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私は何のために生きているんだろう。私は何をするために生きるんだろう。…考え始めたらきりがない。
それも当然と言われれば当然、未来へ向かってゆくたった一本の道、その先は常に霧の中にあるのだから。
それに怯えていたら……前に進めないことはわかっているつもり。
でも…私の足は恐怖に怯え、大きく一歩も踏み出すこともできず、ただ震えているだけ。
前にも後ろにも、進むことなど……できはしない。

その道には、幾重にも張り巡らされた"歪み"がある。その狭間に飲み込まれたが最後、一人で抜け出すことは
不可能に近い――私が怯えているのはその"歪み"。だってあなたもそうでしょう?
ほら……膝が笑っているじゃない。いくら強がっても、私たちは所詮…弱き者なのだから……


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私立・萌えもん学園プロジェクト ショートじゃないストーリー

In Front Of You ~ 尊き人へ ~


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          - 1 -


いつもはその低血圧気味な朝のせいで、起きるのはベッドのそばにある目覚ましがけたたましく鳴ってから
なのだが、今日に限ってその時針が六を指す三十分も前に彼女が目を覚ましたのには理由があった。
一つに、昨日の夜はいつもより少し早めに眠りについたこと。それに伴って洗濯機も早めに回したことにより、
ベッドに入る頃と同時に家の中の全ての機能を停止させたからこそ、睡魔を誘う静寂を得ることができたのだ。
未だ柔らかい朝の日差しがカーテン越しに差し込む頃ではないが、この部屋の中で一番最初に目覚めて
しまったのだから仕方ない。彼女に一番近い時計ですら――最近の電波時計は気配りが効くというか、
夜になると秒針が止まったまま正確な時刻を示してくれるらしく――音を立てずに時を刻んでいた。
「ん………ふぁ……。」
昨日干したばかりのふかふかの布団は、彼女に再び眠るようしつこく催促する。しかし今二度寝したら
絶対に起きれないような気がしたので、ゆっくりと身体を起こし、情けない声をあげてひとつ伸びをする。
半分しか開いていない虚ろな眼は先を見据えず、焦点が定まっていない。
右手で後頭部辺りをくしゃくしゃと掻きながら、半身起こした状態で五分近くぼーっとしていた。
(………あれ…?)
彼女の脳が活動を開始したのはそれから更に五分後であった。いつも朝起きて最初にお世話になる時計も、
現在は沈黙を保っている。それを見つめながらようやく、彼女の時計は微調整を始める。
(…五時四十分?なんでこんなに早く起きたのかしら…?)
次に目を向けたのは、壁掛けのカレンダー。ベッドから右側にある、木彫りのパソコンラックとの間に
掛けられているそれは、日付を四角で囲った一カ月おきに捲るシンプルなカレンダーである。
イラストすら挿入されていないが、そこにはびっしりと色鮮やかな彼女直筆の文字がデザインされていた。
殆どは『部活』や『朝練』とだけやる気のない文字で書かれているものだったが、所々に生き生きとした
文字で『もちっことうふふ』など意味を汲み取りきれないハートマークつきのものもあった。
そして、今日の日付を追った先には、赤いペンで升目をはみ出るほど大きな文字で、こう書かれていた。
『始業式』
「あ。」
ようやく目覚めを迎えた彼女の頭が、重ったるい半開きの瞼を完全に開かせた。


顔を洗って洗面所からリビングへ戻ると、香ばしい香りが彼女の鼻腔を燻った。
吹き抜けになっているキッチンと向かい合うように設置されたカウンターテーブルの上に、トースター。
予めセットしておいたパンがいい具合に焼きあがったようだ。彼女は無意識にキッチンへ向かう。
朝ご飯こそ質素なものの、彼女の体力を保つ栄養価は一日のスパンで見ると十分に足りているので問題はない。
そのままコーヒーメーカーを取り出しつつ、朝食の準備をする。何故だか年季の入った古いものである。
彼女の朝は決まってコーヒー。一年前からの決まりごとである。コーヒーカップは無駄な装飾のない、
いつもの真っ白でシンプルな物だ。冷蔵庫の隣、食器棚の一番手前から取り出す。
リビングに戻りリモコン片手にテレビをつける。一人暮らしの高校生という珍しい生活環境の上に、
これほど大型でスタイリッシュな液晶テレビを部屋の片隅、隣に観葉植物を添えて設置してある部屋に
住んでいるのは、恐らく彼女くらいではないだろうか。…時間的に、そろそろ天気予報が流れる頃合である。
――今日の天気は、快晴。絶好の新学期日和である。
ピンポンピンポンピンポン……♪
焼きあがったトーストにバターを塗っていた所に、突然の呼び鈴の音が彼女の耳を突き刺した。
この音はマンション入り口のインターホンだ。リビングを出てキッチンとの境界にある受信機と向き合う。
「はーい。どちらの巨乳様ですかー?」
相手を確認せずに言ってみる。
『ちょっとー誰が……ってやっぱりー起きてたんだぁ。』
「今朝ご飯食べようとしてたところだからそろそろ来るかなーって思って。」
『ほんとにー?いつもよりーまるまる1時間くらい早めに来たんだよー?』
…そういえばそうだった。今日は一時間も早い朝食を取っていたのだが、本人はそんな自覚すらなかった。
それなのにこの入り口に佇むでか乳は何を根拠にこんなに早く来たのだろうか、と彼女は疑問を抱く。
確かに、普段の彼女なら今はまだ布団の中で、ようやく目を覚ますだろうといった時間帯なのだが……。
『それよりもー。入り口開けてよー。』
「はいはい。今開けるわ。」
これで一分後にはこの部屋に客がやってくる。と言っても、それほど気を遣うほどのよそよそしい関係ではない。
毎朝一緒に同じ学び舎に登校し、同じ部活で共に汗を流し、同じ時間を共有することが最も多い相手――
ピンポ~ン…♪
一度だけ鳴る、この呼び鈴は玄関のほうである。彼女が次に足を運んだ先、それは玄関。
そしてその扉を押した先には――同級生であり、同じ部活のチームであり、幼馴染であり、そして親友の――
「おはよう~ペル。」
制服に身を包み、両手に鞄を抱え、頭の上には控えめ且つ煌びやかな装飾の大きな帽子で着飾った、
「はぁいもちこ♪上がって上がって。」
もちこ――もといネンドール嬢は、ペル――ペルシアンの元へやってきた。


「ところでさぁ…。」
最後の一切れとなったトーストを頬張り、コーヒーを流し込んだ後ペルシアンは唐突に訊ねた。
「どうして今日はまたこんなに早く来たわけ?」
振り返りネンドールのほうを見ると、彼女はソファに凭れながらテレビを見ていた。
「………ねえちょっと?起きてる?」
「………………ふぇっ!?」
びくっとひとつ、身体を小さく跳ねて反応を見せる。
「ちょっと……寝たりないんじゃないの?」
「うう~…このソファが気持ちよすぎるんだよ~。」
それもそうだ。ネンドールが座っているソファはペルシアンの実家から持ってきた物だ。
ペルシアン自身値段を知らない。しかしながら赤い革張りのソファというのも随分と存在感があるものである。
カーテンはピンク、カーペットは茶色。暖色系の色に支配された部屋の中、
真っ赤なソファは溶け込んでいるようでその実、少し主張が強すぎる気がしなくもないが。
「少し寝てく?まだ全然時間あるし…」
「ううん。大丈夫だよ~。」
後九十分程度は寝ても全然始業式には間に合う。此処から学園へは徒歩で二十分程度の距離だ。
「大丈夫って……そうそう、なんで今日はまたこんな早い時間に来たのよ?」
「ん~…今日は家族みんな早出だったからぁ~…。」
普段から眠そうな口調が、この時は更に増して眠そうなのは気のせいではないだろう。
「それにぃ~、ペルなら今日はきっと起きてるなっ!って思ったから~。」
…何を根拠にその考えは出てくるのだろうか。ペルシアンは相変わらず理解できない彼女の思考を疑問に思う。
しかし結果としてネンドールの考えは現実のものとなっていた。
(今度……盗聴器がないか確認しておこうかしら……。)
そろそろ本気で彼女に監視されていないかと、親友にあらぬ嫌疑をかけてしまう程だ。
それくらいネンドールの勘は鋭い時がある。
「そういえば……家族揃って早出?妹ちゃんも?」
「うん。やじこもぉ~なんだか今日は委員会が忙しいみたいよ~?」
やじこ――ネンドールの妹のヤジロンだ。彼女は美化委員だったかしら、とペルシアン。
そうなんだ、と言ったら会話が不意に途切れてしまった。
「ふぅ~……すぅ~……。」
迂闊だったとペルシアン。彼女の天使のような寝顔を見ているうちに、このまま寝かせてもいいとは思ったが…
「だぁあもう!はい起きた起きた!!」
「ふぅにゅぅ~…」
彼女を寝かせたままだと、最低でも三時間は寝続けるんだった、ということを過去の経験から思い出したペルシアンは、
これ以上深い眠りに入る前にと、赤いソファをひっくり返すかの勢いでネンドールの身体を強く揺さぶった。


