生徒会SS



無題(ミダス)

 ミダスとして覚醒したその日は、困惑しつつも歓喜したものだ。
 仰向けに倒れた視線の先が見知らぬ天井だとか、一糸纏わない肌寒さだとか気になる事は多々あったが、その時は未だ夢心地というか、現状把握が出来ないでいた。
 歓喜したというのは、更に覚醒を促す様に瞼を擦るその手が、皺もシミもない健康的な肌であった事に起因する。
「そうか、私は転生したのか」
 実際はそうではなく、魂だけが現代人(私からしたら未来人だが)に乗り移っただけの状態だったのだが、その時点ではその事に気づくはずもない。
 転生したのであればあの忌わしい力もなくなったのだな。
 ならばまず何をするべきか。
 酒を浴びるか、果実を喰らうか、いや、誰かと触れ合うのも悪くない。
 前世で出来なくなったあれやこれやを一瞬の内に巡らせたが、背中に接する僅かにひんやりとした硬い床の存在を確認した時に、歓喜は絶望に変わる。
 いや、それは絶望ではなく諦観だったのかもしれない。
 転生して尚、触れた物を金に変容させるこの力が残っているのは、娘の命を奪った浅はかな自分には相応しい罰だと思った。
 むしろ絶望したのはその力が残っている事ではなく、耳も前世と変わらずロバの耳のままであった事に対してだ。
 これも戒めと言えば戒めだが、これを衆目に晒すのはやはり耐え難い。
 幸いこの部屋には他に誰もいない様なので、誰かに見つかる前に衣服を着用し、頭を覆ってしまおうと立ち上がり、洋服ダンスに近づいたときに気づく。
 自分の前世、いや生前の記憶と、この体の本来の持ち主の記憶が混在している事に。

 それから自分が“魔人英雄”と呼ばれる存在である事や、“希望崎学園”の事、勝利すればあらゆる願いが叶うという“聖杯ハルマゲドン”の事を知った過程は割愛する。
 現在私は希望崎学園に棲みつき、聖杯ハルマゲドン当日まで生前同様極力動かずに過ごしている。
 覚醒した時には健康的だった肌も今では見る影もなく、その老化の急速さは魂に染み付いた生前の自分に体が追いつこうとしている様だった。
 この体の本来の持ち主には悪いことをした。もっとも、現代の知識は残っているが、持ち主自体の記憶は今ではほぼ霧散してしまったが。
 体を奪った事に対する罪はどうにかして清算したいが、今はそれよりも聖杯の力を用いて、何の罪もなく私に殺されてしまった哀れな娘を蘇らせることが先だ。
 その為の戦いなら、この忌わしい力も、遠慮なく発揮させてやろう。
 やはり私は悪党だ。かつてのフリギアの王が聞いて呆れる。
 最早誰にも顔向け出来ないが、それでも、娘と触れ合った安寧の日々の記憶、それが欲しい。
 この力を“なかったことに”すれば、娘を金塊と化した忌日の記憶は書き換えられる筈だ。
 現代のこの体で抱きしめられずとも、記憶の中でも娘と笑って触れ合えるのなら本望だ。

 さて、日も昇ってきたことだし、今日も園芸部に赴きバラ園の手入れをしてこよう。
 軍手で手綱を握りしめ、番いの獅子が牽くチャリオットをバラ園へと向かわせる。
 凄惨な戦いが始まる前の、一時の穏やかな時間。
 バラの手入れをしてる時だけは全てを忘れ、和やかな気持ちになれる。
 しかしロバの耳が勝手に動くのだけは、どうにかならないものか。

