「永観堂」(2008/09/05 (金) 11:41:47) の最新版変更点
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&sizex(6){&bold(){禅林寺(永観堂)}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&sizex(5){&color(red){概略}}
&bold(){禅林寺}(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある[[浄土宗]]西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の&bold(){永観堂}(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は[[阿弥陀如来]]、開基(創立者)は、[[空海]]の高弟の真紹僧都(しんじょうそうず)。古くより「秋はもみじの永観堂」と謳われた紅葉の名所である。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
[[空海]]の高弟である真紹僧都が、都における実践道場の建立を志し、[[五智如来>大日如来]]を本尊とする寺院を建立したのが起源とされる。真紹は仁寿3年(853)、歌人・文人であった故・[[藤原関雄>藤原氏]]の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。10年後の貞観5年(863)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。当初[[真言宗]]寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる第7世住持の永観律師(ようかんりっし)の頃から[[浄土教>浄土宗]]色を強めていく。永観は文章博士(もんじょうはかせ)源国経の子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に弟子入りする。当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な[[阿弥陀>阿弥陀如来]]信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。[[浄土宗]]に改宗するのは鎌倉時代の静遍のときで、[[法然]]を11代住職に推し自らを12代とした上で、住職の座を[[法然]]の高弟である西山証空上人に譲った。その後、証空の弟子、浄音が住職となって以来、[[浄土宗]]西山派の寺院となった。なお禅林寺を永観堂と呼ぶのは、永観律師が住したことに由来し、永観堂は普通「えいかんどう」と読むが、永観という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれている。御影堂から開山堂、多宝塔へと登る階段は永正元年(1504)の建築で「臥龍廊」と呼ばれる。
***総門
江戸時代末期の建築。「高麗門」と呼ばれる形式である。
***中門
延享元年(1744)の建築で「薬医門」と呼ばれる形式。高麗門・薬医門はともに寺院建築よりは城郭や大名屋敷に多く見られる形式。
***御影堂
大正元年(1912)に完成した総欅造の仏堂。宗祖[[法然]]上人を祀る堂で、本尊を安置する阿弥陀堂よりも規模が大きい。
***阿弥陀堂
御影堂より一段高い敷地に位置する。慶長年間の建築。本尊の「見返り[[阿弥陀如来]]像」を安置する。この像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。伝承によると、永保2年(1082)、永観が日課の念仏を唱えつつ、[[阿弥陀如来]]像の周囲を行道していたところ、[[阿弥陀如来]]像が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。それ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。像高は約77cm。かつては鎌倉時代の作とされたこともあったが、作風、構造等の特色から、平安時代末期、12世紀頃の作と見るのが妥当である。この種の作例は中国にもあり(四川省安岳円覚洞16号窟、宋時代)、日本では山形県の善光寺像など、鎌倉時代以降の作例が若干知られている。
***多宝塔
境内の最も高い位置にあり、景観上重要な位置を占めている。昭和3年(1928)、篤志家の寄付で建設された。
***方丈(釈迦堂)
方丈は禅宗寺院特有の建物で、他宗ではあまり見かけないものだが、禅林寺(永観堂)の方丈は、平面、立面ともに禅宗寺院の方丈と同形式の建物である。寺伝では永正年間(1504~1511)に後柏原天皇によって建てられたというが、実際の建築は江戸時代のものとみられる。 方丈前庭の市松模様の盛り砂は、来訪者が足を載せ身を浄めるためのものという。
&sizex(5){&color(red){文化財}}
***国宝
絹本著色山越阿弥陀図 金銅蓮花文磬(こんどうれんげもんけい)