ということでネンドールをやっとのことで起こし、そのだるそうな身体をカウンターテーブルの方へと
誘導するのに軽く三十分程度を費やしたペルシアンは、キッチンで皿を洗いつつ彼女と対峙した。
これなら迂闊に眠ることもないだろうと。
「コーヒーならあるけど……飲まないわよね?」
「こーひーきらぁい………。」
「言うと思ったわ…。」
返答を待つ前に冷蔵庫の前に立つペルシアン。扉を開く。
「今は……ミルクだけねぇ…。」
それを取り出す。片手にもったパックには『63℃低音殺菌モーモーミルク』と書かれている。
「ミルク……しかないんだけどぉ。」
「ミルクきらぁい………。」
我侭なでか乳である。ではその胸はどうやって育ったということを問い詰めたくなったペルシアン。
「うーん……じゃぁ後何か…あったかなぁ…」
「かふぇおれはすきー。」
どういう基準だろう。
「……じゃぁカフェオレね、了解。」
どこか腑に落ちないペルシアンであった。
昔からの付き合いで、互いの好き嫌いは大体把握している。ネンドールはコーヒー、ミルクが飲めない。
ペルシアンは緑茶が飲めないのだ。しかしながら、例えば野菜嫌いだが野菜ジュースは飲めるといったように、
ネンドールはカフェオレであれば平気で、またペルシアンもお茶漬けならお茶は平気なのだ。
「それにしても相変わらず牛乳飲めないわねぇ。」
此処で核心に迫ると、内心の笑みが顔に出ているペルシアンは言った。
「うん……おいしくないんだもん…。」
ペルシアンからコーヒーカップを受け取ったネンドールは、一口それを飲んでから理由を語った。
「それに…おなか壊しちゃう……。」
それはカフェオレでも問題あるのではと突っ込みを入れたくなったペルシアンだが、それは本題ではない。
「…あんたまた大きくなってない?」
ガタタッ!と条件反射のように椅子から立ち上がったのは、つい今まで
眠気と戦っていた者とは思えない程の動揺を見せるネンドール。
「な……なんでわかたったららぁ!?」
突然の出来事に呂律も回っていないようだが、突然の出来事だと思っているのはネンドールだけである。
「ああ……私達…背が近いじゃない。だからすぐわかっちゃうのよねぇ…♪」(くすくす…)
………。
しばしの沈黙――それを先に破ったのは顔を真っ赤に染め上げたネンドールのほうだった。
「し……んちょう…ね…。あ~あはは☆そ~なんだ、うん~三ミリくらい……ううん…いっ…セン…チ…。」
途中から苦しくなってきたのか素直に白状し始めたネンドールであった。ちなみに三ミリは『嘘』で、
一センチが真実である。そして彼女は身長の話でごまかそうとしていたのだが、ペルシアンの新手の
誘導尋問だと途中で気づいてからは…胸の話として素直に受け入れたのだ。
「へぇ~一センチも……ほ~んと憎らしい乳だこと……。」
椅子に腰掛けなおし、その場に縮こまってしまったネンドール。これで女バレの皆から弄られる事が確定した
かと思うと、彼女の気は重いわけである。……そこにペルシアンの魔手が伸びているとも知らずに……
ぷにゅ。
「―――ッ!!」
ペルシアンの右手の人差し指は、無防備なネンドールの左の、柔らかいつき立ての餅のような感触の乳房へ――
「ひゃぁぁぁぁぁぁっ!」
当たり、そこに起爆スイッチがついていたのだろうか、椅子を横に蹴り飛ばして後方へ大きく飛び退くネンドール。
「うっひぇっひぇっひぇ……」
絶対に女性が発さないだろう怪しい笑い声を上げて、キッチンから回り込み、リビングへと向かうペルシアン。
本日のレース、開催である。
「やぁぁぁぁだぁぁぁぁこないでぇぇぇぇぇ!!」
「うにゃぁぁ~ッ!揉ませろぉ~!!」
結局ペルシアンの暴走が疲弊して沈静化するまで、
二人はL字になっている赤いソファの周りをぐるぐると走り回るハメになった――。


昨日のうちに洗濯機で回しておいた洗濯物は…干した。昔からつけている、鈴のついたチョーカーも、
お気に入りの南京錠のデザインのネックレスもつけた。腕時計――右手に填めてる。
鞄の中身は忘れ物なし!髪は梳いてセットした!化粧はまぁ…殆どしないから適当。忘れ物なし。
最後にフレグランスを一振り。ジャスミンとローズの香りが軽く鼻腔を掠める。
どこにもない――これは私のオリジナルブランドの中で…一番のお気に入り。
それにしてもタウリン千ミリグラム配合ね…このドリンクあんまおいしくないけど…よし、栄養補給完了!
――こうして、今日から再び、彼女は女子高生として学園へと赴く。
今日からは三年生――家の廊下を歩く姿を、少し背伸びしてモデルっぽく…威風堂々と歩く。
「おまたせもちこ!行きましょう。」
後ろ手で扉を閉めると、そこから見える道路には、同じ制服を着た学生の登校風景が見えた。
今日から新学期……新たな生活は、此処からがスタートラインだ。


          - 2 -


……あまり言いたくはないんだけど…一度だけ…ホームシックになったことがあるの。
今になってわかったことがあるんだけど、私はそれにかかるのが遅かっただけで、殆どの人は故郷に
想いを寄せるらしいのね。…まぁ故郷って言っても、私の実家は今の家から車で1時間位で着くから、
帰ろうと思えばいつでも帰れるわ…。でも私は…パパとの約束を守り通したいから……。
小学校も中学校も、私は自分の足で通わずに、毎日車の送り迎えで登下校していたの。
私のパパは厳格な人でね、毎日学校が終わる丁度に執事を向かわせたり、不祥事がある度
家に校長先生を呼んで話を聞いていたりしたわ。でも私には少し甘くて…私の交友関係とかでは
相手の親御さんに根回しをしたりしていたの。それってどう思う?子供が反発すると思わない?
親には何もかもがお見通しで――どこに行ってもその目から逃れることはできない。
小学校の高学年辺りから中学の三年間は…はっきり言って苦痛だったわ私にとっては。
早く――早く、この束縛から逃れたかった。
…中学を卒業してから、私はそのことを打ち明けた。必死に反対する従者に激昂してまで…
私を生んでくれたママを泣かしてまで…全部否定して…私は心の闇を全て吐き出してしまった。
そして私が泣き崩れたところで…ようやくパパは会社から帰ってきた。もう、だめだ。
全てこの人に丸め込まれて私は一生檻の中なんだと、その時はそう思った。でも違ったの。
パパの回答は、まさに私が願っていた悲願であった。

「いいだろう。そろそろ一人で暮らしてみなさい。但し此処に帰ってくることは許さん。最低でも三年だ。
高校を卒業したら…此処に帰ってきなさい。」

私は自由を勝ち取ったと、その時は喜びと期待に打ち震えていた。それもそうよね。十六にもなっていない
小娘が後先のことを考えてるはずも無い。自由を目の前にして代償などを考えているはずも無いんだから。
でも……それに気づいたときには、もう遅かったの。自由の代償に私が手に入れたもの、それは孤独だった。




