とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

575

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

エメラルド




 夢を見ていた。
 そう思えるのは、自らの記憶が1年未満しかないからだろうか。
 俺の記憶は完全に破壊されたと聞いていた。それなのに、その夢はどこか懐かしく、そしてとても切ないものに感じられた。
 ――やくそくだよ。
 まだ幼いその娘は混じりけのない笑みを俺に向けていて、必ずそれを守ってくれると信じきっているようだった。
 だから俺は――いや、僕は約束したんだ。
 そしてそれを差し出した。
 ――ぼくのたからものをあずけておくからぜったいにわすれないよ。
 それは僕にとってこの世で一番大切にしていた両親からのプレゼントだった。いくつもの不幸によってボロボロになったそれを彼女は受け取ると、しっかり胸に抱き再びニッコリと笑みを浮かべた。
 ――だいじにするね。
 もう行かなきゃと夕暮れの空を一瞥し、彼女は「またね」と手を振りながら名残惜しそうに駆け出した。
 僕はそんな彼女の小さな背中が見えなくなるまで寂しさを堪えながら手を振り続けた。


エメラルド


 第三次世界大戦が終結してから約2週間が経過していた。上条当麻を追いかけ、ロシアまで乗り込んだ御坂美琴の周囲もようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
 戦争の影響は未だ学園都市中に深く残っているが、それでも戦争が終わったという空気がようやく一般の学生達に戻ってきていた。
 しかし美琴の気分はそんな周りの空気と裏腹に虚ろなものだった。
 戦争を引き起こした張本人である神の右席・右方のフィアンマを倒した上条当麻が未だに帰還していなかったからだ。
 上条は美琴にとって一万人もの妹達を救ってくれた恩人であり、学園都市第1位『一方通行』の圧倒的な力にどうしようもなかった美琴を拳一本で救ってくれたヒーローであり、そして密かに想いを寄せる想い人でもある。
 美琴にとって上条は既になくてはならない存在であり、それは自分だけの現実を大きく崩しかねない存在だった。
 実際、上条が行方不明になってから美琴は、表立っては明るく振る舞うものの、一人の時は枕に顔を埋め声を殺しながら延々と泣き続けていた。
 そんな美琴の憔悴は近しいものに隠しきる事は出来ず、美琴をお姉様と慕う寮のルームメイトである白井黒子には心底心配をされ、いつも厳しい寮監には無理をするなら休んでもいいと諭されるほどであった。
 学校は違うものの仲の良い初春と佐天はせめてもの気晴らしにと明るく接してくれたものの、不意に涙が溢れてきて結果二人を困惑させてしまったこともあった。
 最初の頃はまだ良かった。捜索隊が出され、わずかながら希望があったのだから。しかしそれも打ち切られ、あとに残ったのはペア契約した時に渡したゲコ太のストラップだけだった。
 それを握りしめ、美琴は虚ろな目をしたまま、フラフラと完全下校時刻を過ぎた第7学区を彷徨い始める。
 涙が涸れるまで泣き続け、そしてそれが終われば虚ろな目で彷徨い続ける。そんな美琴の姿に耐え切れなくなったのだろうか、ある日、白井を伴った寮監が美琴のもとに訪れ一言告げた。
「御坂、一度実家に帰って、養生しろ」
 真っ赤に腫らした顔を枕からわずかに上げた美琴に一枚の紙が置かれる。
 そこには外出許可証と書かれており、保護者である美鈴からの申請でもあることがわかった。
「お姉様、今のお姉さまを黒子は見るに耐えませんの。戦争もあったことですし、一度ご家族に顔を見せて安心させてあげてくださいな」
「白井の言うとおりだ。御坂のお母様も心配しておられた。今はゆっくり休め」
 浮かない表情のまま渋る美琴に、白井はあの殿方のことが気になるのですねと美琴の心中を察する。しかしこのままではいけないのだ。
 白井は静かに覚悟を決めて、寮監を一瞥し小さく頷く。そして自身の持つ能力『空間移動』を使って美琴の体をベッドから引き離す。
「さぁお姉様、行きますわよ」
 能力を使って、美琴のパジャマを剥ぎ取った白井は無理やり美琴に制服を着せ、そして荷物をキャリーケースへと詰める。
 普段なら電撃を使って反撃するはずの美琴は黙ってなすがままである。美琴が暴れないことを確認した寮監はさっと部屋を出て、寮の前に止めてあった車に乗り込むべく移動をする。
 美琴の準備が整ったことを確認し、部屋の窓から寮監にサインを送った白井は美琴とキャリーケースを車内に転送し、そのまま黙って見送る。
 寮監は静かに頷くと、行くぞと一声掛けてシートベルトをし、アクセルを踏む。
「お姉様…………」
 静かに動き出した車の中に見える美琴の小さな姿が見えなくなる。何も出来ない自分の無力さを歯がゆく思いながら、白井は類人猿と自身が蔑む憎らしいあの男が早く戻ってくることを複雑な心境で祈るのだった。



