1スレ>>403


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雪を往く

 紅い列車が、降りしきる雪のなかを走っている。見渡すかぎり茫洋と白く霞む景色に、車輪の立てる騒々しい音が虚ろに吸い込まれていく。吸い込まれていくと、また車輪が音を立てる。音を立てると、また吸い込まれていく。そんなやりとりがいつまでも続く。
 こんなことは徒労だろうか、と青年は白い世界を眺めながら思った。
 うなじの辺りでひとつに縛られた青年の黒髪が、列車の断続的な振動にあわせて右に左に揺れている。その隣席には一羽の小さなヤミカラスが羽を休め、利口そうな硝子の瞳で、車窓を覗き込む青年をじっと見上げている。やがてそのことに飽きると、小さな彼女は黒いシルエットを揺らしながら傍らのディパックに寄りかかった。
 微弱な振動だけが伝う車内に、青年とヤミカラス以外の人影は見当たらない。夜が明けてから何度か駅に停まったが、誰も乗ってこないし、誰も降りていかない。全てが自動化され車掌さえ乗っていない紅い列車は、それでも誰かが乗車してくることを夢見て延々とレールの上を進んでいく。時間の感覚さえ狂いそうなほど白く塗りつぶされた世界の中を、時計の針が教える曖昧な時刻を信じてひたすら進んでいく。それはさながら壁に向かって延々と話しかけているような、うんざりするような益体無さだった。それでも、列車は決して脱線しようとしない。
「タオ」
 青年が右腕を差し出して呼びかけると、それに応えて隣席のヤミカラスがふわりと飛び上がった。ヤミカラスのタオを乗せた腕がそっと車窓に近づくと、その向こう側に広がる不気味に白い風景のなかで、まるで何かに抗議するかのように彼女だけが黒い。しかし、それはほとんど焼け石に水をかけるようなものだった。やはり徒労なのかもしれない、と青年は再び思う。
「何を考えているんです?」
 タオが焦れたように、黙して語らない青年に訊いた。
「やけに寒いな、と思ってさ」
「うそつき」 
 そのとき、一定のリズムを保って揺れていた列車がわずかに緩慢に身じろぎをした。それと同時に車内に機械音声のアナウンスが響く。間もなくチュメニ、チュメニに到着です、ご降車のお客様はお手回り品をご確認の上、お忘れ物のございませんよう云々……。
「誰か乗ってくるかな」
 青年はぽつりと呟いたが、タオは返事の代わりにちょっと首を傾げ、羽根を膨らませて見せただけだった。
「お前は気楽でいいな」
「失礼な……じゃあマジメに返事しましょうか? きっと誰も乗ってきませんよ」
 タオは羽根のかわりに、今度は頬を膨らませた。
「冗談だよ。そんなに怒るなよ」
「知りません」
 車輪の音に耳障りなブレーキ音が加わり、列車が雪を抜けてホームに滑り込む。そのスピードが死ぬにつれ、斜めに降っているように見えていた雪のすじが、次第にその角度を垂直に修正していく。やがて雪が天からまっすぐ降りるようになるころ、紅い列車は息絶えるように完全に停車する。こんなことを繰り返しているうちに、いつか本当に動かなくなってしまうのだろう。そうしたらもう息を吹き返すことはないのだろう。青年が嘆息すると、タオは不思議そうに首を傾げた。
 車窓の景色に滑り込んできたのは、捨てられた街だった。石油もガスも掘り尽くされてしまったかつての工業都市は、取り壊されることもなく朽ちていく油田の煙突と、修復もままならず崩れかけたモスクを持て余して、もういい加減休みたいとでも言いたげな顔で雪に埋もれている。
 しばらく息苦しい風景を眺めていた青年は、ふと視線をホームに落とし、そして驚愕に目を見開いた。うず高く雪の積もったホームに、小さな足跡がうっすらと刻まれている。おそらく子供のものだ。それは隣の車両からはじまり、点々と白いホームを横切って人気のない改札まで伸びていた。
「まさか……」
 この列車に人が乗っていないことは今までに何度も確認してきた。それこそ飽き飽きするぐらい何度も。
「タオ、見ろ」
 二人が見つめる前で、新しく降りてきた雪によって足跡は徐々に薄くなっていく。
「真新しい足跡ではありませんね」
「ああ。たぶん前の便だ」
 その人物はここで途中下車したのだ。延々と往復を繰り返しているうちに終わりも始まりも曖昧になってしまった、この紅い列車から降りたのだ。
