瓦礫と化した建物。
燃え盛る炎。
立ち上る煙。
ごう、ごう、と倒壊の余韻が耳を潰す。
「……た……れ」
目の前には父親。
押し潰された下半身。
染み出でる血。
届け、届け、と彼の言葉が耳を目指す。
「……たす……て……れ」
近くから別の物音。
砕けた欠片。
近寄るは足音。
何故、何故、と迷いの歩みが僕に向かう。
「……すけて……れ」
立ち尽くすばかりの僕。
動かない体。
動きたい心。
ただ、ただ、己の無力を身に感じる。
「……たすけて…………」
「たすけないと」
口から声が漏れた後、意識が黒く染まった。
「あの子の中に残っていたのは、助けを求める声と助けられず、故に招いた結果だけ」
「それでは……マスターが人を助けようとするのは……」
「えぇ。再び助けられなかった結果を見たくないから、そう言っていたわ」
私は言葉を失った。
マスターがただただ人を助ける理由。
……父上を失ったように、また苦しみたくないから。
それは私の知る、ひたむきに誰かを救う、マスターの姿とは大きく異なっていて。
つい、口の端から、
「では、私の見ていたマスターは一体……?」
勿論答えが返ってくるはずもなかった。
いつのまにか日付が変わっていた。
……マスターは。
母上に聞いてから、布団にもぐった今でもずっと悩んでいる。
出会い、助けられてからずっと、追い続けてきたマスター。
今日、長い時間を経て、ようやく知ったその内側。
ふと、隣の布団で寝息を立てるマスターを見る。
普段頼もしいと思えたその背は一回り小さく見えた。
支えなければ、と思う。
だが、
「幻のマスターを見ていたような私に……」
できるのだろうか。
彼のいる位置を見誤って、空回りしないといえるだろうか。
……できる、と言えればよかったのですが。
言えなかったこの事実が、今の私の現状だ。
彼を必死で追い続け、ようやく一歩近づいたと思った矢先、彼はその姿を消した。
……では、マスターはどこにいるのでしょう。
前には幻。では後はどうか。
……いませんよね。
彼が私を助けてくれたことで、私は今ここにいる。
ならば、少なくとも私の後ろに彼は存在しない。
残るのは……。
考えたくない答え。故に私は、もし、と仮定してから、
「元から同じ道にいなかったとしたら……」
違うと、それはありえないと、力強く否定する。
もしそうだとしたら。
……マスターは私を連れて行ってくれなかったはず。
私も、彼によって助けられた人の中の一人なのだから。
同じ道にいて、何か思うことがあるのでなければ、私と共にいようとはしないはずだ。
そうでなければ、今どれだけの人が彼と共にいるというのだろう。
「では……」
前にもおらず、後にもいない。そして道の外にいるでもない。
……一体どこに。
ぞくりと、強い寒気が全身を貫いた。
「貴方はどこにいるのですか……マスター」
つぶやきがトリガーだった。
……え。
寒気とは違う。
怖気、と表現するものだろうか。
心に浮かび上がってきたそれは瞬く間に体の隅々へ伝播する。
言葉ともならない音が口から零れ、
「……ぅ……ん」
震える身を守るように、両の腕が私自身を抱きしめる。
……い……あ。
どうして。
何が。
ぶつ切りの疑問がより一層、心の安定を失わせる。
「……ぁ」
マズい。
不安定な気持ちの中に、大きさを増すものがあった。
涙。
それは堪えの器を浸していき、ゆっくりとあふれ出す。
目尻に涙の粒が浮かび、それが繋がって頬に一筋の軌跡を描き、
「……ニーナ」
「!」
しかしマスターの不意の一言で全てが鎮まった。
いる。マスターはそこにいる。
静かに、何度も、己に言い聞かせながら、目を閉じた。
……ん。
目が覚めた。
どこか。自分の家。僕とニーナの部屋。
いつか。時計を確認。深夜三時を回った辺り。
なぜか。久方ぶりの熟睡。実家の懐かしさ。
布団を除けて、身を起こす。
静かに部屋を出て、廊下を行き、玄関を外へ。
どこへ行くでもなく、ふらと彷徨いながら、
「たすけて、か……」
呟きは月明かりに溶けた。
あの後のことは何も覚えていない。
続いて存在するのは、
「ここに……」
ここにいた。
母さんが傍にいて、
……父さんがいなくなってた。
助けを求められながら、少しも動くことができずに、失った。
だから僕は、呪われたんだ。
そして、
「もう、失わない。そのために」
この旅にでた。
助けなければならない人がもう一人いるから。
……助けないと。
また失ってしまったら僕は、彼女と共にいられない。
だから、
「助けられたら」
共にいられるはずだ。
追い続けた背に、辿り着くことができる。
そうしたら、明かそう。
全部。
彼女に。
笑い話として。
部屋の中で気配が動き、静かに目が開かれた。
真っ黒だった視界に光が滲んでいく。
ぼやけた視界が次第に明瞭となり、
「マスター……?」
となりの布団に、彼の姿がないことを確認した。
いないと、頭が理解する。
……ぁ。
重なる。
頭の中、前方に見えていたはずの彼が幻として消え、いなくなったことと。
……やぁ。
カチリとスイッチがはいった。
「い……やぁ……」
心につららが突き刺さったような、冷たい痛み。
寒い。体が震えだす。
恐い。彼がいないことが、制動をゆるさぬ私自身が。
……どこ。
手が伸びる。彼を求めるように。
……どこ。
目が彷徨う。彼を認めるために。
「や……」
だが、手は空を切り床へ落ち、目は姿をとらえられず、涙でぼやける。
しかし、止まらない。
彼を求める、という行為はやがてわずかに形を変えて私を動かした。
代償行動。
嫌、という悲鳴は腹の底に溺れ、代わりに浮上するのは、
「マス、ター……」
呼ぶ声。求める声。
布団から這うように出で、彼の代償、彼のいた布団の傍へ移動する。
……あ。
感じる。
僅かに残った熱を。
僅かに染み入った匂いを。
「ん……」
私は彼の残滓全てを求めようと、布団へもぐりこんだ。
まるで抱きしめられているようだ、と錯覚しながら、
「……」
気付いた。
体中に存在する浮揚感。高揚感。
そして、
「前でも、後でも、他の道でもない……」
彼の居場所に。
最終更新:2009年04月01日 00:51