魔人英雄の悲哀がひしひしと伝わる……

『海の男』

「――おか…ら!おかしらぁ!」
季節は初夏、希望崎学園からほど近い海にトーンの高い声が響き渡る。
海に浮かんだ小舟の上、「お頭」と呼ばれた青年がのそりと起き上がる。
青年の名はキャプテン・S字フック、希望崎学園宝探し部の部長を務める男である。
宝探し部とは読んで字のごとく、世界中の宝という宝を集める部活である……というのはあくまで建前である。
西暦3000年、地球上で未踏の地などなくなったこの時代においてロマン溢れるお宝などは存在せず、
現在ではもっぱら至高のエロ本を探し求める部活として活動している。
そんななかS字フックは部長として、海賊として本物のお宝を諦められずにいた。
「……また寝てたんですかぁ?勘弁してくださいよおぉ
これじゃ何のためにこんなことしてるかわかんないっすよぉ…」
文句を言う男は角(すみ)、S字フックよりいくらか若く、弱々しい印象を受ける。
角は宝探し部新入部員であり、今日は新人研修として小舟で海を回っている。
新人である角に指導してくれるはずの先輩が後輩そっちのけで寝ているのだから、文句の一つも言いたくなるのは当然といえる。
「うるせえぞ角、文句ばっかり言ってないでもっと周りを見ろ!お宝はどこにあるかわからねえんだ、
もしかしたらすぐそばにあるかもしれねぇだろうがぁ!」
「そんな、まだ学園が見える距離にあるんですよ。こんなところにお宝なんてありませんぜ」
「またてめえはごちゃごちゃと……、ん……おい角…なんだあれ?」
S字フックの示した先、水面がわずかに泡立ち円状に波打っている。
「も、もしかしてお宝っすかぁおかしら!?」
「おい馬鹿、そんなに急いで舟を動かすんじゃ……!?」
興奮した角が舟を波の中心部に向けて動かし始めたそのとき、海中から黒く大きなものが浮かび上がり、襲いかかってきた!
それは全長10メートルはあろうかという大型のワニであった。地球環境の深刻な汚染が進んだ西暦3000年、
その影響を受けて野生生物のほとんどはミュータント化していた。このワニもその一匹であり、その肌はあらゆる銃弾を跳ね返し牙は鋼鉄を貫き、
時速200kmで海中を移動しIQは300という、まさに「ぼくのかんがえたさいきょうのわに」といえる個体であった。
「ひいぃ……おかしら!たすけてくださいよぉ!!」
「くそっ!こいつがワニでさえなけりゃ……!!」
S字フックは決して負け惜しみを言っているのではない。海の男として優れた身体能力を持つ彼は
ミュータントサメだろうがクジラだろうが、決して負けない自信と実力を持っている。
だがしかし、ワニは!ワニだけは!
「くそっ!ここまでなのか…!? ん?……なにか……聞こえる…………!?」
二人がまさに諦めかけたそのときであった、やけに高い奇声とともにこちらに迫ってくる影が見えた。
「ヒャッハーーーーーーーー!!!!鬼が島はどこだあーーーーー!?」
桃型水上バイクにまたがった希望崎学園三年モヒカンザコ太郎である。太郎はその手に持ったトゲ付こん棒で進路上のミュータントワニを殴り飛ばすと
その勢いのままあっという間に水平線の向こうへと去って行ってしまった。
「た、助かった……のか…」
「そうみたいですね、!?お、おかしら!あのワニ……」
殴り倒され、気を失ったワニが吐き出したものの中に一際まぶしい輝きを放つものがある!あれは……
「エロ本だぁ!す、すっげえや!これでもうこんな苦労して部活しなくていいんだ!」
ワニが吐き出したエロ本を抱きかかえ歓喜の声を上げる角、S字フックはそれを寂しそうな目で見つめる。
どこかに、俺の心を満たす本物のお宝はないのだろうか……

S字フックが聖杯の噂を聞く、少し前の出来事であった。

なんでミュータントワニの中にエロ本があるんだww

『キリとユキ』

終業のチャイムが鳴り一人、また一人と校門から生徒たちが帰路に就く。
「じゃあ四時に裏の公園でね」
「おっけー」
そしてまた二人の女子生徒、朱音霧子と美島由紀がその流れに飲み込まれた。

