とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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ラプラスの神様 1



『一一一主演、夏の新ドラマ!!マル秘レポート&独占インタビュー』
 先日始まったばかりのドラマの特集記事が目玉らしい、女の子向けの週刊アイドル雑誌を食い入るように読んでいる佐天涙子と、そんな雑誌にはビタ一興味がない御坂美琴は、第一五学区のファミリーレストランにいた。
「くー、やっぱり来期のドラマはアツイですね!!90年代ドラマのリメイクラッシュですって!!あぁ、期待しちゃうなあ…」
 嬉しそうにそう言った佐天が手にしている雑誌に美琴が目をやると、この秋は、昔のヒットドラマを5本もリメイク放送する予定であることがそこに書かれていた。昨年冬に放送された過去作品のリメイクドラマが流行して以来、低調なドラマ業界ではそんな手法が増えていたのだった。
 雑誌に掲載されていた5作品のうちの一つは、早くも先週から放送が開始されている。8月中旬という半端な時期に放送が始まった理由は、先々週まで同じ時間帯に放送されていた同局の夏ドラマが、5話目にしてあえなく打ち切りの運びとなったからに他ならない。
 今秋放送予定の作品の殆どが過去の焼き直しという、昨今のTVドラマの不作ぶりを象徴するような作品群には苦笑するしかなかったが、テレビ業界がどこに需要ありと見込んだのか、作品数だけは妙に多かった。
「う、う~ん…名作とはいえリメイク作品ばっかりほいほい出されると、私は興ざめしちゃうけどなあ…」
「チッチッチ、わかってないですねー御坂さん。乱造リメイクドラマは、あの期待はずれ感が良いんじゃないですか。明らかに劣化したストーリー構成!!中途半端な追加要素!!そして顔が良いだけのアイドル俳優っ!!毎週見終わるごとに昔は良かったなあ…と懐古に浸るのが低予算リメイクドラマの正しい楽しみ方なんですよ!!」
「…そ、そうなの?」
「そうなんですよ!」
 熱っぽくドラマの楽しみ方を語る佐天に、正直なところドン引きの美琴だった。中学生が90年代のドラマを語れることもまた驚きである。
「……それにしても遅いわね。初春さん達」
「まあ、仕方ないですよ。お仕事だし」そう言った佐天は再び雑誌に目を戻した。
 白井黒子と初春飾利はここにはいない。風紀委員の仕事でトラブルがあったらしく、少々遅れてしまうという旨の連絡を、待ち合わせ時間の直前に美琴達は受けていた。それから既に1時間が経過していたが、その後は何の音沙汰もなく、月曜日だというのにやたらと賑わう夏休みのファミレスで二人は延々と時間を潰しているわけだ。
 ショッピング目的で繁華街まで出てきた美琴達だったが、待ちぼうけているとだんだん買い物も面倒になってきた。そんな頃合いである。
「…っていうか佐天さん、わざわざ雑誌買うほど好きなんだ?ドラマの情報なんて今時ネットでいくらでもみれるのに」ドラマの専門誌ではなく、アイドル雑誌を買った理由も美琴にはわからなかった。
「あ、いや、あたしも普段はネットで情報集めるんですけど、ちょっとこの雑誌の占いコーナーが気になって…」
「占い?」
「ほら、これですよ」
 少し照れたような仕草で、佐天が寄越してきたアイドル雑誌には、彼女の言うとおり占いの記事が掲載されていた。しかし、血液型や星座などの占いとは別なようだ。それよりもずっと細かな分類で記事が書かれている。雑誌のおまけみたいな位置づけによくある占いとはどうも毛色が違う様子で、特集でもないのに40ページにも渡って誌面が割かれていた。
「…うわ…なにこれ?……細川十神流占術……?」胡散臭さに美琴の顔が引きつった。そんな名前はこれまで一度も聞いたことがなかった。
「あ、知りません?いま結構話題の占いなんですけど」
「…ううん、全然」
「変な名前付いてますけど、これ人間が占っているんじゃなくて、どこだかいう行動経済学を研究している研究所が開発したスーパーコンピューターで…。えーと…なんたら未来予測演算システム?とかいうのが占ってるんですよ」
 佐天自身もうろ覚えらしく、一体どこが何をしているのか、美琴にはさっぱり伝わらなかった。
「で、そのなんたら研究所が、システムのモニタリングの一環として一般向けに占いをさせてるみたいなんですけど、これがまたよく当たるって評判で…」
 よく読むと最後のページには『提供:細川技研』と小さくクレジットされていた。科学万能の学園都市では、雑誌の占いもコンピューターまかせらしい。
 コーナー最後の頁には、占い師のプロフィールよろしく、演算に使用されたコンピューターのマシンスペックが簡単に開示されていた。紹介は簡単であったものの、相当のコストがかけられた高性能機であることは一目でわかる。だからと言って、美琴はそれに興味を引かれたりはしなかった。
「ふうん。佐天さん相変わらずこういうの好きだね」
「あ~!!御坂さん信じてませんね!?それでも女の子ですか!!ちょっと待ってください。御坂さんの運勢も見てあげますから!!」
 さも興味が無いといった表情の美琴に頬を膨らませた佐天は、勢いよく頁をめくり、美琴の運勢が記載されている箇所をすぐに探し出した。
「どれどれ…あ、すごい!御坂さん今週の恋愛運最高じゃないですか!!」
「えっ?そそ、そうなの!?」恋愛運と聞いた美琴の心は思わず跳ね上がった。美琴の頬が赤くなったのを佐天は見逃さなかった。
「ふふ~ん。気になってきましたかあ?えーとなになに…今週のアナタの恋愛運は最高!!意中の男性から猛烈アタックの予感!!週末には彼からデートに誘われそう!!普段彼の前ではついつい天邪鬼な態度をとってしまうアナタも、今週こそは素直になりましょう。人生最高の幸せが待っているかも!?ラッキーアイテムは…」
 雑誌には他にも勉強運、健康運、仕事運などについてつらつらと書かれていたが、当たると評判な割には結構曖昧な内容である。しかし、内容がどうあれ今の美琴には雑誌を読み上げる佐天の声などほとんど聞こえておらず、関心事は一点に集約されていた。
(アアアイツからデート…?しかも、ももも猛烈アタックって…!?)
「おーい、御坂さん?どうしました?」
「えっ!?あ…いやでも、評判って言っても所詮は占いでしょ?こんなのアテにならないって」
 ハッとしてそう言った美琴は真っ赤になった自分の顔を冷ますように、あわてて飲みかけのジンジャエールを飲み干した。
 オカルティックな事柄に関しては総じて言えることなのだが、美琴が言うように、この手の占いは学園都市では話半分程度にも信用がない。
「えー。だって、なんたら予測演算システムですよ?スーパーコンピューターですよ?」
「……そりゃ易学や占術だって立派な学問だけど、LV4クラスの予知能力者でも正確に予知しようとしたら、数時間先の未来を見るのがやっとって言うじゃない」
 先程は恋愛運と聞いてうろたえたが、美琴は占いというものをそれ程信じていなかった。
 ハイスペックな演算器を用いていようとそれは同じことで、結果をアテに出来るほどの精度があるとは美琴には到底思えないのだ。
 人の運命など、機械の計算で推し測れるものではない、と美琴は常々考えていた。
 あの少年が、あらゆる運命を拳一つで全てねじ伏せてきたのをこれまで何度も見てきたから、未来の予知なんて考えるだけでバカバカしいとさえ思えたのだ。
 きっとあのバカの未来なんて、たとえ「樹形図の設計者」であったとしても予測出来なかったに違いないと、美琴は決めつけていた。
「…む、それならこれから来る初春と白井さんの運勢を見てみましょう。ふふふ…細山なんたら流の真髄をお見せしますよ」
「いや、つか既に名前が――」「むむっ…!!これは、二人ともあまり良くないですね!!」
 夢中で雑誌にかじりつく佐天は、美琴の声など聞いちゃいなかった。
 この場に居ない二人の運勢が彼女によって読み上げられていく。
 意外なことにこの占いは、中々よく当たると言って良さそうだった。

