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『天使の柩』


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 ネーメル・シティ。
 この国で恐らく最も人が荒び、治安が不安定な街ではないだろうか。民族問題に貧富の格差社会。
 近代化が進み、アップタウン、ダウンタウンと幾分か治安はよくはなったものの、それでも未だスラム街の付近は酷いものである。そこを支配するのは二つ。金と暴力である。決して堅気では立ち入れない。マフィアにジャンキー。強盗、レイプ魔。そして警察。だが、取り締まることはない。なぜなら彼らも繋がっているから。マフィアに銃を売り、ジャンキーに薬を売り、元締め料をせしめる。甘い汁を吸っているのだ。腐った連中だ。腐った連中ばかりだ。ここでは真面目に働けば働くほど馬鹿を見る。悪い連中ばかりが出世していく。
 それでも。それでもだ。いい警官というのはいるものだ。市民のため、安全と平和のために汗水たらして悪党共を逮捕するために走り回る。そんな警官だって、ここにはいるのだ。ただ、長生きはしない。
 だが、必要な存在だ。堅実で真面目で正義感溢れた者が…
 俺だって昔はそうだった…昔はそうだったんだ。
 …この街が良くならないわけ。この話をすると、鶏と卵の話になってしまう。こんな腐った世の中だから奴らは集まるのか? それとも奴らが集まるからこの街はこんなに腐っているのか?
 年間の統計からすると、この街では三分に一件の窃盗があり、五分に一件の強盗が起こっている。八分に一人がレイプされ、二〇分に一人が殺されている。
 …わかっているだけでも……
 わかるかい? ここはそんな街だ。
 ここは掃溜め。人間の掃溜めである。
 いつの事からだろうか。そんなこの街を、市内外問わず人々はネーメル・シティとは呼ばなくなった。皆この街をこう呼ぶ。
“グノーシス”
 地上世界の地獄…と。
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“凶悪犯罪未解決特捜査課”
 そう入口の古びた扉に文字が消えかけたプレートが貼ってある。
 ほとんど人が来ることは無い。しかし今日は誰かが来たようだ。扉の向こう側で話し声が聞こえる。
「ここは行き詰った事件。もっぱら殺人の事件の資料を持ってくる」
「はい…それで持ってくるだけですか?」
「そうだ持ってくるだけ。資料を置いて、君は次の事件に取りかかる」
「? では、その事件については?」
「忘れろ」
「しかし、時効まではその事件に取り組むと…」
「レイシア君。君は入ってきたばかりだから言っておくが、この街ではほとんど事件は迷宮入りだ。一割解決できればその年は誕生祭並にお祭りだよ」
「はぁ」
「だから君は、ここに資料を持ってきて渡す。それだけでいい。ではここの担当を紹介しよう」
 入ってきた。軋んだ音と共に扉が開く。噎せ返るような熱気と、換気をしていないために籠りきった紫煙に一人は恐らく顔を顰め、もう一人が噎せた。
「エンジー! エンジー・オーフィン!」
 所長のローレンスだ。
「いないのか? エンジー」
 五月蠅い声が狭い部屋に響く。所長の声はまるで頭の中に蝉が鳴いているようだ。
「はいはい。いますよ」
 俺は伏せていた机から起き上がると、積んである資料の山を押し崩して顔を出す。ほらやっぱり、所長だ。いつも通りに七三に分けられた髪に、高そうなスーツで身を固めている。もう一人は若い黒人だ。立ち方や出で立ちからおそらくキャリアだろう。キリッとした目元がいかにも正義感に溢れている。
「レイシア君。彼がここの専属のエンジーだ」
 レイシアと呼ばれた若い男は軽く頭を下げるが、どうやら俺の姿に少々戸惑っているらしい。無理もない。皺クシャのワイシャツに、ろくに手入れしていない無精髭。やつれた頬に、ギラついた濁った目。警察というよりはスラムのジャンキーに近い。
「エンジー。彼は本日付でうちに配属になったレイシア君だ」
「ご愁傷さま」
 俺の発言に他意はない。レイシアは少し顔を顰める。
「どういった意味ですか?」
「お前…天使は信じるかい?」
「は?」
 いきなり返答とは程遠い質問を受け、レイシアは面喰った。
「信じるか?」
「残念ですか。自分はそういった類の物は信じません」
「じゃあ、悪魔は?」
