僕の通る通学路には、大きなお屋敷の門が面していた。門には猛犬注意のシール。
いつも、その檻のような門の向こう側には、ガーディがちょこんと座っていた。
毎日、何時通っても同じ場所にいる。晴れた日も、雨の日も、嵐の日も。まるで置物のように。
ある日、ついに気持ちを抑えきれなくなり、声をかけてみた。
「どうしていつもそこにいるの?」
彼女は微動だにせず、無機質に答える。
「私は番犬。ご主人様の命令は絶対」
僕は、その日から毎朝彼女に、登校時は「おはよう」下校時は「また明日」と声をかけるようになった。
もちろん彼女は何の返事も、反応もしてくれない。それでも、僕は毎日声をかけた。
ある朝、彼女は血まみれでいつもの場所に座っていた。
「ひどい血……大丈夫?」
「私の血じゃない。これは昨日の侵入者の」
侵入者の血……?明らかに、ただ噛み付いて追い払ったという訳ではない血の量だ。
僕は少し怖くなって足早に立ち去る。
その日の下校道。彼女は何事もなかったかのようにいつもの場所に座っている。
「血、洗ってもらったんだ」
「舐めて取ってあげたの」
そういって彼女はぺろりと舌舐めずりをする。
何か違和感を感じつつも、僕はまた少し怖くなって足早に立ち去る。
しばらく日が経った頃、ガーディに変化が起きた。
下校の時だけ、「またね」と返してくれるようになったのだ。ちょっと嬉しい。
でも、登校のときは何も反応がない。寝起きは機嫌でも悪いのだろうか。
ん、寝起き?そういえば何時寝ているのか、考えてみると不思議だ……。
「いっしょに外へ遊びに行かない?」
下校時、思い切って僕はガーディを遊びに誘ってみた。
「でも、ご主人様の命令……」
「たまにはいいじゃん、いつもそんなところで退屈でしょ?」
「……」
彼女は押し黙ったまま、動かなくなってしまった。やっぱ無理だよね。
次の日から、登校時も下校時も挨拶を返してくれなくなった。
怒らせちゃったかな……
ある日の下校時、なぜか彼女はいつもの場所ではなく、門の外に立っていた。
「遊びに、連れて行って」
彼女はぶっきらぼうにつぶやいた。
僕らは近くの公園で遊んだ。シーソー、ブランコ、滑り台、砂場。
彼女は何もしゃべらなかったし、笑顔を見せることもなかった。
それでも、僕には彼女が楽しんでいることがなんとなく分かった。何より僕は楽しかった。
すっかり日が暮れた頃に、僕は彼女と別れた。
帰りが遅くなっても、僕には叱ってくれる親はいないから大丈夫。
次の朝。ガーディはいつもの場所に座っている。
「おはよう」
「あなたのせいだから」
……やはり抜け出したのがばれたのかな。罪悪感による小走りで通り過ぎる。
その日の下校時。彼女は乾いた血まみれでいつもの場所に座っていた。
朝は何ともなかったのに……昼間に何かあったのだろうか。
「血、どうしたの?」
「昨日のことがご主人様にばれたの」
「……ごめん」
僕は逃げる様に走り去った。
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数日後、あのお屋敷が泥棒被害にあったらしい。
傷ついていたガーディがうっかり居眠りをしてしまったとの話だ。
また彼女は主人から厳しい罰を受けたのだろうか……僕は恐る恐る登校路を進む。
そんな僕の心配も杞憂だったみたいだ。いつも通り、彼女はいつもの場所に座っていた。
「おはよう。大丈夫そうでよかった」
「あなたのせいだからね」
……え?
「あの子は今日の夜、処分……つまり、殺される」
あの子?何を言ってるんだ、君はちゃんとここに──
「深夜と朝は私、昼と夕方はあの子。私たち姉妹は、交互にこの門の番をしていたの。私は姉よ」
……ガーディは姉妹?そうか、たしかに色々納得がいく。
「僕があの子を助けにいくよ」
僕は考えもなしに、門を越えるべくよじ登る。
「私は、許可なく敷地内に侵入した者を食い殺せと命じられているの」
その言葉に、僕の脳裏にあの日のガーディの姿が鮮明に浮かび上がる。
「……あの子を助けたいんだ、見逃してくれないかな」
……返事がない。
僕はその無言を、了承と解釈した。門を上り終え、敷地内に飛び降りる。
──と、地面に足が付くか早いか、彼女は素早く飛び掛ってきた。
「──ッ!?」
左手に激痛が走る。見ると肉が深くえぐられていた。
「次は咽を食い千切るわ」
「──キミは妹を助けたくないの!?」
「貴方が助けた所で、この町にいればすぐに捕まってしまう」
「なら僕は、あの子を連れて二人で町を出るよ!」
「二人で、ね……」
ポツリとつぶやいた、彼女の顔が怒りに歪む。
「貴方の侵入を許したら、残された私は処分される。そんなことも分からないの?」
僕は、あの子のことばかりを考えていた。目の前の彼女を忘れていたのだ。
「だから……私も連れて行って」
おかしい……屋敷は、泥棒に入られた翌日だというのに警備の様子がまったくない。
ひとまず道案内をしてくれるガーディの後をついていく。
「ここがご主人様の部屋。あの子はボールに入れられて、ここにいると思う」
いかにも、と言った大きな扉。派手な装飾。
中から話し声が聞こえる……僕とガーディは意識を耳に集中させる。
「いやはや、昨日は泥棒役をありがとう。
何の罪もない萌えもんを殺して毛皮を集めると愛護団体が煩くてね。
理由を作っては処分しているんだよ、フフフ……まったく世間体に気を遣うのも一苦労だ」
一瞬の出来事で、僕にはどうすることもできなかった。
──ガーディは扉をぶち抜き、主人の喉笛に喰らい付いた。
憎悪と憤怒の込められた牙は、いとも簡単に肉を引き裂く。
話をしていた相手が悲鳴を上げるも、鈍い音とともに声は主を失う。
荒い呼吸音、肉を貪る生々しい音──僕はたまらず部屋から目をそらした。
しばらくして、深紅に染まった彼女はボールを二つを持って部屋から出てきた。
(……泣いてる?)
彼女は顔を隠すように俯いたまま、僕にボールを差し出す。
「早くここを出ましょう、人に見られると面倒です」
彼女から二つボールを受け取る。ひとつには、あの子が入っていた。
彼女をボールに戻すと、僕は全力疾走で屋敷から──この町から、飛び出した。
町を見渡せるお気に入りの丘。僕はそこで走る足を止め、二人をボールから出した。
片や自らの傷で赤く染まり、片や主人の血で赤く染まったガーディ。
「そういえば、二人の名前まだ聞いてなかったね」
傷ついた妹を優しく舐めていた姉が舌を止める。
「私はガオウ、この子はナオウ。ご主人様の命令には絶対の服従を約束します」
「……じゃあ一つ目の命令をしてもいいかな?」
こくりと頷くナオウ。
「絶対服従っていうのは止めて。あとそんなに丁寧に話さなくていいよ」
絶対服従をやめてという言葉には絶対服従してくれないのかな……難しい顔をしている。
「……ご主人様がそういうなら、少しは考えておくわ」
「それで、ご主人様の名前は?」
僕の名前……僕は、今日からいままでとは別の僕として生きる。今日が……僕の生まれた日。
「じゃあ、僕はキョウガ。今日から僕はキョウガ。よろしくね、ガオウ、ナオウ」
-fin-
最終更新:2008年02月27日 02:42