世界一受けたい授業1

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  1. 世界一受けたい授業1(2004年〜2005年)
  2. 世界一受けたい授業2(2006年〜   )

2004年08月19日(木曜日)

日本テレビから、出演依頼のFAX。堺正章とくりぃむしちゅー司会の新番組のゲスト。新番組のゲスト依頼が私のところにくるのは珍しい。たいてい、長く続いている番組で、いいかげん ゲストのタネが尽きたあたりで呼ばれるのであるが。

2004年08月23日(月曜日)

日本テレビから出演承諾感謝、というメール。まだそれだけで、内容などもほとんど決まってないらしい。

2004年09月07日(火曜日)

日本テレビから電話、『世界一受けたい授業』の撮り、11月上旬とやら。

2004年09月12日(日曜日)

日本テレビ『世界一受けたい授業』制作プロダクション・エストのKさんも来てくれる。しゃべっている私を一度みたい、というわけだろう。

2004年10月06日(水曜日)

今日はさらに日テレとの打ち合わせもあるのだった。もう一度トゥルーサウスに電話して、予約時間を切り上げてもらう。
交番前通りのトゥルーサウスへ。S先生、テレビ出演と聞いて念入りにブローしてくれる。
カット終わって時間ちょうどピタリ。やや早足で歩くくらいで、東武ホテルの待ち合わせに間に合う。時間割に場所移し、日テレ『世界一受けたい授業』打ち合わせ。向こうが呈示してきた内容に、ちょっとこちらの意見を入れる。これまでは私はテレビ出演は自分の著作の宣伝、と割り切って、向こうが言うことに関してはどんなに恥ずかしい注文にも応じてきた(スモークが焚かれた書庫から、下ライトを当てられて出てくる、などという怪奇調の紹介まであった)が、早朝番組とはいえレギュラーを持つと、そうそう自分のイメージを安売りも出来ないという気になる。幸い、向こう でもそのアイデアはいいですねと言ってくれた。

2004年10月18日(月曜日)

日テレ『世界一受けたい授業』製作スタッフからも電話。ああ、こっちのネタだしもやらないと。などとドタバタしているうちに時間となり、家を出る。

2004年10月21日(木曜日)

日本テレビ『世界一受けたい授業』Kさんから “うにょにょにょにょ〜(大意)”という電話。すでに二日、私の出演回のネタ出しを遅らせている。明日の構成会議までにネタがないと大変に困るという。それはわかっている、わかっていますが気圧が、気圧が

2004年10月27日(水曜日)

もひとつ日テレから、『世界一受けたい授業』、苦労してネタ出ししたら、方針が変わったので、また一からネタ変更を、 という報せ。ダアとなる。

2004年10月29日(金曜日)

2時、時間割にて日テレ『世界一受けたい授業』ダンドリ打ち合わせ。これまで、テレビの人たちは私を出来るだけ“アヤシゲな”イメージで描こうとしてきた。いまだにそれは変わらず、“ミステリアスな雰囲気を出すためマントを羽織って出てきてくれませんか”などと言う。却下。46でそれはシャレにならないでしょう。と、いうか未だオレはこういう扱いか、と苦笑。帽子とメガネだけで十分アヤシゲなのだか ら、これ以上付け加えることはない。

2004年11月06日(土曜日)

今日は日テレ『世界一受けたい授業』収録日。髪が伸び放題なので、トルーサウスを予約。朗読用原稿などをまとめる作業シコシコ。11時半に出かけて、スガワラ先生にやってもらう。テレビ収録のため、というとやはり熱が入るらしく、いつもより丁寧な感じっぽい。眉毛が伸びている(これも老化現象だな)ので少しカットしてくれる。眉が薄いのはコンプレックスの一つなのだが、不思議や、カットしたら少し濃く見えるようになった。
5時半、家を出て麹町日本テレビ。
ディレクター氏から、“お願いしていた、時事ネタでの雑学は”と言われて、アッと心の中であわてる。すっかり忘れていた。しかし、表向きは平然を装い、何かネタがないかとポケットを探ったら、さっきタクシーのお釣りでたまたま貰った樋口一葉の五千円札と野口英世の千円札があったので、これを並べてみせて、“〜てのはどうです?”と何気ない調子で披露してみせたら、向こうはえらく感心していた。内心、 ホッと胸をなでおろす。