 佐天によって読み上げられた白井の運勢は、お世辞にも良いとは言えなかった。
「えーと…白井さんは、仕事運が急下降の予感。勤務中に大失敗して残業必至です。特に週の始めは要注意!普段なら絶対にやらないミスを連発。それが原因で右腕に切り傷を作ります。この不調は週末まで引きずりそうなので、注意して仕事に臨んでください。感情の波が激しく正義感の強いアナタは、仕事となると冷静さを失いがちです。落ち着いた行動を心掛けましょう。えー、ラッキーアイテムは…別にいいですね。続いて金運――」
 それから、半分位記事を読み上げたところで、佐天は読むのをやめた。
 残りの半分は、運気の上げ方だとか、不運の回避方法などについて書かれていたためだ。それは本人がいない場で読んでもあまり意味がない。
 肝心の占いだが、性格の面で言えばそれなりに当たっているような気がしなくはない、というのが美琴が抱いた率直な感想だった。
 確かに白井は歳の割には大人びているが、冷静さに欠ける部分もある。直情的で、それゆえに風紀委員の仕事でも生傷が絶えない。
 しかし、運勢については一部断定的な表現もあったが、全体から見るとまさに雑誌の占いといった感じの非常にざっくりとした内容である。たとえ結果が外れていたとしても、これなら何とでも言えるのではないか、と美琴は思った。
 佐天は続けて初春の運勢が載っている頁に目を移すと、すぐにあちゃあという顔をして笑った。どうやら、こちらもあまり良くないようだ。
「ぷっ…はははは、白井さん程じゃないですけど、初春も仕事運急降下してますねー。『同僚の失敗に巻き込まれて苦労します』ですって。あはははは!」
「なにを笑ってるんですか佐天さん…」
けらけらと笑う佐天の後ろから、不意に声がかけられた。可愛らしい声の主は、今まさに運勢を読み上げられていた初春飾利だった。
「おっ…初春ぅ!!ようやく来たね、お疲れさんっ!!」
 待ち合わせから遅れること1時間半。ようやく風紀委員の仕事を終えてやってきた。
「すみません。仕事がちょっとバタついちゃって…」
「初春さんお疲れ様。あれ?黒子は一緒じゃないの?」
「白井さんは、仕事でちょっとやらかしちゃって、いま支部で始末書を書いてます。あの様子だと、今日は来れないかもしれないですね…」
 連日勤務が続いていた初春は、少し疲れた様子で簡単に事情を説明してから、席についた。
「あー、それは残念。ちょうど白井さんと初春の運勢を見てるところだったのに」佐天が言葉通り残念そうな声をあげた。
「占い?ああ、その雑誌の。結構評判なんですよね、それ」
 メニューを見て、すぐさまジャンボフルーツパフェを注文した初春は、雑誌に目をやるとそう言った。
「白井さんの仕事運がまた酷いんだコレが。ねえ、初春?その様子だと、結構当たってたり?」面白がって佐天が初春に雑誌を見せながら詳しく訊いてみた。
「それが、今日は酷かったんですよ…」初春の声には、呆れたようなため息が混じっていた。
「おおっ!!なになに?これはやっぱり当たってるんじゃないですか?ねえ、御坂さん!!」
 ぺしぺしと美琴の肩を叩きながら、佐天は視線で初春を促した。嬉しそうだ。
「あ、いえ、業務内容なのであんまり詳しく説明出来ないんですけど…私と白井さんで街の警ら中に能力者同士の喧嘩があったんですよ」
 ここ学園都市では、夏休みの間中、学生同士の喧嘩が絶えない。能力者同士の喧嘩もこの時節にはそう珍しいことではなく、治安維持の要たる風紀委員や警備員は連日大忙しだ。
「そのとき喧嘩をしていた学生二人が、LV3の能力者だったので、私は警備員に支援要請をしようと白井さんに言ったんですが…」
「いつも通り、さっさと一人でぶちのめしちゃったわけね。まったく目に浮かぶわ…」
「まあ、そこはいつも通りなんですけど、今日はちょっとやりすぎちゃったんですよねぇ…。近くにあったお店のショーウィンドウと軽自動車一台を完全に巻き込んで大破させてましたから」
 どうやら、遅れた原因はそこにあるらしい。
―――初春飾利は回想する。

 白井にしてはその日、珍しく苦戦をしていた。喧嘩をしていた相手のうち一人は体躯のいい思考解析系の能力者で、白井の思考を巧みに読み取り、空間移動を利用した彼女の攻撃を躱していた。思考演算によって転移先の座標指定をおこなう白井のテレポートは、相手の能力によって、ことごとく避けられてしまう。
 数分間の戦闘の末、ついに白井がぶち切れた。
 サイコメトラーの能力有効範囲圏外に空間移動した白井は、既に喧嘩に巻き込まれてバラバラになっていた警備ロボットを、遠距離から相手の頭上にテレポートさせ、ようやく学生を取り押さえることに成功した。だが、それがよくなかった。
 警備ロボットを空間移動させた際に、機体の一部が、学生の目の前にあった軽自動車のエンジンを巻き込んだようで、燃料に引火し、爆発を起こしたのだ。
 元々人通りが少ない場所であったため、運良く一般人にケガ人は出ず、破損したものも、爆発した無人の自動車と、近日中にビルごと解体が決まっている空き店舗のショーウィンドウのガラスだけだったため、幸いなことに事後処理にはそれ程時間を要さなかった。
 警備ロボットは巡回テスト中の試験機だったらしく、これについては破損報告の対象外である。製造したメーカがいそいそと回収していくその様子は、見ていて実に気の毒だった。こうもあっさり壊されては、開発者も立場のないことだろう。
 当の学生二人も、間一髪爆発に巻き込まれる寸前で白井がテレポートさせたため、爆発によるケガはなく、夏休み中は病院のベッドではなく、仲良く能力者用の更生施設住まいとなる見込みだった。
――そんな経緯を、業務に差し支えない範囲で、掻い摘んで初春は説明し、丁度運ばれてきたばかりのジャンボフルーツパフェに手を伸ばした。
「――で、今は177支部で固法先輩からキツイお説教をくらってまふ」パフェのアイスクリームを頬張りながら初春は付け加えた。
「成程ね…」それは確かにツイてないとも言えるが、自業自得だろうと美琴は思った。
「まあでも、白井さんも腕にケガをしてましたし、これからは反省してくれると良いんですけどね…」
「えっ!?なに?白井さんケガしたの!?大丈夫!?」佐天が心配そうな声をあげた。
「ええ、といっても大したケガじゃないですから心配無用です」
 そう初春が告げると、佐天は安心したように息をついた。
「あれ……?ちょっと待って、初春さん。黒子がケガしたのって、どっちの腕?」
「…?ええと、右腕です。こう…手首の甲側から肘くらいまで浅く切ったんですよ」
 半袖の制服からのぞく細い自分の右腕に、左の人差し指をあてて、白井がケガをしたという場所をなぞりながら初春は説明した。爆発時に飛び散ったショーウィンドウのガラスの破片で切ったらしい。
「右腕に切り傷…?」美琴が呟くと佐天も気付いたようだ。先程、彼女自身が読み上げた占いコーナーにもそんなことが書かれていた。
「…!!御坂さん、すごい!!やっぱり当たってますってコレ!!見たか初春!細山なんたら流の真髄を!!」
「…え?え?なんですか?さっきの占いの話ですか?」
 佐天は興奮して勢いよく立ち上がり、初春の手をとりきゃあきゃあと騒ぎ出した。ファミリーレストランの客が、一体何だとこちらを伺っている。
『右腕に切り傷』『仕事運急降下』『残業』いずれも雑誌の占いコーナーに書かれていたことだった。初春についても、『同僚の失敗に巻き込まれる』という点で的中している。
(え…いや、ちょっと待って。…ということは、もしかして…?)
 美琴がそう考えた瞬間だ。佐天がニヤリとした笑みを浮かべた。
「わー。でもいいなあ。御坂さん、今週の恋愛運最高だったじゃないですか。『意中の男性から猛烈アタック!!』ですって。ひゅーひゅー!うっらやましー」
「……へっ!?え、ででででも、こ、この程度じゃデータが足りないっていうか、偶然ってこともあるでしょ!?」
 佐天の入れてきた茶々に美琴は耳まで赤くさせられた。
「フフフ…御坂さんの言うとおり、確かにこれはウィークリーの占いなので、それほど詳しい情報は載っていません」それに雑誌媒体という関係もあり、掲載される情報にも限りがある。
「しかし、ここに雑誌と同じエンジンを使用した占い情報サイトがあるのです!!」
 閉じられたままの二つ折りの携帯を美琴の眼前に突きつけて佐天は言った。じゃじゃーんと自分の口で付け加える演出も忘れない。
「ここならば、占いはデイリー更新。誌面上の文字数制限も無いため、情報はより詳細です…その上、分類の更なる細分化により精度は桁違い!!」
「……!!」
 昼間の通販番組のような軽やかなセリフ回しだった。放っておけば勝手に布団圧縮袋くらい付けてくれるのではないか、と初春は思っていた。
「メルマガ登録すれば、毎日朝イチで詳しい運勢情報が届きます。…さあて、御坂さ~ん?どうしますう?」ニヤニヤしながら佐天が言った。
(わあ、佐天さん楽しそう)
 美琴のほうはすっかり飲まれてしまったようで、顔を真っ赤にしたままオタオタとしていた。佐天や初春から見ても、女としてちょっと悔しいくらい可愛らしい反応だった。
 やだなあ、そんなにイジッて欲しいんですか?御坂さん、と佐天と初春は心の中で同時に思った。
「ちょ…でででも私は、登録とか…そこまでしなくても…。そ、それに、いま私にすすす好きな男なんて…」
「あ、でも、これを逃したら一生ないって書いてありますよ。ほらここ」
「うそッ!?」
 美琴は初春が手にしていた雑誌を受け取った。慌てて受け取った自分の手が震えているのが恐らく彼女にも伝わったはずだ。
 先程は佐天によって読み飛ばされていたが、雑誌にはいかにその男性との出会いが運命的なものであったかが綴られており、文末には確かにこれが最後のチャンスであると書かれていた。
 バカバカしいとは思ったものの、こんな書き方をされては、信じないわけにはいかなかった。
「……登録しときます?」
嫌味の全くこもらない爽やかな口調で、ニッコリと佐天は美琴に訊いた。美琴はこんなに晴れやかな佐天の顔は見たことがない。
「…………………………………………………………………………………………。」
「おや、しないんですか?」