学園前通りは桜の雨が青空に映えて、淡い桃色をそのキャンパスに散りばめていた。
長く長く真っ直ぐに続く道は、舞い落ちた花弁によって季節を彩られ、名実共に天地は春に支配されていた。
「うわぁ~…♪」
「綺麗ねぇ。」
花弁の絨毯を優雅に歩く二人。そして同じ方向へと学生達は行進を続ける。仲の好い友と、クラスメートと、
あるいは先輩後輩と、そして恋人同士と、その集まりは様々、また交わされる会話も他愛の無いもの、
愛のあるもの、内容もまた様々である。大半の生徒は、久々に会った喜びを分かち合っているようだが。
「結局春休みも部活三昧だったわねー。」
「それだけチームの士気が高いんだよきっと~。」
ペルシアンとネンドールも、春休み中ほぼ毎日会っていた。
果たして互いに何発のスパイクを打ち合ったことだろうか、それすらも数えるのが億劫になるくらいだ。
それも、部長のグラードンが今年こそインターハイに!という目標を掲げて躍起になっているせいだが。
「まだ腕が張ってるのよねぇ…手首が太くなっちゃうぅ…。」
春休みに入ってからの過度な練習が祟ったのか、ペルシアンの手首から肘にかけての腕の感触は、
岩のように固く張っていた。
「うわぁ~…これはつらいでしょ~。すごく…がっちがちだよぉ?」
そう言ってネンドールはペルシアンの左の手首を掴み、肘のほうにかけて等間隔に親指で彼女の腕を軽く押す。
「はぁ~…その"柔らかさ"が私にも欲しいわぁ~。」
ぴたりと、その言葉に呼応するかのように動きの止まる、ネンドールの左手と、表情。
(新手の誘導尋問…っ!?ううん…これはぁ…まるで誘導墓穴ッッ!)
刹那の謎の思考でかはたまた無意識か、ネンドールは自身の胸元を両腕で覆って隠す。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃない。今のはただ言ってみただけよ~♪」
しかしその過剰な反応には満足よと、ニヤニヤ顔を綻ばせるペルシアン。
「今朝の感触がたった今私の肩に降りかかって来たから、ちょっと感嘆の声を漏らしただけですわ~♪」
遂にはお嬢様口調でからかわれ始める始末なのだから、ネンドールは地に舞い落ちた桜の花弁を見つめ、
小さくなることしかできなくなっていた。
「あら…貴方という方はホント、華々しい言の葉が画になりませんことね。」
……慣れない口調で話したことがいけなかったのだろうか、ペルシアンには背後から聞きたくも無い声が
聞こえたような気がした。折角の登校初日だというのに、それはあんまりな嵐である。
気のせいだと願って、後ろを恐る恐る振り返っても、彼女の願いは届かなかった。
まず目に入るのは、身体に似合わず大振りな、深海を髣髴とさせる鮮やかな青のヘッドドレス。
おそろいにしたくなくても似通ってしまう制服に身を包み、髪とヘッドドレスの統一感を醸し出す
紺色のニーハイ。そして快晴だというのに、手には傘の柄をしっかりと掴んでいる。
こんなに派手で華美な格好で登校する生徒なんてうちでは一人しか思い当たる節が無い。
「げっ…ご、ごきげんようカイオーガさん。」
カイオーガ……通称『海御嬢』…振る舞いも財産の量も、正真正銘のお嬢様だ。
「ごきげんよう。しかし妾の顔を見ては早々に、げ、とは無礼ではありませんこと?」
毅然とした態度はあくまで崩さない。それが御嬢流。
「あらこれは失礼しました。しかし普段から美麗を気にしすぎてはいませんこと?濁音が醜く聞こえますわ。」
そんなことは十分承知だとペルシアン。負けじと反論は、カイオーガの右のこめかみ辺りをぴくりと痙攣させた。
「どうやら…口だけではなく耳まで陳腐なご様子。病院で徹底的な身体の検査をお勧めしましてよ。」
よくも減らず口をぬけぬけと……と心で呟くペルシアンの血は、段々と頭のほうへ上っているようだ。
「いいえ~、私はおかげさまで健康体そのものですわ。それよりもこんな日和に、傘を差している
貴方のお体を心配してしまいますわ。……あるいは、精神面がどうかしてるのかしらぁ?」
ピキッ…。遂に、どこぞの何かが弾けて割れるような音がした…のは気のせいでは無いだろう、
そろそろ黙ったまま狼狽している場合ではないと、歩きながら冷戦を展開する二人の間へネンドールが口を挟む。
「ほ、ほらぁ~今日は折角の新学期なのですよ?そんなに怒ってばっかじゃぁ」
「怒ってなんかない!」「怒ってなどおらぬ!」
「あぅあぅ…。」
過剰に反応する辺り、誰がどう見ても怒っている様に見えるが。
同時に二人からすごい剣幕で睨まれ、有無を言うこともできずネンドールは萎縮してしまった。
「よろしくてよ…その妾を愚弄する言葉の数々…妾への挑戦と受け取りましてよ。」
挑発を仕掛けてくるカイオーガは、肩にかけて差していた純白の大径の傘を、自身の横に持ち構えた。
「あら、やっぱり元気じゃなぁい♪病人相手に手を出すわけには行かなかったけど、
ただの目立ちたがりなら容赦なくぶっ飛ばしてあ・げ・る♪」
呼応したペルシアンは、我流のファイティングポーズを決める。遂に一触即発だ。
「おい…あれ生徒会のペルシアンさんとカイオーガお嬢様じゃないか?」
「あ、ホントだ!おいみんな、あれ!」
「やっぱり新学期早々始まったのね。これは見逃すわけには行かないわ!」
戦の空気を感じ取ったか、関係もない生徒達が彼女らの周りを続々と取り囲み始めた。
知るものも知らぬものも、注目のゴージャスなカードに見る見るうちに興味を惹かれたようだ。
「ペルシアン先輩ーッ!がんばってー!」「ペルちゃんファイトー!」
「海お嬢様ッ!カッコイイですー!」「お嬢様好きだー!」「お嬢様ぁぁッ!」
飛び交う声援の嵐、高まる熱気。此処まで騒ぎが大きくなってしまうと、ネンドールには最早手が付けられない。
いつの間にかギャラリーの一部に溶け込んでしまっている。対峙する二人の間には、戦に魅せられた者にしか
見る事が許されない何かが空間で静かに音を立てては爆ぜる。間もなくやってくる嵐に、期待や興奮、そして
不安の色が集まった生徒達の表情から窺える。
「人集りとは息苦しく醜いものよ…さっさと終わらせて教室へ急ぎたいものだわ。」
「残念ながら私も貴方ほど暇ではないのよ。秒殺して差し上げるからかかってきなさいな。」
挑発の応酬は、周りの興奮を更に盛り上げ、両者の間に緊張を走らせる。
吊り上げた眉すらもぴくりとしない。互いに相手を見据えたまま、腰をゆっくりと…更に深く落とす。
呼吸すら忘れてしまいそうな闘気は、合間に舞い散る桜の花弁ですら打ち震えているようにも見える。
互いに互いの戦闘意識を高めるその言葉は、遂に戦いの火蓋を切って落とし――
「何をやっているのですかっ!!おやめなさい!!」
――たかあるいはその寸での所か。その声と共にギャラリーの一部が道を開き始めた。
当事者二人もその声に思うところがあるようだ。カイオーガは興が削がれたかのような、
ペルシアンは先のカイオーガの第一声を聞いたときのような表情をそれぞれ浮かべる。
「喧嘩でしたら即刻戦意を棄てなさい。こちらの忠告を聞かずに拳を振り収めないと言うのでしたら、
双方の意見、この風紀委員のマニューラがお聞きいたしま……また貴方達ですか。」
モーゼのように、人の波うねる海を割いてできた道を歩いてやってきたその人物。
長く伸び揃った髪を後ろ一つに束ねたポニーを揺らし、優雅に歩くその姿。
学園の風紀を司る秩序の番人と名高い某有名財閥の娘、マニューラは当事者の姿を確認するや否や
見慣れた二人に呆れたと言わんばかりの大きなため息を吐いて現れた。
「私が現れたからにはわかっていますね?今すぐ拳を収める事を推奨しますよ。
あなた方も始業式をまさか生徒指導室で行いたいわけではありませんよね?」
彼女の実績はよく知られていた。快く思うものそうでないもの、落胆したもの安堵したもの反応も十人十色に、
歩みを止めていた生徒達は再び堰を切った川のごとく流れ始め、去り行くもの、顛末を見届けるものと、
彼女の登場によって膨れ上がった事態はそこに元から何もなかったかのように鎮圧されたのだった。
「あら御機嫌ようマニューラさん。初日早々からお仕事とは恐れ入りますねぇ。」
ちなみにペルシアンの言葉は、ホント暇人ねあなた、そんなに規律を正すことしかやることがないのかしら?
という心の代弁、意趣返しである。
「御機嫌ようペルシアンさん、カイオーガさんも。生憎学園の風紀とは日常から正していかなくては
何も始まりませんのよ。貴方も生徒会の端くれならわかることでしょう?」
ペルシアンとカイオーガの言葉の掛け合いのように言葉の端々には棘を感じることはないが、
当たり障りのない言い回しは、未だ興奮冷めやらない二人の熱を再び呼び起こす。
「とにかく喧嘩などと言うくだらないことを、新学期早々始めようとする理性の低さを改めなさい。」
「…つまらぬ女よ。相変わらず興と言うものを全く心得ておらぬ様子。貴方こそ少しは学生諸氏の
言葉に少しは耳を傾けよ、そうでなければ話にもならぬ。」
やたら不機嫌になり、カイオーガは古風な口調を全開にする。彼女の素が出始めた証拠だ。
「私は学生の声など十二分に聞き存じておりますわ。それを尊重し秩序を守りながら生徒の為に
私なりの務めを貫く所存でございますわ。貴方のように骨まで砕けているような方に言われるまでもなく」
「ふ…愚かな。この現状で学生の声を聞き通したと申す貴方の言の葉、片腹痛き事この上なくてよ。」
「私と貴方では考え方も趣も全く違いますわ、どうぞ自室の片隅にでも篭って一人笑い転げていなさい。
…それに学生の声に真に耳を傾けるべきと忠言するべきなのは生徒会の方ではなくて?」
生徒会のことにまで口を出されていてはペルシアンも黙ってはいられない。
「あらあら、生徒会にまで気を配っていただけるとは痛み入りますわ。それならばどうぞ、その気配りを
生徒達のより好い風紀の為にお使いになられてはどうでしょう?貴方が堅物では生徒達も伸び伸びと
勉学に集中することすら憚られるでしょうに。」
皮肉を込めることは忘れない。忘れたらそれは負けのようなものである。
「あなた方のような野蛮な方が風紀を乱さなければ、私もこのように口煩くは申し上げませんことよ?」
かかったな、といわんばかりに満面の笑みを浮かべるペルシアン。
「うっふふふふ…その発言は差別と受け止められましてよ。まさか生徒の平等性を尊く思わない方が
風紀委員などをやっていてよろしいとお思いなのでしょうか?」
「くっ……今にも喧嘩を始めそうだった三年の恥晒しが減らず口をッ!」
遂にマニューラまでも飛び掛りそうな勢いになり、再び暗雲は立ち込め始めた。
これではミイラ取りがミイラになるようなものである。
「マニューラ様!」
終わりは唐突であった。その暗雲を吹き飛ばしたのは、野太い声。
「グラエナ?どうかしまして?」
大急ぎで駆けつけてきたようだ。息も絶え絶えに、彼はマニューラに手短に告げる。
「はい……要注意人物のデルビル及び…、ヘルガー姉妹の…バイク登校の目撃情報がありまして…ッ…」
「なんですってッ!?」
その報告に顔色を変えるマニューラ。こんなところで油を売ってる暇ではない。
最も注意すべき問題児、ヘルガーが遂に姿を現したのだ。
「現在…お嬢様が現場へと…向かって……」
「グラエナ?わたくしはここにいますわよ?」
突然の登場に思わず振り返るグラエナ。そこに佇むのは、己の君主の姿。
「ヤッ…お、お嬢様!?現場に向かったのでは…?」
彼女の目線は思うところに定まっていない。グラエナの姿や、周りの人物との遠近感は感覚で把握している
のだろう。何を隠そう、彼女は全盲である。
「ちょっと、状況は把握しているのヤンヤンマさん?」
混沌とし始めた校門前でのやり取りに、緩衝を挟まなければ事態は混乱するとマニューラは介入を始めた。
「はい、此処から百五十メートル離れた付近にバイクを置いて、現在こちらに向かっているとの事です。」
「わかりました。現場に向かい、発見次第干渉しなさい。私も後から追います!」
端的に説明をするグラエナの言葉を飲み込んだマニューラは、二人に指示を与えた。
「はい!…さぁお嬢様、行きますよ!」
「はい~。…ところでどこへ行くのですか?」
「……まさか把握していなかったとか…?」
…こちらの気が抜けるようなやり取りをしながら、二人は走り去っていった。風紀委員にも様々な人物が
いるようだが…私の抜けた穴は、誰が埋め変えるのだろうか?少し不安が残るマニューラであった。
「…さて、あなた方に構っている暇がなくなりましたわ。いいですか?あくまでも不祥事になるようなことに
ならないよう気をつけてください。わかりましたね?あと華美な服装は今後取り締まりを強化しますので。」
そういうマニューラの忠告は、ペルシアンに向けられた発言である。当事者のもう一方、カイオーガの
姿は既にそこになかった。先のやり取りの後の、この混乱に乗じて逃げたのだろう。
「はいはい……もうやる気も失せたわよそんなこと。…行きましょもちこ。」
「あ、うん。…それじゃぁ、マニューラさん、失礼します~。」
こうして本日のお嬢様方の冷戦は、引き分けに終わった。命のやり取りでもなければ、領土の奪い合いでもない。
争っているのは互いのプライドだけ。…そう考えれば、この光景も微笑ましく感じてしまうが…。
(……らしくないわね私も。)
黒い帽子と猫の尻尾を見送るマニューラは、自嘲気味に微笑む。…と、不意に一方が踵を返して戻ってきた。
…黒い帽子の方、ネンドールであった。
「あのぉ……。」
おずおずと話しかける。
「二人の喧嘩を止めてくれてありがとうございましたぁ。」
言いながらお辞儀をすると、顔を上げてにっこりと微笑む。
…それを言うためだけに戻ってきたと言うのだろうか。マニューラにとっては、特別お礼を言われるような
事をした覚えはなかった。それ故か、なんだか急に気恥ずかしくなってしまった。
「べっ…別に……お礼を言われるようなことでもありませんわ!ただの…仕事ですわそんなの。」
そう、ただ秩序を守ってるだけ。その言葉を心の中で反芻し、自分に言い聞かせるマニューラ。
「でも…まぁ人に感謝されるのも…その…悪くはないからその言葉は…しかと受け止めましてよ。」
「…はい~。」
「…それと…ペルシアンさんのことは、彼女もすっかり元気になって私は安心していましてよ?
去年は…彼女も少し、荒れていたようですから…。い、いいですか?もうあんな顔を私が見なくてもいいように
貴方はしっかり彼女を監視なさいっ!……あんな腑抜けた姿…不甲斐ないことこの上なくてよ……。」
「! …はい!」
ネンドールは彼女の返答に満足したのだろう、もう一度軽くお辞儀をして、戻っていった。そんな風に感謝を
述べられたら…口煩く言っている自分のあり方に疑問を持ってしまうではないか、とマニューラ。
(でも……彼女らとの付き合いも随分と長くなりましたわ……今年で最後……か。)
黄昏に沈むにはまだ早い。今日という日は、まだ始まったばかりなのだから…と陽だまりは話しかけるように
マニューラを照らし長い影を桜の絨毯に映す。
(始まりも、何もかも……全てはこの桜が舞い散る季節からでしたわね……。)
…手を差し伸べれば、そこに吸い込まれたかのように桜の花弁は、マニューラの掌に敷き詰められた。


