5スレ>>692-2

 瓦礫と化した建物。
 燃え盛る炎。
 立ち上る煙。
 ごう、ごう、と倒壊の余韻が耳を潰す。

「……た……れ」

 目の前には父親。
 押し潰された下半身。
 染み出でる血。
 届け、届け、と彼の言葉が耳を目指す。

「……たす……て……れ」

 近くから別の物音。
 砕けた欠片。
 近寄るは足音。
 何故、何故、と迷いの歩みが僕に向かう。

「……すけて……れ」

 立ち尽くすばかりの僕。
 動かない体。
 動きたい心。
 ただ、ただ、己の無力を身に感じる。

「……たすけて…………」
「たすけないと」

 口から声が漏れた後、意識が黒く染まった。





「あの子の中に残っていたのは、助けを求める声と助けられず、故に招いた結果だけ」
「それでは……マスターが人を助けようとするのは……」
「えぇ。再び助けられなかった結果を見たくないから、そう言っていたわ」

 私は言葉を失った。
 マスターがただただ人を助ける理由。
 ……父上を失ったように、また苦しみたくないから。
 それは私の知る、ひたむきに誰かを救う、マスターの姿とは大きく異なっていて。
 つい、口の端から、

「では、私の見ていたマスターは一体……?」

 勿論答えが返ってくるはずもなかった。




 いつのまにか日付が変わっていた。
 ……マスターは。
 母上に聞いてから、布団にもぐった今でもずっと悩んでいる。
 出会い、助けられてからずっと、追い続けてきたマスター。
 今日、長い時間を経て、ようやく知ったその内側。
 ふと、隣の布団で寝息を立てるマスターを見る。
 普段頼もしいと思えたその背は一回り小さく見えた。
 支えなければ、と思う。
 だが、

「幻のマスターを見ていたような私に……」

 できるのだろうか。
 彼のいる位置を見誤って、空回りしないといえるだろうか。
 ……できる、と言えればよかったのですが。
 言えなかったこの事実が、今の私の現状だ。
 彼を必死で追い続け、ようやく一歩近づいたと思った矢先、彼はその姿を消した。
 ……では、マスターはどこにいるのでしょう。
 前には幻。では後はどうか。
 ……いませんよね。
 彼が私を助けてくれたことで、私は今ここにいる。
 ならば、少なくとも私の後ろに彼は存在しない。
 残るのは……。
 考えたくない答え。故に私は、もし、と仮定してから、

「元から同じ道にいなかったとしたら……」

 違うと、それはありえないと、力強く否定する。
 もしそうだとしたら。
 ……マスターは私を連れて行ってくれなかったはず。
 私も、彼によって助けられた人の中の一人なのだから。
 同じ道にいて、何か思うことがあるのでなければ、私と共にいようとはしないはずだ。
 そうでなければ、今どれだけの人が彼と共にいるというのだろう。

「では……」

 前にもおらず、後にもいない。そして道の外にいるでもない。
 ……一体どこに。
 ぞくりと、強い寒気が全身を貫いた。

「貴方はどこにいるのですか……マスター」

 つぶやきがトリガーだった。
 ……え。
 寒気とは違う。
 怖気、と表現するものだろうか。
 心に浮かび上がってきたそれは瞬く間に体の隅々へ伝播する。
 言葉ともならない音が口から零れ、

「……ぅ……ん」

 震える身を守るように、両の腕が私自身を抱きしめる。
 ……い……あ。
 どうして。
 何が。
 ぶつ切りの疑問がより一層、心の安定を失わせる。

「……ぁ」

 マズい。
 不安定な気持ちの中に、大きさを増すものがあった。
 涙。
 それは堪えの器を浸していき、ゆっくりとあふれ出す。
 目尻に涙の粒が浮かび、それが繋がって頬に一筋の軌跡を描き、

「……ニーナ」
「!」

 しかしマスターの不意の一言で全てが鎮まった。
 いる。マスターはそこにいる。
 静かに、何度も、己に言い聞かせながら、目を閉じた。





 ……ん。
 目が覚めた。
 どこか。自分の家。僕とニーナの部屋。
 いつか。時計を確認。深夜三時を回った辺り。
 なぜか。久方ぶりの熟睡。実家の懐かしさ。
 布団を除けて、身を起こす。
 静かに部屋を出て、廊下を行き、玄関を外へ。
 どこへ行くでもなく、ふらと彷徨いながら、

「たすけて、か……」

 呟きは月明かりに溶けた。
 あの後のことは何も覚えていない。
 続いて存在するのは、

「ここに……」

 ここにいた。
 母さんが傍にいて、
 ……父さんがいなくなってた。
 助けを求められながら、少しも動くことができずに、失った。
 だから僕は、呪われたんだ。
 そして、

「もう、失わない。そのために」

 この旅にでた。
 助けなければならない人がもう一人いるから。
 ……助けないと。
 また失ってしまったら僕は、彼女と共にいられない。
 だから、

「助けられたら」

 共にいられるはずだ。
 追い続けた背に、辿り着くことができる。
 そうしたら、明かそう。
 全部。
 彼女に。
 笑い話として。





 部屋の中で気配が動き、静かに目が開かれた。
 真っ黒だった視界に光が滲んでいく。
 ぼやけた視界が次第に明瞭となり、

「マスター……?」

 となりの布団に、彼の姿がないことを確認した。
 いないと、頭が理解する。
 ……ぁ。
 重なる。
 頭の中、前方に見えていたはずの彼が幻として消え、いなくなったことと。
 ……やぁ。
 カチリとスイッチがはいった。

「い……やぁ……」

 心につららが突き刺さったような、冷たい痛み。
 寒い。体が震えだす。
 恐い。彼がいないことが、制動をゆるさぬ私自身が。
 ……どこ。
 手が伸びる。彼を求めるように。
 ……どこ。
 目が彷徨う。彼を認めるために。

「や……」

 だが、手は空を切り床へ落ち、目は姿をとらえられず、涙でぼやける。
 しかし、止まらない。
 彼を求める、という行為はやがてわずかに形を変えて私を動かした。
 代償行動。
 嫌、という悲鳴は腹の底に溺れ、代わりに浮上するのは、

「マス、ター……」

 呼ぶ声。求める声。
 布団から這うように出で、彼の代償、彼のいた布団の傍へ移動する。
 ……あ。
 感じる。
 僅かに残った熱を。
 僅かに染み入った匂いを。

「ん……」

 私は彼の残滓全てを求めようと、布団へもぐりこんだ。
 まるで抱きしめられているようだ、と錯覚しながら、

「……」

 気付いた。
 体中に存在する浮揚感。高揚感。
 そして、

「前でも、後でも、他の道でもない……」

 彼の居場所に。

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最終更新:2009年04月01日 00:51
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