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スカーレット・フード

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スカーレット・フード


籠龍



 耳に届くは肉と肉のぶつかる音と荒い吐息。鼻を突くのは鉄と臓腑の臭いと、愛液の香り。
 金髪、碧眼の少女の上に乗るのは黒き獣・片耳のない狼。涙も枯れ、出す声すら掠れてしまった。隣に転がる無残に食い散らかされたおばあさんの死骸と花束。誰も少女を救ってくれはしない。助けに来てくれた猟師すらもが死んでいる。誰も助けてはくれない。助けることはできなかった。狼は一匹ではない。
 獣たちの弄ばれ、獣と自らの愛液に塗れた少女の碧眼は、暗く暗く沈んでいった。

 人々は狼の恐怖に震えていた……




 森を歩く一人の少女がいた。できるだけ日の当たる所を歩いてはいるが、どうにもフラフラと様々な物に興味を示しては道草をしている。
 その手にはバスケット、粗末な服の上からマントを羽織り、その頭には赤い頭巾が被られていた。
 彼女は村では“赤ずきん”と呼ばれている美しい少女である。
 赤ずきんは花畑に着くと、お花を摘み始める。そこへ狼が現れた。
「これはこれは美しいお嬢さん。何をなさっているのですか?」
「あら、私は大好きな方へお花を摘んでいるの」
 狼に少女はニコリと笑顔を向け言った。彼女の反応には少し驚いた狼であったが。すぐに赤ずきんの笑みとは反対の笑みを向ける。
「しかし、このような所に独りで来るとは、何か用でもあるのですか?」
「私はこれから大好きなおばあさんの所へ、ケーキやワインを運びにいくの。おばあさんはとても体が弱くて、ベッドから起き上がれないの。」
「ほぉ~。それはそれは。ところでお嬢さん。お名前は?」
「みんな、私を“赤ずきん”って呼んでるわ。狼さん」
「では赤ずきん。私はお腹が減って仕方がありません。ケーキを少しわけてもらえないでしょうか」
「いけません。これは大事なおばあさんのだもの」
 赤ずきんが断ると、狼は喉を鳴らす。それでも赤ずきんは天真爛漫に笑顔を見せ、花を摘んでいる。
 狼はそんな赤ずきんを、無い片耳を触りながら見ていた。
「赤ずきん。おばあさんの家はどこにあるのですか? 一緒に行ってあげましょう」
「おばあさんの家は、この森とあの森の間。大きな三本のブナの木の間にあるのよ。行くには針の道かピンの道があって、針の道の方が近道なんですけど。険しくて……私はピンの道から行こうと思ってるの。そこは安全な道だから、独りでも平気」
 ニッコリとまるで旧知の仲であるかのように無邪気に笑う赤ずきん。その姿に狼は満足気に笑み、舌舐めずりとした。
「そうかそうか。赤ずきん。それは大変だ。険しい針の道を一人では危険だ。確実なピンの道を選ぶのは賢明な判断だよ。赤ずきん。では気を付けて行きなさい」
 そう言うと、狼は走って去っていった。



 片耳のない狼は赤ずきんと別れ仲間を集める。赤ずきんの話を聞くと狼たちは喉を鳴らし、鼻を引くつかせ、舌舐めずりをする。
 そして狼達は険しい針の道を走り、おばあさんの小屋へと向かった。おばあさんの家はすぐに見つかった。
 片耳の狼は窓から中を覗くと、おばあさんはベッドで布団を被って眠っていた。ドアを叩くが、中からは何の反応もない。狼がノブを捻るとドアは抵抗もなく開いた。
「なんとも不用心だ」
 片耳の狼の言葉に狼たちは声をひそめて笑った。片耳の狼は音もなく忍び寄った。
 狼たちの目が怪しく輝く。ギラギラと欲望に淀んだその瞳は、全ての生命を恐怖させる。腹の底から這い上がるような冷たいもの。
 そしてついに片耳の狼がおばあさんの眠るベッドへ辿り着いた。おばあさんにかけられた布団に手をかける。狼たちも飛び出すために今か今かと構えている。
「では、おばあさん。安らかなる永久の眠りを」
 片耳の狼が布団を弾いたが、狼達は面喰った。そこには人間をかたどる人形が寝かされていた。そして一番扉に近かった狼二匹の悲鳴に振り返る狼達。