          - 3 -


自由は私を孤独に拘束させた。孤独は私の自由を解き放った。その頃から、私は身動きが取れなくなっていた。
自由の中の束縛、束縛の中の自由。やっとの思いで手に入れた自由は、あまりにも狭苦しい檻の中だった。
違う。
私が欲しかった自由はこんなものじゃない。
じゃぁ私が欲しい自由はなんだろう。
誰にも干渉されないこと?誰かに束縛されないこと?誰にも奪われないこと?誰もいない世界で生きること?
きっとそんなのじゃないと、…そんなの自由じゃないと、分かってるのに…
私のリベラリズムは、何を主張するんだろう――霧の中に、永遠ともいえる長い時間、ずっと問いかけていた。



「なぁに?私に話って。」
これは私が二年生の秋頃の話なんだけど、この頃は私も色々あって……少し意気消沈してたの。
そうね…ホームシックというか…それはもう少しタイミングとしては前の話で、それを引き摺ったままの
私がそこにはいたわけ。ストレスも溜まって、少し精神的に疲れていたのかもしれないわ。
運命を変えるその一声が、そんな時にかけられるだろうとは…まさか思いもしなかったわ。
私を呼び出した彼女は、ちゃんと約束どおり私の教室を出たすぐ先、廊下の壁に凭れて待っていた。
「ああ…。実はペルシアンに頼みたいことがあるんだ。」
「ふぅん…珍しいわね、サンダーが私に頼みごとだなんて。」
私は素っ気ない返事を返す。窓越しにひらひら舞い落ちる紅葉の葉を背景にして、私の眼を真っ直ぐ見据える。
そんな彼女の様子を見て、予感はしてた。でもその内容までは…分からなかった。一体何を告げられるのか。
「単刀直入に言おう。」
一呼吸置いて、彼女は私に言った。
「生徒会に入らないか?」
……。
私は一瞬何を言われたのかが分からなかった。長い沈黙が私と彼女を包み込む。どういうこと?私が生徒会?
「……か…会計の…席が実は…空いてるんだ。」
サンダーは言葉を続けた。私は相変わらす事態が飲み込めなかった。何故私をスカウトしたのだろう?
「もし…よかったら…私についてきてくれないか?あ…あたしは…会長に立候補してるんだ…。」
それは知っていた。サンダー次期生徒会長。彼女の人望は厚いものがあったし、それに見合う器もあるだろう。
しかしそれは私を勧誘する理由にならない。
「……。」
サンダーの言葉は途切れた。最後のほうは口調に勢いがなかったが私はそんなに険しい顔をしていただろうか。
「その……誘ってくれた事に関しては私、嬉しいわ。」
慌てて私は言葉で取り繕う。でもその重苦しい空気は纏わりついたままであった。息苦しい。
…私が何かしただろうか?何故だか急に腹立たしくなり始めた。
「でも……私には荷が重いと思うの。ごめんなさい……。」
私の答は初めから決まっていた。そのような役に就けるほど今の私には余裕などなかったし、
部活の事だって疎かにしたくなかったからだ。だから答は『ごめんなさい』――って。
「………。」
サンダーは真っ直ぐ私の顔を捉えていた。私はノーと言ったはず。それなのに彼女は、口を真一文字に結んだ
まま、凛々しい顔を、澄んだ瞳を、期待の眼差しを私に向けてくる。
やめて。
そんな顔されても、私は応える事はできない。何とでも罵られる覚悟はあったのに、そんな顔をされたら、
もっとつらいんだって事、わかって欲しかった。今の私の心には、どす黒い靄が生まれ始めていた。
何もかもを否定したくなる心が、発芽して、花を咲かせる前に……その面を引っ込めて、と囁いている。
それでも彼女は……。不意に、私の視界から彼女の顔が消えた。その瞬間は私の頭に、アルバムの中の
一枚の写真のように、今でも保存されている。忘れたくても忘れられそうもない。
顔が消えた――というよりは、頭が下がっていったと言う方が正しいだろうか。その落ちてゆく頭を、
大幅に遅れながら、私は首を動かして目線で追っていった。
「頼む!この通りだ!!あたしと生徒会を!盛り上げて欲しいッ!!」
――!!
これが…カリスマたる由縁なのだろうか。膝を折って、埃を被った廊下などもお構い無しに地べたに手をつけ、
私を見上げて廊下中に…下手をしたら下の階にまで響きそうな声で叫びながら、彼女は私に頭を下げたのだ。
…何の躊躇いもなしに、だ。正気の沙汰とも思えない行動だし、何よりそのような醜態に、
私は目を覆いたくなったが、驚愕の意がそれを許さず、ただただ私の瞳孔を余計に開かせたままであった。
「ちょ…ねぇ!やめてよそんなこと!頭を上げてよサンダーお願いだからッ!!」
騒ぎを聞きつけた生徒達が続々と集まり始め、人の塊を回りに作り出すのにはさほど時間がかからなかった。
そんなことはどうでもいいのか、サンダーはただただ、私に向かって頭を地に擦り付けていた。
「ヤだよ!そんなの、ねぇ次期会長になるんでしょう!?私のためなんかに頭なんて下げちゃ嫌よぉぉッ!!」
人目も憚らず、気づけば私も膝を折り、サンダーの肩を掴んで、震えた声を張り上げ叫んでいた。
泣きそうだった。どうしてここまで私の為にとか…そんな気持ちなども消えうせていた。
ただ不甲斐ない自分に対して、見たくもさせたくもない彼女の全霊の土下座に対して、不器用な私と彼女に対して
形容のしきれない深い悲しみが私を包み込んでいた。
ぽたっ…ぽたっ。
いつの間にか私の両目からは、大粒の涙が溢れ始め、頬を伝って地に落ち弾けた。とめどなく溢れては、
止まらない重みによって、足元の廊下を濡らす。
「ペルシアン……?」
その異常にようやく気づいたサンダーは、顔だけ上げて、私の涙で濡れた顔をその目に捉えた。
怒っているのか…悲しんでいるのか、もう頭の中がぐちゃぐちゃで、私は何がなんだかわからなくなっていた。
ここでようやくサンダーは、周りの人だかりに気づいたようだ。ばつが悪い顔をして、私に言った。
「…すまん。少し、場所を変えよう。」


