八木 裕(やぎ ひろし)


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  • 1965年生まれ 1986年ドラフト3位で入団。入団当初の背番号は中村勝広と同じ背番号14。
    • 割と以外?のち背番号は3に変更。
  • 江川卓からプロ初HRを放ちこの年で引退した掛布雅之の後継者と目されるが攻守に伸び悩んだ。
  • 守備難の内野手だったが1992年外野手に転向して俊足強肩ぶりを活かすことになる。左翼・八木、中堅・新庄剛志、右翼・亀山努の布陣は阪神史上でも屈指の外野守備を誇った。
  • この年は打撃も好調だったが八木の運命を暗転させる出来事が発生する。9月11日 甲子園での対ヤクルト戦で9回裏2アウト1塁からレフトフェンスの真上を直撃し、スタンドインする打球を放つ。一時はHR判定となったが、ヤクルトベンチの抗議によってエンタイトルツーベースとなった。結局この試合は延長15回引き分けとなり、6時間26分という日本最長試合になった。
    • 余談だがこの時の敵将野村克也が後年阪神監督就任した時に一部ファンが拒絶反応を起こしたのはこの件が一因とも。
  • この年を境に怪我との戦いとなり、96年に至っては一軍試合出場無し、翌年就任した吉田義男監督に剣が峰の選手と言われる。
  • 1997年から代打能力が開花し、代打率4割を叩き出す。ファンからは代打の神様と呼ばれた。
  • 2002年の対横浜戦では初球を打ち、代打逆転満塁を放った。
  • 等の神掛かり的活躍により、甲子園で「代打、八木」コールがされる度に大盛り上がりとなる。甲子園の人のコールもうまいんだこれ
  • 1986年入団と、優勝からもっとも遠ざかった男であり、2003年に優勝した夜はホテルで1人泣きしたという
  • リーグ優勝をしたら引退するという言葉通り、2004年に引退。10月10日のジャイアンツ戦が引退試合となり、8回裏に代打でライト前ヒットを放つ。試合後のセレモニーでは涙を浮かべてスピーチをした。
  • 引退後は毎日放送・サンケイスポーツの解説者となり、土曜朝の番組せやねんにも出演している。
  • 2005年日本シリーズ予想でロッテの4連勝と予想。見事的中させた。
  • 2009年より2軍打撃コーチに就任。
  • コーチ就任後は卓越した打撃理論を指導に生かしきれず逆神になってしまった。野原将志を始め開花出来ずに終わらせてしまった野手多数。
  • ラジオのCM「熊野の郷」の高低のない棒読みを聞いたら脱力してしまう。
  • リストが強くバットコントロールが旨い、代打での強さは言わずもがな、犠牲フライが欲しい場面でミスったのを見た事がない。
    • 反面、スタメンで起用されていた若い頃はやたら球を見るケースが多く、見逃し三振が結構あった。付いたあだ名が「ぬかに八木」。
    • 18年ぶりの優勝を果たした2003年はスタメンで4番の試合も時々あった。本塁打はなかったが勝負強い打撃をたびたび発揮。
  • スーパー銭湯のラジオCMの棒読みっぷりに萌え。
  • 現在はMBSの解説に舞い戻る

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最終更新:2017年09月30日 03:08