で、収録、最初の新札ネタがきちんとウケてくれたので、あとは一気呵成。45分くらいという予定を一時間たっぷりやってしまい、しかも予定していたものの半分しか進まず。つまりは、ひとつのネタでスタジオが盛り上がったということ。私のネタがよかったというよりは美輪先生から解放されて、みんなホッとしていたのではないか。田島令子がボケキャラで笑いをとっていた。田島令子と言えばオスカル様で、クイーン・エメラルダスでバイオニック・ジェミーなのに、とつい思ってしまうのであ るが。これを15分に縮めるのであるが、さて、どのネタが残るか。

柴田アナには、ちょうど食事の雑学が出ていたので、“ご主人は焼肉が好きなんで すよね”と聴いたら、「いえ、大豆たんぱく中心で、肉はほとんど食べません」と。ああ〜、あがってしまってイチローと松坂と間違えてしまった。恥かしい。まあ、すぐそこから“大豆たんぱくと言えば納豆ですが……”と話を転じてゴマかしたけれど。

ともあれ、無事、授業は終了。スタッフにも“盛り上げていただいて”と感謝され る。とはいえ、最も絶賛されたのは、画像パネルの使い方。「お上手ですね〜!」と感心される。自分としてはミスばっかりだったと反省していたのだが、これまでの先生陣がいかに最新機器に疎かったかということか。

2004年11月20日(土曜日)

おぐりからのメールで、今日が『世界一受けたい授業』放映美だということ知る。
見てみると、斎藤孝氏が出ていたが、声が妙にカン高くて、はしゃいでいる感じ。それに比べて、次に出た私はどうも陰気。確かに以前より顔やせはした。日テレは基本的にゲスト文化人にはメイクをしない(らしい。『メレンゲの気持ち』もノーメイクだったし、『サンクチュアリ』もこっちから言い出て“あ、しますか?”だった)ので、夕刻の撮影で、鼻の下のヒゲがうっすら伸びているのが目立ったのがちょっとイヤだった。もっとも、そのあとの話などはまずまず。私の次、真打ちが美輪明宏さんだった。

2004年11月24日(水曜日)

日テレ『世界一受けたい授業』から電話、先日出演した回の視聴率が大変によろし く、それも私の出た時間帯で数字が一番ハネ上がっているとのこと。「まあ、親戚が見たせいでしょう」とか答えておいたが、なんだろう、前が斎藤孝、後が美輪明宏で、私が結局一番マトモに見えたということか。さっそく次回の出演も打診される。正直な話、なんで視聴率がとれたかはよくわからないが、こないだの『鈴木タイムラー』もあの時間帯の最高視聴率とったし、これで最高視聴率男、とか伝説がついたらいばってテレビに出られるのだが。あと、出演料の件。思ったよりかなりよかった。やはりプライムタイムの番組は違うなあ、と実感。文化人値段でこれなのだから、タレントはいくら取っ ているんだろうか。ローン返すまではせっせと出演しよう

2004年11月30日(火曜日)

昨日、日テレ『世界一受けたい授業』からまた出演依頼がきた。視聴率がかなりよく、しかも私の出演時でハネ上がったと向こうが興奮していた。私がよかったからじゃなく、あの回のメンツ中、一番おとなしめの授業だったからではないかと思う。本人評価としては、全体的にあの回の私は低調だった。ただこの番組、さすがプライムタイム、という出演料なので、ローンの虜囚としては、こ こからのお声掛かりが定期的にあるのは歓迎である。

2004年12月02日(木曜日)

日テレからは電話で、『世界一受けたい授業』の単行本に入れる私の講義の件。印税の率の話。他にも何人もの先生が出演する本なので、微々たる割合だが、出してくれるだけでも良心的 である。なにしろ某トリ……(自粛)

2004年12月17日(金曜日)