 寮監に学園都市から出るゲートまで送り届けられると、そこに美琴の母親である美鈴の姿があった。普段は年齢を感じさせない明るくおちゃらけたところのある美鈴だが、沈んだ表情の美琴の姿を見るといつも以上に優しい笑顔で美琴に話しかけ、抱きしめる。
 幼児のように泣き始めた美琴の背中をあやすように静かに擦る。そんな二人の様子を寮監は黙ってじっと見つめる。
 どれくらいそうしていたであろうか。泣き止んだ美琴の頭を撫でながら、美鈴は寮監に深々と頭を下げる。
「御坂さん、よろしくお願いします」
 寮監は美鈴にそう応えると一礼し、そのままその場を去る。これから先は美鈴に任せるしかないのだとわかっていた。
 戦争を止めた少女に何も出来ない。ただ見守ることだけ。それが教育者として何より悔しかった。
 寮監の姿が見えなくなった後、美鈴は美琴を連れて、実家へと戻る。年に数回、しかも数日しか戻れない実家への思わぬ帰省だったが、美琴の心は晴れるはずがなかった。
 美鈴と交わす会話の数は少なく、塞ぎ込んでいるように見えた。
 久しぶりの実家に到着すると美琴は自分の部屋に閉じこもり、再びベッドで泣き咽びだした。ご飯も食べず、温かい風呂にも入らず、ただただ泣き続けた。
 美鈴は美琴の部屋の前に立ち尽くし、泣き声が聞こえなくなるまでそこを動くことが出来なかった。


 夢を見ていた。それは幼い頃にあった小さな記憶だ。
 けれどいつの頃からだろうか、その小さな記憶は学園都市で頑張り続けるという大きな波によって私の心の奥に沈み込んでゆき、いつしか忘れてしまっていた。
 まだ学園都市に行く前の、無邪気でこの世界が果てしなく小さく平和だった頃の記憶だ。
 ある日、私はママの用事で少し遠くの街へとやってきていた。普段なら大人しくママと一緒にいるのに、その日に限っては知らない土地ということで魔が差し、ママとはぐれてしまった。
 知らぬ間に迷ってしまった私は、小さな公園を見つけそこにあるベンチに腰を掛けて途方にくれていた。
 そんな時、私よりも1つか2つくらい年上の男の子が私のところにチラチラとこちらを覗きながら近づいてきた。
「どうかしたの?」
「ママとはぐれちゃった……」
 彼は私が今にも泣き出しそうなのに気づいて、そっと手を差し伸べてくれたようだった。
「じゃあ、ぼくがいっしょにさがしてあげる」
「いいの?」
「うん、もちろん」
 私はその時、彼の表情が少し歪んでいることに気が付かなかった。心細かったところに一緒に探してくれる人が現れ、根拠もないのにママに会えると思って浮かれてしまっていたから。
「きみのママがいるばしょ、わかるかな?」
「せいぼびょういんってところにいくってママはいってた、かな」
「……そこならよくしっているよ」
 案内してあげると彼は私の手を握りしめて、歩き出す。握った手から伝わる体温に少しドキドキしながら、川沿いの道をゆっくりと歩く。
 すぐに大きく真っ白な建物が見えてくる。
「ここだよ」
「ありがとう」
 入り口の自動ドアの前に立つと、静かな機械音がして独りでに扉が開く。そこで彼は私の手を離すと、小さく笑みを浮かべ、ママいるといいねと呟く。ついてくるものだと思ったけど、ほらはやくと背中を押されたので、もう一度ありがとうと答えて私は病院の中へと足を踏み入れた。



