伊藤君問題(2004〜 )

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  1. 伊藤君問題(1999〜2003)
  2. 伊藤君問題(2004〜 )

2004年02月14日(土曜日)

メールなどチェック。伊藤剛くんがまたステレオタイプなと学会批判をはてなの日記でやっていた。トンデモさんがと学会を批判する時の定番(揶揄的な姿勢がけしからん、というやつ)であり、進歩のないことである。第一、自分のことを“脱会信者”と、まるで自分から憤然会籍を抜いたように言っているが、実際は私や岡田さんを訴えたあとまでずっと会員登録をしたままでいて、数年前の幽霊会員処分でこちらから抹消したのではないか。まあ、面白いので一応、MLに報告のみして寝る。


2004年02月16日(月曜日)

伊藤くん日記、と学会MLに報告されたと知ってあわててフォローの書き込みをしているが、論理がかなり混乱しているようである(と学会の原則そのものをオウム真理教に例えた後に、“中にはまともな人もいる”とか言ってしまっては比喩として成り立たないだろう)。混乱するような内容ならハナから書かねばいいのである。
「論理操作の場には、一応情念や感情の問題を持ち込まない、といった論理以前の事が出来ていない。一応ちゃんとした大学を出て、知的分野にたずさわっている人間がこれでは、いったいどうなっているんだ、と思いたくなる」
 ……いや、彼のことではない。一昨日引用した小松左京『地球社会学の構想』の、その先の部分である。


2004年04月13日(火曜日)

岡田さんと、『創』の対談の話少し。ヌカダさんからは幻冬舎の話いろいろ。やはり社長にはいろいろ振り回されます、との話。藤倉さんとはレンズマンの解説書いた話や、伊藤剛くんの話などを。

2004年08月13日(金曜日)

松下知佳さんは誰かに似ている、とずっと思っていたが、昔『QJ』の編集兼ライターやっていたOさんのイメージだ、と思い出し、あやさんと盛り上がる。で、当然のことながらOさんを知らない松下さんに説明。もう何年も前だけど、あまりに発言の場を読めないで、バカと言われて腹を立て、私を訴えた男がいて、当時その男のカノジョだった人で……というような話を。わかるかな。しかし、その裁判が結果的にこの日記を生んだ、というオチは、落語ではないが何回話してもウケる。

2005年01月12日(水曜日)

自己のオタク的資質にコンプレックスを持ち、社会的権威からの認知がなければそのアイデンティティを保てないという古いタイプの人が、オタクの中にもときおりいる(例えば伊藤剛とか)。東浩紀が当初オタクのアカデミズム的認知のようなことを言い出したとき、真っ先にその足元に身を寄せたのも、こういうタイプの人たちだ。もともと社会的な価値観とは異なる部分に価値観を見出すことで成立していたオタク文化を、無理矢理に既存の価値観のワク組の中にとらえて正当化しようとするから、彼らの言っていることにはどこか、奇妙なゆがみが生ずる。

2005年05月17日(火曜日)

途中で電話、光文社から。「書籍宣伝部のSですが……」という声。おや、懐かしい。かつて光文社のと学会本担当だった人で、例の伊藤くんの(バカ)裁判も担当してくれた人。今はなんと書籍宣伝部で『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』の宣伝を担当しているという。世間は狭い。

2005年10月20日(木曜日)

仕事場でゲラチェック2本。外食したせいかダルい。原稿書く気せず。伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』読む。マンガの表現を論じて一読、うなったほどの力作なれど、最近のこの手の若手論者(東浩紀氏を代表とする)の文化論に共通の視野の狭窄があって、手放しで褒められない。とはいえ、それはこういうマス文化における表現をアカデミックに論じる際に、ある程度視野を狭めないと論としてまとめられない、いわば必要悪としての制限なのである。

論衡というものは理論の明解さを以てその価値を定められる。マンガのような大衆文化はその裾野の広さが、理論を綺麗にまとめるにはネックであって、何か筋を一本通した見方をしようとしても、必ずそこに例外や範疇外の作品が見つかる。特に
「こういった表現は○○の××という作品が最初」
などと言う指摘は、発表したとたんに読者から
「いや、それより△△という作品の方が早い」
「※※という作品をなぜ無視するのか」
という指摘が矢のように飛んでくる。なにしろこの『テヅカ・イズ・デッド』でさえ、先行の評論に対しそのような指摘で論破を試みているくらいで、実例が逆に論の揚げ足をとられる原因となる。

