訃報日記2010年1月

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訃報日記

【双葉十三郎】映画評論家

2010年 :: 01月 :: 15日(金曜日)の日記
映画評論家・双葉十三郎氏旧臘12日死去の報。
99歳。ヒッチコックとは11歳違い、ビリー・ワイルダーとは4つ違いの同時代人。
映画黄金時代を肌で感じて生きてこられた幸運な人。
膨大な数の映画をわかりやすく評価した『ぼくの採点評』(1〜5巻、別巻1.トパーズ・プレス)は映画マニアのバイブルだが、ここにおける批評の基本型は、きちんと論理的にその映画の善し悪しを説明した映画評の後に、一行か二行、「主役がイモじゃいくら脚本がよくてもネ」「ヒロインの曲線美さえ見てれば満足、満足」などという寸評があり、これが実に的を射た金言で、私はもっぱらそっちの方で、観るべき映画かどうかを判断していた。
本文の方でクサしているのにこっちの一言で褒めていたり、またその逆、というのもあったからである。
映画ファンというのは、教科書的ないい映画ばかりを好むものではなく、B級C級の安っぽさもまた愛する。
昨今のB級C級マニア評論家のように泥沼の中に首までひたるということなく、A級はA級として別格とし、それを批評の基準とした上でBC級の面白さもちゃんと理解し評価するといった、オトナの鑑識眼が何とも頼もしかった。
もうこういう映画評論家は出てこないだろう。
何も今の若い世代の評論家をクサしているわけではない。
映画の黄金時代が過ぎ去ってしまったからである。
その最後の香りを感じさせてくれる人だった。黙祷。

【田の中勇】声優

2010年 :: 01月 :: 15日(金曜日)の日記
帰宅の車中、Taka@モナぽさんからの連絡で、田の中勇さんの他界を知る。驚きと落胆と、それから、せめて生前にインタビューしておいてよかった、という気持ちとが交錯して、複雑な気持ち。自室で何はともあれ追悼文を書く。あっという間にコメントがずらりと。やはり声優さんの訃報は反応が違う。しかし、今年は何とまあ、訃報が続くことよ。

7月にインタビューさせていただいたときhttp://www.tobunken.com/diary/diary20090702113927.htmlには声も衰えておられず、むしろ「目玉親父の声なんか、この年になってやっとやりやすくなりましたね」とおっしゃっていたのに。

登山を愛し、音楽(シャンソン)を愛し、芝居を愛しという、多才、多趣味な方だった。文化的な家庭に育った恩恵だろう。だから、声優というお仕事に対しても、“その中のひとつの選択肢”で、声優が本業と思われたのはつい、最近、と飄々と笑っておられた。思えば私は田の中さんのお仕事では、目玉親父よりもむしろ『ウメ星デンカ』の王様が一番役にハマっていたと思っていたのだが、それは田の中さんご本人のイメージと、あの人のいい王様が重なるからだったのだ。

「鬼太郎だって、いっぺんにやりすぎるとね。数年にいっぺん、2クールくらいでいいんですよ。それくらいがこっちも楽だから。周夫ちゃん(大塚)なんか、もっとやろう、もっとやろうって言うけど、イヤですよ、そんな頑張ってやるの」……頑張っていただきたかったけど、そういう生き方が何となく似合っておられたようにも思う。

お話の中で見えてきたことで、敢て訊かなかったこともある。『問答有用』で、徳川夢声が“あえて距離を置くこともインタビューには必要”と言っていたことを履行したまでで、それは後悔していない。今はただ、ご自分では大した仕事とは思っておられなかった声優のお仕事における、その“唯一無二の声”がどれほどわれわれの子供時代を豊かにしてくれたか、そのことを生前にお伝えできたことだけを慰めとしたい。ご冥福をお祈りする。