その『世界一〜』から台本、および番組中で使う写真(日常の光景の中から、どれだけ雑学を取り出せるかという趣向)がデータで届く。さっそく開いてみるが、この写真が重い々々。プリントアウトしてこれもカバンに。しかしこの番組、略称が“せ かじゅう”らしい。うーむ。

2004年12月18日(土曜日)

日テレ『世界一受けたい授業』二回目出演。髪がメロメロ状態なので、渋谷西武前のトゥルーサウスで撮影前の整髪をしてもらう。
完成台本渡されて今日の流れを聞く。前回の出演のときは準備時間があったので、こちらでいくつもネタ出しをして、余裕持ってスタジオ入りしたのだが、今回は年末進行にかぶさり、まったくと言っていいほど自分のオリジナルネタを用意できず、濃い話がほとんどない。せっかく制作側は私を「1.5%視聴率上げた男」という尊敬のまなざしで見ているのに、こりゃ期待に添えられそうもないや、と少しブルーになる。あまつさえ「生徒役の出演者たちに、どんどん質問させますから、余裕という感じでさばいてください」などと言われて、前の打ち合わせのとき、質問は前もってどういうものが出るか、下調べするので教えておいてくださいと言ったろうが! と恨むが、向こうは知らん顔でニコニコしている。信頼されているんだろうが、こっちは、これは唐沢憎しの連中がオレを陥れるために仕組んだ罠か? というような疑心暗鬼になる。
控え室で弁当(今半の焼肉弁当。さすがにうまかった)食いながらも、赤ペンで、シナリオに思いついた雑学メモ書き込む。書けば書くほどツマラヌものしか思い浮かばず、落ち込んでくる。胃が痛くなってくる。胸が苦しくなってくるのがわかって、缶のお茶をガブガブ飲む。おや、オレは上がっているのか? と思う。舞台に出るとか、カメラの前に立つとかで、上がったという経験のついぞない男なのだが、今日はさすがに、ネタなしでプライムタイム番組に出て雑学博士でござい、という顔をする か、と思うと、罪悪感で緊張するようである。
しかし日テレというところは凄い番組ツクリをするというか、いくら前に一回出演したとはいえタレントでもない素人に、ノーメイク(やはりこれも伝統か?)で、カメラテストもリハーサルもなく、いきなり本番でしゃべらせるのである。以前は細かく出などを指示してくれたが、もう今回は“ビデオ終わったら出てください〜”くら いで丸投げ。
仕方ないと度胸を決め、それっぽい顔で出演。心なしか司会の堺正章、上田晋也の二人も前のときよりフランク。上田の結婚をネタにおしゃべりをして、いざ授業に。アドレナリンの血中濃度がぐーんと上がり、しゃべりだしたら、何か自分でもとまらなくなる。今日の生徒には伊集院光のような、自分も雑学をネタにしている人もいてどうかな、と思ったが、ちゃんとこちらを立ててくれる。品川庄司、小橋賢治、さくら、山本真純、櫻井淳子と並ぶと、ああ、さすがゴールデンの番組は光っている奴らばかり集めているなあ、と余裕持って眺められるくらいしゃべりながら落ち着いた。つまらないネタにも、有田哲平や高畑淳子などはじめ、ワッワと受け、ネタを披露すると“へえー!”(いいのか?)と驚いてくれる。なんだこの反応はとこっちで驚くほど。要はテレビってのは“世間の評価”で全て通る世界なのだな、と実感する。そのネタが実際オモシロイかどうかではなく、“雑学の親玉のカラサワシュンイチの口から発せられる”ということで、みんながそれを価値あるものと思いこむわけだ。