 青年は少しだけ躊躇ってから、座席に置いてあったディパックを掴み、おもむろに立ち上がった。それだけが彼らの荷物だった。下車口に向かう彼の肩に、タオが音もなくしなやかに飛び乗った。白く煙る世界に出ると、車扉の閉まる音が青年の背中をそっと撫でた。
「次の便はいつになるか分からないな」
 ぽつりと呟いた、それは自らへの諌言なのかもしれなかったが、青年は構わず、ホームにうっすらと残る足跡を辿って足早に改札をくぐった。
 かつては沢山の人々が往来していたであろう駅前の大通りはがらんとして、主が居なくても永遠に動き続ける全自動の除雪車が、道路に積もった雪を綺麗に溶かしながら行き来しているばかりだった。その上空には灰色が重くのしかかり、かつての繁栄を埋め尽くそうとするかのように、ひっきりなしに道路に向かって氷雪を吐き出し続けていた。吐き出された雪は、すぐに除雪車によって溶かされる。溶かされると、また雪が吐き出される。機械の命が停まるまで続くそんなやりとりのおかげで、道路を横切るところで小さな足跡は途切れてしまっていた。
 小さく舌打ちをして、青年は肩のヤミカラスの頭をわしわしと撫でる。
「もう死んでるかもしれませんね」
「まだ分からないさ……タオ、頼まれてくれるか」
「何でしょうか?」
「誰でもいい。生きている人間……いや、活動してる人間を探してくれ」
「はあ、無駄だと思いますが」
「頼むよ」
「……期待しないでくださいね」
 言い残すと、タオは翼を広げて灰色の街並みへと飛び去っていった。その飛翔が描く黒線に折り重なるようにして、物言わぬ建物の群がくずおれそうに連なっている。小さな黒は降りかかる雪に吸い込まれ、すぐに見えなくなった。
 ちらちらと粉雪になぶられ、何もかもが霞んでいた。鮮明に見えるものの存在しない世界。遠浅の夢を泳ぐときの曖昧さに似ている、と青年は思った。異なるところを挙げるとすれば、頬を突き刺す冷気か、それとも救いの無さだろうか。
 気配のようなものだけならば、街中に感じることができるのだ。耳をそばだてると、ひび割れた窓ガラスの暗闇の奧に、つららの垂れ下がった軒下の扉の向こうに、錆び付いて動きそうにないシャッターの内側に、ぽつぽつと人間の息づかいが淀んでいるのが分かる。青年が眼前の民家の戸をそっと開けると、雑然とした屋内の最奧の薄闇に、棺のような巨大な機械が三つ並んでいるのが目に入った。どれも全く同じ滑らかな流線型を描き、紅白のカラーリングの中央に〈PC〉というシンプルなロゴが白く染め抜かれている。この冷たいコンピュータひとつひとつに、人間がひとりずつ入っていることを彼は知っていた。
「いったいお前はいつまで、人間を閉じこめておくつもりなんだ」
 青年の問いに応えるものは誰もいない。ただ〈PC〉の低く唸る声だけが、冷たい仄暗さの中でまどろむように揺れている。思わず〈PC〉のひとつに触れようとしたとき、外で彼を呼ぶ声が聞こえた。青年が最後に〈PC〉を一瞥し、民家を後にして通りに戻ると、白い緞帳のような降雪の向こうから、すう、と音もなく黒い影が飛来した。青年のかかげた左腕にとまったタオは、透き通った瞳で主人を見上げた。
「どうだった?」
「……いましたよ」
「そうか、よくやった。案内してくれ」
 タオは何か言いたげな表情を顔に浮かべたが、思い直したように口を噤むと、再び飛び上がった。
「タオ、どうした?」
「いえ、別に。ついてきてください」
 タオは多くを語らない。それは青年も同じで、無口な者同士いいコンビだと彼は勝手に思っている。これで二人が同じ時間のなかを生きていけるのならば、どんなにか幸福だっただろうか。そんなことをふと考えてしまうとき、青年は途方もない絶望のなかに閉じこめられる思いがした。
 タオについて大通りをしばらく行くと、やがて除雪車の巡回ルートを外れた辺りから例の足跡が再び現れ、それは街はずれの山肌に開いた洞穴の中へと続いていた。太古の昔は住居の代わりとして人々に愛されたのかもしれないが、建築物が大地を席巻するようになってからは、すっかり時にうずもれて忘れ去られた洞穴だった。人間をかくまっていた時代のことなど覚えていないかのように、それは穴ぐらの闇を雪の白に薄く滲ませ、吹き付ける冷風を無抵抗に受け入れている。中に入ると無数のつららに巻き付いた風が容赦なく二人を襲い、外界よりも寒いような感じさえした。