四時を十分ほど過ぎたころ、公園に霧子の姿が現れた。
「遅いよキリちゃん」
「いやーごめんねー、おやつ食べてたらおそくなっちゃったよ」
悪びれる様子もなく能天気に笑う霧子、それを見て仕方ないなぁ、と微笑む由紀。
「そんじゃー始めよっか」
「そうだね」
言うが速いか、霧子が手榴弾を撒き散らす。爆炎が辺りを包み、破片が植木に突き刺さる。腕に食い込んだ破片に顔をしかめる霧子に刃が襲い掛かった。それを間一髪で躱した彼女の青い髪が舞う。すかさずポシェットから拳銃を取り出し飛び出した刃の元に銃弾を放ち、手榴弾をばら撒く。
しばらくして薄くなりだした砂煙から由紀が愛刀、関孫六を振りかぶり飛び出す。クロスさせた腕でそれを受け、血に染まった由紀の腹部に蹴りを叩き込み距離を取る。
組み立てた小銃を構える霧子と腹部を抑え歯を食いしばる由紀の間に五時を告げる鐘、彼女らにとっての休戦を告げるゴングが響く。
「あーあ、また死ねなかった」
隣り合って座る二人の呑気な声がシンクロする。荒れ果てた公園を見なければ、血と泥にまみれたその服を見なければ、その会話の内容さえ聞かなければ女子高生二人が語り合うほほえましい光景だろう。

何を隠そう、二人は両親公認の仲である。
傷の治りやすい身体、死を跳ね除ける凶運。同一と言っても良いほどの魔人能力を持つ彼女たちは互いに理解し合い、互いに殺し合う。そう、そのどちらかが霧雪と消えるまで。
しかし、彼女たちは知らなかった。それぞれの能力の違いを。それぞれの持った運命の違いを。
「次は殺せよ。じゃないと殺すから」
いつもなら「あんたもね。私を殺せたら殺してあげるよ」と軽口が帰ってくるところだが、返事は帰ってこない。
「……ユキ?」

それは少しの違いだったのかもしれない。例えば好きなアニメ。例えば現実感。
寿命が来るまで死ぬことのない魔人と、寿命を削り死を先延ばしにする魔人という極めて近く、限りなく遠い能力の違いがもたらした別れだった。

ユキちゃんは三島由紀夫か……!しかしあまりにも哀しい二人であった

『Hero』



 荒廃した街角。
 大型の護衛スクールバスが一台。中には恐怖に怯える園児達。
 それを取り巻くのは十数人の悪党。
 更にそれを遠巻きに見つめる群衆。
 いつの時代も変わらない、悪の姿。
 そして。
 いつの時代も求められるのは──────。


 バスの運転手は頭蓋を斧でかち割られ、既に絶命していた。
 悪党達は思い思いの凶器を振りかざし、蛮勇を誇る。
 そこにふらりと現れた白スーツ姿の男──────いや、服装こそ男性のそれであったが、その肢体は明らかに女性のものだった。
 麗人は全くの無手。その表情はフェドーラ帽の鍔に隠れ、杳として知れない。
 だが、ゆっくりと歩を進める立ち居振る舞いには恐怖は微塵も感じられない。
 その不敵とも言える余裕に苛立ちを覚えた悪党達が暴挙に出ようとした、まさにその時。

 見えない薄絹のヴェールを裂くように、流麗な左腕が優美に天頂を指し示す。
 ボルサリーノを目深に被り、俯いたままで。
 その指先が澄んだスナップを高らかに響かせれば。
 突如、静寂を雷鳴のように貫いて激しい曲が流れ始める。
 楽団も音響装置も存在せぬ舞台に、賑やかな音楽が。
 決して急がぬ軽やかなウォーキング。
 風を切り裂く鋭い切れ味のターン。
 複雑にして鮮やかなステップ。
 それはまるで月面を歩くような滑らかさであり。重力を知らぬ妖精であり、美神だった。
 数々の美技、技巧の頂点を極めた舞踏はその場のありとあらゆる観衆を魅了する。虜にする。
 悪党すらその例外ではない。

 「Come on!」
 白い舞い手の裂帛の気合に、悪党達は弾かれたように動き出す。
 皆、舞踏よりも武闘がお似合いの無骨な荒くれ者である筈が。
 操られるように──────否、導かれるように、その手足を躍動させる。
 白スーツの麗人と、寸分違わぬ同じ振り付けで。
 秩序とは正反対に位置する者達が、訓練された軍隊よりも整然と。
 付き従うかのように純白を中心に据え、同じ手足の運びを繰り返す。
 その表情は苦悶でもなければ、ましてや恍惚でもない。
 喩えるなら、瞑想の修行僧。苦も楽も無い、悟りの境地だった。
 一糸乱れぬ集団舞踏の中にあって、同じ振り付けでありながら白い礼装は一際輝き、目を引く。
 一挙手一投足。その全てが段違いに目を奪う。
 闇を切り裂く光のように。
 夜空を駆ける流星のように。
 曲がクライマックスに近付くと、煌きを振り撒く高速スピンが一、二、三──────十回転──────二十回転!