こういう世界に生息するには、それなりの生態系を身につけねばならないのだなとつくづく理解できた。売れっ子タレントがオーラを放ちながら、どこか異様なのは、“売れている自分”というものへの満腔の自信を基本にしないとやっていけない世界だからであり、かつ、その自信というものがまったく客観性のないものだということから、必死で目を背けているためであろう。
下調べが間に合わなかったネタで、イタリア関係のものがあり、今日は生徒役にパンツェッタ・ジローラモがいるから、いいかげんなことも言えないしなあ、と思っていたのだが、それに関してはちょうど私のド忘れしていた部分をジローラモさんが最初に口にし、それを受けて、いかにもソンナコトハ前カラ知ッテイタという顔で、補足する形で私が知識を披露する。ジローラモさん自身が「凄イヨク知ッテルデスネエ!」と感心してくれる。質問もかなり出るが、幸い、全部答えられるものばかり。運も味方してくれた。いくつか思いつきのヨタも混ぜたが、大丈夫、ウケがとれたから、正確には違っても誤差の範囲内ですまされる。しゃべりながら、私は一流の香具師になれるな、これは、と思った。伊集院さんが「さすが神様ですね」と、しまいにはカール・ゴッチ扱いで感嘆してくれる。内心ではヒヤヒヤの神様であると苦笑。最後はきれいなまとめの講義で締めくくったが、堺正章校長の表情が印象的だった。要するに進行役独特の、「よーし、盛り上がって終わった。みなさんご苦労さん!」という顔である。いつものライブで私や村木藤志郎さんがする表情と同じである。
ああ、無事に終わった、と思ってハッと気がついたが、しゃべって間を持たせることに夢中になって、帽子を渡すとか、次回への引きをつけるとかというダンドリを全部抜かしてしまっていた。「あちゃー、素人でした!」である。やはり、かなりアガっていたと見える。しかしそれはFDがパネルで指示してくれなきゃ。まあ、それでも茶パツディレクターさんもうまくいったいったと喜んで、“また次回でいいです、それは”と言ってくれていたからいいか、と忘れることにする。誤謬性への根拠なき自信はこういうところから生まれてくる。今回、私はやはり二時間目で、その前が森永卓郎教授のお金の話、その後が100ます計算の岸本裕史氏とちょっと地味な講師陣なので、まず前回より目立つ とは思う。
その後、控え室でこの番組の単行本化用のインタビュー。答えながら、興奮していた気がしゅーっと沈静化していくのがわかる。今回のテンションは、やはり“あまり準備していかなかった”ことによる緊張感のなせる業だろう。この番組があまりリハをやらないのは、そのテンションを講師陣から引き出すためだとしたら凄い。落ち着いたら落ち着いたで、胃が今度はキリキリ痛んできた。うまくいった後で胃が痛むというのも変だが、さっきまでアドレナリンが出て気になっていなかった神経性の胃の痛みが感じられてきたということなのだと思う。幸い、これはすぐやんだ。

