オタク第一世代


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1999年11月04日(木曜日)

3時から目黒アルコタワーで座談会。昔丸谷才一のエッセイで座談会をダザンカイと言ってしまう人物(一万田尚人蔵相)のことを読んで以来、私もつい、ダザンカイと言ってしまう。日活アクションについて、コモエスタ坂本氏の著書の巻末特別ダザンカイ。メンバーはコモ氏の他にマンガ評論家の奥田鉄人氏。奥田氏は身長188センチ、フランス帰りのロックンローラーだった。まだ36歳なのに日活アクションにハマりにハマり、「いま、浅丘ルリ子が結婚しようと言ったらすぐする」と断言するほどの信奉者。「いまの浅丘ルリ子でも、ですか」「いまの、でも」彼とコモ氏の熱い日活賛美と、私の“祝祭としてのヒーロー映画”論、噛み合っていたようないないような、という感じだったが、案外おもしろいものになった、よう、な、気が、する。
帰り、ごく短時間奥田氏と話すが、これだけイケてる氏の礼儀正しさに驚く。われわれ オタク第一世代 はそういうところ、回りを見渡してもまるでダメな連中ばかりだからな。
目黒から青山に出て買い物、帰ってしばらく仕事。こりゃ札幌に持ち越すな。8時半、K子帰ってきたので夕食。あんかけ豆腐、豚肉もやし、カツオづけ丼。赤影のLDなど見せてオタク教育。

2000年06月04日(日曜日)

新宿に出て、紀伊国屋書店を回る。都市論関係資料の他、イースト・プレス“幻の性資料”シリーズ『初期裏本名作集』。渡瀬ミク、松田ヨシ子、ミス軽井沢など、見覚えのある顔が続出するのに、 俺はビニ本・裏本でも第一世代なんだなあ 、と改めてわがトシを思う。編者の佐藤泰治氏はそこに突っ込んでないが、ミス軽井沢の本、タイトルは『ブリリアントな休日』のつもりなのだろうが、印刷では『ブソリラントな休日』になっているあたり、こういう本の印刷ルートやらなにやらが透けて見えて面白がっていたのを思い出した。

2000年07月09日(日曜日)

それに引き換えて、東氏の、書評には、前回の斎藤環氏の書評にも、その前のドラキュラ新訳の書評にも、そのような工夫が皆無と言っていい。例えば前回のは「本書は“おたく”を対象にしている。“おたく”とは周知のように、一九八○年代に現れた一群の趣味人たちを意味する。彼らは当初、三十代になってもコミックやアニメ、ゲームに耽溺する幼稚な存在として社会的に非難されていた」と、だらだら説明口調の解説を続け、本に対する興味をつなぐ、という気遣いをハナから放棄しているのである(そもそも オタク第一世代 と言われている人々は八○年代初期にはまだ二十代後半であって、この解説そのものが不正確なのだが、そのことは措く)。

2000年07月29日(土曜日)

午後、鶴岡との対談原稿に目を通し、どんどん手を加える。なにしろ相手が油断していると限りなく話題を拡散させてしまう男なので、そうはさせじとこっちも気張ってハイになっていたらしく、実際に対談していたときにはまったく記憶に残ってないような論理を飛ばしまくっていて、まことに面白い。売れる本になるかどうかはわからないが、少なくとも オタク第一世代 の遺書としては異色のものになりそうである。昼飯はお茶漬け。松茸コンブとシラス干し。

2000年10月01日(日曜日)

6時、新宿に出て、区役所通りのカラオケ屋パセラの上のバリ・カフェで、氷川竜介氏をはげます会。少し遅れて入ったが、メンツがさすがに濃い。ヤマトの石黒昇、ガンダムの富野悠由季の大御所二人を筆頭に、岡田斗司夫、竹内博、池田憲章、出渕裕、開田裕治、大森望などなど。岡田斗司夫がオタクエスタブリッシュメントたちと表現していたが、いわゆるプレオタク世代から第一世代。会場に足を踏み入れたとたん感じたこの懐かしい雰囲気は何だろう、と思ったら、全体的に服の色がくすんでるところだ、と思い当たった(笑)。氷川さんのラストの挨拶があがりまくっていたのも、このメンツでは無理なかろうという感じ。

2002年01月23日(水曜日)

それから次の本、 道新のオタク史を敷衍して第一世代オタク発生記録をまとめる件 、これは今年前半に道新原稿に手を入れる作業を完成させて後半で資料記録まとめということに。

2001年03月04日(日曜日)

