大和(やまと)
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- 本名、前田大和
- 05年の高校ドラフト4位で入団
- 俊足と抜群の守備範囲を誇る内野手にして外野手。
- 「阪神で守備が一番上手い」「守備だけなら一軍で通用する」「守備と走塁は一流」『しかし長打力は……』と言われるほど打撃は酷かった。
- 07年に登録名を大和にする。改名前の新聞やスコアボード表記は前田忠節が居たこともあり前田大。ちなみに彼もまた打撃は酷かった。
- 中日時代のチェン・ウェイン(現・オリオールズ)に強かった。何故かはわからないが非常に相性がいい。
- 鳴尾浜時代に何度も対戦したうえ、ストレートに強いのが理由だと思われる。
- 最初はチェンが手を抜いているだけと言われていたが相性のよさは11年まで継続していた。
- 09年4月15日1軍初出場
- 阪神時代前期の打席入場曲が宇宙戦艦ヤマトだった
- 小柄で足が速くて守備が上手い遊撃・二塁手、阪神球団がやたらと獲得するタイプの選手
- しかしそれだけに同じようなのがほぼ毎年入ってくるためファームで消える人も多い、彼もそんな中の一人と思われていた。
- 8月4日に二番セカンドで初スタメン、マルチヒットを放つ。この試合ヒットを打ったのは大和だけであったため彼がスタメンでなければ完全試合をくらっていた。
- 8月7日、チーム6年ぶりのスクイズを成功させる。
- 10年は代走や守備固めが中心ながらも、ルーキーの藤川俊介とともに勝利に貢献する場面も増え期待され出した。
- 平野恵一、鳥谷敬といった普段なら代走を送られることはないような俊足選手の代走としても出場し、即盗塁を決めるなど走塁面での活躍が特に目立っていた時期もあった。しかし阪神時代末期は江越大賀や植田海といった自身よりも速い選手が出てきた上に大和本人もスピードが落ち盗塁をしくじるケースが度々目立ちめったに盗塁しなくなっていた。
- 見た目が老けて見えるため、最初の背番号に引っ掛けて「背番号も年齢も66」と呼ばれちゃったりする。
- 09年の公称体重は64kg。針金のような身体が「宇宙戦艦ヤマト」の勇ましい音楽と共に登場する様子は面白い。
- 10年5月18日ホークス戦において、城島健司の代走で出場し初球から盗塁を成功させ、同点に追いつくきっけを作る。その後の打席でも犠牲フライを打つなど素晴らしい活躍を見せた。
- 左投手には結構強いと言われ出す。。
- 12年は出場機会を増やすために外野手にも挑戦。元々走力や守備力の高さが魅力だが課題の打撃も向上し柴田講平とセンターレギュラー争いを繰り広げた。シーズン当初は柴田が優勢だったが左投手への相性の良さに守備の堅実さと走塁で、やらかしが目立った柴田を押しのけて実質センターのレギュラーに収まった。しかし守備陣形によってはセカンド・サードを守ったりもする。
- 14年、遂にゴールデングラブ賞を獲得した。
- 14年は主に西岡剛の怪我もありの主に2番担当。打撃は今一なものの、その守備は数々の窮地を救っており納得のゴールデングラブ賞受賞である。
- 14年のクライマックスシリーズでは西岡が復調したため2番には上本が周り、8番を担当。8番ならあの打撃でも許せるというファンも多かっただろう。
- クライマックスシリーズの巨人戦においてゴメス、マートンの活躍に目が行きがちだが、大和の堅守ぶりもCSの躍進の原動力となる。
残念、そこは岡田だならぬ『残念、そこは大和だ』を連発。時にはヒットになりそうな打球にも飛びつくなど、その圧倒的な守備力を見せつけてくれた。
結果巨人はリーグ優勝したにも関わらず、日シリ出場を逃すという屈辱を味わい、GM砲と共に「エリア0」のトラウマを巨人ファンに植え付けた。
- 日本シリーズでのソフトバンク戦では日本一を逃したものの、大和の守備は多くの窮地を救っている。
- その後はスイッチヒッターに転向したりしてそれなりの結果を残していたものの、2017年オフに横浜DeNAベイスターズにFA移籍した。
動画
高校時代の大和 応援歌は宇宙戦艦ヤマトだったり真弓監督だったりHTマーチ2番だったり
最終更新:2017年12月03日 18:59