「論外です」
「ご愁傷さま」
 意味がわからない。と言わんばかりの顔をしている。無理もない。
「じゃあ、エンジー。新しい資料はここに置いておくぞ」
 変な空気に所長が割って入る。近くのテーブルに持ってきた資料を置くと、レイシアを連れて出て行く。
 扉の向こうでは、レイシアの俺に対する不平や、疑念が聞こえてくるが気にしてはいられない。それに大方は当たっている。
 俺は目の前の“逆十字磔事件”と書かれた資料をしばらく見つめて閉じ立ち上がると、所長の置いた資料を手に取る。
 被害者は女で、これまでに三件起こっている。
 逆さに吊られて心臓と性器を切り取られ殺されたようだ。
 まったく溜息しか出ない。
 俺は資料を机に投げ捨てると、片手に上着を持って部屋を出た。

 すでに獲物をとらえている。俺はわざと金の腕時計が見えるようにした。サングラスをかけ座席にもたれかかる様に座る俺は電車の中にもかかわらず、煙草を吸う。誰一人俺に注意をする者はいない。上を向いたまま長くなった灰の煙草を咥えながら紫煙を吐き出す。列車の中はほとんど人は座っていない。当然だ。ここはスラム街の近く。この付近の電車の中では毎日のように強盗、強姦、殺人が起こっている。それでもなぜ動いているのか。それはやはりこれが交通手段として多くの市民が利用するからだ。なんでももうすぐ、スラム街を避けてレールと引くらしいが、いつになることやら。
俺の隣に置いてある円筒状の入れ物が電車の振動に合わせ鈍くそして忙しなく震えている。だが俺の心臓はいたって静かだ。俺は既に獲物をとらえている。目で? 違う。既に感覚で捕縛している。奴はこの電車から出れないし、まだ俺の存在に気づいてもないだろう。所詮は下級だ。
定期的にくる振動に車輪の音。するとようやく俺を見つけた。ガラの悪い糞ガキ共が隣の車両から入ってきた。少し人数が多い。奴らは目敏く俺の手の腕時計を見つけると嫌らしく笑いあう。しめしめ、いい鴨がいる。言った感じだ。
俺はそれに気付かないフリをする。奴らも俺に何の警戒もしてない。ジャンキーだと思ってるんだろう。
 糞ガキ共が中に入ってきたことで数少ない乗客たちがいそいそと隣の車両へと消えた。俺に憐みの目を向けた奴もいた。それはガキ共にしてやってくれ。
「おい、おっさん。ここん中は禁煙だぜ」
「あぁ?」
「なぁ、俺の金時計見なかったか? さっき落としちまったんだけどよぉ。あんたの時計、見せてくれねぇか?」
 話しかけてくるガキの目が濁っている。こいつもジャンキーだ。おまけに吐く息が臭くて仕方ない。こいつらは力づくでも奪う気だろう。言葉通りに“殺し”てでも。
 だが俺の視線は目の前のガキではなく、後ろでニヤけている違うガキ共だ。一人一人に視線を向けている。同時に目には見えない触手のような物を伸ばす。
 そして見つけた。ガキの一人だ。東洋系の顔付のガキだ。
 俺と目が合った瞬間。どうやら俺に気付いたようだ。
 俺の存在に…
「おい、おっさん。聞いてん…」
 答えない俺に痺れを切らした目の前のガキが怒鳴るのを、俺は手でガキの顔を押さえ押しのけると立ち上がった。
 見れば東洋系のガキが仲間を押しのけながら走って逃げようとしている。俺は円筒のカバンから重厚な得物を取り出す。ショットガン。
 煙草を吐き捨てると逃げるガキに向け、俺は何の躊躇いもなく引き金を引いた。周りでいきなりの事に呆けているガキ共など目にも入ってない。
 狭い車内での爆音にも似た銃声。だが、寸での所でガキは放たれた俺の牙をすり抜け座席の影に隠れた。
 俺は一歩一歩進みながら、ポンプを引き、空の薬莢を吐き出させて隠れている所に撃ちまくる。
 座席は見る影もなく、傍の扉は蜂の巣だ。
「おい! テメー。ふざけんな」
 置いてきぼりのガキの一人が俺に向かって銃を向ける。まったく、どうして死に急ぐようなことをするのか…
 俺は向けていた銃口を変え、背後のガキが銃の引き金を引く前に俺のショットガンが火を噴いた。ガキは勢いよく、それこそ漫画のように後方に飛んでいった。
 一瞬の銃弾の止みに、隠れていたガキが出てくる。豆鉄砲みたいな銃を構え俺に向けて撃ってくるが、焦りと腕の悪さで照準が合わず、一発俺の肩を掠めていった以外は、電車に当たるか仲間のガキ共に当たっている。
 奴の目が黒く濁っている。相当、焦っている証拠だろう。俺は銃口を向け撃った。衝撃が腕に伝わってくる。同時にガキの顔が顎を残して吹き飛んだ。