 そして曲の終わりを──────終局を迎えれば。
 静寂と共に全てが静止して。
 「Beat it!」
 悪党達はフィニッシュのポーズを決めたままで、爆発炎上、雲散霧消! 肉片一つ塵一つ残さずこの世から消滅した。

 「お姉ちゃん、すごーいっ! 何者なのっ!?」
 あどけない瞳をきらきらと輝かせながら園児達が走り寄り、問い掛ける。
 「私かい? 私はただの通りすがりの………………」
 そこまで口にしたところで、子供達の純粋な眼差しが自らへと集まっている事に気付いた。
 求められている言葉に、気付いた。

 夢の無い言葉を紡ごうとした唇を閉じて。 
 足元の、革靴の土埃をゆっくりと払う。
 白いジャケットの襟を音を立てて正して。
 白いフェドーラ帽を目深に被り直す。
 僅かに覗いた口元に穏やかな笑みを浮かべて。
 踵を支点にくるり、と半回転のターンを決める。
 そして、改めて告げる言葉は。
 「通りすがりの…………ヒーローさ」

 歓声の嵐が、純白の英雄を包んだ。


                        <了>

文句なしにカックイイぜ、クールだぜ

無題(鞘雲 梓)

午前4時、近所の空き地で準備運動を終えた私は一旦家に戻り、朝食の合成フレークを口に運びながら壁に掛けられたディスプレイを眺める。
今日は登校時間中に小雨が降り、所によっては霧が発生する可能性もあると、画面上のキャスタードロイドが爽やかな音声で伝えていた。
人の手による天候の完全自動制御が実現して久しい現代で、雨と霧が重なる事は珍しい。
私は通気性の悪い高耐性PVCコートを着込む自分を想像してやや憂鬱な気分になった。
まだ肌寒い季節とは言え、あの独特の蒸し暑さは不快である事に変わりない。
フレークを食べ終えた私は食器を洗浄棚に仕舞ってスタートボタンを押し、洗面所で歯垢と口臭を取り除く薬液でうがいをした。
準備が整ったら、家を出る前に父の部屋を覗いて一言、「行ってきます」と声をかける。
返事は返って来る時もあれば来ない時もある。それで良いと思う。
今まで言えなかった事や、この先言えなくなるだろう事を考えれば、ただ父に挨拶出来る現状がとても幸せに感じられた。



午前4時半。遥か昔、公衆転移スポットが設置された頃から立地条件という言葉は死語になったが、私にとってはあまり関係無い。使わないからだ。
PVCコートの襟元を締め、フードを被ると、私は息を吐きながら構えを取る。今日の第一歩。
だん、と耳慣れた音と衝撃が身体中に響いた。同時に繰り出された拳が空中の水滴を飛沫に変える。
崩拳を繰り返しながらの通学。大昔――千年以上も前の武術家達も、こうして功を練っていたという。
師匠にそう教えられてから、それは習慣となった。
繰り返して繰り返して、その内に私は一個の拳となって行く。雑音が消え、熱さが消え、自分が消える。
この瞬間は、何度経験してもたまらないものだ。



以前登校中に不意打ちを受けてから周りには注意を払っているつもりだが、
何故かこの時は手が届くほどの距離で声をかけられるまでその人の存在に気付けなかった。
構えを解いて改めて声の主に向き直る。驚いたことにそれは和装の少女だった。年の頃は私と同じか、少し下にも見えた。
記憶が確かなら江戸時代の様式だったろうか……紅葉の透かし細工が施された瀟洒な番傘までさしている。
真っ黒な濡れ烏と化している私とは対照的な、華やかでありながら落ち着いた装いだった。
「あの……すいません、私に何か……?」
「ああ、ごめんなさい」

意外にもと言うべきか、少女は快活に白い歯を見せて言った。
私は何となく桜の開花を連想した。

「失礼ながら、今の時代にそういった練功を積んでおられるのが珍しくてついお声をかけてしまいました。
 お邪魔でしたよね、申し訳ありませんでした」

ぽかんとした私の表情をどう解釈したか、謝られてしまった。
そもそもここまで近づいて話しかけられたのにその内容を聞き取れなかった時点で責は私にある筈で、
にも関わらず見ず知らずの綺麗な、いや綺麗は関係ない、少女に謝らせてしまっているという事実に私は焦った。
焦り過ぎて何か余計な事まで考えている気がする。そうすると顔が熱くなるのを自覚してしまい、益々私は混乱に陥った。

「いえ、そんな、お邪魔だなんて……ええと、その……き、綺麗なお召し物ですね?」

挙句こんな訳の解らない受け答えをしてしまう。きょとんとした少女の表情を見て私は鬱々とした自己嫌悪に襲われた。
多分真っ赤になっているだろう私の顔を眺めていた少女はふっと相好を崩し、ありがとございますと再び頭を下げた。
















「私もこの服は気に入っているんですよ。褒めて頂いてとても嬉しいです」
「そっ、そうなんですか。とても似合ってると思います……あっ、ひょっとして正絹……?」

もしそうだとしたら目玉が飛び出るような高級品だ。私は無意識的に少女の袖元に指先を伸ばし……





「触るな!!」





まるで人が変わった様な怒声で一喝された。猛獣の如き迫力に思わず身を竦める。

「「あ……」」

互いにしまったという顔をして、互いに小さく声を漏らした。そして同時に頭を下げる。

「「ごっ、ごめんなさい!」」

当然の事ながら額と額がぶつかった。ごつんと良い音がして少女の頭が弾かれる。

「あたっ」
「あうっ」

……体重は私の方が重いようだ。いや、筋力の差だきっと。うん。
少女は目眩を起こしたのかふらふらしながらも額を押さえ、少し潤んだ瞳でキッと私を睨み烈しく言い放った。

「触れるな!穢れる!」
「け、穢れ……」
「……ああっ!?ご、ごめんなさい!そんなつもりでは……!」

流石にショックを受けた私がちょっと泣きそうになっていると、少女はハッと正気(?)に戻って言った。

「いえ、良いんです……そもそもこんなびしょ濡れの手で人様のお召し物に触れようとした私が悪いですから……お怒りは至極ごもっともです」
「そんな、私こそ酷い事を……本当に申し訳ありません」
「いえいえそんな、私こそ」
「いえいえ私こそ」
「いえいえ」
「いえいえ」

……三分程そんなやりとりを続けていただろうか。
二人とも謝り疲れて気まずい沈黙が流れていたが、不意に少女がぽつりと口を開いた。

「……どうしてなのかは解らないのですが……私は、自分の身体を他人に触れられる事に酷い拒否感を持っていて……、
 何かこう、本能的な部分が反応してしまうんです。……あるいは、私の中に在るもう一人の……いえ、もう一柱の意志なのかもしれません」
「もう一柱の……?」

希望崎学園に籍を置く者がこのような発言する事自体は珍しくも無い。
いつどんな時代であろうと中二病は存在し続けているのである。
私が気にかかったのは「一柱」という呼称だ。実際の所、私には心当たりがあった。それはつまり、

「神様が憑いている……という事ですか?」
「……はい。言い訳がましいのは理解していますが、事実なのです」
「………」

押し黙った私を見て、少女は少し悲しげな表情で俯いた。
その顔は私が心の奥にしまっておいた秘密を吐露するには十分な哀愁を湛えていた。

「あの、実は、私も……」
「えっ……?」
「私も、なんです。その、神様って言うか……自分の中に居るんです」

私は堰が切れた様に話し始めた。いつの頃からか自分の中に存在していた何者かの話を。

『それ』は幽霊の様に儚く曖昧でありながら、恐ろしい程に純粋で強固な意志の塊だった。
ある時は湖面に浮かぶさざ波の様に、またある時は火口から噴出する赤熱した溶岩の様に、『それ』は私の心を動かした。
その意志はどんな時でも強くなるという一点にだけ向けられていて、それは私の目的とも合致していた。
私は強くなりたかった。家族も家も、大切ななにもかもを、この手の届く範囲ならどんなものでも守れるくらいに。
私は器用でも利口でも無かったが、その為に必要な事は解っていた。『それ』が全てを教えてくれた。
只管に直向に一心に一筋に懸命に愚直に真摯に丁寧に、弛まず緩めず怠けず休まず折れず窮せず過たず立ち止まらず、ただただただただ一つの技を繰り返した。
その意志が私の妄想なのか、それとも本当にオカルトの範疇に在るものなのかは解らなかったし、興味も無かった。
ただ『それ』が私を強くしてくれるという確信さえあればそれで良かった。『それ』こそが私の本当の師であり、道であり、神だった。






……そうやって積み重ねた末に、気が付けば私は一人になっていた。
私の上や横には誰も存在せず、ふと下を見れば武に取り憑かれた亡者達がか細い糸を辿りながらじりじりと私に向かっていた。
頂点に立てば眼下の景色は以前より遥かによく見える。私は今の場所を守る為に必死になって亡者を蹴落とした。
そしてある時、亡者にも頂点を目指す理由がある事を知った。その時から亡者は亡者で見えなくなった。
ただ必死になって何かを守ろうとする人間だった。それはつまり、過去の……現在の私そのものだった。
私はただ守りたかっただけなのに、この手は私を殺し続けて日増しに血生臭くなって行く。
私が守りたかったものとは、こうまでしなくては守れない程大きかったのか?
私は自分の胸に問いかけてみたが、『それ』はもう何も答えてはくれなかった。
それで私は、自分が『それ』と同じになった事を知った。
融け合って混ざり合って、修練の槌に数え切れない程打ち叩かれた末完成した、一振りの刀の様に。

「(……どうして私はこんな事まで喋ってるんだろう?)」

そんな所まで語った時、ふと心の中で疑問が湧いた。
自分と同じ様な経験を語る人間に初めて出会ったから?自分と同じような人間なら疑問に答えてくれると思ったから?
解らない。気が付いたら話していた、というのが最も正確だと思う。
思考が他所を向けば舌も止まる。私は次に発するべき言葉を無くし、ああとかええとか無意味な音吐を漏らした。
気まずさを紛らわす為に左手で額を覆った私は気が付いた。





時計の短針が八時を刺しつつある事に。





「ああーーーッ!!」
「えっ!?えっ!?どうされたんですか!?」
「時間!もう8時ですよ!遅刻しちゃう!」
「えっ、あっ……ああっ!?」

私が大慌てで告げると、少女は懐から古めかしい懐中時計を取り出して盤面を見やり、やはり驚きの声を上げた。

「すいません、長話が過ぎました!でも今ならまだ急げば間に合うかも!」
「そ、そうですね!急ぎましょう……きゃっ!」

駆け出そうとした少女が一歩目で躓きそうになった。考えてみれば女物の和服で走れというのが無茶な話だ。
いっそ抱き抱えて行こうかと一瞬考えたが、先程の拒否反応を思い出すとそれも憚られる。
おろおろと逡巡する私に、少女はふぅと一呼吸置いてから笑いかけた。

「仕方ありません、私の事はお気になさらずお急ぎになって下さい」
「えっ、でも私の話で時間が……」
「いえ、元はと言えば私が話しかけた事がきっかけですから。お気になさらず、ね?」

そう言って花の綻ぶような笑顔を向けられると、私は何も言えなくなってしまった。
少女にもう一度謝罪すると、私は数百メートル先の校門へと駆け出し、

「あっ!すみません、ちょっと待って!」

同時につんのめった。

「ご、ごめんなさい、まだ私の名前を名乗っていなかったと思いましたから……」
「あ、ああ、そう言えば……」

かろうじて踏み止まった私に申し訳なさげにそう言った少女は、改まったようにぴんと背筋を張った。

「夢結やしろと申します。以後お見知りおきを」
「あ……鞘雲梓です。こちらこそよろしくお願いします」
「鞘雲梓さん……ですね。今度時間がお有りの時に今日の続きをお話しましょう」
「ええ、喜んで。次は夢結さんのお話も聞かせて下さい」
「はい、もちろん」

互いに礼をして、それではと私は今度こそ校門へと走り出した。時間はギリギリだ。
それでもやはり気になって、途中でちらと振り返ると夢結さんと目が合った。
にこりと微笑んだ少女の顔を見ると、私はなんだか身体が軽くなったような気がした。





私と夢結さんが聖杯ハルマゲドンに参加し、それぞれ敵味方に別れた事を知るのは、もう少し後の出来事だった。

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最終更新:2012年03月26日 15:05