「こんなところに人がいるのかよ」
 青年の思わずの問いにタオは一寸首を傾げ、翼の先で暗がりの奥を指した。目を凝らすと、壁とほとんど同化していて見分けが付きにくいが、洞窟の奧に巨大な氷の塊が鎮座している。それに近づいた彼は、息を飲んだ。
「なんだこれは……」
 人間が凍っているのだった。白髪の老人、まだ若い女、くたびれた壮年の男、あどけない表情の子供、他にもたくさんの人々が、ざっと数えて二十は氷漬けになっている。それに寄り添うようにして、まだ氷に覆われていないブロンドの少女がひとり、眠るようにして蹲っている。林檎のように紅く染まった彼女の頬からは、まだうっすらと温度を感じることができる――まだ生きている。タオが少女の傍らに飛び降り、ラオを見上げて(もしかしたら少しだけ得意げに)首を傾げた。
「おい」
 青年の呼び声に、少女は反応しない。
「起きろ」
 屈み込んで軽く頬を叩くと、彼女はようやくうっすらと目を開いた。それは雪原に刻まれたクレバスのように、ひんやりと青く深い瞳だった。
「立てるか」
 少女は薄目で青年を見上げたまま微動だにしない。
「名前は」
 彼が訊くと、少女の青ざめた唇は初めて微かに動いた。
 ――ない。
「そうか。どこか暖まれる場所に行くぞ」
 ――いい。
「死にたいのか」
 青年の言葉の意味がよく分からないといった様子で、少女は気怠そうに視線を動かすと、凍った人々をゆるゆると見遣った。
 ――みんな凍ってるよ。
「そうだ。みんな凍って死んだ。お前も死にたくなかったら、ここから出るんだ」
 ――みんなといっしょ。
 少女はいやいやをするように青年の腕をほどくと、氷漬けの人間たちに再び寄り添った。このまま死して氷に閉じこめられることが安息だとでも言わんばかりに、紅い頬をぴったりと氷につけて目を閉じてしまう。綺麗なブロンドの髪が、透明な棺に一本ずつ張り付いて凍った。
「おい、ふざけてる場合か」
 青年が声を低くし、肩を掴んで強く揺さぶっても、少女は眠ったように安らかな吐息をたてるばかりで、もはや目を開けようとさえしない。
「このままじゃ本当に――」
 洞穴に渦巻く冷気がいっそう獰猛さを増したのは、そのときだった。突如として一陣の風が巻き起こり、凶暴な力で辺りをなぎ払った。
「マスター……!」
 あまりの猛風に吹き飛ばされそうになったタオが、青年の足にしがみつく。彼はその小さな躯を抱きすくめ、姿勢を低くして周囲を伺った。
「大丈夫か」
「ええ、問題ありません」
 気丈に応えるタオの躯は、言葉に反して小刻みに震えていた。
「何かいるんだな?」
「はい……」
 タオが震えているのは、寒さのためだけではない。彼女は何かとてつもなく強烈な力、それも同種の力を感得したのだ。
「奥の方から、ゆっくりと近づいてきます……!」
 タオの言葉の通り、身を切る寒気は洞穴の奧から生まれ、しかもみるみる苛烈さを増している。時を止めんばかりの寒さの中心は、やがておぼろな闇から溶け出すように現れ、青年の前に視認できる形をつくりあげた。
「マスター、危険です!」
 青年の腕の中で、タオが悲鳴じみた声をあげる。常軌を逸する力の前に、完全に萎縮してしまっている。普段は寡黙で冷静な彼女が、こうも取り乱すものか。彼は少しだけ意外に思いながら、タオの躯を強く抱き寄せ、相対する冷気の塊に顔を向けた。
 それは美しい水色に彩られた、鳥の異形だった。タオと同じ種類の異形、すなわち鳥タイプ――しかし彼女が身に纏う気配は、青年の相棒のそれとは全く違う化け物じみた威圧を備えていた。側にいるだけで凍傷を起こしそうな、視線さえをも凍てつかせそうな、そんな絶対的な冷たさに包まれ、彼女は地面から僅かに浮き上がって凛然と静止している。しかし、その秀麗な顔に開いた大きな瞳は燃えるように赤く、周囲を支配する寒さのなかでは幾分場違いにも見えた。そんなことを考えているうちに、青年は少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
「こいつらを凍らせたのは、お前か!」