2004年12月22日(水曜日)

電話連絡頻々、日テレから来年一月収録の『世界一受けたい授業』特番についてのスケジュール確認。これまで登場した先生たちに国語算数理科社会と分けて特別授業を、というような趣向らしい。私はナンになるのかと聞いたら、“一般教養”と、なんか小学校ぽくない。

2005年01月03日(月曜日)

『世界一受けたい授業』から一月の撮影日確定の知らせが来たというのに。それまでに2キロ絞らなくては

2005年01月11日(火曜日)

世界一受けたい授業Kさんから連絡、私が他局のプライムタイムから引っ張りだこだと思っているらしく、放送がカチ合うことを怖がっているようだ。そんなに売れてはオランヨ

2005年01月21日(金曜日)

『世界一受けたい授業』、明日放送の分の制作会社から問い合わせの電話。同じく『世界一受けたい授業』、来週末収録の分の制作会社から打ち合わせ日取りの確認の電話。ここは毎回製作会社が違うが、横の連絡は大丈夫なのかな。

2005年01月25日(火曜日)

1時、時間割で『世界一受けたい授業』改編期特番出演の打ち合わせ。製作会社H氏、この回の内容はともかく、レギュラー化に向けての打診みたいなものを露骨にしてくる。しかし言質は与えない、というあたりが何ともテレビ人間らしい。こっちも思わせぶりなことを言っても即は食いつかない。腹芸の見せ合いみたいで、ワキから見ている人がいたらなんともイラついたことだろう。連絡担当のKさん(女性)の父上が、私出演の第一回の放送を見て、面白くて雑学にハマッたとか。「すぐ雑学の本を買おうと思って本屋に行ったら間違えて雑談の本を買ってしまったので、今度お前、あの先生の本を買っておいてくれ」と実家から電話があったそうで、Kさん“意味わかんない”と。
それはともかく、ちょっと視聴率的には低調だったこのあいだの回(まあ、出演者が地味で内容も固かった)でも、私のところは前回同様まずまずの数字であったらしく、それを反映してか、これまでは麹町の日テレの地図をFAXしてきて、勝手に来てくださいだったものが、次回は“お車差し向けます”になった。ここらへんの実も蓋もなさがテレビ業界らしくて面白い。まあ、数字が落ちればすぐさまにもまた勝手に来いになるのだろう。このドライさは“プロの厳しさ”ぽくて案外好み。

2005年01月29日(土曜日)

そのあと、私には似合わない街だが代官山まで。今日はテレビ収録なので、伸びに伸びた髪をセット。これまでは渋谷のトゥルー・サウスという店に通っていたのだが担当してくれていたS先生がそこの系列店の代官山『EDO ET D’EAU(えど、え、ど)』に今年から移ったので、こっちに。
それから仕事場に行き、メールなどいくつか。今日の番組の進行につき、「生徒役の人が191カ国の名前を勝手に挙げますから、それにあわせた雑学をお願いします」と制作会社からメールが来ていた。前日にこんなめんどくさいことを言ってくるなよ、という感じ。と、いうか、こっちがそんなことされてもスラスラ答えられるとい う風に思っているのか。
一応、資料に目を通し、チェック。例の国の名前雑学だが、またちょっと変更があり、子役の子がゲストの生徒でいるのだが、その子に質問させて、そこで出した国について、その子に合わせた(デブなので、食べ物とか、太っていることに関する)雑 学を披露してくださいと言われる。「どこの国を挙げるんですか」「韓国か、アメリカになると思います」というので、そこらの国でデブ関係食事関係のネタ思い出して仕込む。
で、本番。例によってメイクなし、リハなし。どころかキュー出ししてくれる人すら大道具裏にはおらず、「では本番」と声がかかったのでこれまでと同じくセットの裏に入ろうとしたら「さすがもう、よくおわかりで」などと言われる。
今回の生徒サトエリ、波田陽区、藤井隆、三倉茉奈・佳奈、久本雅美、柴田理恵、西岡徳馬、菊川怜、山崎樹範。マナカナの二人は二回目で、私に大変なついており、いい反応をしてくれる。
で、子役の細山貴嶺というデブの子。いいキャラの子だが上がってしまったらしく校長の堺正章から「さあ、カラサワ先生に知っている国をどこか言ってみて」と言われてパネルの前に来て、差したのがロシア。アメリカか韓国だと言っただろうが! と思ったが仕方ない。なんとかロシアネタでデブに関係あるネタをひねり出してその場をつなぎ、次は露骨に“よし、じゃあ次はアジアがいいな、日本の近くのところがいいんじゃないかな”と、韓国に誘導する。終わりにつなぐキッカケがあるので韓国に行ってくれないとどうにもならんのである。堺校長がホッとしていた。
終わって生徒のみなさんと挨拶、サトエリがデカいのに驚く。私より頭半分くらい背が高い。控え室帰って、次にこの番組の書籍化のためのインタビュー。我ながらこういうときはうまいことを言うと自分で自分のしゃべっていることにしゃべりながら感心。ディレクターが“その台詞、次の台本に入れていいですか”とメモしていた。

2005年02月08日(火曜日)

そのあと、『世界一受けたい授業』のこないだ収録したネタの裏付け資料サイトを調べてメールし、別に単行本用コメントを書いてメールし、小学館のテレビ雑誌の、この番組宣伝記事用インタビューの打ち合わせなど電話で。なるほど、ハタから見れ ばテレビ業界人に見えるかも。

2005年02月10日(木曜日)

1時、時間割でセブンのインタビュー。セブンイレブンではなく、小学館『女性セブン』編集のTさん。以前私は彼女から電話でインタビュー受けたことがあるそうな。“ヨン様”のときだったか? 『世界一受けたい授業』の特集をするんだそうで、その話。楽しく話せた。聞いたら彼女もミクシィやっているそうで、マイミクを約束。出版界に広が るミクシィの輪。

