「マスター、もう辺りも暗いですし、そろそろ就寝の準備をしましょう」
半歩先を黙々と進んでいくマスターに私は提案した。
自分にやや厳しい彼のことだ、疲れ切るまで歩き続けるに違いない。
推測というより、長年彼の傍にいたことからくる経験のようなものである。
立ち止まったマスターは無言で○印のついたフラッグをひらひらと振った。
無口な彼を幼い頃からサポートしてきたフラッグ。
○×!?の四種類を常備していた。時折、ノートに文字を書いて意思を示すこともある。
「まだフラッグ離れできないんですか?」
再び○印のフラッグ。どうやら随分と依存しているようだ。
「面白いから構いませんけどね。では、準備をしましょう」
私たちはすばやく背負った荷物の中からテントを取り出すと設営を開始した。
十分もする頃には設営も終わり、後は互いにのんびりと眠気が首をもたげてくるのを待つばかりであった。
「……明日は、ここに……」
地図を広げ、マスターはヤマブキシティを指差した。
ヤマブキシティと言えば最近ロケット団関連の騒ぎがあったばかりの町だが……
「ヤマブキのジムに挑戦ですね?」
恐らく今までの通りに私一人で挑むのならば最難関になるであろうジムがある町。
エスパータイプ。
ニドリーナ(毒タイプ)の私にとって、そのタイプは最悪の相性だった。
だが、私たちもそれを承知でここまでやってきたのである。
十分に修練を積み、研鑽を重ねた私の技(かみくだく)ならば、一撃の名の下に敵を撃破することも出来るだろう。
つまり、その一撃までが勝負ということになるのだが……。
「マスター、どうやって戦う……」
のか、とは続かなかった。
マイペースな彼は、一人でテントに引っ込んでしまったのだ。
今までならさほど気にならなかったことなのだけど……。
私はそれ以上を考えるのをやめて、マスターの眠るテントの中へと入る。
案の定、マスターは大人しい寝息を立てて熟睡しているようだった。
「……ふふ」
なにやら私には変な趣味があるのかもしれない。人の寝顔を見て笑っているのだから。
笑みが落ち着いてくると、ぬるま湯のような眠気が体を包み始めた。
マスターの隣に向かい合うようにして寝転がる。
もうずっとこうしてきて慣れたはずなのに、最近はちょっと恥ずかしい。
でも、ほどよい心地よさがあって私は恥ずかしさを我慢する。
「おやすみなさい」
そっとマスターを手を握り締めて、私の意識は沈んでいった。
思い出されることがある。
随分と色褪せて所々が脚色されるほどに懐かしい記憶だ。
やせいのニドランだったころの……。
「よし、アイツはもう体力も少ないぞ! 頑張れコラッタ!」
何処の誰とも分からないトレーナーと、まだ捕まって間もないのだろう、動きの未熟な萌えもんと私は対峙していた。
万全の状態ならば造作もない相手だった。
だが、トレーナーは私の体力を削るためにレベルの高い先鋒を私に当てていた。
悪いことに、電気タイプの技で体中に痺れが残っていた。
「はい、頑張ります!」
意気込み十分のコラッタが目をも瞑って体当たりをする。
そんな隙だらけの攻撃に対しても、今の私では避けるばかりか、防御することすら適わない。
そして、被弾。
受身を取ることも覚束ぬまま、一メーターほど地面を転がった。
「――っ!」
体中の痺れと痛みが私の意識を覚醒させる。気絶すらも許さない体が酷く恨めしい。
「よし、よくやった。戻れコラッタ!」
トレーナーは満足したような表情でボールに自身の萌えもんを戻し、去った。
それからたっぷり三十分は転がったままに空を見ていた。
晴天。曇り一つない青空が私は好きではなかった。
天気がいい日は今のようにトレーナーがやってくる。
気を休められるのは夜と、天気の悪い日だけであった。
でも、こんなことは日常茶飯事だった。
いちいち心を折っていてはすぐに心が尽きてしまう。
「……トレーナーか」
私にとって憎むべき対象であることに違いはないのだが、行動を共にする萌えもんたちは楽しそうな顔をしている。
その一点のみが私を苦しめていた。
自分たちの萌えもんだけではあるものの、彼らは萌えもんに対して優しいのだ。
だから願わずにはいられなかった。
……私にも……。
いや、さっきの少年のようなトレーナーではダメだ。
きっと、立場が変わるだけ。いじめられる側からいじめる側に。
……そろそろ、巣に……。
そうして立ち上がろうとするが、
「――!!」
体中に走る痺れ。
失敗だった。自然と回復しない症状と言うものがあることを失念していた。
……どうしよう。
巣まで距離があるわけではない。
だが、今の私にとってほんの僅かな距離も無限の彼方のように感ぜられた。
巣に戻らなければ。
もう随分寒い季節なのだ。このままでは凍えて……凍えて……?
「いやだ」
考えない。
考えたらそうなってしまいそうで怖かった。
でも、体を動かせないこの状況では、否応にもそのことが頭に浮かび……。
そんな時だ。
多くの萌えもん(酷く弱った)を背に負って走る少年――マスターに出会ったのは。
いや、出会ったというよりも……。
「……!!」
まだまだ体も発達しきっていない少年が、ボールにも戻してない萌えもんを担げば間違いなく転ぶ。
私は思わず目を背けてしまった。
担がれた萌えもん達が投げ出されて落ちたときの痛みを感じ取りたくなかったから。
だが、萌えもん達の声はない。
最悪の場合を想定しながら恐る恐る瞼を開くと、
「……」
萌えもんを背に乗せたまま、少年は転んだ姿勢でじたばたしていた。
彼らをかばう為に無理な姿勢で転んだのだろう。
観察していると、自然に少年と目が合った。
少年特有の無邪気な目がじっと私を睨み付けた。
「……」
少年はむ、と唸って何かを考えているようだった。
そしてしばし、少年は一度背中の萌えもんを降ろし、私を、顔が襟から覗くようにして懐に突っ込んだ。
勿論、抵抗しようと思わなかったわけではない。
だが、体中の痺れ、そして、僅かの期待が、私の思考を停止させた。
少年は何度も失敗しながら時間をかけて降ろした萌えもんを再び背負った。
「もう少しだ……」
少年が口を開く。
その言葉は、少年自身と、私たちのためのものだった。
目を閉じる。少年の高鳴った鼓動が聞こえてきた。
それは心地よい音だった。
そして同時に、私自身の鼓動も高鳴り始めていたのだが、その時の私にはまるで聞こえていなかった。
最終更新:2007年12月15日 16:23