これを防ぐには、
「この論は細かな事実の違いには拘泥せず、仮定としておいた理論の展開がマンガ史(その他オタク史、アニメ史などの大衆文化)を見る視点をどれだけ広げ得るか、そちらの方に重点を置く」
という姿勢をとらざるを得なくなる。

しかし、と、いうことは(東浩紀氏のオタク論などがほぼ全てそうであるように)、不正確な事実を元に論拠を構築しているわけで、その論自体が空虚なものなのではないか、という不安を読者に与えてしまうことになる。

つまり、最初からマンガ表現論(表現史論)という分野は限定された条件下における成立しか見込めない欠陥を有するものなのだ。これは私がマンガ評論に手を染めたかなり早い時期にそれを投げ出した理由でもある。伊藤剛はそれをおそらく十分に承知の上で、あえてそこを読者に気付かせないよう、力技で押し切る形で本書をまとめた。

そのベクトルは本書に異様な迫力をあたえ、まず、多くの読者にその故意の狭窄を気付かせないだけの成功を収めていると言えるが、そのアーティフィシャルに徹した姿勢が、
「これって自論に都合のいい例ばかりを並べただけなんじゃないの?」
という疑念をどうしても捨て切れさせてくれない。最初からアカデミズム的論文の持つそういううさん臭さに免疫になっている人には感じられないだろうが。

2006年10月04日(水曜日)

以前、作品を評論した漫画家さんのサイトを見つけたのでちょっとのぞいてみたら、日記で私の書評を
「こちらがぜひ気づいてもらいたいと思っていたことがきっちりまとめてある」
と大変喜んでくれていた。こちらも嬉しい。で、私の書評とほぼ、同じような視点で伊藤剛くんもその作品の評を書いたらしい。私のようなものと視点が同じではいかんのではないか、伊藤くんとしては?

2007年01月13日(土曜日)

昨日の日記の“マンガは今の若い人に難しい”という一件、mixiで書いたらつきあいのある某女流マンガ家のところに転載され、多くの人からレスがついた。やはり、若い人に、“マンガは難しくて”と言われたという経験者は多いようだ。これの理由はいろいろあって、読み手に原因があるのか、マンガの変質に原因があるのか、その両方か、いくつも考えられるので簡単に結論は出せない。しかし、マンガ文化人たちがさかしらに言う“日本のマンガは進歩している”という言説が、そのまま若い読者層のマンガ離れにつながっているとしたら、不幸なことであると思う。そう言えばいろいろこれがらみでマンガ評サイトを見回った中、伊藤剛氏のサイトの日記に、(若い人たちの中にマンガを読まない人がいることについて)「これまでの批評家も、誰も自分の世代に向けてしかマンガを語ってこず、若い世代に届く言葉をつむいでこなかったツケが回っているということだ。自分たちの責任を下の世代に転嫁してはならない」という記述があった。われわれの世代は“上から教わって”マンガを読む、などという怠惰かつ格好の悪い真似はしなかったし、そもそもそんな上の世代がいなかった。いなくともちゃんとマンガはわれわれのもとまで届いていたわけだが。

2007年09月19日(水曜日)

桐生祐狩の『物魂』を思いだす。あの作品では私や植木不等式、皆神龍太郎などと学会メンバーが主人公(伊藤剛くんがモデル)に惨殺されるのだが、みんな大喜びで、こぞって「もっと派手に殺してください」と作者に要望していたのが笑えたことであった。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4758431140/karasawashyun-22

2008年01月29日(火曜日)

トンボ返りでまた時間割。これがたぶん、最後になるか
10年という年月は長い。10年前から変わらず打ち合せをしている人もいるし、今はつきあいのなくなった人もいる。伊藤剛くんの悩み事を4時間つきあって聞いたのもこの店、おぐりゆかと最後に話しあったのもこの店だった。いつも頼んでいたのはハーフ&ハーフのアイス。要するにカフェオレなのだが、この店ではハーフ&ハーフと呼んでいた。その他、ぶどうジュース、チョコレートドリンクが定番だったかな。

2008年05月18日(日曜日)

(トンデモ本大賞の過去の写真話から)
13年前のものはさすが、懐かしとも懐かし。S井さん、藤倉さんなどはまだ学生と言っても通りそうだし嬉しそうに壇上で発表している伊藤剛くんの姿もあればまだ髭の黒々とした皆神龍太郎さん、太っている岡田斗司夫さんの姿も。私はもう、実にダメオタクな感じの兄ちゃんである。一番変わってないのが山本会長ではないか?

最終更新:2010年02月14日 10:54
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