2005年02月12日(土曜日)

帰宅、中田(伯母)から電話があったという。テレビに私が出ているのを見てご満悦であったらしい。うーむ。私個人としては虚名を売っているという羞恥が先に立つのだが。しかし、これも次第に麻痺して、そのうちお声がかからないことにイラ立つようになるのだろう。これもローンのため、生活のため、古書代のため。

2005年02月14日(月曜日)

某社Kさんより土曜日の『世界一受けたい授業』のマル秘データいただく。一瞬だが視聴率、20パ行った模様。しかも、やはり私の出演時に視聴率上がっているようでめでたし。もちろん、これは私が他の講師陣より人気がある、ということを意味するのではない。あの特番はいつもより1時間、時間を繰り上げての拡大版だった。それをウッカリ忘れて、いつもの時間、つまり8時ジャストくらいにチャンネルを合わせた視聴者が多かったであろう。ちょうどその時分に、3時間目の私の授業が始まったんである。要は運に過ぎない。しかしまあ、運がいい、ということはこれでなかなか嬉しいことではある。

2005年02月17日(木曜日)

2時時間割にて打ち合わせ、TBSのO氏。「『世界一受けたい授業』特番、高視聴率おめでとうございます」と言われる。データが各局に回っているらしい。あの日は裏番組のNHKがトップだったはずだと思ったが。それはともかく、その高視聴率のおかげで、O氏と進めている特番、最初はスーパーバイザーとしての参加で、あまりオイシクないので、出演もさせて欲しいとお願いしていた(それだとバイザー料と出演料と、両方とれる)のが、向こうの方から出演していただいて……と言ってきた。他人のふんどしで相撲を取るというのはこれ。ただし仕事量も多くなりそう。多くなるばかりか、6月という 話だった放映時期が5月半ばと早まって、火を噴きそう。

2005年02月22日(火曜日)

『世界一受けたい授業』から電話、また出演依頼。3月はテレビ収録ラッシュになりそう。困ったものである。

2005年02月26日(土曜日)

タクシーでロフトプラスワン『レトロエロ朗読の会』(略)このイベントで売り出しているというアイドルの卵の女 の子二人を紹介してくれた。らば、その子たちが「エーッ、『世界一受けたい授業』見てます〜! マジ嬉しい〜、写真撮らせてください〜」と写メール大会。オイオイ、キミたち撮られなきゃいけない方やがなと思う。それにしても、ラーメン屋さんからアイドルの卵にまで顔を認識されてしまった。この状態がいつまで続くか? 少し今後のことをきちんとやっておかないと、テレビに顔が出なくなった時点が“過去の人”になるとき、になってしまう。もちろん、ちゃんとそのための仕込みはしてあるけれど。

2005年03月01日(火曜日)

『世界一受けたい授業』次回収録の件、エスト(制作会社)から。4月のスケジュールについても打ち合わせる。毎度々々、“他局から何かオハナシは”とオソルオソル聞いてくるので、ざっくばらんに今後のつきあいについてビジネスとして話し合いましょう、と持ちかける。

2005年04月18日(月曜日)

そこで電話あり、日テレ『世界一受けたい授業』から。今日打ち合わせなのだ。5時ですよね、と言ったら、イエ3時です、と。15時とカン違いしてダブルブッキングしてしまった。しかも、これはスケマネに伝えるのを忘れてしまっていたもの。完 全に私のミスである。あちゃあ。

2005年04月23日(土曜日)