少し肌には寒い風が吹き、赤や黄色といった色鮮やかな木の葉は、これから来るであろう白い季節を物語っていた。
ここ中庭には庭師が手を欠かさず入れている樹木が生い茂っていて、昼食をここでとる生徒も多い。
…しかし今日は連日の雨によって地面も湿り気を含んだままである上、外は今にも泣き出しそうな
どんよりとした空模様であったためか、現在昼食をここで取っている生徒はまずいない。
「さっきは…その…すまなかった。」
第一声は、サンダーの謝罪で始まった。謙虚さ、優雅さ、凛々しさ、これらを兼ね揃えた、生徒会長の器に
匹敵するものは、彼女以外にはきっといないだろう。
「………。」
私は相も変わらず押し黙ったまま、零れ落ちる涙を拭うこともなく立ち尽くしていた。
「その……よかったら…どうして泣いてるかを教えて欲しいんだ…。」
これよ。何よりもこれが、彼女が彼女である理由でもあって…人の頭に立つ事となった一番の理由。
不器用さ。器用に人生を渡り歩こうとする人は…せいぜいナンバーツーのポストくらいまでしか上りつめる
ことしかできないだろう。きっとそう思うのは…私だけかもしれないけど。
「だから…貴方に負けたのよ私は……。」
不意にそんな言葉が口をついて出た。そんなことを言うつもりは…なかったのに。…僻みもいいところだわ。
「負けた…って…まさか中学の時の話をしているのか?」
私の言葉にサンダーは思い当たったようだ。というより、彼女とやった大勝負なんて一つしかない。
中学校の生徒会選挙だ。私とサンダーは会長に立候補して、票の争奪戦を繰り広げたことがあった。
その結果として、私は選挙で負けて恥をかいた事がある。どうしてこんな女に負けたのだろう、と。
それだけ自信はあった。バレー部にも入っていたわけだが、その頃は親の目もあったせいで、
情熱より建前を優先してしまったのだ。だから私は生徒会役員の頂点に登ろうとしたのだ。
でも今はそんなことを考える必要なんてない。だって私は自由なんだから。誰の目も気にせずに生きていけるから。
「そうよ…。あの時は楽しかったわね。…嫉妬もしていたけど、貴方が会長になって正解だったと思うわ。」
家の名を立てるが為に会長になろうとした私が、仮に会長になったところで器量はたかが知れていただろう。
「そんなの…!だってあのときはたった十三票差だったじゃないか!」
「その十三票が、貴方との確実な差だったのよ!」
ゴロゴロゴロゴロ…。
その時、空は呻き声を上げた。雷雨が近いようだ。と思っていた矢先に、ぽつぽつと天の涙は降り落ちてきた。
「そんなの関係無いだろう!どうしてそこまで生徒会を頑なに否定するんだッ!」
「どうして?ならば貴方が私を生徒会に誘うのはどうして!?いいじゃないもうやらないって言ったんだから!」
ざぁぁぁぁぁぁぁぁ……。次第に雨が激しくなってきたと同時に私たちのすれ違った口論も激化した。
ずぶ濡れになるのも構わず、ただお互いを見据えて、思いのたけを全てぶつけ合う。
「それは…お前が一番適任だからだよ!人望も器量も情熱だってあった!中学のときはそうだったじゃないか!」
「そう……『適任』ね……。言っておくけど中学のときの私とは違う!!」
過去をばっさりと斬り捨てた私は、それまでにないくらいの声量で、叫んだ。
「知ってた?私はね…パパの機嫌を伺うためだけに生徒会長に立候補したのよ?」
遂に打ち明けてしまった。一度言い始めると、もう私の暴走は止まらなかった。
「笑えるでしょう?生徒のことなんて…学校のことなんてッ!どうでもよかったのよ!」
「そんなの嘘だッ!!」
「嘘なんかじゃないッ!!」
カッ!ドンッ!!…ごろごろごろ…。
私の激昂にシンクロするかのごとく、雷鳴は黒い空を刹那に光らせ、間もなく大音響が耳を貫く。
「私のことはもう……ほっといて…ッ」
そして私は…彼女に背を向けて走り出した。振り向きもせずにただ…その場に留まることがとても苦痛だった。
降りしきる雨の中、鳴り止まぬ雷鳴の中、どこに向かうのかもわからず…ただひたすら。
「違うよ…ペルシアン…。あたしは貴方の生き方に惹かれたんだ…ッ。」
もう彼女の声も雨音と雷鳴にかき消され、私の心に届くことは、なかった。



その一室に入るときだけは、生徒と言うものはどうしても萎縮してしまうのは仕方のないことだろう。
指を軽く折り曲げ手の甲で、軽く扉を三回叩く。そして一呼吸置いて扉を開いた。
「失礼します。」
彼女は手短に告げると、扉の向こうへ歩みを進めた。その一室には職員机がびっしりと並び、職員達は慌しく
書類の整理をしていた。全員正装で、普段スポーティな格好をしている体育教諭でさえもスーツを着ている。
換気をフル稼働にしているようだが、ここに染み付いたコーヒーの香りは消えることがない。
その中に、用事のある人物の姿を捉えた。長く伸びた燃え盛るような赤い髪、それに映える様なダーク
ブラウンのスーツをびしっと着こなした後姿。立ちながら机の上をなにやらごそごそ漁っているが…
「ピジョット先生?」
「はい……?」
…振り向き美人とはこういうときに形容してよい言葉といえよう。二つ前分けにした黒い前髪が跳ねて、
腰の手前まで伸びた後ろ髪は引き絞られる弓を描くように軌道を変えてたおやかに揺れる。
「ってなんだ…ペルシアンじゃない。」
自分を呼んだ声の主が自分の教え子、特に面識の濃い人物だとわかると、ピジョットは顔を緩ませた。
「どうしたのかしら?」
「はい…生徒会の今年度予算案を提出したいので指導のほうを。」
「なるほど。」
ペルシアンが取り出したのは一枚の書類。それを片手で受け取ると、教員机から椅子を引き出して座った。
その時彼女から発せられた香を、ペルシアンの鋭い嗅覚は見逃さなかった。
パチュリとバニラの香り……甘さの中に若干シトラスの爽快な匂いも混ざったこれは、
「先生、私のプレゼント気に入ってもらえました?」
「ああ…やっぱりわかった?」
ペルシアンが嗅いだ事のある匂いだったのは勿論、彼女がピジョットに直接渡したプレゼントだったからだ。
「しかしバレンタインに女性教諭にプレゼントを渡すより、もっと他にやることがあったんじゃないの?」
目を細めてペルシアンに向かい薄ら笑いを浮かべるピジョット。別に彼女の場合、他意はない。
他意があるのはあの古くさい言葉しか知らない傘女と、堅苦しい秩序しか語らない小娘くらいだ、とペルシアンは語る。
「やること?チョコならたくさん貰いましたけど。」
異性に簡単に媚を売らないのがペルシアンである。その所為かどうかはわからないが、同姓に人気があるようだ。
「まぁ貴方が異性にチョコをあげるとも思わないけど、愛想を振りまくのも時には大事よ?」
「いえいえ…私が愛想を振りまいて喜ばれてもね…。」
「ふーん……。」
ペルシアンの持ってきた書類に目を通しつつ、ペルシアンと交互に見るピジョットは含みのある顔で言った。
「喜ばれるってわかってるんじゃない。うふふ…。」
どきっ、とペルシアンの心臓は飛び跳ねたかのように鼓動を速め、彼女の頬を赤く染めた。
「いるわよねぇ…他人の恋には首を突っ込みたがるネゴシエイターのふりして、自分の色恋沙汰には
無関心な人って。灯台下暗し、宝の持ち腐れ。今の貴方はそんなところかしらね。」
「ち、違いますよっ!そんなのじゃないですって。」
「そんなものよ。貴方も少しは恋をしてみたらどうなの?」
「いい、今は部活も忙しいですし、生徒会の仕事も控えていますから…そんな恋なんて」
「女の知恵は鼻の先。」
ペルシアンに、皆まで言うなと語りかけるかのように、ピジョット"先生"は教訓を示す。
「女は目先のことしか見ることができない。だから遠い先のことを見通す思慮に欠けるという女性をなじった言葉よ。
女賢(さか)しうて牛売り損なう、とね。…貴方はどうやら、この言葉に則らず大局を見据えることができるみたい。」
なんだろう…褒められたのかどうかすらもわからないピジョットの言葉に、ペルシアンは首を傾げる。
その様子を見て、ふふ…と小さく笑いながらピジョットは言葉を続ける。
「そういう人が大抵は大物になったりするけど、遠くを見続けているだけでは大切なものを見失う時だってある。
そんなときはね、足元を調べてみるといいわ。…たまにはいいじゃない、目先のことだけ考えていても。」
やたら感銘のある言葉であった。…それでもペルシアンは、戸惑う心に二の足を踏むことしかできない。
「女は己を喜ぶものの為に容(かたち)づくる。士は己を知る者の為に死す。恋というのはいいものよ。
つらいことや苦しい事だってあるけど…そこから逃げ出しちゃえば、幸せにはたどり着けない。」
――逃げては、いけない。
ペルシアンの心には、その言葉が深く突き刺さった。未だにその言葉は心に痛む。逃げてばかりだったから。
「まぁ案ずる事もないでしょう。貴方も意中の人…素敵な男の人は必ず見つかるわ。女の髪の毛は大象も繋がるわよ?」
…なんだかやたら女に関する諺をたくさん知った気がする、とペルシアンはその言葉の数々についてゆっくり考える。
(意中の人か……。)
本当にそんな人が現れるのかな?ペルシアン、乙女真っ盛り十七歳。密かに自分の恋に悩み始めるのであった。
「って!私は予算案の指導を貰いに来たんですよっ!」
「ふふふ……先生の恋の生徒指導はいかがでした?」
今までからかわれていたのだと思ったら、急に恥ずかしくなってしまったペルシアンであった。
それを見て狙い通りだとニヤリ、と笑うピジョットは更に深く椅子に凭れる。
コトン。
その時ピジョットの肘に突付かれ、誰にも気づかれず倒れたものがあった。…何かの空き箱のようだ。
ラベルに書かれていたのは『FREE BIRD』――それは自由という名を冠した鳥の、気高き香り。