「………………………………………………………………………………………………する」
散々迷ったような素振りでうつむきがちにそう答えた美琴は、すがるような手つきで先程まで読んでいた雑誌をギュッと胸に抱え込むと、眼前に突きつけられた佐天の携帯に向かって、そっと震える右手を伸ばした。
「おーっと。ダメですよ、御坂さん!!もしや、この人生バラ色確実の超重要情報をタダで手に入れようと!?」
佐天は美琴の手が届く寸前で、ヒョイっと自分のポケットに携帯をしまいこむと、またニヤリといじわるな笑みを浮かべた。
「……!!?」
(うひゃあ、佐天さん、今日は攻めるなあ)
美琴は少し涙目になってきた。傍観している初春は内心笑いが止まらないようで、表情を顔に出さずにいるのが辛そうだ。
「くっ…何が目的なのかしら?」
「いえいえ、目的なんて。そんなに難しいことじゃないんですよ。やっぱり恩ある御坂さんの恋ですし、あたしらも応援したいわけです」
面白半分ではあるが、これは佐天の本心だった。美琴には命だって救われたのだ。美琴に対する感謝は誰よりも大きいつもりだった。
「そうするとやっぱり、好きな男性の名前くらいは知っておきたいじゃないですか?」
「~~~~~~ッッッ!!」
これでもかというくらい真っ赤になった美琴の手から雑誌が滑り落ちた。発せられた声はかすれきっており、佐天も何を言っているのか全然聞き取れない様子である。先程ジンジャエールをひといきに飲み干したばかりなのに、美琴の喉はもうからからだった。
(おお…そういきますか。やるなあ佐天さん)
さり気に巻き込まれた初春だったが、感心したように頷いていた。
「これから微力ながらもご支援させて頂くために是非っ!!」
「………………な…なまえ?」
「そ…そう、名前!!」
美琴の狼狽ぶりは、訊いている方の佐天まで緊張するほどだった。
目線を自分の膝の上に落とし、しきりにまばたきを繰り返している。指をもじもじと弄り黙り込むその姿は、学園都市に七人しかいない超能力者にはとても見えない。
からからになった喉で、美琴は振り絞るように声を出す。ここで覚悟を決めなくては一生後悔するかもしれないと、そう思っていた。
大袈裟かもしれないが、美琴にとって問題は深刻なものになっていた。
「…………………と…とと……とう……」
「…とう?」
 とうとう観念して話す気になった美琴は、ぼそぼそとした声を出した。
ゴクリ…と生唾を飲み込み、佐天は続く言葉を待っていた。手のひらに汗が滲むのを彼女は感じていた。

「………とう………………………………………………………………………………ぐすっ」
「へ?」
 美琴は泣き出す一歩手前だった。
(―――ッ!しまった!!やりすぎた!?)
(えぇーっ!?いやいや、小学生ですか御坂さん!!)
 目に涙をいっぱい溜めながら、美琴はなんとか言葉を紡ごうとした。
 普段の彼女ならば、ここまで追いつめられることはないだろう。最後のチャンスという言葉が効いているのだ。からかい半分でつついてみた佐天と初春も、これにはさすがにうろたえた。
 そんな美琴の必死な姿に罪悪感をおぼえた佐天は、落ち着きを取り戻すため、ふう、と短く息を吐いた。こんな顔をされたら見逃してやるしかないではないか。
「……ところで御坂さん、その占いだと、あたし今週、金運が最高なんですよ」
 ニイっと笑いながら言う佐天に、俯いていた美琴はゆっくりと視線を合わせた。
「この場は御坂さんのおごりというなら、特別に教えて差しあげましょう」
 ウインクをしながら告げられた佐天の申し出に、美琴は無言で首を縦にふった。
「ふふっ…まいどありー!!」
 それから佐天は遠慮なくチーズケーキを追加注文した。
 ドリンクバーケーキセット980円と引換に、美琴は占い情報サイトのURLゲットに成功したのである。
「いやあ、今日は本当に運がいいなあ」
 ニコニコと満足そうにそう言った佐天の占い結果も、的中したと言って良さそうだった。

ラプラスの神様 2



 細川技研第七研究室が発行するメールマガジン『あさがおニュース』は、学園都市の学生向けに昨年の冬から刊行されている、占い情報マガジンである。
 地方のタウンニュースのような、ひどく地味なネーミングセンスは、若い女性を中心に人気があるとはとても思えないものだが、これは、演算に使用されているスーパーコンピューター『あさがお』から取られたものらしい。
 美琴はファミレスで佐天から占い情報サイトのURLをゲットしたその日のうちにメールマガジンの配信登録を行うと、それからは毎日熱心にこのメルマガを読み続けていた。
 結論から言うと、この占いは評判通りよく当たる。

 昨日も、19時に女子寮の抜き打ち検査があるので注意するように、とメールに書かれていたため、使用が禁止されている化粧品類などを事前に隠しておいたのだが、時間までピタリと当てられたのだから、もはや占いというより予知や予言の域である。
 気になって、登録の際の利用規約に併記されていた仕組みの解説を読み直してみたのだが、これはどうやら、占いというよりも天気予報に近いものであるということがわかった。
 『樹形図の設計者』が大気に関するあらゆる情報から天気をシミュレートするものならば、こちらは学園都市に関わるあらゆる人間のデータを入力し、さらに、事件、天候、時事、経済情勢などの外部要因を加えて未来を予測しようというものだった。
 雑誌に掲載されていたものよりも、さらに細分化された分類で占われるから、この占いは雑誌のそれよりもよく当るのだ、というような事を佐天は言っていたが、それは間違いで、そもそもこの占い、もともとは星座や血液型のように類型化されたパターンを持つものではない。
 実際は、登録者それぞれに個別のアカウントを設け、専用に予測演算を実施しているのである。
 それでは、雑誌に記載されていた占いは何かというと、メールマガジンの占いの簡易集約版とでも言おうか、先行してシミュレートさせた個人向け占いの演算結果の傾向を大雑把に分類し、強引に雑誌に掲載させているだけに過ぎなかった。
 そもそも日次版であるところの占いを週刊誌向けに期間延長させたうえ、半ば強引に分類させているため、当然精度は落ちている。
 雑誌に載っていた白井の占いで言えば、彼女の仕事運は週末まで低調だと書かれていたが、あれから彼女の仕事の調子はさほど悪くなかった。やはり、週の終わりに近づくほど的中率は下がるようだ。
 何の関係があるのかよくわからなかった『細川十神流』という一見宗教めいた名前はこちらにはなかったが、これは『あさがお』が十基一対のコンピューター群で構成されていることに由来するらしく、ようは単なる誌面上のお遊びであった。
 個々人の未来予測において、とりわけ重要な要素は人間関係だと、そこには述べられていた。
 多様な人間関係から形成される未来を決定論に基づき演算し、コンピューター上でシミュレートする。
 ゆえに登録者の数が多ければ多いほど、予測演算に取り込む情報が増えるため、精度は上昇するのだそうだ。
 現状では、学園都市に在住する人間の未来を予測するだけで精一杯だが、最終的にはすべての未来を知る超人的知性、ラプラスのデーモンを作るというのが研究目標らしい。
 美琴には、時代を遡行するような古臭い目標に思えてならなかったが、現行登録者数30万人という規模でありながら、メールマガジンの占いは驚異的な的中率を誇っていたのだから、同時に現実味があるように思えたのも事実だった。
 しかし占いが現実味を帯びるほどに、彼女の中でひとつの気がかりが膨らんでいった。それは昨日までに届いていたメールの内容にあった。
 これは日々の占い結果が概ね良かったことも関係しているのだが、美琴はこの時点で、メルマガの情報にかなりの信頼を寄せていた。
 美琴のもっぱらの関心ごとと言えば、むしろ佐天に見せられた雑誌の内容の方にあった。
 あの雑誌には、美琴の今週の恋愛運が最高であることが確かに書かれていたはずだったが、配信登録をしてから毎朝届けられるメールマガジンには、一切恋愛に関する記述がないのだ。
 実際、今日まで一向に目当ての男から連絡はこない。雑誌に載っていた占いは、週の後ろほど的中率が下がるのだから、もう期待はしない方がいいのかもしれないな、と美琴は思っていた。今日はもう金曜日だったのだ。
 一人自室のベッドに寝そべりながら携帯電話を開いた。薄暗い部屋の中に液晶ディスプレイのあかりが灯る。着信履歴を見てみると、男から最後に電話がかかってきたのは先々週の土曜日であることが確認出来た。そろそろ2週間が経過しようとしている。
 何をするでもなく、そのままぼんやりと美琴が携帯電話を見つめていると、メールが届いた。午前8時ちょうどだ。件のメールマガジンは、いつもこの時間に届く。
【8月20日金曜日、御坂美琴さんの運勢】
 平素より、占いメールマガジン『あさがおニュース』をご利用頂きありがとうございます。
 本日も御坂美琴さんの占いをお届け致します。いつも通り本日20時に占い結果の確認メールを送付致しますので、所定の質問にご回答の上、ご返信ください。返信内容につきましては、翌日以降の予測演算にフィードバックさせて頂きます。システムの強化と予測精度向上のため、大変お手数ですが、何卒回答へのご協力をお願い申し上げます。