私は、鶴岡との対談集でも言っているが、オタクにジェネレーション・ギャップというものは存在しないと思っている。作品をいくらでも遡って見ることができるソフト環境の充実さえあれば、他の人種より世代間の断絶は軽く飛びこせるのだ。それはこちらも同じ(眠田さんなど、モロに今のおたくと差がない)。逆に言えばそれが問題なので、“第一世代勝手にやってろ”“若い連中が何やってたってオレは知らないよ”と、お互いに相手を横目で見ながら自給自足しすぎている。そこにはあまりに世代対立による互いのポリッシュアップがなさすぎる。壇上に上がった前半にその危惧が見事に出て、互いにいろいろと主張を述べ、第一第二世代の違いを摘出しようとしても、結果、“でもまあ、俺には直接関係ないしぃ”という雰囲気がお互いロコツに出て、双方、声を大にしていろいろしゃべっても、さっぱり方向性が前に向かない。唯一盛り上がったのが、村上隆の“オタクをアートに引き上げる”発言の傲慢さについて意見が一致したとき。共通の敵を前に世代の壁を越えてオタクが手を結ぶ、と言えばキコエはいいが、あんな連中を相手に団結してもどうしようもない。問題は、お互いの相違点すら見つけられないわれわれ自身の内部にある。

2002年06月04日(火曜日)

永瀬さんから電話、鬱は例会の成功で拭われた模様。よかったよかった。このあいだの会場の話。かなり満杯状態だったが、補助机や椅子を準備していあるからまだ大丈夫だということ。一・五次会の予約時間を早めるための下工作の話も。例会準備など、そろそろ次世代会員にまかせて楽をしなくちゃいかんのだが、しかしワレワレは根が好きだからネ、こういうコト、とお互いに笑う。 オタク第一世代 というのは上映会の会場を探して確保したり、告知ビラを作って喫茶店などに置いてもらうべく回ったり、という行為が身についてしまっている。と、いうか、そういう行為を含めてオタク行為と認識しているのである。楽しいのである。人さまの作ったハコにただ入るだけ、というのは物足りないのだ。

2002年10月23日(水曜日)

岡田斗司夫・山本弘『メバエ』読む。『ヨイコ』『ナカヨシ』ときてメバエか。次は『タノシイヨウチエン』か? 以前の『史上最強』シリーズから、ゲストを交えての『空前絶後』シリーズに移ってからというもの、毒舌自体を楽しむというコンセプトから、次第にカートゥーン、食玩、怪獣、ガンプラといったオタク大衆文化に対する第一世代の基本姿勢確認、といった姿勢が出てきたのは興味深い。特に岡田斗司夫氏のスタンスである、ガジェット的なもののどこをオタクたちは受容し、どこを拒否するのか、といった部分へのこだわりは後年、重要なオタク分析の資料となる価値がある。大衆文化研究を自己のテーマとしている身にとっての一番の難問は“大衆レベルで支持されたものであれば全てを肯定する立場をとっていいのか”ということである。支持されるということはそれだけのニーズがあったのだ、という立場に立てば、ナチスだって創価学会だって、肯定しなければならなくなる。こっちは文化、こっちは政治、あるいは宗教だから別、という区別は無意味だろう。これは仏教における本覚思想に通じる。本覚思想とはつまり現状の徹底的肯定であり、汎神論的世界観である。末木文美士が『日本仏教史』(新潮文庫)で、
「つまらないもの、価値のないものと思われていたわれわれの日常すべてが悟りであり、仏の現れである」
 とこの思想の基本をまとめているが、まさにアニメやエロゲー、B級ホラーや怪獣映画、それにネットの誹謗中傷までを全て現代オタク社会の示現であり、文化であると肯定してしまうオタク思想は、この本覚の教えにつながるだろう。末木はその魅力を十分に認めた上で、
「しかし他方、修業は不要、凡夫は凡夫のままでよい、ということになると、きわめて安易な現実肯定に陥り、危険な思想といわなければならない」
 と指摘している。まさに、安易な現実肯定はそこに腐敗と自己崩壊しか生み出さない。しかし、さればとてそこに高みからの啓蒙、などという方法を持ち込んだところで、それは大衆文化の特質を失わせ、かつパワー低下を招く要因にしかならない。この対談集が(意図的か結果的かは別として)、現実にオタク文化を享受している立場からの、こだわりによるオタク眼向上の修行の提唱であるという点に、向後のオタク 文化の行き先を示す大きな指針があるような気がする。

2002年12月06日(金曜日)