 青年が風圧に負けないように声を張り上げると、冷たく固まっていた彼女の表情が一瞬だけ怯えたようにひきつり、真っ赤な瞳が彼を射抜いた。
「お前なのか?」
「……そうだ」
 氷の異形の言葉は、吹き荒れる風を貫いてはっきりと青年の耳に届いた。
「どうしてこんなことを!」
「私は、こいつらに頼まれたことをしてやっただけ……」
「……どういう意味だ?」
 青年の問いには答えず、氷漬けの人々に向けられた彼女の視線が、その傍らに蹲る少女を捉えた。
「私の元へ、やってきたのだな」
 彼女の声に反応して、少女が閉じていた目をゆっくりと開けた。
「女……お前も氷のなかに入りたいのか? そいつらのところに行きたいのか?」
「やめろ!」
 青年はタオをその場に残し、少女と異形とのあいだに割って入る。主人の腕から放されたヤミカラスは、今度は躊躇いなく恐怖の声を発した。
「マスター、いかないでっ」
「タオ、そこにいろ!」
 主人の言葉に従ったのか、それとも足が竦んだだけか、タオは呆然とその場に立ちつくした。その見つめる先では、彼女の主人と尋常ならざる化け物とが対峙している。
「なぜ邪魔をする? そいつが望んだことなのだぞ」
 氷の異形が喋るたび、洞穴の空気が輝き凍てつくのが分かった。
「なぜ……なぜこんなことに?」
「なぜ、だと?」
 がんとして動かない青年を見つめたまま、彼女は呆れたように首を振った。 
「お前らが作り出した機械のなかで生きながら死ぬのと、私の氷のなかで死にながら生きるのと、どちらが幸せか――そこにいる者達は私の氷を選んだ。それだけだ」
 氷の異形が、その美しい両翼を広げる。タオとは比較にならないほど大きな彼女の翼は、空を掻き混ぜるだけで猛烈な寒気を呼び起こし、青年の身を固くしばりつけた。うなじに纏めた黒髪がチリチリと凍りついていく。もはや常人には耐えられぬほどの猛寒だった。
「私の名はフリーザー。氷の司。望むものには、等しく絶対零度の充足を与えよう。望まぬものは、直ちに立ち去るがいい」
 遙か高みにいる者だけが、弱者に与えうる選択――それは残酷にも聞こえるが、彼女の声には明かな慈悲の響きも込められていた。しかし、その寛容さを受け止めるには、青年はあまりに未成熟だった。
「くそ、こんな氷がなんだって言うんだ!」
 青年は激昂して叫ぶと、足下にあった石を取り、身を翻して氷塊に打ち下ろした。僅かに削り取られた氷片が飛散し、頬に触れる。それは彼の体温によって溶けることなく、そのまま皮膚のうえに留まり続けた。
「何をするっ!」
 彼女の赤い瞳が、怒りのためにいっそう濃く燃えた。
「貴様ごときが、私の氷に傷を――!」
 翼を唸らせて、フリーザーが青年に襲いかかる。しかしその氷の羽根が彼の背中を切り裂く寸前、彼女は攻撃をぴたりと止めた。
「何のつもりだ……?」
 青年とフリーザーとのあいだに、何かが立ちはだかっている――身を震わせ、目をかたく瞑り、それでも確固たる意志で主人を守っているのは、小さなタオだった。
「マスターには、指一本触れさせません!」
「タオ……!」
 我に返った青年は、石を捨て、タオの元に駆け寄る。小刻みに震える躯を抱いて後じさると、それを見たフリーザーは溜息をついて翼を閉じた。それと同時に、洞穴を席巻していた猛烈な寒気が僅かに弱まった。
「ばかばかしい……私は、望まぬものは手にかけぬ」
 フリーザーは本当につまらなさそうに、氷のなかの人々を見遣った。
「見てみろ、そいつらの顔を」
「――!」
 言われた通り氷に向き直り、その中を覗いた青年の喉から、言葉にならない声が漏れた。
 氷の中で青ざめている人々は、みな一様に穏やかな顔をしていた。彼らは自分たちが氷漬けになったことを少しも悔やんでいない――それどころか氷中に幸福さえ感じているのだった。もし彼があれ以上殴りつけていたら、彼らの充足した空間にはひびが入り、氷もろとも粉々に砕け散ってしまっただろう。そうなれば後に残るのは人間などではなく、湿った残骸だけだ。彼らはひとつの大きな氷の塊として完結し、世界と結合している。ひとりひとりの個別の幸福など、もはや彼らにはありえないのだ。
 どれだけのあいだ氷と対峙していただろうか、やがて疲弊した青年がそこから目を背けたとき、横たわる少女の頬から紅は消え失せていた。血の気のない顔に穏やかな笑みを浮かべたまま、死んでいた。
