5スレ>>640


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――近づいてくる冬の足音に混じって、楽しげな声が聞こえてくる。
幼い子供達が、互いにじゃれあいもつれ合いながらあげる、無邪気で愛らしい歓声。
その声を聞くたび、私はあの笑顔を思い出す。
ある秋の日に現れ、ある雪の日に消えていった、あの少女のとびきりの笑顔を。


『野鼠の歌』


私は、つまらないほどに平凡な、どこにでもいる萌えもんだった。
私の種自体も、ありふれにありふれて見飽きられた感さえある、ラッタという種族だった。
そんな私だったから、何か際立って人目を引くような特徴はなかったし、野生であり続ける以上、そんなものは必要でもなかった。
ただひたすらに凡庸に、同じことを繰り返す毎日。
狩りをし、餌を集め、縄張りを守り、巣で眠る。
生まれて独り立ちしてから、何一つ変わらないこの習慣を、ただ惰性のままに繰り返す。
そんな生活に不満を抱くことなどなく、疑念を抱いたこともない。
なぜなら、それが自然の理だから。
老いるか、縄張りを奪われるか、狩りをしくじるか、人に追い立てられるか。
そのいずれかはわからぬにしろ、自分の命が尽きるまで、それを繰り返し続けることが、私にとっての“生”だった。
だから。

『――ねぇ、あなたひとりなの? 一緒に遊ぼうよ』

そう言って、手を差し伸べた赤い髪をした少女を見た時は。
その言葉の意味を理解するまでに、ひどく時間がかかったものだった。

***

その少女が現れてからというもの、私の生活は著しく狂わされるようになった。
何度追い払おうとも懲りずに私のもとにやってきて、初めて会った日と同じ台詞を繰り返す。
それを私が、「遊ぶ暇なんてかけらもない」とこれまた出会いの日と同じ言葉で一蹴すると、少女は残念そうな顔をして、赤い火を灯した尾をわずかに力なく下ろして去っていく。
そんなことをかれこれ――日が10回ほど沈んで昇る頃まで続けて、ついに折れたのは私だった。

「……いいよ」

数日来の雲が晴れ、どこまでも澄み渡る蒼穹が顔を覗かせた秋晴れの日。
いつものように私のもとにやってきて、いつものように同じ台詞を投げかけた少女に、いつものように顔を背けて、いつもとは違う返事を、私は小さく投げかけた。

「――ほんとっ!?」

舞い降りた沈黙はほんの一瞬。
私の返答を理解した少女は、尾で煌めく炎をひときわ強く輝かせ、それに劣らぬ眩い笑顔で、私の手を取って強く握った。
私の手を握る少女の手は力が込められすぎていて、正直少し痛かったけれど。
でも、なぜか。

「……ほんと」

その少女の笑顔を見て、私の顔が私の意志に反した表情を作るのを、抑えることができなかった。

「うれしいなぁ、新しいお友達ができたよ! よろしくね、らっちゃん!」

勝手に名前を馴れ馴れしげに呼び変えられ、腕を激しく揺さぶられながら。
その日私は、笑顔というものが自分にも作れるということを、知った。

***

彼女と“友達”になってからの日々は、それまでの日々が考えられないもののように思えるほど充実していた。
狩りをして餌を集め、縄張りを侵す侵入者を撃退し、巣に戻るという基本は変わっていないのに、ただ彼女――ヒトカゲのリト、といった――がいるだけで、そのすべてが何倍も楽しく、喜ばしく、かけがえのないものに感じられた。
私はリトに、野山や森に生える木の実や食べられる茸、小さくとも美しい小川、静けさの中でただじっとそこにあり続ける美しい花畑等を教え。
リトは私に、ヒトが作ったおかしな道具や二人でする他愛もない遊び、ヒトの世界であった珍妙な出来事を教え、時折、ヒトの作ったお菓子を持ってきて、一緒に食べようと言ってくれたりした。
――おこがましいかもしれないが。
あのとき、私とリトは、確かにかけがえのない“友達”で。
あのまま何も変わらなければ、ずっと私はリトの“友達”であり続けたいと願うようになっていただろう。
そう。
秋を彩った木々の葉が全て落ちて裸となり、大地を覆った赤い絨毯が色あせ飛ばされ消え去った日。
あの、今年初めての雪が静かに舞い降りて、冬の到来を告げた日に。

「……こんにちは、らっちゃん」

常にもよらず物静かに、そう私を呼び掛けたリトの声に振り向いて。
私はただ、絶句した。

「大事なお話が、あるんだ――」

寂しさと悲しさがないまぜになった涙を必死でこらえるような顔をして。
ヒトカゲよりも大きく、ヒトカゲよりも力強い、リザードという種族に進化したリトは、かすれた声で、そう言った。

彼女が、自分の“トレーナー”と共に旅に出ることになったこと。
旅に出るために訓練を重ね、こうして“進化”できたこと。
そして旅に出る以上、もうここに――二人が遊んだこの場所に、来ることができなくなること。

