際あのときどんどん偽の現実と性格は壊れていってた。なのにアンタは、私の中の偽物を助けちゃった、お節介にも。ほんとに、私や妹達だけならともかく私の中の偽の感情までアンタは……」
 美琴はやや自嘲気味な笑みを浮かべた。
「だってお前、あんなに辛そうだったから」
「それはそうよ、偽物とはいえ心の中に構築した『自分だけの現実』よ。心にある現実がどんどん壊れていくのは本当に怖かったわ、あのときの私の心の中心は偽物の方にあったんだから。で、アンタに助けてもらった偽の現実と性格なんだけど、しょせんは偽物、時間制限があった」
「それがこないだの自然公園でのデートの日。様子がおかしかったのは暗示が解けかけで性格そのものが不安定だったから、か?」
「そう。まあこっちは壊れるんじゃなくて解けるんだから恐怖はなかったんだけど。かくして12時の鐘の音と共に見事にシンデレラの魔法は解けちゃった。アンタと私の嘘で固めた中途半端な関係も終わったってわけ。欲を言えばもっと続いてほしかったけど、ね」
「シンデレラ……」
「で、完全に正気に戻ったのはいいんだけど、そうなったら後始末を色々とね。でも、気持ちの区切りがちゃんと付かなくて。だから、しばらく時間をおいたらアンタともちゃんと元に戻れるかなって」
「で、一週間してどうだったんだ?」
「…………」
 美琴は何も答えなかった。
「後どんだけ時間があればいいんだ?」
「……わかんないわよそんなこと。でも、迷惑かけたアンタには謝りたかった。好きでもない私のために本当に、ごめん」
 美琴は申し訳なさそうに頭を下げた。
「お前、何勘違いしてるんだ? 俺がいつ迷惑だなんて言った? 俺は自分で選んだんだぞ、お前にとことんまで付き合うって。それに好きでもないとか俺が一度でも言ったか? 恋人としての『好き』に追いついてないだけだって言ったはずだ」
「それは、そうかもしれないけど……。でもやっぱりおかしいわよ。私はお人好しのアンタの心を弄んだのよ、なんでそんなに優しいのよ! 同情にしてもお人好し過ぎよ!」
「俺はそんな聖人君子じゃねえ! だいたい被害者の俺が被害を受けてないって言うんだ、なんの問題がある。……それに、お前がどう考えてようと、いまさらもう後戻りなんてできないんだよ、俺は」
「それ、どういうことよ?」
 訝しげに上条を見る美琴。
「だから……とにかく、二週間前のことはなしでいい。ていうか、遅かれ早かれ俺の方から頼もうと思ってたことだし」
「そう。つ、つまり、アンタも、私と別れたかったってことなんだ……」
 美琴は辛そうに唇を噛んだ。
 だが上条は首を横に振った。
「そうじゃなくて、俺がなしにしたいのは告白のとこだけだ。後のことは最初からやり直すつもりだったんだ」
「アンタ、さっきから何が言いたいの?」
「だからその、あのさ、みこ、御坂」
 上条は美琴の肩を掴むと、急に真剣な眼差しで彼女の瞳を見つめた。
 美琴はその眼差しが自分の心臓を高鳴らせるのを感じた。
「は、はい」
「えっと」
「はい」
「だから」
「うん」
「み、みみ、すすす」
「はい? ミス?」
「み、みみみみ、御坂! 好きです! 俺と、本当に付き合って下さい!」
「に?」
「好きです」
「にや」
「付き合って下さい」
「に、にゃにゅ、ふにゅにゃにゃぁぁ!?」
 そのとき、美琴の呼吸は一瞬止まった。
 我に返った美琴は慌てて呼吸を繰り返した。
 とりあえず上条は近くにあったベンチに美琴を座らせ、その背中をさすり続けた。
「っくは、はあ、はあ……」
「……おい、大丈夫か、御坂」
「だ、大丈夫、たぶん……」
「えと、その、急、過ぎたか? あの、俺、こういうこと初めてでよくわからないんだが、なんかまずかったか?」
「いや、そういうことじゃないんだけどね……いったい何がどうなってるのか」
「御坂が好きだって告白した」
「全部すっ飛ばして結論だけあっさり言うな! ……ゲホッゲホッ」
 咳き込んだ美琴の背中を再び上条は無言でさすった。
「だいたいなんでそうなるのよ、私はアンタのことを――」
「そんなの関係ない」
「でも」
「俺さ、一週間お前といっしょにいて、今まで知らなかったお前のいろんなところをたくさん知ったと思うんだ。そして、知れば知るほどお前のことで俺の心はいっぱいになっていった。お前、さっきシンデレラの魔法とか言ってたろ、続いてほしいとかも言ってたよな。あれさ、俺も同じだったんだ。お前には悪いと思ったけど、お前が俺の側にいてくれるんならこのままの状態が続けば、いいなって」
「…………」
 美琴は上条に返す言葉を持たなかった。
「でも、それじゃダメだってこともわかってた。そんなとき、お前と会えなくなった。そうしたらお前のことを考えてやる余裕とかすっかりなくなって、ただお前に会いたくて、たまらなくなって。結局お前に会うために白井を探して風紀委員の支部にまで乗り込んじまった。白井の奴、文句言ってたろ」
「うん、汗臭い熱血馬鹿が来て迷惑だって」
「だろうな。でも、白井は俺の頼みを聞いてくれて、お前に会わせてくれた。実を言うとさっきな、お前の姿を見た瞬間、抱きしめたくてしょうがなかったんだ。でもお前の様子が変わってるのはなんとなくわかってたし、もしそれで嫌われたりしたら、とか考えたら何もできなくて普通の挨拶になっちまった」
 恥ずかしそうに頬をかく上条を見ながら美琴は心臓の鼓動がどんどん早くなるのを感じていた。
 本当に告白など慣れていないのだろう。
 回りくどく、不器用な言い回しだが精一杯真剣な想いを自分にぶつけてくれようとしているのがわかった。
「二週間前の関係はやっぱりいびつだ、あんなのフェアじゃない。お前の弱みにつけ込む、そんなの俺は嫌だ。俺はお前に正々堂々、正面からちゃんと向かい合って自分の気持ちを伝えたい。だから、二週間前のあんな関係は全部なしにして、できることなら最初っから始めさせてほしいって頼みたかったんだ」
 そこまで言うと上条は目を閉じて深く深呼吸をした。
 目を開けた上条は先ほど以上の真剣な眼差しで美琴を見つめた。
「もう一度言う。御坂美琴さん、心からあなたが好きです。恋人として俺と、付き合って下さい」
「…………」
 美琴は何も答えなかった。

 やがて沈黙に耐えきれなくなった上条がおずおずと口を開いた。
「あ、あの、へ、返事は、やっぱり……」
 美琴は瞳を潤ませながら上条をにらんだ。
「アンタさ、ほんと、馬鹿じゃないの?」
「……いくらか、いや、かなり自覚はある」
「おまけに人がどう思ってるかなんかちっとも考えないし。私の気持ち、考えたことある?」
「や、やっぱり迷惑……」
「私がどうして暗示なんかに頼ろうとしたかとか、どんな暗示に頼ろうとしたかとか、アンタちょっとでも考えた?」
「えっと……?」
「私は、素直になりたかった。妹や、あのシスターみたいに素直にアンタに接したかった。アンタへの気持ちを素直に表したかった。学園都市の誇るレベル5、この科学の固まりみたいな私がアンタに素直になりたいってだけで怪しい暗示なんかに頼ろうとした。この気持ち、アンタちょっとでも考えたことある?」
「…………」
 静かな、それでも威圧感のある美琴の口調に上条は言葉を失った。
「アンタが私のこと好き? 私に会いたくてたまらなくなった? ふざけないでよ! 私が、いつから、どんだけアンタのこと好きなのか、考えたことあるの! アンタが私のこと好きだって言うんなら、私はその何倍も何倍もアンタのこと大好きなんだから!! だから、だから……」
 美琴は上条をビシッと指さした。
「アンタは私と付き合いなさい!! 世界中の誰よりも私を大切にしなさい!! 一生私といっしょにいなさい!!」
 ここまで一気に言うと美琴は肩で荒い息をついた。
 上条は何も言わずぼうっと美琴の顔を見つめていた。
 その様子に美琴は表情を暗くし、うつむいた。
「だ、ダメ……かな……」
「……する」
「え?」
「するするする約束する! 美琴を大切にする、一生いっしょにいる。お前を一生懸けて護り続ける!!」
 顔を真っ赤にした上条は美琴の手をぎゅっと握ると飛びかからん勢いで彼女に近づいた。
 同じように顔を真っ赤にした美琴の目からつーと一筋の涙が流れた。
「ほんと?」
「ああ」
「ほんとにほんと?」
「ああ」
「ほんとにほんとにほんと?」
「ああ」
「私、ビリビリするよ」
「上条さんには幻想殺しがある」
「わがまま言うよ」
「いくらでも聞いてやる」
「嫉妬深いよ」
「上条さんは美琴以外に興味ないから問題ない」
「胸だって小さいよ」
「気にしたことありません」
「それから、それから……」
「俺は良いところも悪いところも全部ひっくるめて美琴の全部が大好きなんだ! それくらいの男の甲斐性見せてやる! だから俺を信じろ!!」
「うん!」
 感極まった美琴が上条に飛びつき、それを上条はしっかりと抱き留めた。



 乙女にかけられるシンデレラの魔法。
 確かにそれは12時で消えてしまう儚いものなのかもしれない。
 けれど乙女がその心に一途な想いを抱き続けるならば、魔法はきっと乙女の想いを叶えてくれるだろう。


おしまい




 ちなみに。

「あれ、当麻、携帯鳴ってるよ」
「ん? いったい誰だろ、こんなときにって、母さん?」
 上条の携帯に表示された発信者は上条詩菜だった。
「もしもし」
『もしもし当麻さん? そこに美琴さんいますよね、代わってくれますか?』
「ああ。母さんが美琴にだって。でもなんでいっしょだって知ってるんだ?」
 美琴は上条から携帯を受け取ると丁寧に頭を下げた。
「あ、詩菜さん、お久しぶりです。えっといろいろありましたけど、なんとか無事に。はい、ありがとうございます。え? そんな、今から甘えちゃっていいんですか? いやです詩菜さんてば、そんなかわいいだなんて。でも本当にいいんですか? でしたら、はい、是非お願いします! はい、ではまた後ほど、こちらから連絡します。はい、番号は当麻から聞いておきますので」
 美琴は当麻に携帯を返してきた。
「詩菜さん、今度は当麻にだって」
 上条は訝しげにそれを受け取った。
「何、母さん?」
『当麻さん、まったくあなたという人は。まさか中学生に手を出してしまうなんて。刀夜さんの血とはいえ、そこまで手が早い男に育てた覚えはありませんよ』
「えっと、そう言われましても。俺としても清い交際を心がけ……って言うか、母さん、どうしてその話をもう!」
『とはいえ相手が美琴さんなら話は別です、あの娘は当麻さんにはもったいないくらい良い娘ですからね。それにあなた方の年齢差なんて、実際は成人すればなんの問題もありませんし。はい、ですから婚約の件もこちらに異存はありませんよ、あんなかわいらしい娘ができるなんて本当に嬉しいです。御坂さんも喜んでいるんです、よくやりましたね、当麻さん』
「え」
『結納などの段取りなどはこちらで決めておきますので任せておいて下さい。大丈夫です、御坂さんのお宅とはご近所さんなんです。当麻さんは何も心配することはありませんよ』
「で、ですから」
『学園都市の外に出るのは大変だと聞いてます。申請のことなどもあるでしょうし二ヶ月前には連絡するようにしますから。それでは後の連絡は美琴さんとやりますので当麻さんは肝心なときに、逃げ出さないようにだけ、お願いしますね』
「あ」
 電話は無情にも切れてしまった。
「み、美琴、これってどういう……」
「あ、あはは。それが、暗示かかって当麻と付き合うようになった夜に、私嬉しくって母さんに電話しちゃったの」
「な……!」
「そしたら母さんと詩菜さんてご近所さんだったらしくてすっかり話が伝わっちゃってて。しかも私そのとき、結婚を前提にお付き合いって言っちゃってたのよね」
 ごめんと言いながら明るく笑う美琴。
――ひょっとしてさっきの告白とか関係なく、俺の人生ってもう決まってた……?
 なまじかわいい分、上条には美琴の笑みが小悪魔のそれにしかどうしても見えなかった。

 こんな出来事が二人の告白のすぐ後に起こっていたりする。



本当におしまい


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