 倒れるガキ。だが、これからだ。
 背後で気配を感じる複数の銃口が俺に向けられている。だが俺のショットガンの方が速く引き金を引いた。乾いた音。
 おっと、弾切れか…
 複数の銃口から放たれる無数の弾丸が俺の四肢を食い千切っていく。俺はあっという間に蜂の巣だ。
人の形を残して電車の床に落ちたか疑問だ。奴ら弾倉が空になるまで撃ってきやがった。
ガチャガチャと弾倉を代えている音が聞こえる。
銃声が二つ。ガキ共の二人の脳天が弾ける。撃ったのは誰か。俺だ。
俺は両の手にハンドガンを持って起き上がる。
ガキ共は声すら上げられず、口を鯉の開くだけ。
「このクソッたれのガキンチョ共! テメー等のドテ腹に風穴開けて、その臓物引き摺りだしてやろうかぁ?」
 脳みそをむき出し、眼球を吊らし、臓物を垂らす血塗れで剥き出しの俺の言葉は相当怖かったのだろう。今度は悲鳴を上げる。家畜のようにヒーヒーと泣き叫びながら銃を構え撃つ。再生し始めた俺の四肢を再度引き裂き、食い千切り、穴を開けていく。
 仕方ない。俺は両手の銃を向け近づきながら撃つ。虫でも潰すように、ガキ共は死んでいく。
「化け物がぁー!」と勇んで向かってくる者も、「神様…お願いです助けてください」と今まで信じたこともない神に縋る者もみな平等に死を運んでやった。
 これで静かになった。そして俺の体も元も戻りつつあった。服はボロボロであった。
 すると、隣の車両から叫び声が聞こえてくる。見れば顎から上を消してやった奴が消えていた。俺はショットガンを取り弾を詰めながら隣へ行くとそこにいた。硫黄の臭いを撒き散らしながらヨタヨタと歩いている。
「どこに行く。お前が行く所は決まっているだろ」
 俺はそいつの背中に向けて撃つと、吹き飛び倒れる。俺はショットガンを捨て手袋を外し近づく。コレに銃など効かない事はわかってる。
 胸倉を掴み寄せると、そいつの下顎から盛り上がり気味の悪い目が俺を見ていた。ソレは笑った。まるで黒板を引っ掻いたような不快極まりない笑いだった。そしてそのザラついた声で話す。
「こりゃぁ、ついてないぜ。お前さんに見つかっちまうとは、踠きし者よ。光に見捨てられながら光に使われる憎悪の男。あんたの話はゲヘナでも人気だぜ。皆がお前さんが戻るのを首を長くして待ってる」
「おしゃべりな奴だ」
 俺が手袋を外した手でそいつの首や顔を押さえこむと、途端に煙が上がり酷い硫黄と肉が焼ける臭いが煙に混じる。同時に起こる割れんばかりの悲鳴。
「さっさとゲヘナに帰りやがれ」
「こいつは始まりだ。俺らは所詮手足。俺だけじゃねぇぞ。覚えとけよ。こいつは戦争だ。やっと見つけたんだ。やっと…」
 俺はこいつの体を起こし窓に叩きつけた。すると、そいつがぶつかり窓はひびが入ると同時に反対側の窓が内側に砕け、車内に不快な悲鳴と共に奇妙な生物が現れる。闇のような体に細い手足に醜い顔、例えようもなく悪魔である。
「ようやく出てきたな」
 そいつの首と顔には手型の焼けた跡がクッキリとあった。そいつは急に駆けだす。その時俺は初めて気付いた。既に誰もいなくなったと思った車内に一人少年がいた。分厚い本を読んで、まるでこっちの事には興味がないかのように本を見る。
 悲鳴を上げ突っ走る悪魔。恐らく体に乗り移る気だ。
「言っただろ。地獄(ゲヘナ)に帰れと」
 途中で悪魔の動きが止まる。俺の目に見えない触手がそいつを捉えていた。俺は手を上げ握りつぶした。
 同時に悪魔が押し潰れたかと思うと火の粉を残して消えた。
 少年はようやく顔を上げた。そして一言。
「あんたら。五月蠅い」
 凛とした冷たい背筋が凍る声だった。
「お前。何してる?」
「あんたに何の関係がある?」
 そこまで言った所で、電車の振動に少し変な揺れを感じる。電車は既に停車している。そして鼻を突く硫黄の臭いと電気が消え、静寂の中の羽音。
「まったく、一体、何をしてるんだ」
 少年が呆れた声で言った。まったくこの状況を怖がっていない。だが、今はそんなことをしている場合ではない。
 乗り移ってないにしても数が多い。
「坊主。目を閉じてろ」
 低い声に少年は素直に目を閉じた。
 俺は自分の体に刻まれる十字の痣をなぞり十字を切る。
「おい。棺桶はいくつ必要だ?」
 その瞬間。俺を中心に強烈な光が漏れ、周囲を光で覆い尽くした。
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