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木像[[阿弥陀如来]]立像(見返り[[阿弥陀>阿弥陀如来]]) 紙本淡彩[[釈迦三尊>釈迦如来]]図([[狩野元信>狩野派]]筆) 紙本著色[[融通念仏>融通念仏宗]]縁起(伝[[土佐光信>土佐派]]筆) 絹本著色[[釈迦如来]]像 絹本著色十大弟子像 絹本著色仏涅槃図 絹本著色十六羅漢像 絹本著色来迎[[阿弥陀如来]]像 絹本金彩阿弥陀二十五菩薩来迎図 紙本墨画波涛図([[長谷川等伯]]筆) 絹本著色十界図 絹本著色[[薬師如来]]像 絹本著色釈迦十六善神像 二十五菩薩来迎図絵扉 絹本著色当麻曼荼羅図 紙本墨書当麻曼荼羅縁起
&sizex(5){&color(red){拝観情報}}
住所 京都市左京区永観堂町48
電話番号 075-761-0007
拝観時間 9:00~17:00(受付16:00)、秋の寺宝展の時は8:30~17:00
拝観料 600円(秋の入山料1,000円)
アクセス 市バス「南禅寺・永観堂道」下車徒歩3分
地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩10分
駐車場 駐車場あり(無料、11月は駐車不可)
&sizex(5){&color(red){主な行事}}
1月1日 修正会
1月15日 大般若会、六阿弥陀功徳日
1月30日 歴代法主法要
2月6日 守家法要
2月8日 六阿弥陀功徳日
2月14日~15日 念仏行道会
2月15日 涅槃会
3月14日 六阿弥陀功徳日
3月25日~4月4日 法脈相承(加行=けぎょう)
4月15日 六阿弥陀功徳日
4月22日~25日 御忌会(ぎょきえ)
5月18日 六阿弥陀功徳日
6月中旬 夏安居
6月19日 六阿弥陀功徳日
6月26日 明石忌
7月14日 六阿弥陀功徳日
7月25日 虫干会
8月 1日~3日 緑蔭法話(7時より)
8月15日 六阿弥陀功徳日
8月19日~9月4日 禅林宗学院
9月1日 耆山忌(ぎざんき)
9月9日 放生会
9月18日 六阿弥陀功徳日
10月8日 六阿弥陀功徳日
11月2日 永観律師忌
11月9日 西山上人降誕会
11月24日 六阿弥陀功徳日
12月8日 成道会
12月24日 六阿弥陀功徳日
12月31日 除夜会
&sizex(5){&color(red){その他}}
***京都検定出題
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「仏像の通称について誤っているものを選びなさい。 (ア)証拠の阿弥陀と来迎院 (イ)楊貴妃観音と泉涌寺 (ウ)見返り阿弥陀と永観堂 (エ)泣き弥勒と広隆寺」
&sizex(5){&color(red){リンク}}
禅林寺(永観堂)オフィシャル http://www.eikando.or.jp/
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&sizex(6){&bold(){禅林寺(永観堂)}}
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか
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&bold(){禅林寺}(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある[[浄土宗]]西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の&bold(){永観堂}(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は[[阿弥陀如来]]、開基(創立者)は、[[空海]]の高弟の真紹僧都(しんじょうそうず)。古くより「秋はもみじの永観堂」と謳われた紅葉の名所である。
&sizex(5){&color(red){歴史}}
[[空海]]の高弟である真紹僧都が、都における実践道場の建立を志し、[[五智如来>大日如来]]を本尊とする寺院を建立したのが起源とされる。真紹は仁寿3年(853)、歌人・文人であった故・[[藤原関雄>藤原氏]]の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。10年後の貞観5年(863)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。当初[[真言宗]]寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる第7世住持の永観律師(ようかんりっし)の頃から[[浄土教>浄土宗]]色を強めていく。永観は文章博士(もんじょうはかせ)源国経の子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に弟子入りする。当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な[[阿弥陀>阿弥陀如来]]信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。[[浄土宗]]に改宗するのは鎌倉時代の静遍のときで、[[法然]]を11代住職に推し自らを12代とした上で、住職の座を[[法然]]の高弟である西山証空上人に譲った。その後、証空の弟子、浄音が住職となって以来、[[浄土宗]]西山派の寺院となった。なお禅林寺を永観堂と呼ぶのは、永観律師が住したことに由来し、永観堂は普通「えいかんどう」と読むが、永観という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。
&sizex(5){&color(red){伽藍}}