          - 4 -


雨の日特有の、土の匂いが鼻腔を掠める。…昼間よりは少し小降りになったかな……
今日は部活に顔を出す気分でもなかったので、もちこには部活を休むことは伝えてある。
グラードン…怒るだろうなぁ。でも今日だけは…許して欲しいかな。
昼間の件もあって、乾き切っていない制服に袖を通して帰宅する私。気分はこの空以上にどんよりしている。
結局あの後どうすることもできず、部室でシャワーを浴びて冷えた身体を温めてから、服を着替えた後に、
午後の授業を遅刻して受けた。教室内は居ずらかった。昼間の件がもう噂になっていたからだ。
その内容は聞こえないけど、教室内の雰囲気が私にそう悟らせた。
…選択授業で幸いした。同じクラスのサンダーと顔を合わせる事がなかったからだ。
HRが始まる前に抜け出してきたのだが……。下駄箱に、予想外の人物がいたことには正直驚いた。
「どこに行くおつもりですか?まだHRは始まってもいませんわよ?」
……なんでこいつが…。
彼女は下駄箱に寄りかかることもなく、私の靴が置いてある列との間に、腕を組みながら立っていた。
「早退の理由でしたら、この風紀委員であるマニュー」
「今日は貴方に付き合う気はないので失礼…」
「最後まで聞きなさいよッ!」
立ち去ろうとした私を引きとめようとするマニューラ。この堅物は一体何がしたいんだろう…。
「失礼ながら…詮索させていただきました。」
ぴたり。私の歩みは、マニューラにすれ違い、彼女と背中を対峙させたところで、止まった。
「だから何?」
ダメだ…彼女にまで怒りを振りまいてしまいそうな私は、つい声色を低くして言った。
「それを知ってどうするつもりなわけ?また口煩くお説教でも垂れるのかしら?」
「別にどうもしませんわ。貴方の決めることに私の助言が必要だというのでしたら、言わせていただきますが。」
「…冗談もそこまで来ると甚だしいわ。誰が貴方なんかに求めると」
「私はホームルームを抜け出すことに異議を申し立てているのですよ?」
達観しているのか単に堅物なだけか。いずれにせよ彼女を説き伏せて論破する自信は今の私にはない。
「そっか…あんたもちことクラスメートで、選択はサンダーと同じだったっけ。」
それで私がもちこと話している間に先回り…ということか。
「風紀委員として、その様な行為を許しはしません。」
…しかし、いつもよりどこか様子がおかしい様な気がしたのは、私の気のせいではなかった。
「さっさと帰って…頭でも冷やしてきなさい。」
何を言っているのか、理解できなかった。矛盾した発言に聞こえたのは私の気のせいではなかっただろう。
その言葉にとっさに振り向こうとしたその時、ようやくわかった。
「今振り向いたら、貴方を即刻教室に引き戻しますわよ!」
彼女の最後の忠告に…その時は従うしかなかったのが悔しかったけど…。
私は彼女の言うとおりにするしかなかった。
「いいですか…。私は貴方の都合など到底知ったことではありません。
しかし"早退"というのでは仕方ありません。早く家に帰って自分の身でも案じていなさい。
け、決して貴方の行為を許したわけでも認めたわけでもないんですからね!」
そして直後に走り去る足音が聞こえた。しばらく私はその場に立ち尽くした。
「マニューラ………ありがとう…。」
その時、私は彼女に手向けるのはこれが最初で最後だろうその言葉を、ぽつりと呟いたのだった。



どんよりと濁った雲立ちこめるその空は私の心を、そこから落ちる雨の雫は私の涙を物語っているようだった。
今日に限って傘を忘れたことを私は恨んだ。気分的にはもう雨に濡れても構いはしなかったが、
少し気持ちも落ち着いてきて、雨を省みずずぶ濡れになって帰ろうという気持ちが憚られていた。
(さて、どうしたものかしら…。)
かといっておとなしく教室に戻る気もなかった。近くのショップに駆け込んだとしても、
昼より弱まったとはいえこの降雨量では結局はずぶ濡れになってしまうだろう。そうなると、
下着の色がつい気になってしまって、透かしたまま店内に入る自分の姿を予想し第一歩がなかなか重い。
困った挙句、具体的な策も講ずることもできずにその場に立ち尽くしていたら、またしても意外な人物が。
バサッ。
それは傘を開くときの音だった。それに気づいて隣を見ると、その傘の持ち主はすぐにわかった。
宝玉をあしらった純白の傘は、その小さな身体を包み込む雨滴をはじく大盾。
(カイオーガ…?)
そんな派手な傘を常時持ち歩いていれば、持ち主もすぐにわかること。
傘の先を天に向けると、彼女はちらりと呆けている私のほうに目を向ける。
「何をしておる…早く入りなさい。」
…私は風邪でも曳いたのだろうか。彼女が私に絶対言わないだろう台詞を聞いている気がする。
「どうやら傘を忘れになられたご様子。妾の気が変わらぬうちに入っておくが吉ですわよ?」
寂しそうに笑うカイオーガ、その笑みは私への嘲笑か、あるいは自嘲か。それとも別の何かか。
なんにせよ、私は騙されたと思って彼女の傘の元におさまる事にした。
一つの傘の下、これほど近い距離で彼女を目の当たりにしたのは、これが初めてかもしれない。
…囁き千里ということか。もしかしたら彼女も私の今日を知っているのかもしれない。
だとすれば、この行動は単なる憐れみなのだろうか?
どちらにしろ、マニューラやカイオーガの言動には少し気味悪さを感じざるを得ない。
傘の下は、永遠にも感じられる息苦しい沈黙が支配していた。二人を包む傘だけが、歩みに伴って揺れる。
結局沈黙を破ることもなく、学校近くのフレンドリィショップまで着いた。
「おかげさまで、雨に濡れることもなさそうだわ。」
ショップの軒下へ入り込む。なんとかうまく笑って見送る準備をする。
「………。」
そうでなければ感謝の念も伝えることはできない。
「妾に強がるのはやめよ。その笑顔を向けるべき者が他におるのではないか?」
カイオーガは呆れたような、怒ったような表情で言い放った。その真意は私の理解の範疇外なのか。
しかし少なくとも互いの関係に誤解を生んでいたのは確かなようだ。
「いつまでも迷っていてくれるな。妾の興が殺がれるわ。」
そう言うと彼女は踵を返し、私に背を向け歩き始めた。
「…待って。」
それを引き止める。
いつもいがみ合っている二人なのに…なんだか…。これじゃぁ私が負けた気分よ。
「どうして…?」
どうして、私に助け舟を出したの?そう訊こうとしたのに、…らしくもない。言葉につまってしまった。
彼女は首だけ捻り、私に横顔を晒すと、はっきりとした口調で言い放った。
「気まぐれですわ。」
そしてお嬢様に変身したカイオーガは、優雅な歩みで雨降り注ぐ黒い景色に溶け込んでいった。



外の空気がこれほど新鮮で、清らかで、瑞々しく感じるのは、閉じ込められた空間で激しい運動をする中、
発せられた熱気が立ち込めた所で長い間、息も絶え絶えに跳び続けていたからに違いない。
大きな扉を全開にして館内の篭った熱気を換える合間に、私はスポーツドリンクを片手に外に出る。
とめどなく全身から滲み出る玉の汗も、タオルで拭き取っても底から湧き出る泉のようにとどまる所を
知らなかったので、それも投げ出し体育館の軒下、コンクリートの突き出しに足を掛けて私は座り込んだ。
こういうときは、何もかも雑念を棄てて練習に没頭するのが一番だろう。風に当たる。
(気持ちいい…。)
体育館の中の熱気と、外の寒気が混ざり、生温く感じる風に汗のにおいを纏って私の頬を撫でる。
ただ部活にだけ想いを馳せて、汗と涙を流しながらそれだけに没頭する。そういう青春があってもいい。
これで、いいのよ。今の私には、これしかないんだって自分自身にそう思いこませていた。
その決意が揺らいだのは、正しかったのかどうかはわからないけど、今はそれでよかったなと思っている。
「やっぱり外の空気はうまいな!」
その声のするほうへ、振り向く。長く伸びた太く逞しそうな赤髪、その長さに負けないくらいの長身、
引き締まった脚は腿まで露出し、膝には赤いサポーターをつけたまま、彼女は立っていた。
「グラードン…や、お疲れさま部長さん。」
一つ伸びをしつつ体中の筋肉を解すように各部を伸ばすグラードンに、私は労いの言葉をかけた。
「うん…それにしても部長なんて呼ばれ方は慣れないよなぁ。皆からぶちょ~って言われてもすぐに反応
できやしないっての。」
グラードンが女子バレーボール部の部長に任命されたのは別に最近というほど最近ではない。
しかし付き合って二年近く経つ同輩の部員達から『部長』という肩書きで呼ばれるのは、慣れないのもわかる。
「それにしても…ペル、今日は大分モチベーション高いじゃないか。昨日休むってもちこから聞いたときは
少し心配したけどさ。」
やはり心配させてしまったらしい。だから私はもう大丈夫だということを行動で示したかった。
「うん…。心配かけてごめんね?もう大丈夫だから。」
「そうかい。」
しかし誤算だったのは…彼女が私のことを知りすぎていたことだった。
「やっぱり全然大丈夫じゃなさそうだ。」
お見通しだった。グラードンの声のトーンが下がったのは、気のせいではないだろう。
「………。」
無言で返答することしかできなかった。顔も合わせることすらできず、私は下を向いていた。
沈黙は続く。長い長い沈黙。…誰もが同じ事を呟いている様に聞こえて、私は耳を塞ぎたくなった。
私は…追い込まれているの?救われているの?それとも…差し伸べられているのだろうか?
ただ…今は冷たいコンクリートを見つめたまま、彼女の言葉を待つ。
「なぁ、ペル。あたしはあんたの力になりたいんだ。」
その言葉に思わず息を呑む。
「別にアレやれコレやれってあたしはあんたに強要する気はハナからない。強要するのは部活のときだけだ。
あんたが何をしたいとか、そういうのはわからないし、無理に訊きもしないさ。ただ…一人で背負い込むのは
苦しくないかい?今のあんたを見てるとさ……いつか爆発しちゃいそうで不安なんだよ。」
少し震えた声で宥めてくれるグラードンの瞳の奥に、遂に私は吸い込まれた。
………。
嗚呼、どうして気づかなかったんだろう……。
こんなにも心配してくれる仲間がいたことに。
マニューラ…カイオーガ、グラードン、サンダー…仲間達。私の周りを回る星々。
こんなに綺麗な星空を…私はどうして見落としていたの!
………。
そう。わかってる。今までずっと下を向いて歩いてきたからよね。
私は…心の底から、皆に謝りたい気持ちになった。
「生徒会に…誘われたの。」
だから、私は応えなければいけない。星の瞬きに。この夜空を、この景色を、永遠のものにするために。
全て打ち明けてあげる。私という個体がどれほど臆病な生き物なのか。
私という存在がどれだけ孤独だったのか。
私という心が、どれだけ目を背けて来たのか。
「でも私は…生徒会の仕事が忙しくなってきたときに…女バレを続けていく自信がなくて…。
それに…生徒会なんて…私の地位を築き上げるためだけの、ただの踏み台に過ぎなかった。」
逃げることなんて、とても容易なことだけど…逃げ切ることは、とても大変なこと。
置いていかれて小さくなった背中と完全に決別できれば、こんなに悩むことはなかったのに。
「自信だの…踏み台だの…そんなことは関係ないんだ!『どちらかを選ぶ』んじゃない!
『やりたいことを選ぶ』ことこそが…大切だと思うよ?あたしは…。」
そう。大切なのは…貫くことでも、守り抜くことでもない。駆け抜けることなのよ。



霧の中には拘束という名の檻がある。檻の中には歪みという名の霧がある。
未来へと伸びる一本道に置かれているそれは、誰もが通る命懸けの迷路。
一歩を踏み込んだ私が、ここに囚われたとき、私は私でなくなってしまうだろう。
霧に蝕まれ檻に封ぜられ、私の心はどこへ行くのだろう?
私の声に、誰が応えてくれるだろう?
そこにいるならば、どうかこの願いを聞き入れてください。
霧を破って檻を貫き、この願いは、星まで届きますか?