 さて、今日の御坂美琴さんの運勢は、恋愛運が最高です。想いを寄せる男性から明日の予定を尋ねられ、遊びに誘われるでしょう。携帯電話は肌身離さず持ち歩きましょう。この運気の上昇は明日以降も続く見込みです。これまでの人生で最高にハッピーな出来事がこの二日間で起こるでしょう。詳細な内容並びに注意点は以下の通りです―――

 開いたメールを読んだ美琴はベッドから跳ね起きた。
(つ……ついに………ついにきたの?…………)
 携帯電話を握る手が震える。雑誌に書かれていた通りの内容だ。
 バクバクと鳴り響く自身の心音を聴きながら、美琴は夢中でメールを読み進める。

――但し、意中の男性との仲を進展させたいのであれば、恐らくこの二日間が最後のチャンスとなります。彼の気持ちが離れないよう、積極的な姿勢で行動しましょう。

(………これも雑誌と同じだ……)
 冒頭部の恋愛に関する部分だけ読みつくすと、美琴は残りを読まずに携帯を閉じた。
 それからの美琴は落ち着かなかった。
 『積極的な姿勢で』と書かれていたこともあり、頑張って午前中に一度だけ自分から少年の携帯に電話をかけてみたのだが、その時は不在だった。折り返し連絡があるかな、と思ったが、一向に電話は鳴らない。
 1時間ほどして、もう一度かけ直そうかとも考えたが、あまりしつこくかけると、彼から鬱陶しがられそうで怖かった。それに、よく考えたら自分から話すような話題もなく、結局かけ直すことは出来ずじまいだった。
 午後になってからも、相変わらず気持ちが落ち着かなかったため、食堂で食べた昼食は味もよくわからなかった。
 不安と期待から、携帯片手に自室をうろうろしていると、風紀委員の勤務から戻ってきた白井から不審な目を向けられたので、美琴はしばらくじっと座っていたのだが、時刻が14時を廻った頃、ついに居ても立ってもいられなくなり、外に飛び出した。
 まさか目当ての男が寮にやってくることなどあるまい。それならば外に出て彼を探した方が手っ取り早いはずだ、と判断したためだ。
 スーパーマーケット、ゲームセンター、本屋、コンビニ、ハンバーガーショップ。少年の行きそうなところを美琴は探しまわったが、いずれの場所でも彼の姿を見ることはなかった。
 都市部の夏は暑い。炎天下の街を早足で歩き回ったものだから、捜索から4時間が経った頃には美琴はすっかり疲れ果てていた。
(はあ…探そうと思うと見つからないもんね…いつもは呼んでもいないのに向こうからやってくるってのに…)
 夏至から2ヶ月も経過していたので、初夏の頃に比べて夕暮れはずいぶん早くなった。オレンジ色の太陽に少しずつ染められていく街の中をトボトボと歩いていくと、やがて、第七学区の公園にたどりついた。馴染みの自販機があるこの公園は、美琴にとって大切な場所の一つである。
(ちょうどいい。ここで水分補給していこう…)
 いつもの自販機の前までたどりつくと、製品のラインナップが一新されていることに美琴は気付いた。今シーズンは里芋ベースのドリンクを中心にプッシュしているらしく、ディスプレイされている泥のような色をしたアルミ缶のサンプルパッケージの数々には、食欲を激しく減退させられるものがあった。
 蹴り飛ばすために身構えたものの、飲みたいジュースがひとつもない。
「うっ……一体なんなのよ、この自販機…。客に売る気はないのかしらね…」
 思わず声が漏れた。自販機の方としても、蹴り飛ばしてジュースをせしめようとしている輩に言われたくはないだろうが、コイツは美琴の一万円札を飲み込んだ経緯があるので、彼女にしてみれば少しずつでも回収しないことには腹の虫が収まらないのだ。
「お、御坂じゃねーか。なんだよ、お前また自販機荒してんのか?」
 自販機を前に躊躇していると、美琴は急に後ろから声をかけられた。
 不意打ちを食らった美琴は、肩をびくりと震わせると、慌てて後ろを振り向いた。そこには先程からずっと探し回っていた少年。上条当麻が立っていた。
「な、ななな何でアンタがここにいんのよ!?」
 いきなりの事とはいえ、咄嗟に口にしてしまったぶっきらぼうな言葉に美琴は後悔した。ずっと会いたかったはずなのに、ついて出るのはいつもこんな言葉だった。
「いや、俺は補習の帰りなんだよ。そう言えばお前、午前中に電話寄越してきたよな。何度か休み時間中にかけ直したんだけど、何か用だったのか?」
 上条の方は特に意に介さないといった様子で飄々と話した。
 美琴は携帯を開いてみると、彼の言うとおり上条からの着信が3回ほど記録されていた。目の前でヘラヘラしている男を探しまわるのに夢中で全く気づかなかった。
「あ、ごめん。別に大した用事じゃないんだけど…アンタのね……えっと…そ、その………こ、こえが…」
「あん?」
「………な…なんでもないわよ」
 さすがに遊びに誘って欲しかったから電話をかけました、とは言えなかったので、アンタの声が聞きたかったのよ、と大胆にも言おうとしたが、それには少し勇気が足りなかった。
「…?大した用じゃないなら別にいいか?ちょうど俺もお前に用事があったんだよ」
「……な、何よ?」少しドキリとしながら美琴は答えた。
「急で悪いんだけど御坂、明日はヒマか?」
「へっ!?あ、明日?」
「そう、明日。いや、実は偶然第六学区に出来たばっかりのプールの招待券を手に入れちまってな。有効期限が近いんだけど、ヒマなら一緒に行かないか?や、忙しいなら無理にとは言わねーけど」
 雑誌で、メールで、繰り返し告げられていたことそのままが、再び上条の口から美琴に伝えられた。見る間に頬が染まっていくが、オレンジ色の夕日を顔に受けているためか、上条が美琴の変化に気づくことはなかった。
「べっ、別に。ちょうどヒマしてたところよ。最近暑いし、連れてってくれるなら、よ…喜んでついていくわよ」
「マジで?よっしゃ。急な話ですまねーな。じゃあ、明日の午前9時に現地集合ってことで。ほい、チケット」
 手渡された1枚のチケットには『アクアガーデン無料招待券』と書かれていた。今年の6月にオープンしたばかりの屋内プール施設だ。東西2kmにも及ぶ広大な人工砂浜が目玉の人気レジャースポットである。
「じゃあ、上条さんは夕飯の買い物があるからそろそろ行くわー。そんじゃ明日な」
「あ、かかか買い物なら私も……」
 チケットを受け取ったときに触れた上条の指先に、美琴が少し動揺している隙に、上条は行ってしまった。
 咄嗟に追いかけようとしたが、足が震えていて思うようにいかなかった。自販機を蹴りとばすのももう無理だろう。
 小さくなっていく上条の後ろ姿を見つめながら、ふと先程立ち寄ったスーパーで、このくらいの時間からタイムセールがあったことを美琴は思い出した。ああ、上条はそこに行ったのだな、とぼんやりとした頭で美琴は考えた。