「マスター……」
 力無く項垂れる青年に、タオが心配そうに声をかける。疲れ、冷えきった彼の身体に、その声だけがわずかな温もりを残した。それを頼りに彼女を抱く腕に力を込めると、タオは安心したように羽根を震わせた。
「フリーザー、教えてくれ……お前はどうして、こんなことを?」
「さあな。だが――」
 フリーザーはもはや完全に敵意を収め、その声には慈しむような温もりさえ込められているようだった。
「随分昔から、私はこうやって望む者に氷を与えてきた……たぶん、これからもずっと。それが私に与えられた役割なのだ」
「ひとりで寂しくはないか?」
「ふっ。それを訊かれるのは、これで二度目だが」
 フリーザーの吐息が、再び洞穴の空気を冷たく震わせた。
「もし『寂しい』と応えたら、どうする? 私を無理矢理ここから連れ出すか? あの奇妙な球で私を捉えようとした者なら数え切れぬほどいたが、みな凍りついて死んだ。この氷は、私と世界とを厳格に遮断しているのだ。誰にも私は触れられない。そして、私は誰にも触れられない。私の『寂しさ』が人間などに分かるものか――まして、作り物の貴様などに」
 彼女の冷たい言葉に、青年が身を固くする。代わりにその腕の中で叫んだのは、タオだった。
「あなたに、マスターの何が分かるというんですかっ」
「タオ、お前……」
 驚いて彼女を見つめる青年を遮り、タオは続ける。
「マスターは、ひとりぼっちだった私を受け入れてくれました。だから私はもう寂しくありません。でも、あなたみたいに最初から他人を拒むような人は、ずっと寂しいままでいればいいんですっ」
「ほう……言ってくれるな、ヤミカラスの分際で」
 フリーザーは声を荒げたが、彼女の瞳に怒りの炎が宿ることはもう無かった。そして、まるで自らの冷たさに戸惑うように、彼女は弱々しい風をおこしながら青年とタオに背を向けた。
「……もういいだろう、帰れ。私はその女に氷を与えねばならん」
 彼女がそう言うが早いか、氷塊にもたれかかる少女の亡骸がパキパキと音を立てながら凍結を始めた。やがてそのブロンド髪が冷たい青の中に閉じこめられてしまうまで、青年とタオはじっとそれを見つめていた。
 
 
 

 幸運にも次の便は翌日の朝にやってきた。
 青年とタオが紅い列車に乗り込むと、やがて発車を知らせるベルがチュメニのホームに鳴り響いた。しかし、その音に気付いて駆けてくる者は一人もない。停まっていた列車が再び動き出し、いつ終わるともしれない対話を再開すると、垂直だった雪のすじが傾斜を帯び始める。くたびれた街並みはゆっくりと遠ざかり、雪に霞む白の中へと吸い込まれるようにして消えていく。いつまでも動き続ける除雪車、人間を内包して静かに息づく〈PC〉、凍ってしまった幸福な人々、それに寄り添って眠るブロンドの少女、そして彼らをいつまでも見守り続けるフリーザー――捨てられた街の痛みが、みるみるうちに彼方へと離れていく。最後に倒れかけた煙突のてっぺんがぼやけて見えなくなると、また色のない世界が延々とどこまでも続くのだった。
「タオ。モスクワには人がいるかな」
 青年がぼんやりと訊ねると、小さなヤミカラスはその問いを保留するかのように首を傾げる。それを見た彼は少し考えて、今度はニヤリと笑いながら言った。
「お前、可愛いところあるよな」
「な、何を言い出すんですか!」
 タオが露骨にどぎまぎと慌て出す。
「……頼りにしてるぞ」
「と、当然ですっ。私に任せておけば何も問題ありません。マスターがふらふらしてる分、私が頑張るんですから……でも、少しはしっかりしてくださいよ。そうすれば、私がラクできるんですっ」
 彼は頬を染めるタオの言葉を話半分に聞き流しながら、いつも無口なのもいいが、たまには良く喋るタオもいいよな、などと考えていた。久しぶりに幸福な時間を味わえたような気がした。ただ、この時間がずっと続くよう祈ることだけはやめておいた。叶わない願いなど、虚しいだけだから。
 終着駅のモスクワまではまだしばらく時間がかかる。遠浅の夢を泳ぎ始めた機械の青年とヤミカラスだけを乗せて、車輪の音を白い世界に投げかけながら、紅い列車はひたすら雪を往く。
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