……などと、妙に自分を殉教者ぶってはいるが、しかし、それもあって見事に オタク第一世代 、という上からの影響もシャットアウトし、下には先達者として永久に頭をあげさせない立場を築き上げた私らは、“実にうまいことやったなあ”と言うのが正直なところ、と二人でいやらしく笑う。
「いま、若い連中がどんどんオレに、オレの人生を聞きたがってくるんですよ。何か伝説を求めているのかなあ」
「たぶん、われわれの老後というのは、このオタク文化の草創期のことを偉そうに若い連中に繰り返し語ってきかせる、凄く気分のいいものになると思う」
「うらまれたり悪口いわれてもこりゃ、仕方ないね。それだけのいい目はオレら、見てるもん」
「エヴァのときだって、せっかく下の世代が盛り上げかけたときに、水をかけて悪いことをしたよねえ」
「うん、あれは今思えば非常にすまんかった! あやまるわ!」
「われわれ、ヤマトやガンダムのときにテンション上げすぎて、後で非常に恥ずかしい思いをしたんで、若い奴らには、という親心で水かけたんだけど、考えてみれば、いい思い出というのは、いかに若い頃恥ずかしいことをしたか、なんだ」
「アニメとか特撮をいい年して見る、という行為が、どれだけ三十年前のころには恥ずかしいことだったか。そう思うと、オレら凄まじい量のいい思い出を貯め込んだわ けですね」

2003年09月12日(金曜日)

文庫タワーの店頭で“オタクシニア”というタイトルの本を見つけ、ああ、もう第一世代オタクたちもいい年になってきたんだから、シニア世代向けのオタクライフの本も必要だよなあ、とか思ってよく見たら佐藤賢一の『オクタシニア』であった。

2003年09月25日(木曜日)

あと雑談。 オタク第一世代 とよく言うが、オタクに限らず、我々の世代というのは、テレビが初めて家に入ったときのこととか、それが初めてカラーになったときのこと、円が自由相場制になったときのこと、マンガが市民権を得た当初のこととか、バラ色の未来像が壊れた瞬間、初めて裏本が出現したときの驚きとか、パソコンもネットや携帯電話や、ヘアヌードが出始めたときのこと、ロリコンの盛衰など、要するに今、常識となっているもののほとんどを、その出始めのときから見て、体験しているんですよね、と話す。“現在”を考えるときに、そもそもここに至った、そのルーツはどうなのか、最初にどうやってそれが出現し定着したのか、その筋道にこだわるタイプが多いのは、そういう体験を経ている故なのではないか。どうも、若い世代のカルチャー論の類を読んでいると、“米は最初から俵の中につまって米倉にあるもの、と信じ込んで書いている本”を読んでいるような感覚に陥ることが多いのである。飢饉になったときに真っ先に困るのはこういう人たちなのだが。

2004年04月07日(水曜日)

おおいとしのぶくんから電話。4日に亡くなった、特撮ファンクラブGのモゲさんことN出さんの葬儀について。いけるかどうか、仕事がらみで微妙なので、花輪のみ、送ってもらうようお願いしておく。仕事中の事故死なのだが、ちとその状況がよくわからず、どういうことだろうね、とおおいくんと話す。おおいくんが、世にも悲痛に笑いながら“前々からドジな人だったけど、死に方までドジで……”とつぶやいたのに涙。
それにしても、モゲさんとは10年以上顔を合わせていて、本名がN出さんだということも今回初めて知ったのは我ながら呆れる。茂毛さんとかいう名前だとばかり、思っていたのだ。どうも、 “モゲラのモゲさん”であるらしい。典型的な第一世代オタク、それも三倍段と呼ばれる特撮オタクである。服装にも外見にもまったく注意を払わぬタイプで、何度も、酒の席で“モゲさん、あんた少しはそれ、何とかしなさいよ”と口に出しかけたが、しかしついに言うことなく終わったのは、怪獣映画の話をしているときのあの人の顔の、キラキラ輝いていた表情のあまりに楽しげなことが原因だった。完結している人には第三者は何も言うことが出来ないのである。天国ではあこがれの円谷監督、本多監督、福田監督などのもとで、また、あの表情で怪獣ばな しをしていることだろう。黙祷。

2005年08月02日(火曜日)

オタク文化にあまり通じていないF氏に、まず オタク第一世代 史のレクチャー。
それからそれへと話が出てきて、8時半まで。途中、イマジカSさんなどから原稿催促電話。タクシーで新宿。

2007年03月19日(月曜日)

3時半、時間割で『創』対談。岡田さんが15分遅れるというのでゆっくり出たら中野通り混んで20分遅れになってしまった。S編集長も来ていて、単行本の話しばし。岡田さん、体重が75キロまで減って別人のよう。対談は“著作権の明日”。いろいろと提案など出て、Kさんが“いい内容ですね!”と驚いていた。ここ数回のオタク清談はなにか オタク第一世代 の遺言という感じだったが、今回は遺言どころかこれからの活動マニフェスト、という感じ。















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