……しかし、これから目玉親父は誰が演じればいいのだろうか。

【柴野拓美】

2010年 :: 01月 :: 17日(日曜日)
訃報、止まらず。SF作家・翻訳家 柴野拓美(ペンネーム・小隅黎)16日死去・83歳。山本弘氏によってロング・インタビュー『僕らを育てたSFのすごい人』が出たのがせめてもの救い。後書き的解説を書かせていただいたのだが、編集をした高嶋氏によると柴野さん、これを読んでとても喜んで下さっていたとのこと。

あえて功績については繰り返さない。上記のインタビュー本を手にとっていただきたいがhttp://shop.comiczin.jp/products/detail.php?product_id=3380その後書きの最後の文をいま、ここでもう一度繰り返させていただく。

「作品を作る人は大勢いる。どの時代どの時代にも、数え切れない才能が輩出するだろう。だが、それらの才能が、存分に活動できる“場”を作る才能の持ち主、これは滅多に出てくるものではない。日本SF界はその黎明期に柴野拓美という、まれにみる場作りの才能の人を得た。その、作家活動としてのペンネーム、“小隅黎“の”黎”の字は、今考えてみて、まことに氏にふさわしい、一種の予言めいた名前であったのだ」

柴野氏の訳したハヤカワ文庫のアンドレ・ノートン『大宇宙の墓場』は、買ってしばらく放っておいたのだが、たまたま読んだ某アニメのノベライズの、あまりの文章の拙劣さに嫌気がさし、急いでこれを読んで、質の高いSFの文章というのはこれだ、と安堵した記憶がある。翻訳ばかりでない、創作の方の文章も、理系の人らしい論理的なところと平明さがあり、地味だが文章力は他のプロパーの作家より上だと秘かに感心していた。

最初にお会いしたのも、最後にお会いしたのも、SF大会の会場でだった。柴野さんにふさわしい場所であったと信ずる。深く、深く黙祷。

日記 :: 2010年 :: 01月 :: 18日(月曜日)
小林繁、浅川マキ、そして郷里大輔と訃報立て続け、とても追討記事、追いつけるものにあらず。郷里氏は自殺ということでさらに悲哀感が高まる。しかも刃物による、というのは只事でない動機があったと思われる。何があったのか?

小林繁氏はあの“空白の一日”のことを、出会った人全員から言われるのを非常に気にしていたという。浅川マキ氏は70年代アンダーグラウンド・シーンとばかり自分の歌を結びつける評論にウンザリしていたという。とはいえ、やはりどんなに本人が嫌がっても、世間というのは人をそのように標本箱の中に展示して数行の記載をつけてこれがこの人というもの、と規定してしまう。世の中とはそういうものなのだろう。

【ロバート・B・パーカー】

2010年 :: 01月 :: 19日(火曜日)
18日、『市立探偵スペンサー』シリーズのロバート・B・パーカー死去の報。77歳。“アメリカの池波正太郎”と言いたくなるような、食い物の描写の多い作風だった。内容が大して作品により変わらなくてもシリーズの新作が出るだけで読者がうれしがるというあたりも、池波正太郎とパラレルであった。

【ミッキー安川】

2010年 :: 01月 :: 19日(火曜日)
同じ18日、ミッキー安川氏肺炎で死去。76歳。こないだスペル星人の奥村公延氏が亡くなったと思ったら、ペロリンガ星人の回の蕎麦屋『増田屋』の親父、シゲさん、ミッキー安川氏が亡くなった。妙に実相寺監督に縁のある人が続けて亡くなる。

この増田屋の親父、漫画家の加藤礼次朗にソックリということで(いや、順番から言えば逆だが)一部の友人知人たちにとっては見るたびに笑えるキャスティングだった。そう言えば礼ちゃんも蕎麦屋の息子だ。ウルトラシリーズにはときどき“なんでこの人が?”というような役者が登場するが、中でも意外性抜群なキャスティング。

以前の著書にはコント作家と肩書きがついていたが、書いたコントを見たことはない。子供のころから、アメリカ放浪の武勇談(ホントに金につまったとき、路上で“日本人のウンコの仕方”というのを見せて金をとったとか)などばかりが有名だった。後はテレビのレポーターであり、また毒舌で知られたラジオのパーソナリティであった。近年はアメリカナイズされたキャラがウソのような、愛国主義的発言が目立ったが。