迎えのタクシーに乗って汐留の日本テレビ。エストKさんに伴われて控室入り、弁当使うがあまり食欲 わかず。構成作家さん(ジーヤマの人)と話す。(略)このあとで私のテーマが“デパ地下”ではインパクトに欠けるなあ、と思いつつ収録。
堺校長と上田級長に「センセイは最近、ベリ・ビズィで」と言われる。イエイエ、メインはあくまでこの番組ですから、とこっちも世辞。今日の生徒は伊集院光、菊川怜、岡田真澄、柴田理恵、マナカナなど。いくつか局の用意してきた雑学に沿って進めるが、それだけでは面白くないのでいろいろと付け加え る。堺校長が「センセイの凄いのは、ここらの展開一切台本にないんですよ」と内輪ばらし的なことを言うが、他の教師陣はみんな台本通りやっているのか? 
岡田“まもるのパパ”真澄が私の雑学披露に「……おもしろいなあ!」と感心してくれて、また以前は“なに、この変なオヤジ”という目で額に二本線立てながらこっちを見ていた菊川怜が別人のように協力的にいろいろ発言してくれた。 これは“同じ業界人”として認知してくれた、ということか。
結局、台本の半分くらいのところで45分回し終わり。柴田理恵さんに「今度私、紀伊國屋でWAHAHAの清水ひとみさんとご一緒させていただきます」と挨拶。

2005年05月02日(月曜日)

途中で携帯に電話、日テレ『世界一受けたい授業』から。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』の著者の山田氏が今度先生役で出演するのだが、ちょうど調べたら朝日新聞にカラサワ先生が偶然書評を書いてらっしゃるのを見つけたので、推薦ビデオを撮らせてくれないか、という 件。6日の日に収録。

2005年05月18日(水曜日)

差し向かえは黒塗りのハイヤー。『トリビアの泉』は、打ち合わせにいくたびにタクシーこっちで拾っていく。『世界一受けたい授業』はタクシー差し向けてくれる。今回は特番の番宣役だけにハイヤー。これが一番の待遇である。それほどのタレントじゃないのだから、と気恥ずかしい気分になるが、車は実は出す方が向こうにとっても有難いのである。こちらの入り時間が確実にわかるからだ。テレビ、特にナマ番組の場合は絶対に出してもらうべき。遠慮は無用、どころかこちらのミスで遅れたらむしろ遠慮は迷惑、になりかねない。

2005年05月24日(火曜日)

日テレ『世界一受けたい授業』から、先日の収録にちょっとNGワードあり、録りナオシお願いできませんかという件。明後日のスケジュールをちょっといじって時間 つくる。その旨、すぐスケマネに連絡。

2005年06月10日(金曜日)

ほぼトンボ返りでまた時間割に行き、日テレ『世界一受けたい授業』打ち合わせ。夏休みスペシャルなので夏にちなんだ雑学か、またはこないだの世界地図ネタが大変評判よかったのであれの日本版をやるか、などなど。地理ネタなら出来れば現地でビデオなど録りたいですねえ、と 話す。今回はムリにしても。

2005年06月17日(金曜日)

午前中は25日収録予定の『世界一受けたい授業』ネタ出し。これ一本で20分は持たせられるネタがあって、出来ればこれだけで行きたいのだが、向こうはバラエティ に富ませてとか言ってくるんだろうな。

2005年06月25日(土曜日)

2時50分、エントランスで六花マネと待ち合わせ、迎えのハイヤーで汐留日本テレビ。『世界一受けたい授業』収録。今日はスペシャル版で5時限目まである。われわれ講師陣は1時間拘束だが、生徒役のみんなは最低五時間、リハとか入れると6〜7時間拘束である。仕事というのは大変なものだ。一時間目の授業を見ていたら秋山仁先生が着流しに刀を差した格好で出てきて、「私はこういう格好は嫌だといったんだがどうしてもと言われて……」と言っていた。結局テレビに出るということは、自分の好き不好きに関わらずこう いう格好をさせられるということ。
二時間目の授業、今日は上滑って不調。久本さんが私のことお気に入りはいいが、関係ない質問を収録中にしてくるというのが困る。それにしても上田、伊集院という自分も雑学系の二人、私が出るとぴたりと最近、なにも言わなくなった。比べられる と損、と思ってのことか。
ちょっと神経つかって横っ腹がキリキリとする。終わってエレベーターに乗ったらギター侍と東幹久がいた。お互いいくつかの番組で顔合わせているので挨拶交わす。 なんか芸能人になったみたいではないですか。ディレクター氏、「先生はこれから地方とか行かれるんですか」と訊いてくる。秋山先生はこの収録が終わってすぐ地方講演、金田一先生は地方講演終わってすぐこの番組の収録、なのだそうだ。ご同業、同情と共感と。文化人たち も稼がないといけないんである。

