このデモの開催にあたり、書写山圓教寺 執事長 大樹玄承師よりいただいたメッセージです。



チベット問題について、私たちは忘れていません。
1951年以来改善されることなく続いているのです。
本日ここにお集まりの皆さんは、やさしい人々です。心から敬意を表します。

 さて世界人権宣言を言葉だけでも御存知の方は多いでしょう。
 その『第一条 すべての人間は、生れながらにして自由であり、
かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなけ
ればならない。
 第二条① すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見

国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる
事由による
差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有するこ
とができる。

 ②さらに、個人の属する国又は地域が独立国であると、信託統治地域であると

非自治地域であると、又は他のなんらかの主権制限の下にあるとを問わず、その
国又は地域の政治上、
管轄上又は国際上の地位に基づくいかなる差別もしてはならない。』

 とあります。宣言の法的な拘束力の有無が議論されて久しいのですが、この前
文に
「国際連合の諸国民は、国際連合憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価
値並びに
男女の同権についての信念を再確認し、(中略)加盟国は、国際連合と協力して、
人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約した」
とあります。
つまり国連加盟国は、遵守、促進し、自国民を護らねばなりません。
御存知の通り、中国も国連加盟国です。

ダライラマ法王猊下の写真を持っているだけで連行される日常、起こった抗議行
動で
多くの僧侶、市民が未だ拘束されたままなのです。
よく知っていただきたいのは、ただ拘束されているだけではありません。
取り調べという名のもと、恐ろしい拷問が牢獄で繰り広げられています。
その一々を申し上げるのは憚られるほどひどいものです。

世界人権宣言の第五条には「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱

な取扱若しくは刑罰を受けることはない。」とされていて、中国ではチベットに
限らず、
内モンゴルでも、ウイグルに於いても著しく人権が侵されています。
ビルマに於いても想像される通りでありましょう。
世界が手をこまねいている間にも、命が失われ、精神が破壊されています。
今この瞬間にです。彼らを救い出すのに私達は無力でしょうか?
いいえ、自分のこととして考える方が一人でも多く広がっていけば、
そのようなはずはありません。
その為にはいろんなところで声を上げていかなければなりません。

 宗教団体の多くの組織で、サミットや終戦の日を前に、平和に向けて様々なメ
ッセージが発せられます。
長い歴史を持つ祈りの式典も多いと思われます。
世界の平和を祈る様々なイベントでどのようなメッセージが毎年出されるでしょ
うか? 
我が宗団始め、諸宗派、教団で人権に関する部局を持たない組織はありません。
自治体や地域の自治組織でも盛んに人権に関する研修会が定期的に行われている
はずです。
どうして声を上げないのでしょうか。
そこで行われていたものは何だったので
しょうか。
その達成するべき目標に国境はあるのですか?
それらの存在意義が問われていると思いませんか?
 私たち一人一人が考えなければならない時がきています。
環境も、外交も、この私たちの日本の有り様について、
今こそ個人がこの国のために、地球のために、小さくてもはじめなくてはなりま
せん。
 未だに食品の産地偽装や、提供する名高いブランド名をもつ会社、政治家、高
級官僚の不正等が、
世に実態があばかれる事件が後を絶ちません。
そういう昨今の出来事を見ても人を謀るような存在は、
このままでは立ちゆかない時代に、日本は入ったと感じています。
これからは本物、真っ当に生きる姿勢が私たちに問われています。
遠巻きにニヤニヤ見ているだけの日本人ではダメです。
もう一言声を出し、もう一歩前に踏み出そうではありませんか。



書寫山圓教寺 執事長 大樹玄承

最終更新:2010年03月18日 04:58