ラプラスの神様 3



「なあ、インデックス。お前は本当に行かなくていいのか?」
 押し入れから引っ張りだしたばかりの男性用の水着をトートバッグに詰めながら、上条は訊いた。
 先刻、美琴と別れた上条は、スーパーでお目当ての食料品を買うと、すぐさま寮へと帰り、インデックスと二人でいつもより少し早めの夕食を摂った。
 タイムセールで豚の小間切れが安かったので、手軽にキムチと炒めたものを夕飯に出してみたら、思いのほか好評であったため、上条は得意になっていたのだが、10合炊きの炊飯器いっぱいに炊いたご飯をわずか一食で食い尽くしたシスターは、なぜか大変に機嫌を悪くしていた。
「しつこいんだよとうま!私は行かないって言ったら行かないんだから!!」
「でもなあ…せっかくお前が福引で当てたんだぜ。あのチケット」
「まだわからないの!?去年の夏、とうまが私にしたことを忘れたとは言わせないんだよ!!」 
「い…いや、あの時は緊急事態と言いますか、上条さんも必死だったんですよ」
「言い訳は聞きたくないんだよ!!砂浜に生き埋めにされた女の子の気持ちは、とうまのような冷酷な人間にはどうせ解らないんだから!!」
 昨年の夏の出来事だ。上条当麻の父、上条刀夜によって偶発的に引き起こされた魔術が世界を脅かした。
 天上に住まう天使の地位さえ変動させ、人間の位に引きずり下ろしてしまう地球規模の大魔術『エンゼルフォール』。
 上条と一部の魔術師を除く全人類が、その外見と中身をバラバラに入れ替えられたのだが、上条の級友である、青髪ピアスの男と入れ替わったインデックスは、その中でも取り分け不幸な部類だったと言えるだろう。
 魔術が発動した折、上条一家とインデックス達は神奈川県の某海水浴場にいたのだが、青髪ピアスに入れ替わった水着姿のインデックスは、その容姿のあまりの不快さから上条の手によって砂浜に生き埋めにされたのだ。
 身長180cmを超える大男が、フリフリした女物の水着を着て海辺を練り歩く姿は変質者そのものであり、魔術界隈の事情をあまり把握できていなかった当時の上条からすると、変態行為に走る同級生に制裁を加えるのは、ある意味当然の処置と言えた。
 しかし、実害を受けたインデックスからすると、そんな事情は関係無いようで、今日まで事あるごとに上条は責められ続けてきたのだった。
 あの事件以来、インデックスは心に深いトラウマを刻んだようで、砂浜には二度と足を踏み入れないと言って聞かなかった。
「まあ、残念だけどお前がそこまで嫌なら無理して行かなくてもいいよ」
「ふんだ!明日は私を置き去りにして、とうまはせいぜい楽しんでくるといいんだよ!!」
「ぐっ…なんて行きづらい雰囲気を出しやがる…しかし、俺だって夏休み中はずーっと補習続き。たまには夏らしく遊びたいんだっ……!!」
 実際のところ、上条の補習の徹底ぶりは凄まじく、一週間のうち6日間は学校に登校するという状況が1ヶ月近く続いていた。
 上条がこの無茶な補習を断行せざるを得ない理由は、出席日数の不足をおいて他にない。原因については今更語るまでもないだろう。小柄な担任教師の苦労が偲ばれる。
「それは自業自得かも。まあ、心に海よりも深い傷を負った私は、砂浜に足を踏み入れることも出来ないから、明日は一人で寂しく遊ぶといいんだよ」
 恨みは相当深いらしい。今日のインデックスは、言葉にいちいち刺がある。
「…あー、それなら大丈夫。なんとかギリギリで一緒に行ける奴をつかまえられたから、一人プールなんて痛々しい事態は免れることができたんだ」
「へえ、前日にとうまなんかが誘って大丈夫なんて、ヒマな人もいるものだね。一体明日は誰と行くの?」
「ん?ああ、御坂だけど………」
 酷い言い草だな、と思いながら上条が答えた次の瞬間、インデックスの顔つきが変わった。
「……………へえ………短髪と…」
(……!?あれ!?ヤバい!!理由はよく解らんが、物凄く怒ってないですかこれは!!)

「………………………………………………………………ねえ、とうま?」
「え…は、はい…なんですかインデックスさん?」
「とうまは一年経っても相変わらずとうまなんだね?」
「か、上条当麻は何年経とうと上条当麻でありますが…」
「傷心の私を置いて、女の子と二人きりで遊びにいくワケなんだね…?まったくとうまの言う通り、とうまは何年経とうととうまなんだよ…」
 そう呟いたインデックスの口からはギラリと鋭い歯がのぞいていた。どうやら美琴と二人で遊びにいくのが気に入らないらしく、彼女の不機嫌さは先程より目に見えて加速していた。
「そ、それならやっぱりお前も行こうぜインデックス!!ほ、ほら砂浜がダメでも同じフロアに温泉とかもあるみたいだし!!」
「私は波の音を聴くのもいやなんだよ!!とうまに埋められてから、私が何時間うち寄せるさざ波の音を聴き続けていたと思ってるのかな!!?」
(うぐ……返す言葉もないが、一体どうすりゃいいんですか…それは)
やっぱり美琴を連れていかない、といえばインデックスの機嫌は良くなるかもしれないが、今更そんなことを美琴に言えば、代償として彼女に黒焦げにされるであろうことは明白だった。
(ちくしょう…一体なんでこんな目に……)
 上条からしてみれば、美琴と二人で遊びに行くことになったのは、正味なところ計算外の事態だった。
 インデックスが福引で当てた無料招待券は何もカップル向けのペアチケットというわけではなく、5枚綴りのバラチケットだった。せっかくこれだけ枚数もあることだし、夏休みが始まって以来補習続きの上条としては、どうせなら大勢で遊びに行きたかった。
 そこで、手当たり次第同級生達に声を掛けてみたまでは良かったが、どういうわけか誰も都合がつかないし、当てた本人は砂浜のプールと知ってから、断固として行かないと言う。
 このままではカップルまみれのプールに一人で行くハメになってしまう、と途方に暮れていた時、上条は偶然電話に着信を残していた美琴の名前を発見し、イチかバチかで彼女を誘ってみたら、前日だというのにすんなりOKしてくれたのだ。
 それも、存外喜んでついて来てくれるようなので、上条もつい嬉しくなっていたのだが、今度はこちらの少女が憤慨しているのだから困った。
 少女は噛み殺さんばかりの勢いで自慢の白い歯をギリギリとこすり合わせており、今にも飛びかかってきそうな雰囲気を放っている。
「いやまてインデックス!!ふたりで行くっていっても御坂だぞ御坂!!上条さんは、チケットがもったいないと言う理由で方々を探し回った結果、つかまったのがたまたま御坂一人だったというだけであり、決して中学生を相手に下心など―――」
「…………………本当?とうまは神に仕えるシスターの前で、本当に下心が一切ないことを誓えるの?」
 脂汗をダラダラと噴き出しながら、言い訳のようなものを開始した上条を定めるような目で睨みつけてインデックスは問いかけてきた。
 改めてそう言われると、確かに上条はそれなりに美琴の水着姿を楽しみにしていたことに気付いた。なにせ、相手は人もうらやむ常盤台のお嬢様である。下心0%かと言えば、それは嘘になるだろう。
 それにインデックスが行かないと言うのなら、これはデートというものに他ならない。相手が美琴とはいえ、上条も意識すると少しは緊張してしまう。 
 神に誓って下心がないとはもちろん言えないが、だからといって、馬鹿正直に意外とドキドキしてます、などと言えば生きて明日を迎えられるかわからない。あの歯は凶器だ。
 上条は慎重に言葉を選んだ。
「ま、まあ確かに御坂はお前よりもちょっとスタイル良いし、水着もあの歳にしては見ごたえあるだろうけど、紳士上条当麻は日頃の運動不足解消と勉強のリフレッシュのために行くのであって、まだまだお子様のビリビリ相手に欲情などしようはずが――」
「とうま。言い訳をするつもりだったのなら、もう少し日本語の勉強をした方が良かったかも」
 ゾロリと歯を覗かせた凶悪なシスターがついに襲いかかってきた。
「ま、まて、インデックス!!!タンマタンマ!!…上条さんは、本当は御坂と二人きりよりもみんなで仲良くわいわいと行きた……ぎゃあああああ!!!!」
インデックスは、やおら上条に飛びつくと、勢いよく鋭い歯を後頭部に突き立てた。
 ガリガリと頭部から肉を引きちぎるような音が聞きながら、上条は己の不幸を呪った。
 こうして、デート前日の夜は更けていくのだった。