 すぐにママは見つかった。ちょうど診察を終えたところだったらしく待合のベンチに座っていた私を見つけると、駆け寄ってきて少し叱られた。
「しんせつなおとこのこにここまでつれてきてもらったの」
「そう、良かったわね、美琴ちゃん」
「あとでもういちどありがとうってあのこにいっていいかな?」
「もちろんよ。今度はママも一緒にお礼を言わなきゃね」
 ようやく表情を緩めたママは私の頭をゆっくりと撫でると立ち上がり、処方された薬をもらい、行こうと私を催促する。
 ママに手を引かれ、彼と来た道を少しだけ早めに逆行する。
「あ、ここだ」
 私はママの手を離すと一目散に公園の中に駆け込む。そして彼の姿を見つけて、近づこうとして……立ち止まった。
 彼は泣いていた。体のあちこちに擦り傷や切り傷、ひどいところには痣まで存在していた。
 そして何より近付かないで、僕を放っておいてと言ってるように感じた。
「子供のことを簡単に疫病神なんていうものじゃないでしょ!」
 躊躇する私にママの鋭い声が聞こえてくる。慌てて振り返ると公園の入口でママが知らないおじさんを睨みつけていた。その視線に耐えられなかったのだろうか。おじさんは私に見向きもすることなく、彼に視線をやり忌々しそうに無言で表情を歪めた。
 その時、私の中で何かが弾けた。涙を流す彼の元へ全力で駆け出そうとして、それは再び止められそうになる。
「きちゃだめだ。……ぼくはやくびょうがみだから、みんなをふこうにしてしまうんだ……」
 本当に哀しそうな瞳をした彼は両腕で自身の体を抱きしめて、私を拒絶する。
「そんなことない!」
 私は彼にお礼が言いたかった。見ず知らずの自分に親切にしてくれた彼が悪い人間なんかじゃないことぐらいわかったから。
「きみもふこうにしちゃうから」
「ふこうなんかじゃない。わたしをたすけてくれたじゃない。わたしをママとあわせて、しあわせにしてくれたよ」
 一歩一歩彼に近づく。そして私は背伸びをしてポンと彼の少しツンツンした頭に手をのせる。
「………………きみはぼくがこわくないの?」
「あたりまえじゃない。むしろしあわせにしてくれてありがと。きみのおかげでママにあえたんだもん」
 私は彼に向かってお礼の言葉とともに、心からの笑顔を贈る。ありがとう、助かったよって。
「それよりきず、だいじょうぶ?」
「うん、これくらい。いつものことだから」
 強がる彼の言葉と裏腹に表情は冴えない。だから私はお気に入りのカバンの中から絆創膏を取り出し、彼の体にペタペタ貼り付ける。
「ありがとう」
「ううん、これくらいしかおれいできなくてごめんね?」
「そんなことないよ。ありがとう」
 そう言って彼はようやく歳相応らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「美琴ちゃんを助けてくれてありがとう。私からもお礼を言うわ」
 いつの間にかママがそばにやってきて彼の頭を撫でている。彼はそれを照れくさそうにしている。
「ママ、すこしだけでいいから、あそんでいい?」
「そのこがいいなら、いいわよ?」
 ママの言葉に私は喜びの言葉を口にして、彼を引っ張りだす。そうして私たちは最初で最後となる遊びをはじめたのだった。