「ある所に少女が一人いました。彼女はおばあさんの事が大好きでした。ある時、おばあさんに焼いたケーキを食べさせてあげようと森に入りました……」

 そこには先ほどまで狼と話していた赤ずきんが立っていた。入口のドアは彼女によって閉められる。赤ずきんは先ほどまでの雰囲気は一切なく。微笑んでいた口元はきつく結ばれ、目は暗く暗く冷たい碧眼。背筋を震わす程に暖かみもなかった。
 彼女の両脇に首から血を流し倒れる狼。
「少女は狼に会いました。狼は言った。『おばあさんのためにお花を摘んであげなさい』と、『きっと喜んでくれるから』と。少女は一生懸命お花を摘みました。もう持てなくなるまで、奇麗なお花を摘みました。少女はおばあさんが大好きだったから」
 いきなりの事に状況が読み込めない狼達だったが、そんな状況の事を一切忘れてしまうほどに、赤ずきんは美しかった。狼達は凶悪に牙をむいて笑う。所詮は少女である。ジリジリと歩み寄った。赤ずきんはそんな狼達にまったく動じない。
 そして狼達が我先にと赤ずきんに襲い掛かる。嬉々として襲いかかる。
 赤ずきんはまるで夢遊病であるかのようにユラリと動くと、マントを脱ぎ、それを手に振った。はためくマントは狼達を撫でる。同時に狼たちの体は切り裂かれ胴は宙を舞い、足はたたらを踏んだ。
「おお。神よ。祝福あれ」
 赤ずきんの目は狂気に輝いていた。慌てて身を翻した狼達も赤ずきんのマントの餌食になった。それはあまりにも鋭利であった。小屋は一瞬で赤ずきんの頭巾と同じ赤に染まった。天井から貼り付いた狼の臓物が滴り落ちる。
「お、お前は一体……」
 唯一残った片耳の狼は赤ずきんに圧倒されながら壁まで追いつめられていた。
「私を忘れたか狼。ああ、そうだろう。私にとってはお前は初めての相手でも、お前にとっては多くいるうちの一人に過ぎんのだから」
 異様に輝く赤ずきんの目にあるのは、メラメラと憎悪に嫌悪の炎というよりは狂気、狂喜に近い。
「おばあさんおばあさん。なんて大きい耳をしているの?

  おばあさんおばあさん。なんて大きい目をしているの?

   おばあさんおばあさん。なんて大きい手をしているの?

    おばあさんおばあさん。なんて大きい口をしているの?

 おばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさんおばあさん」
 まるで壊れた人形のように彼女は何度も何度も繰り返す。それは狼にすら恐怖を与えるものであった。そして思い出したかのように、狼は目を見開いた。
「お前は、あの時の……待て、助けてくれ。殺さないでくれ。すまなかった。あの時は、ホントにすまなかった。私はあんなことしたくはなかった。信じてくれ。しかし、あそこで私だけ拒否したら、私は仲間に殺されていただろう。仕方がなかったんだ」
 赦しを懇願する狼の姿は見開かれた赤ずきんの両の碧眼に映る。
「だからと言って、私のしたことが正当化されるわけではない。私は悔いていた。今までずっとだ。そうだ私はお前を探していた。本当だ。あの時の罪を償いたいんだ」
 狼の言葉に赤ずきんは初めて感情らしき笑みを見せた。しかしそれは慈愛や慈悲の笑みではない。その笑みならば人間よりも、見ている狼が一番知っているだろう。それは獲物を犯す時に見せる狼の笑みに似ていた。
 赤ずきんは頭巾を取ると、その中から美しい金髪が流れる。その姿は狼の記憶にある少女と合致した。しかし、狼の知る怯え、震え、泣いていた少女は、今では逆に相手を怯えさせ、震えさせ、泣かせるに値する恐怖を身に纏っていた。
「この時を待っていた。
 おばあさんおばあさん。なんて大きい耳をしているの?
  それは削ぎ落しがいがあるからさ……

 おばあさんおばあさん。なんて大きい目をしているの?
  それは抉りがいがあるからさ……

 おばあさんおばあさん。なんて大きい手をしているの?
  それは千切りがいがあるからさ……

 おばあさんおばあさん。なんて大きい口をしているの?
  それは引き裂きがいがあるからさ……

 おばあさんおばあさん。なんて大きい体をしているの?
  それは……それは、あぁなんて遊びがいがあることだ!」
 赤ずきんは震える狼に舌舐めずりをした。
「おばあさんおばあさん。私の初めての大切なあなたに、お花を摘んできましたよ」
 赤ずきんは花畑で摘んできた花束を、狼の目の前で落とした。



 赤ずきんは小屋から出ると外に置いてあったバスケットから油を取り出し小屋にかけた。そして火をつける。火は瞬く間に小屋を包む。燃え盛る炎はまるで彼女の被る赤ずきんのように赤く周囲を照らし、染めた。
 赤ずきんは冷たい目を炎に向けていたが、飽きたかのように視線を落とすとバスケットを手に踵を返す。
「人を震わす狼達よ。お前達が人を狩る時代は今日をもって終わった。お前達は狩られるのだ。

 夜は震えて眠るがいい……」

 燃え盛る小屋を背に赤ずきんは笑みを浮かべて立ち去っていった。


 少女は村人達からこう呼ばれていた。“赤ずきん”と。
 本名は誰も知らない。どこで生まれたかも知らない。誰の子供なのかも知らない。美しき少女の事を何も知らない。
 わかっていることはいつも赤ずきんを被っている事と彼女が狼を狩る猟師であることである。
 なぜ彼女がそう呼ばれたか? それは彼女が名乗ったのだ。

 自分は単なる“緋色の破落戸”(スカーレット・フード)であると。

(終り…かもね)
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