2005年07月13日(水曜日)

今度は5時、日テレスタッフ来宅。『世界一受けたい授業SP』番宣番組の収録。例によってディレクター氏を家に招き上げ、「うわあ、すごい本の数ですねえ」と感心されながら、仕事場でわざとくさくパソコンのキーを叩いてみせ(まずこの絵は定番で撮られる)、インタビューに答える。徳川夢声の日記も紹介した。「イツカラコウナッテシマッタノカ」と声がする。
インタビューの最中におぐりゆかが来る。今日はこの後、やはりこの番宣で、虎の子で酒飲みながらの打ち合わせ風景を収録するのである。おぐりをスタッフのバンに便乗させてもらい、私はカメラ回しっぱなしで、タクシーを拾い、車中でもとぎれなく雑学を披露し続けるという趣向の構成。聞いてないぞと驚く。もっと驚いたのはタクシーの運転手さんで、アルカイーダにいきなり銃をつきつけられたイラクのドライ バーみたいな顔になった。
テレビスタッフというのはこういういきなりの依頼にほとんど罪悪感を感じない種族らしい。前もって言えよと思うが、種族が違うので怒っても仕方ない。ハイハイと 窓外の街路樹、看板、赤ちょうちんなどを解説。いつからまったく。
七時半、虎の子着。二見Yさん、イラストのFさん、装丁のYさんなどすでに入っている。打ち合わせをヤラセで収録。おぐりのノリが素晴らしく、私にどんどん突っ込んでくる。神様何度も降臨。ディレクターが大笑い。それよりYさんがいてもたっ てもいられない、というくらい体震わせてうれしがる。

2005年07月23日(土曜日)

4時、『世界一受けたい授業SP』番宣番組を見る。最強講師陣5人の中に入れてもらっているのは光栄なれどもほぼ半日かけて回してたったあれだけか。トークもほとんど使われてなかったし、二見本の宣伝もカット(あの集まりは“雑学仲間”ということにされてしまった)。まあ、タダで飲んだわけだし、おぐりファンには動くおぐりをテレビでひさしぶりに見られたというだけでプレゼントだったかもしれない。 『恐怖奇形人間』のポスターはそのまま映っていた。

2005年07月25日(月曜日)

こないだの『世界一〜』のナイショのデータが友人から。やはり私のところで視聴率が高騰。それまでひとケタ台だったのが私の出演時で一気に13%にまで上がった(最高視聴率はずっと後半の20%だが)。わからんもんだな、あんな不本意な内容で、と思う。

2005年07月26日(火曜日)

昨日の『世界一〜』の視聴率データの話を書いたが、現金なものですぐ日テレから電話。「先生のところで数字が〜!」と。向こうも意外だったのではないかな。次回収録日の件で問い合わせがくるが、自宅ではわからず、スケマネに連絡とってくれと言っておく。

2005年08月04日(木曜日)

『世界一〜』から電話。まだ収録日程最終決定にいたらず。最終決定いたらずと云えば某イベント企画も、今月末ではありながらまだ日程もフラついている。六花マネもややジレ気味である。

2005年08月11日(木曜日)

日テレ『世界一受けたい授業』、次の収録日やっと決定。その当日は夜が箱根で講演なのだが「お帰りになってから収録ということには出来ないでしょうか」というので、「8時くらいまでの講演なので、終わって箱根から駆け付けると10時過ぎになりますが、堺さんやみなさんが待っていてくださるなら……」とか答えていたのだが、無事、1時からの収録になる。とにかく最近は講師陣のスケジュール押さえがタレント以上に大変らしい。

2005年08月12日(金曜日)

日本テレビ『世界一〜』から連絡、やっと収録日決定、最もこちらにはありがたい時間で収録の運びに。よかったよかった。堺校長を待たせずにすんだ。

2005年10月22日から2005年12月31日までの約70日分の日記が欠落しており、この間の事は不明。












最終更新:2010年02月26日 10:53
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