 目が覚めるとそこは自分の部屋だった。生まれた時から変わらない私だけの部屋だ。黒子には少女趣味だと言われるようなグッズがたくさんおいてある、昔から変わらない場所。泣きつかれた私はしっかりと握っていたはずのゲコ太のストラップがなくなっていることに気がついた。
 ベッドから飛び出した私は、部屋中を探しまわる。
 あれだけは失ってはいけない。失ってしまえば、もう二度とアイツと会えなくなる気がしたから。
 そして見つけてしまった。過去に埋もれてしまっていた彼との記憶に。
 ズキッと鈍い鈍痛が頭のなかを駆け巡る。
 ――やくそくだよ
 先程まで夢に出ていた彼の笑みが何故かアイツと重なる。何故か涙が溢れてくる。
「…………約束したでしょ……。だから早く帰って、こないと、許さないんだからぁ…………当麻……」
 私はそれを握り締めると今度は幼子のように誰にもはばかることなく慟哭を上げた。


「美琴ちゃん、そろそろ帰りましょ」
 もう随分と日は傾いていた。夕焼けの綺麗なオレンジに染まった空は美しいのだけど、どこか哀愁を感じさせる。
 名残惜しかった。知り合って間もなかったけど、名前も知らない間柄だったけど、それでも私達の間には確かに何かが出来つつあった。
「さみしいな。またあそべるか?」
「どうかな……。わたしのすんでるまちはここからちょっととおいし」
「そっか……」
 私の言葉に彼は残念そうに顔を下にむけてしまう。
「じゃあやくそくしようよ」
「またあそべるって」
「…………でもぼくはふこうだからきみをこんどはふこうにするかも……」
 この期に及んでまだ私が不幸になるんじゃないかと心配する彼に少しだけ腹がたった。だからこう言ってやった。
「わたしがあなたのこうふくをいのってあげるから、あなたはわたしのこうふくをいのってよ。そうすればまたあそべるでしょ?」
 子供らしい根拠のない真っ直ぐな言葉に、ママは少し苦笑気味だ。でも
「わかった。じゃあ、きみのこうふくをいのってぼくはこれをきみにわたすよ」
 そう言って彼はポケットの中から小さなスーパーボールくらいの大きさのガラス玉を取り出す。エメラルドグリーンの深みが美しく、表面の光沢と色の深みが対照的で印象深い。
「これは?」
「おとうさんがくれたかいうんのおまもりなんだ。たくさんあるからひとつきみにあげる」
 両手でエメラルドグリーンの玉を握り、私は彼に微笑みかける。
「やくそくだよ」
「またあそぼう」
「しあわせになってね」
「ぼくもきみがしあわせだとうれしい」
 彼の手を握って、最後の挨拶を交わす。
「ぼくのたからものをあずけておくからぜったいにわすれないよ」
「だいじにするね」
 タイムリミットが来た。ママが手をつないでくる。私は最後に彼の顔をしっかり眺めながら力の限り手を振り続けた。