独特の、口ごもるような声質が特長で、ちょっとでも聞けばすぐミッキー安川だとわかったが、ここ一〜二年、目立ってその滑舌が聞き取りにくくなっていた。体調が悪いのかしらんと心配していたが今日の訃報の前兆だったのだろうか。

そう言えば芸能界裏ばなし的な本の草分けでもあった。それ以降の暴露本がどうにも誹謗中傷の匂いがあってイヤな感じだったが、ミッキー氏の本に書かれたエピソードはみんな短いコントみたいで、ユーモラスな雰囲気があって憎めなかった。この筆致を見ると、コント作家という自称も故あるものかと思えるのである。私にとって彼もまた、昭和のテレビ界を形作っていた顔、であった。黙祷。

【ジーン・シモンズ】女優

2010年 :: 01月 :: 23日(土曜日)
訃報コミュにジーン・シモンズ死去の報。かなりコメントがついていたので、そんなにファンがいたのかと思ったら、キッスのジーン・シモンズかと思って驚いた人がたくさんいたのだった。英文ならばキッスの方はGene、こっちのシモンズははJeanで間違いようがないのだが。

代表作のところに『シーザーとクレオパトラ』(1945)が入っていたものがあったが、この映画は主演がビビアン・リー。シモンズはハープ弾きの少女役で、顔も一瞬しか映らぬホンのチョイ役だった。もっとも、この映画の出演者に、後の亭主であるスチュワート・グレンジャーがいる。

そのビビアン・リーの亭主だったローレンス・オリビエの目にとまり、『ハムレット』(1948)ではオフィーリア役に大抜擢。はっきり言ってそんな美人とは思えなかったが、精神に異常を来し、城の床に伏したあたりのシーンで太股がチラリと見える、19歳のその色気は40年代のあんちゃんたちにはもう、たまらなかったろうと想像できる。

やがてかの曲者スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』(1960)に出演、スパルタカス(カーク・ダグラス)と結ばれて彼の子を身ごもる女奴隷役。時代の変遷を物語る色っぽいシーン(スパルタカスの前で衣服を脱ぐ)もあるのだが、そこでは31歳のシモンズの端正さが逆に作用して、妙に堅苦しくなってしまっていた。アカデミー賞候補に2回もなる演技派でありながら、いまいち女優としての華麗さに欠けるイメージがあったのは、理性が勝っていた、そのキャラクターにあったかもしれぬ。

晩年は声優としての仕事が多く、『ハウルの動く城』のソフィー役は訃報記事でも触れられていたが、他に『ファイナル・ファンタジー』等にも出演していて、日本製アニメに縁が深かった。大物俳優の晩年仕事としてのアニメ出演はもはやハリウッドでは定番になっており、オーソン・ウェルズの遺作が『トランスフォーマー・ザ・ムービー』というのも、あながち“落ちぶれた”というイメージではなくなっていると思う。

ともあれ、『ハムレット』のイメージでもう前時代の女優、という風に(恥ずかしながら)思っていた女優さんが、ついこのあいだまで現役だった、ということに嬉しさと、80歳という年齢は、現代ではまだまだだろう、ということに寂しさを感じる。黙祷。

【徳南晴一郎】漫画家

2010年 :: 01月 :: 23日(土曜日)
徳南晴一郎氏死去の報あり。その人生の、世の中というもの、運命というものへの親和力のなさは自伝『孤客』にあきらかで、異常な読後感のあったことを思い出す。孤客とは誰がつけた書名が知らないが、まことに実をついたタイトルであるなあ、と読んでため息をついたものであった。晩年に意外な評価を受けたことは徳南氏にとってどういう意味があったのか。他者の伺い知られることではないと思うが、今は慎んで黙祷を捧げたい。

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最終更新:2010年02月09日 11:38
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