少しずつ雲は流れ、次第にやってくる夜と共に去りつつある。その隙間から垣間見える薄暗い空。
陽が沈んだとしてもそれに替わって月は夜を照らすのだろう。その明かりは、闇に囚われた者達を
家路に導いてくれる。だからきっと怖くはない。
今日も日が沈む頃まで身体を動かし続けた。家に帰り着く頃には、早くこの重くぶら下がった四肢を
解放したくて仕方がなくなっていた。
「ふぅー…ただいまー。」
誰もいない部屋の闇に私は言った。おかえりという言葉を聞きたいからではない。
でも、そんな言葉をかけてくれる人がいたら、きっとそれは素敵なことなのかもしれない。
ひとまず真っ暗な部屋に明かりを灯す。壁を手探りに玄関の近くにあるスイッチに手を伸ばす。
パチッ。
私を迎え入れた光は、見慣れた光景を照らし出す。少し長めにひかれた廊下。その突き当たりにある扉。
とりあえず帰ってからの動きはもう単一化してあり、まず玄関に置いてあるメイク落としを一枚、
箱から取り出し顔を拭くことから始まる。歩きながら扉を開けてまずは鞄を所定の位置に置く。
正直言って、部活で流した汗とその後のシャワーで化粧なんてとっくに落ちているけど、これは念のため。
シートを丸めて捨てると同時に、制服を上から脱ぐ。その前にまずリボンと頭飾り、そして首の装飾。
リボンはソファに投げて掛ける。装飾は棚の上に放置。最後に腕時計を外して装飾は終わり。そして、
制服の裾に手を掛けて、脱ぎつつ暖房のスイッチを入れる。その後、バスルームに脱いだ服を持って行き、
洗濯機に放り込んで、給湯のスイッチを押す。あとはお風呂が沸くまで、ソファに身を投げるだけ。
下着姿になる頃には、部屋の暖房が効き始めていた。でも足は相変わらず寒いので靴下は履いたままだったり。
今日も一日、色々あったと記憶を辿りながら、私は赤いソファの中にまどろんでゆくの。
……。
生徒会か……。
未だに私は、答が出せないままでいた。サンダーが誘ってきたのも、これは私への天啓なのだろうか?
ヴーッ!ヴーッ!
…不意に、ソファのそばのテーブルに置いてあった、携帯電話が震え始めた。
うっかり眠りそうなところで起こされた。電話を手に取る。示されていたのは、もちこの電話番号だった。
「はぁい。」
『ペル~、お疲れさま~。』
そのちっぽけな四角い器から聞こえるのは、いつもの聞きなれた声。
心なしか、少し落ち着いたような気がした。
毎日電話するわけでもないが、部活や何かで用事があるときにはこうやって電話をする。
メールで済ませるのがめんどくさくて、私が電話で用件を話す癖があり、もちこがそれに合わせてくれている。
結局用件など最初の数十秒で終わるのだが、そこから派生した雑談で一時間近く話し込むのも、いつものこと。
「ねぇ、もちこ…。」
私は踏み出すことにした。これから私はどうしたらいいんだろう。
きっともちこも知っているんだろう。こういうときは…頼ってもいいんだよね?
『私は~…ペルがやりたいと思うなら応援するよぉ。…きっと、サンダーさんにもペルを誘った理由、
なにかあるんじゃないかな?』
…サンダーが私を誘った理由?
「私は…私が適任だって、サンダーは言ってたかな…。」
『うん…それ、きっと違うと思うよ~。』
「…違う?」
『うん…ペルが適任なのは事実かもしれないけど、誘った理由ではないってことだよ~。』
だとしたら、サンダーが私を誘った真意は、一体なんなのだろう?
『本人に聞いてみるのが一番かもしれないよ?それを聞いて~、答を出すのも悪くはないよ~。』
うん……もちこの言う通りなのかもしれない。
自分のことだけ考えて、頭が一杯になっていて…周りのことを気にする余裕すら失くしていたのだろう。
………。
「わかったわもちこ。明日――。」
もし、もしもの話だけど。手を差し伸べてくれる誰かがいるとしたら、
「もう一度、彼女と話してみる。」
それは月の光のような、闇を照らして私を導いてくれる、希望への架け橋なのだろう。


          - 5 -


生徒の数は遂に疎らになり、校門には敷き詰められた桜の上に立つ生徒が一人。
「……で、私は例え教師であろうと、遅刻してきた方は容赦なく指導いたしますわよ?…と言いたいのですが
その様子では、何かトラブルがあったようですね、トロピウス先生?」
彼女が口煩く言う相手は、彼女の見知らぬ少女の腕に抱かれている、トロピウスだった。
右手には、折れたヒールのかかとを握っていた。
「あは~…ごめんなさい~。」
「………。」
大体状況は理解できた。ここに来る途中で、ヒールが折れて足を捻ったのだろう。
思ったほど重症ではなさそうだが、右足は軽く腫れ上がっている。
「まぁそこまでにしてあげましょう、マニューラ嬢。通学路の途中で動けなくて座り込んでいた
トロピウス教諭を責めるのもあまり…」
マニューラの鋭い眼光が、その声の主にぎん、と向けられた。
「そうですね、トロピウス先生が遅刻したことはお咎め無しとしましょう。しかしクレセリアさん、
それは貴方の遅刻の理由にはなりませんことよ?」
口調こそ変わらないが、その目の鋭さはクレセリアへの嫌悪感を感じる。
「とんでもない。私はトロピウス教諭の身を案じて同行した次第ですよ。…まぁ貴方が遅刻というのでしたら
仕方がありません。甘んじてお咎めを受けましょう。どのように私を罰していただけるのですか?」
「………。」
相変わらず態度の変わらないクレセリアに、口煩いマニューラも迂闊に口を出すことは憚れるのだろうか。
「ところで……先生を抱き上げているそちらの方は…?」
話を不意に逸らす。ここの学校の生徒だろうか?少なくともマニューラには覚えはなかったが、
「はい、今度ここへ入学する新入生の、サイホーンさんだそうですぅ。」
「…はじめまして。」
紹介されたサイホーンは、マニューラに軽く頭を下げる。というか、どの程度の距離かはわからないが、
ずっとトロピウスを抱えてここまで来たのだろうか。
「ご挨拶が遅れましたわ。私は風紀委員三年のマニューラと申します。以後お見知りおきを。」
「は、はい。私はサイホーンと申します。よ、よろしくお願いします。」
マニューラの冷厳な挨拶に恐縮するサイホーンであった。
「まぁ…この学園に入学してからは、私の世話にならないようお気をつけくださいね。」
「は、はい…。」
「まぁまぁそのくらいにしてあげて…」
「クレセリアさんは黙っていてもらえますか?…というより、彼女よりも男である貴方が
トロピウス先生を抱えて来る場面ではなくて?」
「黙れと言われたり質問をされたり忙しいですねぇ私は。」
「ぐ……。」
「いえ、失礼。そうですね…私もそうしようと思ったのですが…如何せんトロピウス教諭は男性の
腕に不慣れなご様子でして、抱えあげようとしたら首筋に手刀が飛んで来ましてね…。」
「あ…あはは、ごめんなさい~。わざとじゃぁないですよぉ?」
やれやれと左の首を右手でさするクレセリア。
「ですから…そこに居合わせたサイホーン嬢が代わりに私が、と。正直首を打ち飛ばされてでも私が
担いで此処まで連れて来ようかと思っていたのですがね…。」
流石は独自のフェミニズムを謳うほどのことはあるが、マニューラはそんなところが気に入らないわけである。
「ありがとうサイホーンさん。お陰で無事に学園にこれましたぁ。」
「全然無事ではありませんわよ!」
その時であった。風紀委員の朝の仕事はこれで終わりではないと、忙しく駆け込んでくる影が――
「マニューラ様!」
再び木霊する、野太い声。
「今度は何なのですかグラエナ!?」
「デルビル、ヘルガー姉妹を校内で見失いましたッ!」
「ああああもぉぉぉ!!何をやっているのですか貴方達はぁぁぁ!!」