 体全体の気だるさが私の意識を急激に覚醒へと導く。のろのろと起き上がった私は、身だしなみを整えることなく、部屋を出てリビングへと向かう。
「あら、美琴ちゃん。もう大丈夫なの?」
「心配かけてごめんね、ママ」
 リビングで寛いでいたママは私の顔を見ると心配そうな表情を緩め、優しい笑顔を浮かべたままお腹すいてないと聞いてくる。
「少し話があるんだけど、いい?」
「いくらでも聞いてあげるけど、まずはシャワー浴びて、しっかりご飯食べましょう? それからでも遅くはないわ」
 ママはわかっているから、すべてお見通しと言わんばかりの言葉に私は少しだけはにかんで、心の中で本当に優しいママにありがとうと告げる。
 少し熱めのシャワーが泣き腫らした瞼をじんわりとほぐしていく。しゃーっと流れていく水音が心地よい。
 久しぶりに気持ちが落ち着いている。アイツのことで絶望していた自分が流れていくようだ。もう少ししっかり流して、本当の自分と向きあおう。
 体全体がほっこり温かくなるのを感じながら、私は目を閉じたまま禊のように心を落ち着けるのだった。
 たっぷりシャワーで心と体の涙の残滓を流し終わった後、ママは私の好きなものをたくさん作って待っていてくれた。
「美琴ちゃん、おかえりなさい」
「ただいま」
「さ、いっぱい作ったから早く食べましょ」
 いただきますと手を合わせて私は暴食シスターのように一心不乱に料理に向かう。ここ数日まともに食事をとっていなかったこともあり、その勢いは止まることを知らなかった。
「さ、美琴ちゃん、話があるんでしょう?」
 ひと通り食べ終わり、私の食事が落ち着いた頃、ママは私が言おうとした本題を切り出した。
「話というよりお願いと言ったほうがいいかな。アイツのご両親に会わせてほしいの」
「それで美琴ちゃんは、当麻くんのご両親と会って何をするつもり?」
 ママはいつものように茶化して来ない。アイツが絡んでいると私をおもちゃにするのに。
「一つは、話せる範囲だけど、アイツの事をきちんと話す。この前の戦争のこと。もう一つは個人的に聞きたいことがあるからそれを」
「そう…………」
 踏ん切りがついたみたいねとママは小さく笑い、そして携帯電話を取り出すとそのままどこかに電話を掛け始める。
 通話の相手はすぐに現れたようで、しばらく談笑が続いた後、私がアイツの両親と話をしたいという希望が伝えられた。
「美琴ちゃん、行くわよ」
 通話を終えたママはすぐに空いたお皿をシンクへと持って行きながら告げる。
「行くってどこへ」
「決まってるじゃない。当麻くんのお母さんのところよ」