それらの事柄を一つ一つ、ともすれば泣き崩れそうになるのを必死にこらえながら、リトは私に丁寧に説明してくれた。
そのとき、私がいったいどういう表情で彼女の話を聞いていたのか、残念ながら記憶にない。
おそらく――初めて彼女が声をかけてくれたときと同じ、けれどそれ以上に生気のない顔だったのだろう。
そうでなければ。

「ごめ、ん。 ごめん、ね……ごめんね、らっちゃぁぁぁん……!」

あの、いつも明るかったリトが。
いつも朗らかだったリトが。
いつも、笑っていたリトが。ぼろぼろと大粒の涙をこぼしながら私を抱きしめ、詮無い謝罪を繰り返すことなど、あってはならないことなのだから。

***

リトの腕に抱かれながら、どれほどの時が経っていたのだろう。
私は、未だに嗚咽を洩らしながら私を抱き続けるリトの身体をそっと突き放し、赤くなったリトの頬を伝う涙を手の甲で拭ってやりながら、言った。

「ありがと、リト」

「そして、おめでとう」

「進化するのは大変で、そのうえとても辛いこと。 私もそうだったから、わかる」

「なのに、貴方はやり遂げた。 私のように、生きるために必要だったからではなく、自分の意志で、誰かの為に、成し遂げたの」

「それは、とても素晴らしいこと。 誰かの為に苦しんで、誰かの為に傷ついて、それを決して恨まない、そういう人だからこそできる、とても、とても尊いこと」

「だから――胸を張りなさい」

「胸を張って、お行きなさい、リト。 貴方の信じたマスターと、貴方の行くべき道へ向かって」

そう言いながら、きっと、私も泣いていたのだと思う。
だって、せっかく泣きやんでいたのにまたぽろぽろと涙をこぼし始めてしまったリトの顔が、なぜか滲んで見えていたのだから。

***

初雪の降った、私とリトが抱き合って泣いた、その翌日。
私は、リトと初めて出会った草原で、旅立つリトを見送った。

「らっちゃん……ばいばい」

昨日あれだけ泣いたというのに、リトはまたもや涙を瞳にためながら、私が彼女の誘いを始めて受けた日のように、強く私の手を握った。
初めて手を握られたあの日は、痛みが先に立ったけれど。
今日はなぜか、リトの手のひらのぬくもりが、強く、私に伝わった。

「うん……ばいばい」

だから、なのだろうか。
そう言ってリトの手を握り返した私の頬にも、熱い滴が幾筋も、伝っていったように感じた。

「リト……そろそろ」

少し離れたところで立っていた、どこか頼りなさそうな、それでいて優しそうな顔だちをした人間が、躊躇いがちにリトを呼ぶ。
その声に小さくうなずいて、リトは名残惜しげにゆっくりと、握った私の手をほどいた。

「らっちゃん……」

「……リト、がんばってね」

手を離してもなお、私を見つめたまま動かないリトを励ますように、そう言って。
私は――くるりと踵を返し、振り返ることなく、森の中へと向かっていった。
そうやって突き放すことが、彼女の為になるのだと、強く自分に言い聞かせ。
とめどなく流れる涙を、彼女に絶対見せないように。

「――らっちゃああああああああん!」

その、私の背中に。

「私っ、がんばるからっ! ぜったい、ぜったい強くなるから! それで――それで、絶対帰ってくるから! 待っててね、らっちゃぁぁぁん!」

「――――!」

ありったけの声を振り絞り、私への誓いを立ててくれたリトの想いが、嬉しくて切なくて苦しくて。
やっとのことで森の中の自分の住みかに潜り込んだ私の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになってしまっていた。

***

それからの私の生活は、多少の変化は含んでいたものの、おおむねリトと出会う以前のものに戻った。
狩りをし、餌を集め、縄張りを守り、巣に戻る。
ただ生きるためだけにそれを繰り返し、反復が高じて繰り返すために生きているのではないかと思ってしまうような生活。
リトと出会う以前の私が当然と受け止めていたそれは、リトと出会ってしまった私にとって、気が狂ってしまいそうになる暮らしだった。
けれど。

「……嗚呼、お月様、今宵も、来られたのですね――」

そんな単調な日々の中に、ひとつだけ加えられた変化。

「それでは語りましょう、私の愛した、友のこと――」

それは、リトと共にあった短いながらも暖かい日々を、こうして歌に謡うこと。
観客は誰もいない、ただ月と、時によっては野の草花だけが、私の歌を聴いている。
その中で、私は独り、あの懐かしくも切ない日々の思い出を、誰にともなく語っている。
彼女と別れたその日から、今に至るまで、ずっと。
観客である月が何度満ち、何度欠けたかすらわからないほど多くの時を重ねても、ずっとずっと、謡っている。
『いつか必ず帰ってくる』と、そう約束した彼女のことを、いつまでも、いついつまでも、忘れぬようにするために。
――けれど。

「……らっちゃぁぁぁぁぁぁん……!」

「……あら」

ふと見上げた、十六夜の月。
その光を受けて羽ばたく漆黒の影から遠く響いた、懐かしくも暖かいその声に。
私の小さなコンサートは、今日で終わりであることを知った。
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