ラプラスの神様 4



 夕焼けの翌日が晴れるというのは、実はそれほど的外れなことわざではない。
 日本の上空は、偏西風と呼ばれる風の影響を常に受けているので、雲は東側に向かって流れていく。そのため、夕方に西側の空が綺麗に晴れ渡ると、翌日も晴れる可能性が高くなるのだ。
 しかし、例外は当然あるもので、折角のデートにもかかわらずこの日は曇りだった。今は雨こそ降っていないが、予報では午後から天気が崩れるとされていたし、本日届いたばかりのメールマガジンのラッキーアイテムは折りたたみ傘だった。
 バッグにいろいろと詰めていたので、前日に準備をしているときは、傘を持っていくか悩ましいところだったが、やはり持ってきておいて正解だったかなと美琴は思っていた。
 電車に揺られながら届きたてのメールを読むと、昨日に続いて素晴らしい結果がそこには書かれていた。自然と全身に力が入るのを美琴は感じた。

 『アクアガーデン』は駅から5分くらい歩いた場所にある。南口の改札を抜けると、道路をはさんで向かい側に広い公園があり、その中を真っ直ぐ進むと入門のゲートが見えてくる。
 電車を降りて、上条との待ち合わせ場所であるゲートの近くまで来ると、そこは自分と同じく、待ち合わせをしている様子の私服の男女で賑わっていた。開園時間前だというのに、なかなかの盛況ぶりである。
(ちょっと早かったかしら。つか、制服で来るのはやっぱり目立ちすぎね…失敗だわ…)
 上条と二人で遊びにいくなんて、今までに何度もなかったことなので、美琴は緊張していた。せっかくだから先週買ったばかりの夏物の服に袖を通してみようか、それともいつも通り制服を来て行くか、前日の夜に大いに悩んだのだが、結局彼女は制服を来て行くことにした。
 休日のレジャースポットは人が多い。いつもの制服を着ていた方が、待ち合わせのときに上条が自分を見つけやすいだろうと考えたからだった。
 代わりにという訳ではないが、普段は殆どしない化粧を少し頑張ってみようと、メイク雑誌まで買い込んでおいたのだが、公共のプール施設の多くは、化粧や日焼け止めの類を禁止しているところがほとんどで、『アクアガーデン』もその例にもれず、化粧品類の使用が禁止されていた。それに気付いたのは今朝になってからだ。
 デートだというのに洒落っ気などほとんどなく、自分で悲しくなるほど空回りしているのがわかった。
 早起きして弁当を作ったまでは良かったが、おしゃれに時間をかける理由がなくなったため、手持ち無沙汰な美琴はついつい早目に寮を出てしまった。プール入り口の手前までたどり着いたとき、時刻は8時半だった。
 陽は陰っているとはいえ、8月の午前は暑かった。さて、約束の時間までの30分間をどこでどうして潰そうか。いや、上条ならさらに遅れてくることも考慮しなければいけないかな、などと思いを巡らせていると、美琴は不意に声をかけられた。
「よう御坂。早いじゃねーか」
 突然の事態に美琴の肩はびくりと震えた。時間にルーズな上条が約束より30分も早く着いていたのだ。
「ななな、何で!?」
「へ?何でって?」
 思わず上ずった声をあげた美琴に、上条はキョトンとした顔を作った。
「な、なんでアンタがこんなに早いのよ!?」
「え、ああ………いや、俺も昨日から結構楽しみだったからさ。つい早く来ちまった。」
 はにかんだような顔でそう答えた上条に、美琴はドキリとした。
 本当のところ、昨日インデックスと喧嘩をした上条は、自宅の居心地が大変悪かったため、逃げるように寮から出てきただけであった。
 朝から慌ただしく彼女の朝食を準備し、昼ごはん用に大量に米を研いでから家を出てきたので、食うには困らないはずだ、と上条は計算していた。お昼用のおかずは何ひとつ用意してこなかったが、昨日まとめ買いした冷凍食品が大量にあるので問題はないだろう。電子レンジくらいは使えたはずである。
「じゃあ、開園まで時間もあることだしその辺で時間潰すか。朝抜いてきたから何か食いたいし」
「…アンタ、お腹空いてるの?」
「ん、まあ、ちょっとバタバタしててな。アイムハングリー」上条は自分の腹に手をやり、そう言った。
「えっと…じゃあお弁当食べる?お昼用に作ったんだけど、ちょっと作りすぎちゃって。たぶん二人じゃ食べきれないし、お昼とメニューが一緒になっちゃうけど、それで良ければ…」
「マジで?そりゃあ助かる!つか、わざわざ弁当作ってきてくれたのか?急に誘ったのに何かわりーな」
「い、いいわよ…べつに。遊びに連れてきてくれたお礼みたいなもんよ」
 思いのほか上条が喜んでくれていたようなので、美琴は嬉しかった。早起きして作った甲斐があったというものだ。
 幸いまだ雨は降っていない。開園までの僅かな時間、二人は近くのベンチで朝食を摂ることにした。

ラプラスの神様 5



 『アクアガーデン』は第六学区にある大型プール施設だ。
 30近い大小さまざまなプールにアトラクション、地下から引いた天然温泉まであるこの施設で最大の目玉といえば、広大な敷地を利用して作られた砂浜である。
 海水浴場となんら遜色のない広さのそれは、海のない学園都市に住む学生たちにとって、待望のレジャー施設だった。
 4年も前に建設が始まり、ようやく今年6月にオープンにこぎ着けたばかりだったが、アミューズメント施設が軒を連ねるここ第六学区にありながら、あっという間に指折りの人気デートスポットにのし上がった。
 そんなカップルだらけのプールに、御坂美琴は立っていた。
 外は曇りだというのに、屋内のプールは燦々とお日様が輝いていて眩しいほどだった。一見太陽に見えるそれは『アクアガーデン』自慢の人工照明である。天井のスクリーンに映し出されたブルーの空に美しく映えており、美琴も思わず見とれてしまうほど見事な光景を作り出していた。
 天井のスクリーンは青空のみならず、夕焼けや星空の再現が可能である。夜間はそのまま巨大なプラネタリウムに変わり、これまたロマンチックな雰囲気を演出するのだ。

「おーい!御坂!!こっちこっち!!」
 美琴が声をかけられた方を見ると、上条が砂浜にレジャーシートを敷いて待っていた。気を利かせてくれたのか、ビーチパラソルまで立ててある。
 人工照明の光は見た目を本物の太陽に近づけるため、わずかに紫外線を含んでいる。丸一日水着で過ごすとちょっとだけ日焼けもするのだ。
「ご、ごめん。着替に時間かかっちゃった」美琴は小走りに駆け寄ると、申し訳なさそうにそう言った。
「気にすんなよ。お、似合ってるじゃん」
 上条は美琴の水着姿を見るとそう感想を述べた。
「え、そそそそうかな?」
「ああ、似合う似合う。馬子にも衣装って感じ」
 上条は毎度のことながらデリカシーのない言葉を吐いた。
「っ!…………アンタねえ…!女の子の水着を見て、もっと他に褒める言葉はないのかああ!!」
 バチンという音と共に強い電撃が走った。
「うおあっ!?バカやめろ!!水辺で電撃を撃つな!!客がビビってる!!」
「アンタが悪いのよ!!この馬鹿!!」
 美琴はバチバチと青白い火花を散らして上条を怒鳴りつけた。
 美琴が着ていた水着は先月買ったばかりの新作だった。小花柄のワイヤーホルターのビキニにフリル付きのスカートがセットになった淡いピンク色の水着は、絶対にお客様に似合いますから、と行きつけのデパートの店員に散々勧められて買ったのだが、美琴も実は結構気に入っていた。
「ごめんなさいごめんなさい!!すごく可愛いです!綺麗です!!」
 実際、この水着は美琴の細い体によく似合っており、上条は先程はふざけて言ったものの、実のところかなり可愛いと思っていた。前日の期待を裏切らない美琴の愛らしさに内心ドギマギの上条である。ようは単なる照れ隠しだった。
「ま、まったく…。最初からそう言いなさいよ…バカ」美琴は上条の言葉に少しだけ頬を染めてそう言った。悪い気はしなかった。
「ふう…じゃ、電撃も止んだことだし早速遊ぼうぜ!はい、そんじゃ、おっ先にいいいいい!!!」
「あっ!ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」
 上条は全速力でプールに向かって駆け出した。バシャバシャという水音を立てながら、一気に奥まで進んでいく。
「うおっ!おい御坂!!水がぬるくてスゲー気持ちいいぞ!!それにしょっぱくない!!うはははは!!」
「だ、だから待ちなさいって!!子供かアンタは!!」
 久々に補習から開放された上条は、ここぞとばかりに夏を満喫していた。抑圧されていた分、反動が大きいらしい。
「ハッハッハー!!捕まえられるものなら捕まえて御覧なさーい!!見事上条さんを捕まえることが出来たら、ボーナスとして…ガボォッ!!」
 美琴の言葉に振り向いた上条が突然水中に消えた。
「ちょ!?ああもう、だから言わんこっちゃない!!」
 水中で急な運動をした上条は右足をつっていた。
 このプールは子どもも遊ぶ事を想定しているため、遠浅に作られている。いちばん沖の最深部でも170センチ程度の深さしかないため大人が溺れることは殆どない。
 しかし、足がつっているとなると話は別だ。早く助けないと、と美琴は思った。
 美琴は大急ぎで水中に沈んだ上条を引っ張りあげた。
「ぶはっ…ゲホッゲホッ!!いででで!!死ぬかと思った!!」
「ア、アンタねえ!!準備運動もなしにいきなり水に入るんじゃないわよ!!」
「ゴメンナサ…いてててて」
「ほら、しっかりして。一旦陸に戻るわよ!!」
 右足つりっぱなしの上条の手をしっかりと握って、美琴は砂浜まで戻った。水に濡れた上条の手のひらは、溺れた時の緊張が解けていないのかとても熱く感じられた。
「アンタ、今日はもう泳ぐの禁止だから」美琴は砂浜に戻ると上条にそう言い渡した。
「そんな殺生な…いてて」
 開園からわずか数分で遊泳禁止を言い渡された上条は、不満そうな声を出した。
「つべこべ言うな!ダメなものはダメ!ほら、右足出す!!」
 おとなしく差し出された上条の右足に、美琴は手をあてた。ふくらはぎが腓腹筋痙攣を起こしている。
「ちょっと電気流すわよ。大丈夫、別に痛くないからじっとしてて」
 美琴は上条のふくらはぎにあてた手のひらから微電流を流し、収縮した筋肉を弛緩させる。するとようやく彼の足から痛みが消えた。
「…よし。動かすとちょっと痛いかもしれないから気を付けなさい」
「ふう…サンキュー。助かったぜ」痛みから解放され、思わず尻もちをついた上条がそう言った。
「つか、アンタねえ、高校生にもなってハシャいでんじゃないわよ…。準備運動しないと危ないなんて小学生でも知ってるわよ」
「め、面目ない…」上条は済まなそうに謝った。