 ママが片付けをしている間、私は急いで身だしなみを整える。ここ数日と比べると5倍以上のスピードで行動している気さえする。
 準備が出来たらママと一緒に車に乗り込み、目的地である喫茶店まで走る。
「こんにちは」
 既に喫茶店のテーブルについていたアイツのお母さん――詩奈さんは嫋やかな笑みを浮かべながら、私とママを手招きする。
「お久しぶりです、詩奈さん」
「ひさしぶりね、美琴さん。大覇星祭以来かしら?」
「そうですね」
 久しぶりに見た詩奈さんは大覇星祭の時と全く変わっていなかった。しかしママとは随分仲良くなっていたらしい。どうやらスポーツジムが同じようだ。
 ママと詩奈さんはしばし二人で言葉を交わしていたが、私がティーカップから手を離したのを確認すると話を中断しこちらに視線を向けてくる。
「そろそろ本題に入りましょう、美琴さん」
 詩奈さんの表情が少しだけ強張っているように感じられた。無理もないだろう、アイツは無茶をするしトラブルに自ら飛び込んでいく大馬鹿野郎なのだから。
 それに不幸体質のこともある。。きっと昔から苦労してきたんだろうと用意に想像が付いた。
「これから話すことには学園都市の機密に関わることが多くあるので、そこは話せません。なのであくまでも伝えられる範囲だけ説明します」
 私はそう切り出して、アイツをロシアまで追いかけたこと、苦労の末なんとかアイツの姿を見つけたものの、最後は自分一人で突っ走っていったことを伝えた。時に文句を言いながら(主にアイツのフラグ体質とか)私はアイツを追いかけた日々を思い返していた。
「そう……。やっぱり当麻さんは当麻さんなのね」
 少しだけ寂しげな笑みを浮かべ、詩奈さんは温くなってきたカップを両手で包み込む。そして私の目をしっかりと見つめ
「ありがとうね、美琴さん」
 と小さな声でお礼を言ってくれた。私はその言葉になんと返していいのかわからず押し黙るしかなかったが、詩奈さんはふっと表情を緩める。
「今度は私が美琴ちゃんに答える番ね」
 私は詩奈さんの言葉に小さく頷くと、上着のポケットに入れた古びたエメラルドグリーンのガラス玉を取り出す。
「これにご存知ないですか?」
 私の手のひらに置かれたガラス玉が落ち着いた店内の照明に反射し、宝石のように煌めく。
「これは……当麻さんの…………」
「やっぱり………………」
 懐かしいものを見たという感情となぜ私がこれを持っているのかという驚きを混ぜた表情が、私の記憶と勘を一つへと繋げていく。
 やっぱりあの時の彼は――アイツだったのか。
「なぜ美琴さんがこれを持っているかは知りませんが、それは確かに当麻さんのものです。刀夜さんが幸運のお守りとして買ってきたものの一つ」
「彼――不幸体質だったわね」
 ママの言葉に詩奈さんは静かに頷いた。
「私、アイツと昔一度だけ遊んだことがあるんです。その時にこれを貰いました。アイツが私の幸せのためにって」
 アイツはその約束はもう忘れているだろうけど、と記憶喪失のことを頭の片隅に置きながら続ける。
「そして約束したんです。幸せになってねとまた一緒に遊ぼって」
「あの頃の当麻さんは疫病神と呼ばれて周りに敬遠されていたんです。だから自分から周りと壁を作っていた。けど……」
 アイツの過去が何となく想像が付いた。今でこそ不幸は笑い話(ある意味では笑えないけど)であるが、幼い頃は周りの悪意がダイレクトに伝わっていたのだろう。思い返すとママと口論していたあのおじさんもそうだったのだ。でも私はそれに気づけなかった。
 今になって思えば、少しだけ悔しいなと思う。
「美琴さんみたいな子がいて嬉しかった……」
 詩奈さんはそう言うと目にうっすら浮かべた涙をそっと拭い、ニッコリと微笑む。
「美琴さん、お願いがあります」
「なんですか?」
 なんとなくだが、詩奈さんのお願いがわかった気がした。言われなくてもきっと私はそうしようと思っていたから。
「当麻さんのこと、待っていてあげてください。鈍感で女心が全くわからないあの子ですけど、約束はきっちり守る子なので」
「…………もちろんです。アイツにはいっぱい言ってやらなきゃならないことがあるんで」
 なら安心ですと詩奈さんは深々と頭を下げてきた。私は心のなかで深い感謝の言葉を述べつつ、ゆっくり頭を下ろした。



「ところで美琴ちゃんはエメラルドに込められた意味知ってる?」
 今まで黙って二人の会話を聞いていた美鈴がポツリと尋ねてくる。
「宝石では叡智をもたらすもの。後は恋愛成就、無償の愛、などかしらね」
 詩奈はフフフと嫋やかな笑みを取り戻している。そして当麻さんったらやっぱり刀夜さんの息子ねと、幼い頃からのフラグ体質を可笑しそうにする。
 いつもの調子を取り戻した母親二人は、恋する乙女である美琴をからかうような雰囲気を作り出す。
「ちょ、ちょっと……」
 今までの真剣な場面とは正反対の穏やかな空気に美琴はあたふたとするしかなかった。当麻くんが戻ってきたらキスでもかましてやりなさいと言わんばかりのニヤニヤな美鈴だ。
「あれから少しは進展があったのかしら。詳しく聞かせてもらわないとね」
 獲物を見つけたライオンのような笑みを浮かべた美鈴に美琴は顔を引き攣らせて、体を椅子の方に後退させるしかなかった。
 その時だった。美琴の携帯電話が静かに着信音を流し始めた。
「あ、ごめんなさい」
 二人に断りを入れ、ディスプレイに表示された白井の文字を確認すると通話ボタンを押す。
「もしもし」
『お、お姉様!』
 白井は慌てている様子だった。ガヤガヤとした雑音からどこか人の多い場所にいるのかもしれない。
「ど、どうしたの、黒子。ちょっと落ち着きなさい」
『あの殿方がもうすぐ帰還されるそうですの』
 その瞬間、美琴は携帯電話を落としてただ呆然とするしかなかった。目から涙が自然と溢れだし、安堵と喜びの混ざった表情になる。
 白井が反応のない美琴に、お姉様、お姉様と声をかけているのが聞こえるが、美琴の耳はそれを華麗にスルーしていた。
「どうやら当麻くん、かえってくるみたいね」
 ほっとした表情を浮かべた美鈴はポンと美琴の頭に手を置き、詩奈はふふっと笑みをこぼした。
「ほらさっさと行きなさい。当麻くん、迎えてあげなきゃ」
 美鈴は立ち上がると、詩奈に一礼し美琴の手を引っ張る。詩奈はいってらっしゃいと手を軽く振り、残ったカップに口を付けている。
「そうそう美琴ちゃん」
「何よ…………」
 会計をすました美鈴は心底楽しそうにしながら呟く。
「そのエメラルドのガラス玉。当麻くんにわたしなさい」
 そしてその後の言葉で美琴は顔を真っ赤にさせてしまう。