境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれている。御影堂から開山堂、多宝塔へと登る階段は永正元年(1504)の建築で「臥龍廊」と呼ばれる。
***総門
江戸時代末期の建築。「高麗門」と呼ばれる形式である。
***中門
延享元年(1744)の建築で「薬医門」と呼ばれる形式。高麗門・薬医門はともに寺院建築よりは城郭や大名屋敷に多く見られる形式。
***御影堂
大正元年(1912)に完成した総欅造の仏堂。宗祖[[法然]]上人を祀る堂で、本尊を安置する阿弥陀堂よりも規模が大きい。
***阿弥陀堂
御影堂より一段高い敷地に位置する。慶長年間の建築。本尊の「見返り[[阿弥陀如来]]像」を安置する。この像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。伝承によると、永保2年(1082)、永観が日課の念仏を唱えつつ、[[阿弥陀如来]]像の周囲を行道していたところ、[[阿弥陀如来]]像が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。それ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。像高は約77cm。かつては鎌倉時代の作とされたこともあったが、作風、構造等の特色から、平安時代末期、12世紀頃の作と見るのが妥当である。この種の作例は中国にもあり(四川省安岳円覚洞16号窟、宋時代)、日本では山形県の善光寺像など、鎌倉時代以降の作例が若干知られている。
***多宝塔
境内の最も高い位置にあり、景観上重要な位置を占めている。昭和3年(1928)、篤志家の寄付で建設された。
***方丈(釈迦堂)
方丈は禅宗寺院特有の建物で、他宗ではあまり見かけないものだが、禅林寺(永観堂)の方丈は、平面、立面ともに禅宗寺院の方丈と同形式の建物である。寺伝では永正年間(1504~1511)に後柏原天皇によって建てられたというが、実際の建築は江戸時代のものとみられる。 方丈前庭の市松模様の盛り砂は、来訪者が足を載せ身を浄めるためのものという。
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***国宝
絹本著色山越阿弥陀図 金銅蓮花文磬(こんどうれんげもんけい)
***重要文化財(建造物)
なし
***重要文化財(美術工芸品)
木像[[阿弥陀如来]]立像(見返り[[阿弥陀>阿弥陀如来]]) 紙本淡彩[[釈迦三尊>釈迦如来]]図([[狩野元信>狩野派]]筆) 紙本著色[[融通念仏>融通念仏宗]]縁起(伝[[土佐光信>土佐派]]筆) 絹本著色[[釈迦如来]]像 絹本著色十大弟子像 絹本著色仏涅槃図 絹本著色十六羅漢像 絹本著色来迎[[阿弥陀如来]]像 絹本金彩阿弥陀二十五菩薩来迎図 紙本墨画波涛図([[長谷川等伯]]筆) 絹本著色十界図 絹本著色[[薬師如来]]像 絹本著色釈迦十六善神像 二十五菩薩来迎図絵扉 絹本著色当麻曼荼羅図 紙本墨書当麻曼荼羅縁起
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住所 京都市左京区永観堂町48
電話番号 075-761-0007
拝観時間 9:00~17:00(受付16:00)、秋の寺宝展の時は8:30~17:00
拝観料 600円(秋の入山料1,000円)
アクセス 市バス「南禅寺・永観堂道」下車徒歩3分
地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩10分
駐車場 駐車場あり(無料、11月は駐車不可)
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1月1日 修正会
1月15日 大般若会、六阿弥陀功徳日
1月30日 歴代法主法要
2月6日 守家法要
2月8日 六阿弥陀功徳日
2月14日~15日 念仏行道会
2月15日 涅槃会
3月14日 六阿弥陀功徳日
3月25日~4月4日 法脈相承(加行=けぎょう)
4月15日 六阿弥陀功徳日
4月22日~25日 御忌会(ぎょきえ)
5月18日 六阿弥陀功徳日
6月中旬 夏安居
6月19日 六阿弥陀功徳日
6月26日 明石忌
7月14日 六阿弥陀功徳日
7月25日 虫干会
8月 1日~3日 緑蔭法話(7時より)
8月15日 六阿弥陀功徳日
8月19日~9月4日 禅林宗学院
9月1日 耆山忌(ぎざんき)
9月9日 放生会
9月18日 六阿弥陀功徳日
10月8日 六阿弥陀功徳日
11月2日 永観律師忌
11月9日 西山上人降誕会
11月24日 六阿弥陀功徳日
12月8日 成道会
12月24日 六阿弥陀功徳日
12月31日 除夜会
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***京都検定出題
平成17年(2005)第2回京都検定2級出題
「仏像の通称について誤っているものを選びなさい。 (ア)証拠の阿弥陀と来迎院 (イ)楊貴妃観音と泉涌寺 (ウ)見返り阿弥陀と永観堂 (エ)泣き弥勒と広隆寺」
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禅林寺(永観堂)オフィシャル http://www.eikando.or.jp/
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