「…………心配したじゃないバカ」
 言った自分がびっくりするぐらい、いじらしく聞こえる声が出た。我ながら気持ち悪いなと美琴は思った。
「…ごめんなさい」
「いいわよもう。ほ、ほら、さっさと準備運動するわよっ!」
「えっ!?泳いでもいいの!?」
「ダメよ。でも、浅いところで遊ぶのは許してあげる。アンタ最近ずっと補習だったんでしょ?かわいそうだから特別よ」
 補習のことは先程ベンチで弁当を食べているときに聞いていた。自業自得ではあったが、聞く限り同情の余地がない訳ではない。

 遅まきながら、二人はそろって準備運動を開始した。

「でさ、さっき私、アンタのこと捕まえたんだけど…」屈伸運動をしながら美琴は上条に話しかけた。
「…へ?」
「アンタね…もう忘れたの?」
 美琴は呆れながら訊いた。上条は嫌な予感を感じ取った。溺れる直前、彼は何か美琴に向かって言ったような気がしていた。
「…命の恩人へのボーナスは何がもらえるのかしらねー?」
「うえ!?あれは興奮してついつい口から出ただけで、なんにも考えて…あ、そうだ!アイスでも奢ろうか!?かき氷でも可!!」
「ふうん。アンタ、命を助けてもらった恩をアイス一つでチャラにしようってのね」
「くっ…な、何が目的なんだ?」
「そうねえ…折角だし何か一つぐらい私の言う事聞いてもらおうかしら。面白いこと考えとくわ」美琴はニヤリとした笑みを浮かべながら言った。
「…お、お手柔らかにお願いします」
 そう言った上条を見ると、酷く強張った顔をしていた。
 肝心なところは誰にも見せようとしないくせに、この男は考えていることが本当によく顔にでる。大方、新技の練習台にでもされると踏んでいるのだろう。まったく失礼な男だ、と美琴は思ったが、出会ってからちっとも変わらない上条のそんなところも、今となっては嫌いになれなかった。彼がこんな隙だらけな表情を見せるときは、リラックスしているときだけだと知っていたからだ。
「まあ、悪いようにはしないから、安心しなさい…っと、――じゃあお先にっ!!」
 しっかり準備運動を終えた美琴はそう言うとプールに向かって駆け出した。先程のお返しである。
「おまっ…ずるいぞ!!」
 おたがいさまよー、と応えようとして振り返ると、上条が慌てて追いかけてくるのが見えた。右足の動きがぎこちなく、ふらふらとおぼつかない足取りだった。

 『彼の気持ちが離れないよう、積極的に行動しましょう――』
 ふと思い出した占いの言葉が美琴を後押しした。

「……………しょ…しょうがないわね…」美琴は立ち止まり上条に向かって右手を差し出した。上条は不思議そうに美琴の手を見ると、パチパチと目を瞬いた。
「……ほら、何してんのよ。一緒に行くわよ」
「お、おう。わりいな」
 自分より一回り大きな上条の手が、美琴の手を包んだ。気恥ずかしさで意識が飛びそうだったが、それは上条も同じらしい。珍しく二人揃って赤い顔をしながら、今度はゆっくりとした歩調で波打ち際まで歩いていった。

ラプラスの神様 6



 楽しい時間というものはあっという間に過ぎるものだ。
 あれから美琴は上条と波打ち際でバシャバシャ水をかけ合ったり、ビーチボルをぶつけあったり、浮き輪の上に乗って二人でただプールを漂ったりして散々遊び倒した。
 昼に食べた弁当は、朝と同じメニューなのにもかかわらず非常に好評で、二人はペロリと平らげてしまった。少し足りなかったのか、食べ終わるなり売店で焼きそばを注文した上条を見て、もう少し作ってくれば良かったなと美琴は少し後悔した。

 時刻は17時半。ほとんど真上にあった人工照明は、同じく人工の海に向かってゆっくりと落ちていく。天井に張り巡らされたスクリーンは、そんな太陽の動きに合わせて夕空へと姿を変えていった。
 もう少し遊びたい気持ちもあったが、ここでは完全下校時刻を過ぎると大学生以下の学生は追い出されてしまうため、そろそろ帰宅しなくてはならない。
 美しい人工の夕日の中、ぐったりと遊びつかれた美琴と上条はレジャーシートの上で、見事な景色を眺めていた。
「案外綺麗なもんだなー」
「そ、そうね…」
 時刻が迫る。普段ならこのまま寮へ帰るのも良かったのかもしれない。しかし、今日ばかりはそうする訳にはいかなかった。占いが本当であるならば、今日が上条との仲を深める最後のチャンスなのだ。美琴は手の中に収まった携帯をぎゅっと握り締めた。
「うっし、疲れたし今日はここらで帰るか。楽しかったな今日は」
 そう言って立ち上がろうとした上条の腕を美琴は遠慮がちにつかんだ。
 確かに上条の言う通り今日は楽しかった。しかし美琴は、これが人生最高の幸せであるとは認めたくなかった。美琴が本当に望むものはこの先にあるのだ。
「ど、どうした御坂?」上条は美琴の挙動に動きを止めた。

「……ねえ、アンタはさ、どうして今日私を誘ってくれたの?」
 気になっていた事だった。
 遊びに行くなら、友達だって、いつも一緒にいるあのシスターだって良かったはずだ。でも、上条は自分を選んだ。理由を聞いておかなければいけないような気がした。
「…?なんだよ急に」
「いいじゃない別に…」
 そう言った美琴は、気恥ずかしさから上条の目をみることが出来なかった。精一杯勇気を振り絞って言った言葉だったから、そんな余裕が残っているはずはなかった。
 美琴は願うような思いでギュッと目を閉じ、上条の言葉を待った。

 しかし、次の瞬間上条の口から出た言葉は、美琴の願望を裏切るものだった。
「うん、いやあ、実はお前を誘う前にも高校の奴とか他にもいろいろ誘ってはみたんだけどな。あ、吹寄と土御門は知ってるよな。誘った奴みんな都合つかなくてさ」
 吹寄は確か上条のクラスの女だ。土御門とは舞夏のことだろうか。二人の女性の顔が美琴の頭に浮かんだ。
「インデックスなんて死んでも行かないとか言うんだぜ。ひでーよな。お前がたまたまヒマで助かったよ」
 青髪ピアスは元々誘っていなかった。トラウマが蘇るからだ。


