「シド・・」
「それに、わしがいなくなれば助手どもの命も危ない。
・・なにより、娘を残しては、行けん」
目を細めるシドに、ローザは恨めしそうな声を出した。
「・・もう一人の娘の力には、なってくれないの?」
うなだれる彼女の頭に、ごつごつした油臭い父の手が置かれる。
「ローザ、この国は腐りきっとる。古くなった船と同じじゃ。そこら中にガタがきて、
いまにも沈んでしまいそうな有様じゃ。しかも、薄汚いウジ虫どもまでたかっとる。
正しい歯車が残らないといかんのだ。わしは見守らねばならん。それがわしのつとめ
なんじゃよ。わかるな?」
静かな沈黙が流れた。ローザは顔を上げると、小さく微笑んだ。
「・・わかったわ、シド」
二人は見つめ合い、親子の抱擁を交わした。あたたかい、人間の温もりが感じられた。
やがて彼らの耳に、二人を引き裂く無慈悲な追っ手の声が届きだしていた。
「きっと帰ってくるわ、セシルと一緒に」
「カインのやつもな」
そっと身を離し、ほんの刹那の躊躇の後、ローザは堀に飛び降りた。それ以上、シドの
顔を見ていられなかった。シドは懐から木槌をとりだし、高らかに笑い声を上げた。
「おう、ヒヨッコども! 脱走者ならここじゃーー!!
遊んでやるから片っ端からかかってこいや!!」
堀を抜けて、ようやくバロン城の外に出る。
背後からは暴れ回る楽しげなシドの声と、衛兵達の怒号が聞こえていた。
ローザは、すっと涙を流した。それでも決して振り返らず、彼女は走り続けた。
別れではない、必ずまた戻ってくるのだから。
そう言い聞かせて、彼女は流れる涙を拭おうともせず、祖国をあとにした。
最終更新:2007年12月12日 04:15