 ――エメラルドにはね、浮気防止って意味もあるのよ――



 夜の帳が辺りを覆い尽くす頃、美琴の姿は第23学区の空港にあった。昨日急遽、実家から学園都市に向かった美琴は、初春から情報を聞き出し、こうして上条の帰還を一日中待っていたのだった。
 この2週間あまりずっと待ち続けた。自分の無力さに絶望したことも諦めたこともあった。それでもやっぱり諦められなかった。
 美琴は上着の両ポケットにそれぞれ入ったゲコ太のストラップとエメラルドのガラス玉をぎゅっと強く握り締める。
「早く、帰って来なさい、バカ……」
 小さくため息をつこうとしてふと気がつく。いつも見慣れたようでどこか懐かしいウニのようなツンツン頭が視界の端に現れる。
「御坂………………」
 美琴の姿を見つけた上条が驚きの表情を浮かべながら近づいてくる。視界の縁が熱くなってきた美琴は、それを隠すように上条の胸に飛び込んだ。
「バカ! アンタ、今までどこほっつき歩いてたのよ!」
「いやー、上条さんにも色々と事情があったのですよ」
 照れ隠しなのか右腕で抱きついてきた美琴の体に手を回しながら、左手でポリポリと頭をかく上条。
「心配したんだから!」
 いつもと違って素直に感情が表現できていることに若干の戸惑いを覚えつつ、美琴は上条の体を抱きしめる腕の力を強くする。
「心配かけたな」
 シャンパンゴールドの艶やかな髪をゆっくりと撫でる上条の表情は穏やかだ。何故かこうしなければならないと思った。
 美琴はそのまま彼の胸に顔を埋めたまま、静かに嗚咽を上げ始める。それを上条は何もいうことなく黙って受け止めるしかなかった。
「はい、これ」
 泣き止んだ美琴は目を真っ赤にしたまま、上条に両手を差し出す。
 ゲコ太のストラップとあのエメラルドのガラス玉をそれぞれ受け取ると上条は、サンキューと小さく呟く。そしてなんとなくだが、美琴を笑顔にしなければならないなと思った。
「なぁ、御坂」
「何よ?」
 屈託のない笑みを浮かべた上条は、無意識にエメラルドのガラス玉を強く握りしめながら、心のなかに自然と浮かんだ言葉を吐き出す。
「今度、どっかに遊びに行こうぜ」
「うん」
 その言葉に自然と頷いた美琴はあの時と同じ混じりけのない笑みを浮かべて自然と返事をする。それにつられた上条にも笑みが浮かぶ。
「御坂」
「なに?」
「ただいま」
「…………………………おかえり」
 誰にも聞こえない程度の声で遅いのよ、バカと呟いた美琴は、もう一度上条に飛びついた。
 慌てた上条の手から飛び出したエメラルドのガラス玉が二人を照らすようにキラリと一瞬輝いた。



fin








タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー