日本語源流散歩50

任那日本府、歴史は文明国から後進国に流れるのに逆を主張する日本~イ・ナムギョの日本語源流散歩50


人類4大文明の一つ黄河文明は中国の黄河流域から始まり、満州、韓国を経て日本に入ったこと
は古代遺物、遺跡や歴史的事実などで明確に知ることが出来るにもかかわらず日本はこのような
文化の流れを認めようとしない。そのため、日本は韓日古代史の部分を論じるときは常に古代韓
国南部地方に「任那」という日本の植民地があったと主張する。これが「任那日本府」説だ。

日本の歴史書物を見れば「任那」とは「韓国高令地方や金海地方」を称する言葉で任那を文字の
通り解釈すれば「任意国」であり「ミマナニホンブ(任那日本府)」は「王様(イムグムニム)がいらっし
ゃる国に日本府を置いた」という言葉で、日本はこれを反対に解釈して「日本が任那を置いた」と
言い張る。

今でも日本では「テパンブ(大阪府)」と同じ用語を使っており、昔は九州地域を総括するために福
岡近辺に日本「テジェブ(太宰府)」などを置いた。これは全部その地域を総括する地方官庁を称す
る言葉だ。

それなのに、これをもし任那日本府式に解釈するなら、大阪府や太宰府が日本を派遣したという
ようなもので全く道理に合わない。したがって「任那日本府」は「任意国日本府」すなわち「ニムの
国で日本に支部を置いた」とするのが正しい。

それなら日本はどうして、ごり押し主張をするのか?古代の日本と伽耶の関係を見る時、多くの伽
耶人らが日本に渡って行ったことはあまりにも自明な事実だから古代に伽耶を治めたという主張
は正しいかもしれない。しかし、ここで問題になるのはそのような中間過程を省いてあたかも日本
から渡ってきて伽耶を支配した時があったように逆に解釈していることだ。歴史というものは、水の
流れと同じで文明国から後進国へ伝播するので、どんなに言い張っても良いわけではない。

日本語に「自惚れる(チャマンハダ)」という意味の「ウヌボレ(うぬぼれ)」という言葉があるが、この
言葉の「ウヌ」は金官伽耶(本伽耶)が日本の九州地方に建てた「クノ(狗奴)」という言葉が変わった
もので「ボレ」は文字どおり「見よ(ポラ)」という言葉で「クノボレ」であるが、これを解釈してみるな
らば「私たちの大和国よりも小さくて醜いクノ国野郎らが偉そうな顔をしているよ、あれをちょっと見
ろって、醜いね」と皮肉ることの省略型だ。

互いに敵対した「大和国」の人々がクノ国を低くして見下したためにできた言葉で大和国の言葉が
クノ国によって統一される前にすでに一般大衆にその根をおろしたものとみられる。「ウヌボレ」を
最近の言葉で言うなら「たいしたもんだ本当に、クノ国野郎ら」だ。

ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩50]任那日本府
http://www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=53961&yy=2009

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最終更新:2009年12月18日 11:54
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