「………そう」
 上条の言葉を聞いた美琴は、ほんの数秒だけ視線を宙に漂わせてからそう答えた。
 道理で誘われたのが前日だった訳だ。
「あん?さっきからどうしたお前」
「なんでもない」そう言った美琴はゆっくりと立ち上がった。
「ええ!?おい、ちょっと待てよ御坂」
 そのまま立ち去ろうとした美琴を上条は呼び止めようとした。
「…ついてくんな」
 静かにそう言った美琴の唇はわずかに震えていた。しかし上条からは彼女の表情までは見ることが出来なかったようだ。
「ちょっとちょっと、なにいきなり不機嫌になってるんですか?御坂さ…」
「うるさい!!ついてくんなって言ってんのよ!!」
 次の瞬間、ズドンという凄まじい轟音と共に10億ボルトの電撃が迸った。衝撃で砂塵が舞い散り、着弾地点から10メートルも先にあったヤシの木が根元から吹き飛ばされそうになる。客も監視員も近くにいなかったのは幸いだった。
「あぶねえ!!だから水辺で電撃は撃つなって―――」
「…………御坂…?」砂塵が晴れたとき、美琴の姿はそこになかった。

ラプラスの神様 7



 御坂美琴は夕焼けの砂浜を一人で歩いていた。ここに来るまでの10分足らずの間、大学生と思しき2人組みから声をかけられたが、まとめて電撃でなぎ払った。美琴はいま機嫌が悪かった。
「…あのバカ…………」
 砂浜の端までたどりついた美琴はようやく足を止めて呟いた。独り言だったが、こんな外れには誰もいないので関係ない。
 上条は自分以外の女の子も遊びに誘っていた。それも自分より年上の娘も沢山。舞夏の名前も中には上がっていた。上条から告げられたその事実は美琴の心を激しく揺さぶった。
 上条はそれを告げたとき、特に悪びれた様子も慌てた様子もなかった。つまり、自分は上条から女として見られてなどいなかったのだ。ただの友達。いや、一番最後に自分に声が掛かったことを考えると、自分を友人として見てくれていたかどうかさえ怪しく思えてきた。
 結局ただの空回りだったわけだ。なにも知らずにはしゃいでいた自分が馬鹿みたいに思えてきた。

 もう帰ろうか、と思ったとき自分の荷物が一つもないことに美琴は気付いた。その場から逃げ出すようにここまで来たため、荷物は全部元の場所に置きっぱなしだ。持っているのは携帯電話だけだった。
 思えば、上条とここに来たのはコイツのせいだった。
「なによ…こんなもの………!!」
 美琴は握り締めていた携帯を力いっぱい投げ捨てた。
「…ちっとも………当たんないじゃない…………」
 急に力が抜けた美琴はがくりとその場にヘたり込んだ。
 そのまま膝を抱え、しばらく夕日を眺めていると、砂地用に特殊改良を施されたドラム缶型の清掃ロボットが近づいてきた。昼間に散らかされた浜の掃除に動き回っているらしい。大学生以下の客の退園時間が迫っているということだ。しかし、美琴はその場から動く気にはなれなかった。荷物を取りに戻るのも億劫だ。
(うるさいな…)
 せわしなく動き回る清掃ロボットのモーター音がやかましかったせいだろう。美琴は背後から近づく少年の気配に気付かなかった。
 「御坂…!!」
 不意に声をかけられた美琴は少しだけ驚いたが、息を切らした少年に振り返ることはなかった。意外ではなかった。なんとなく、彼なら自分を追いかけてきてくるような気がしていたのだ。
 心のどこかで自分がそんな期待をしていたことに気づいた美琴は心底嫌になった。

「……なによ?」美琴は振り向かずに応えた。
「はあっ…はあ………何って…お前、急に電撃かまして行っちまうもんだから追いかけてきたんだよ…ほら荷物」
 ようやく美琴は少年の方を見ると、彼は一人で二人分の荷物を抱えていた。放っておけばいいのに、レンタルパラソルまで抱え込んでいる。
 彼の手を見ると先程美琴が投げ捨てた携帯電話が握られていた。肩で息をしながら。後生大事にといった風に。
「いいわよそんなもの…さっき自分で捨てたんだから」
「…何で急にそんなこと言うんだよ」
「………」美琴は答えられなかった。
「この携帯さ、一応二人で契約するときに買ったもんだろ…中身のチップだけだけど…」
「…………」
「何度かコイツには助けられたんだ。そんなに粗末にしてくれるなよ」
 そう言った上条は、美琴に携帯電話を差し出してきた。美琴が黙って受け取ると、上条は少しだけほっとしたような表情を作った。
「なあ、御坂」
「…なによ」
「お前さ、もしかして俺が誰からも相手にされなかったから、仕方なくお前を誘ったと思って怒ってるの…?」
 上条の言葉に美琴は呆れた。
「…………アンタはこの期に及んで、まだそんなことを私に訊くのね…」
 少し考えればわかるような事をこの男はちっともわかってくれない。そんな上条を見ていると、美琴はなんだか馬鹿らしくなってきた。
「……そうよ。アンタが一番に私を誘ってくれなかったから私は機嫌が悪いのよ。単なる……ヤキモチよ」
「すまん御坂…」
「謝んないでよ」
 謝罪の言葉を述べられた美琴は、逆に惨めな気持ちにさせられた。勝手に期待していただけというのは自身も自覚するところだったのだ。ただ、やり場の無い憤りと恐怖に似た感情が美琴をあの場に留まらせることを許さなかった。
 美琴の言葉を聞かずに上条は続けた。
「……確かにさ、お前を誘ったのは最後だし、一緒に行くことになるなんて最初は考えてもなかった」
「………」
「でもさ、俺、今日すげえ楽しかったぜ。それは本当だ。嘘じゃない」
 上条の言葉に嘘がないのは、声を聞けば明らかだった。

「…………………………………………はあ」美琴は一つ深い溜息をついた。
「えっと…御坂さん?」
「ねえ、アンタ。さっき何か一つ願い事を叶えてくれるって言ったわよね」
なんか少し飛躍してない?と上条は思ったのだが、珍しく空気を読み、彼は黙って頷いた。
「私はね、今日のデ…デートを…楽しみにしてたわけ。でも、アンタのせいで台無し。わかる?」
「……はい」上条は素直に頷いた。
「だから私はいまとーっても機嫌が悪いし、不満一杯なわけ」
「………はい」上条はもう一度頷いた。
「だから………デートのやり直しを要求します。一週間以内にね。もちろん全額アンタの奢り」
それぐらいで美琴の機嫌が直るなら、こんなに安いものはないと上条は思った。
「わかった。どっか行きたいところあるか?」
「どこでもいいわよ。つまんなかったらぶっとばすけどね」
 美琴は続けた。
「……アンタの行きたいところでいい。アンタの口から誘って。お願い…」
 上条の方に断る理由はなかった。
「わかった。まかせとけ」
 屋内のプール施設から出ると、外には綺麗な夕焼け空が広がっていた。
「なんだ。ちっとも当たらないじゃない」
「ん?なんの話?」携帯を片手に上条が訊いてきた。
「何でもないわよ。こっちの話」
 ふうん。とだけ返すと、上条は再び携帯に目を向けた。どうやら早速やり直し用のデートコースを探しているらしい。良い心がけだと美琴は思った。

 結局、占いは当たらなかった。今日一日まったく最低最悪だった。
 思えばこの占いのおかげで一週間舞い上がりっぱなしだったな、と美琴は思った。寮に帰る頃には、結果を確認するメールが届くはずである。全然的中しなかったことをたっぷり書いてさっさと解約しなければならない。もうひと仕事である。
 
「なあ、御坂」
「何よ?」
 これから帰ってやるべき事を考えていると、上条が話しかけてきた。
「これからメシでも食いに行かないか?家に帰って料理するのが面倒になってきた。今日はもう疲れたし」
 それはこっちのセリフだと美琴は思ったが、口に出すのは止めておいた。きっと上条なりに気を使ってくれたのだろう。
「まさか、それでデートをチャラにしようってんじゃないでしょうね?」
「え?ダメ…?」
上条はあっけらかんとした口調でそう答えた。
「………いいわけ無いだろ!!このクソボケ!!」
「ぎゃああああ!!あっぶねえ!!嘘です嘘です!!ちゃんと考えます!!!」
 美琴が飛ばした電撃を上条はまた軽々と防ぎそう言った。
 それを見た美琴はなんだか笑えてきた。よかった。いつもの私達だ。
「で、これからどこに連れてってくれるの?」
「あ、うーん…ラーメンとかでいいか?すまん。今月実はピンチなんだ」
 デートの軍資金を考えると、上条にはこのあたりがいっぱいいっぱいなのだ。美琴は苦笑したが、どうせまともに化粧もしていなければ、服装もいつもの制服だ。ラーメンくらいがかしこまらなくて丁度いい。
「いいわよー。まずいとこ連れてったら承知しないから」
 美琴が笑いながらそう答えると、上条はほっとしたような顔を作った。
「了解。味にうるさい上条さん推薦の名店に連れてってやる」

 美琴は笑顔を崩さず言った。
「うん。期待してるから」


おしまい。


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