新庄 剛志(しんじょう つよし)
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- 1989年ドラフト5位で阪神に入団。同期は葛西稔・古里泰隆など
- 元々投手で入団したが即野手に転向。守備の才能が一気に開花したのは本格的に外野手に転向してから
- 投手からの野手転向歴や「宇宙人」のあだ名は日ハム時代の同僚だった糸井嘉男と被る
- 監督だった中村勝広(故人)に見出され1992年華々しく一軍デビューを飾り亀山つとむ共々「亀新フィーバー」でブレイク
- 暗黒時代の阪神で4番を打つ。パンチ力はあるが率が低い。阪神暗黒時代には新庄のHRと和田豊のヒットぐらいしか語るものがなかった。
- 阪神時代の名言で有名なのが明日も勝つ!
- 後の日ハム時代でもサヨナラ満塁弾(ただし走者追い越しでただのサヨナラヒット)を打ち、「明日も勝つ!」と言い、日ハムファンを震撼させた。しかしその呪いは何故か阪神に降りかかる。
どうやらこのフラグは阪神にしか発動しないようだ。なんでや!阪神関係ないやろ!
- 数多くの伝説を持つ。
- 有名なのは槇原寛己(巨人)から敬遠球を打ってのサヨナラ勝ちであろう。詳細は下記の動画を参照。
- だが相性が最悪だった鬼平こと藤田平監督時代に引退騒動を起こしたりしている。
- 藤田とは言うほど仲は悪くなかったとも言われている。。正座事件も選手間で決めた規則だとも言われる。が、真相は闇の仲。
- 一見チャラ男であるが、あの堅物なノムさんとは相性が良かった。ノムさんは新庄は宇宙人だから怒っても駄目だろうと端から吹っ切れたのが大きかったらしい。
新庄もああ見えてノムさんの前では染めてた髪を戻すなど、目上の人を立てる行動をしていた。
そのこともあってかノムさんはマスコミの前で新庄批判をしていたが、これは盛り上げるために新庄と打ち合わせをした上であえて行ったことであった。- それなら今岡誠にもそうやって接してやれよと思った人も多数。
- 当時の読売監督だった長嶋茂雄にも高く評価されていた
- マーク・ジョンソンは「No.5(新庄のこと)にはカリスマがある。彼が打つと甲子園は世界一熱狂的なボールパークになる」と新庄のカリスマ性を高く評していた
- その反面星野仙一や岡田彰布みたいに新庄を嫌う人も少なくない
- 阪神時代は練習を良くサボっていたらしい。そして急に練習に来たと思ったら一番体力がある。ホンマに訳の分からん男である。
- のちにメジャー挑戦をぶち上げニューヨーク・メッツ→サンフランシスコ・ジャイアンツ→ニューヨーク・メッツと渡り歩く
- 2004年に北海道日本ハムファイターズに入団
- 一部マスコミでは日本復帰なら自宅に近い横浜が有力視されていたが日ハムになった
- この時阪神に復帰する気は毛頭なかったらしい。もっとも星野も岡田も取れとは言わなかったが
- 守備に関してはかなり上手くて並外れた強肩の持ち主。日本でもゴールデングラブ賞を何度も受賞している。メジャーでもその守備力は絶賛されていた。
- 普段はおちゃらけているように見えるが守備に関しては途端に真面目になり、日ハム時代は守備位置に関しては新庄が指示をしていた。稲葉篤紀に至っては、守備位置に迷ったら新庄の守備位置を見て決めるぐらいに信頼していた。
- ぐう畜で有名なバリー・ボンズと仲良くなれるぐらいのコミュ力を持つ。
- 日ハムは当時野球ファンからの支持率が0%を記録し、超不人気球団であった。しかし札幌移転と共に加入した新庄の活躍により、その雰囲気は一変。
新庄がテレビで出まくり日ハムのテレビ露出が球速に増えた。そして広報担当者は「20年間努力したのに全くダメだった。それが一人の加入でこんなに盛り上がるとは」と洩らしたほど。- 他にも新庄は「これからはパリーグの時代です!」と発言した。これにより日ハムどころか、今一人気のなかったパリーグも急速に注目され露出も増えていくようになった。
- 新庄を語るには多くのエピソードを語らなければならない。しかし一言で表すならば人気俳優が野球選手をやっていたような人物である。
- 目立ちたがりのようで、実は人一倍気使い上手で他人を立てる。
- 実際、日ハムへ移籍した当初はまず自分が目立ってパリーグを盛り立て、注目され始めたら森本稀哲(元日ハムなど)や阪神でも同僚だった坪井智哉(現・DeNA一軍コーチ)や小笠原道大(現・中日二軍監督)など他の選手やチームが目立つように計算をしていた。
- オールスターで使ったレインボーバットも事前に協会に申請して許可を貰っている当たり、その気使いの良さが伺える。
- 日ハムに行ってからその派手なパフォーマンスが連日マスコミに取り上げられたが、相手のエース級が出る日程では決してせず、裏ローテ投手で勝つ見込みがあるときにだけ行っていた。
これは派手なパフォーマンスをしても負けてしまえばピエロになってしまうのを恐れたからである。その為新庄は投手のローテ予想を計算していたことをテレビ番組で明かしている。
- 2006年、シーズン前半で突如引退宣言。そして日ハムが日本一になるのだからこの男のスター性は凄いものがある。
- 日本一になった際、ヒルマン監督を差し置いて真っ先に胴上げされるあたり、新庄という男がよく表されていると言えるだろう。
- 引退後はバラエティ番組にも出ていたがインドネシア・バリ島に移住したこともあってか、野球界とは距離をおいている。
- が、たまにバラエティ番組に出ることもある。
- 現在の趣味はモトクロスらしい。一時期はレーサーを目指していたことも
- 一部の阪神ファンに取れば黒歴史扱い
- 一応阪神OBであるものの特に日ハム時代の言動に反感を持ち嫌ってるとらせん民も少なくない
- そんなわけでたまに話題が出ても一時期のこいせん民によるあの人のように「(当時の)5番という選手」呼ばわりされたりすることもある
- その反面カリスマ性のある新庄のような生え抜きスターを待望する声も多い。これは2000年代以降に片岡篤史・伊良部秀輝・金本知憲・新井貴浩・城島健司・西岡剛・福留孝介ら他球団のスター選手が阪神に次々入団していったことへの反発もあるだろう
動画
伝説の敬遠球サヨナラヒットとそれを語った動画
最終更新:2017年03月04日 08:59