見上げれば昨日の天気は嘘のように、白く輝く雲が漂う海に、陽だまりは浮かんでいた。
久々にすっきりした心模様である。…そんな日に限って、登校して間もなく職員室に呼ばれるのは
どういうことだろう。しかし召集の一声を無視するわけにもいかず、私は職員室の扉を叩いた。
「失礼します。」
そして私を呼び出した教諭の元へ歩みを進める。叱られる覚えは、ないわけではない。
先日のHRの件だろう。…女の勘なんだけど、いやな予感しかしないのは何故かしら?
「ピジョット先生。」
「はい…?あら、ペルシアン来たのね。」
椅子にもたれながら、その脚を回して私に向き直るピジョット先生。
「何故呼ばれたか、心当たりはありますか?」
…うっ!全く笑顔を崩さないのに、抑揚のない声は何故だか殺気を含んでいる様に感じる…。
「…え、は、はい…ホームルー」
「では話は早いですね。口煩いお説教はいりませんね?」
まだ全部言ってませんよ先生…。
「コレを見てごらんなさい?」
そう言って手渡されたのは、裏向きで伏せられた一枚の写真。恐る恐るそれを受け取り、裏を返す。
「――――ッ!?」
絶句した。
……何故、何故この写真を先生が!?
「えっ…あ……せ、せんせい?コ…レは一体――?」
じっとりと額から冷や汗が滲み出ている気がした。にこりと微笑んではいるが、目が笑っていない。
「うふふ…このお宝写真すごいでしょう?先生ががんばって極秘のルートから入手したんですよ?」
ぱっと、放心している私から写真を取り上げるとそれを懐にしまう。
「ホームルームを無断で抜け出すとはいい度胸ですね。」
そして、私の罪状は、彼女の口から言い渡された。
「この写真、もう一枚をサンダーに渡しておきました。」
「ッ…!そ、それはダメぇぇぇーっ!」
此処が職員室だということも忘れて、私は思わず叫んでいた。
これは由々しき事態だ。何とかサンダーを探し出して回収しないと……
「失礼します。」
…その時だった。タイミングがいいのか悪いのか、職員室の扉を開いてやってきたのは……
「サンダー……!」
「ピジョット先生、呼ばれましたでしょう……か……ッ!?ペ、ペルシアンっ…!」
やはりそのような反応をするのね…ああ…気まずい…。
「せ、先生…こ、これはどういうことで…!」
「あら、気にしないでください。『たまたま』ですから♪」
絶対にわざとですね、先生。一人なにやら機嫌のよいまま、私とサンダーは顔も合わせられず、
互いに赤面したまま俯いていた。
「それで、サンダー。生徒会の選挙ですが、未だ会計枠に立候補がありません。」
「……はい。そうです。」
「困ったものです……誰か立候補してくれる方はいないのでしょうか。」
ちらりと一瞬、ピジョット先生は私の方を見た気がするが、気のせいにしておこう。
「で、用件なのですが、場合によっては立候補の一次締め切りも迫っていますから、二次募集あるいは
推薦募集も考えざるを得ません。その旨を一応、会長立候補の貴方にも先に伝えておきましょうかと思って。」
「そうですか…わかりました。」
「あ、あの……。」
何とか話をつけようと、サンダーとピジョット先生の間に割って入ろうとする。
このままではサンダーに逃げられてしまう。誤解を生んだまま逃げられるのだけは避けたい。
「話はそれだけよ。それじゃぁ戻っていいですよ。」
「はい、失礼します。」
そう言って、サンダーは踵を返し、そそくさとその場から立ち去ろうとする。
「待ってサンダー!」
その右手を必死に掴み呼び戻す私。びくっとサンダーの肩が震えた。
「貴方…持っているんでしょう?あれを……。」
「………。」
たった少しの間が、永遠とも思えるほど息苦しく感じる。
ゆっくりと振り返るサンダー。その頬は、紅潮して熱を帯びていた。
「ペルシアン……ッ。その…あれだな…。」
瞳をうろうろ泳がせながら、更に赤くなり俯くサンダー。その顔は少し悦に浸っているようにも見えた。
「いい身体してるな……。」
――ッ!
その一瞬の隙を突いて、私の手を振り解くと、意味深長な言葉を残して走り去るサンダー。
「ちょっと!ま、待って!話はまだ…っていうか写真ーッ!返しなさい!返してぇぇぇぇっ!!」
その背中を追いかける。ピジョット先生のことも、此処がどこだかも忘れて。
「二人とも!!廊下は走っちゃダメですよ!飛んでもダメよーっ!」
嵐の過ぎ去った後に、ピジョット先生は机に向き直り、コーヒーを一口啜る。
苦味に溶けた甘さが口の中に広がり、鼻腔に届いた香りが安らぎを与えた。
「さて、これで今年の生徒会も、楽しくなりそうね…ふふふ。」



体育館の大きな扉は未だ開いていた。そこにようやく現れたのは、肩を組んだ男女。
ざわついている館内には、これでもかと押しかけた生徒達で埋め尽くされていた。
それもそうだろう。全校生徒の殆どが此処に集結しているのだから。
「ふぅ…つきましたぁ。」
「ええ、なんとか間に合いましたね。それではトロピウス教諭。」
「はい~。クレセリアさん、どうもありがとう。」
そして二人がそれぞれの定められた位置へ向かい始めたとき、始まりを告げる声がスピーカー越しに館内を包み込んだ。
「えー、みなさん静粛に。これより私立萌えもん学園、始業式を執り行いたいと思います。」



彼女の背中を追ってやってきたのは、屋上だった。全力で駆け抜けた廊下と階段の後に、外の空気を吸い込み、
私は爽快感を覚えた。それと同時に、どっと疲労が襲い掛かり、私の足を止めた。
「はぁー…はぁー…っ。」
彼女も同じく逃げ場も無くなったと観念したのか、その場に足を止めた。
「な……なんで、逃げるのよ…っ!」
息も絶え絶えに、ようやく私は彼女の背中を振り向かせた。
「あの写真はダメーっ!プライバシーの侵害ーっ!訴えるわよ!!」
「いやしかし…あれはどうも何か…惹かれるものがあってな…。」
…写真に何が写ってるかって?それは…まぁ、乙女の秘密よ。
とりあえず…今度サンダーの持ち物の中から奪い返しておかないと。
「まぁとりあえずそれは今度返してもらうとして。貴方に聞きたいことはまだあるのよ。」
こんな形になってしまったけど、私の声に…貴方は答えてくれる?サンダー。
秋の空が見つめる中、ゆっくりと息を整えて、しばしの間の後本題を切り出した。
「どうして…私を生徒会に誘おうとしたの?」
少し強い風が、私とサンダーを包み込み、そして走り去っていく。
彼女は、その肩をまだ上下させながら、私の言葉に耳を傾けていた。
「単に私が"適任"だから?それとも、私なら都合がいい?それとも…私じゃなくても、誰でもよかったの?」
私は、サンダーの答を待った。目を背けずに、真っ直ぐ前を見て、サンダーの瞳の奥一点を、ただただ見つめて待った。



「それでは、私立萌えもん学園始業式の一切をこれにて終了いたします。」
司会の一声によって、今年も新学期が始まったんだなという実感の沸く生徒もいるだろう。
途端に生徒達はざわつき始める。しかし、これで終わりではない。スピーカーから響く声は言葉を続ける。
「えー静粛に。引き続きまして、今期生徒会会長である三年B組、サンダー生徒会長より挨拶をいただきます。」
その紹介によって、一人の女子生徒が壇上へと上がろうとしていた。少し小麦色にこげた肌に映える白い制服、
黄色のリボンは髪の色と同化している。黒いニーソックス一組の足をひとつひとつ、階段に掛けて上っていく。
マイクの前まで来ると、生徒一同に向かい一礼し、息を吸い込んだ。

『それは違う。ペルシアン、あたしは自分の利のために貴方を誘うほど計算高くない。』

「…今日から新学期が始まるが、未だ春休み気分の抜けない腑抜けは帰って寝ろ。今年度も我々生徒会は
生徒達皆の声を真摯に受け止め、よりよいスクールライフを提供することを約束する。
…が、あまりに突飛な声はこちらとしても実現できるかどうかは怪しいので、あまり期待してくれるな。」
なんとも定石を破り捨てた挨拶である。壇上のサンダーはいつもよりも遥かに、厳格な態度で立つと言う。
しかしながら、それでも生徒達の集団の中からは、熱狂的な信者達の絶叫が聞こえる。
サンダー様ー!などと叫ばれるのは、あまりにも過激なカリスマ効果ではないだろうか。
彼女自身、そんなつもりはないのだろうが、結局彼女に惹かれて集まった信頼は多いと言う。
「新年度も、我々生徒会は一人の欠員もなく、無事に運営できることに感謝すると同時に、改めて
皆には生徒会員たちをここで紹介しておきたいと思う。生徒会役員は、壇上に上がってきてくれ。」

『理由なんてない。要するにお前と生徒会やれたら…楽しいかなと思っただけだ。』

そして、私は壇上へと上がる階段に、足を掛けた。
ゆっくりゆっくりと、両足に力を込めて、一段一段、確実に上がっていく。
長い、永遠とも錯覚できる長い時間に思えたその一瞬に、栄光を重ね合わせて私は真の自由を手にした。
それはね…やりたいことを、やりたいうちにやる。それが今の、私が抱く自由。
霧の中でも、檻の中でも、怖くはない。
そこに星空がある限り。そこに道を照らしてくれる月が浮かぶ限り。
そして長い夜を越えて、私はまた、朝の日差しを浴びて目が醒めるの。
壇上に立つ。そこにいるのは、見慣れた生徒会の面々。
生徒達の方へ向き直り、誇らしげに前を見据えて、私は立つ。

「今年度も、萌えもん学園生徒会一同、積極的に活動してまいります。」

こうして私は今、差し伸べられた手を掴み、あなたの前に立っている。


- In Front Of You ~尊き人へ~ 終 -







-+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+-+--+



◇あとがき

学園第一作目となる、ペルシアンサイドのストーリーでした。いかがだったでしょうか?
実はこれ、本文1000行あります。空白も含めますけど、各場面平均200行構成という感じですか。
本来の予定では、その半分の500行の予定だったんですけど、いつの間にか色々話が膨らんでしまいまして…w
まさかの倍wwwだらだらと書いていたら、結局書き上げるのに5日程度かかりました。
中途作品として場面1、3迄書き上げたところで一旦上げましたが、微妙に修正入ってたりするので、
途中まで読んだ方も、是非とも一度最初から読み直すことをお勧めします。長いですがねw
学園プロジェクトは、萌えもんSS住民方の協力によって、幾つかの設定は他作者様のそれに準拠する次第です。
詳しいことは、以下のきゃすと&すたっふの方をご覧ください。
それでは、また次回作その気になったら書くかもしれないので、その時はまたよろしくお願いします。

ご愛読ありがとうございました!

2008.02.02 PEL


【きゃすと&すたっふ】

  主演:      ペルシアン

           ネンドール
           カイオーガ
           マニューラ
           サンダー
           グラードン
  出演:      ピジョット
           グラエナ
           ヤンヤンマ
           トロピウス
           サイホーン
           クレセリア

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          鳥嫁 (ピジョット)
          [End] (サンダー)
          MTT (カイオーガ)
  監修・設定:  紡音 (ヤンヤンマ・グラエナ)
  (敬称略)   CAPRI (クレセリア)
          440の人 (サイホーン)
          440の強敵 (トロピウス)

  スペシャルサンクス :萌えもんSSスレの皆様

    筆:     ぺる (ペルシアン・マニューラ・ネンドール)


                             And You ...
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